心を整える庭のデザイン

Zen Garden Design
Mindful Spaces by Shunmyo Masuno
2020年8月刊
Mira Locher著
枡野俊明協力

著者の経歴

ミラ・ロッカーは、アメリカと日本を中心に活動してきた建築家である。スミス大学で学んだ後、ペンシルベニア大学で建築学修士号を取得した。その後、日本の建築設計事務所に約7年間勤務し、日本の建築と空間文化を実地に学んだ。帰国後は建築家・村上隆之と建築設計活動を行う一方、大学で建築教育に携わってきた。本書で最も重要な人物は、枡野俊明である。枡野は横浜の曹洞宗徳雄山建功寺住職であると同時に、庭園デザイナーとして活動している。玉川大学を卒業し、斎藤勝雄のもとで作庭を学び、多摩美術大学教授も務めた。枡野にとって禅僧としての修行と庭園設計は別々の活動ではない。禅によって培われた精神を、石、水、植物、光、余白によって空間化することが作庭である。ロッカーは、枡野の庭を単に美しい日本庭園として紹介していない。建築家として庭の構成を分析すると同時に、その背後にある禅思想を読み解こうとしている。

本書の内容

本書の出発点は、禅庭とは何かという問いである。禅庭を単純に石、砂、苔で構成された日本庭園と考えることを退けている。枡野にとって庭とは、自然を縮小して再現する模型ではない。自然に存在する石、樹木、水、光などを選び、それらを人間の精神と結びつけることによって、心が静まる場所をつくることである。枡野の庭は心が宿る特別な精神的な場所である。現代人は情報や仕事に追われ、自分自身と静かに向き合う場所を失いつつある。だからこそ住宅や都市の中に、精神を日常から一時的に解放する小さな空間が必要になる。

1.個人住宅の禅庭

本書で特に注目すべきなのが、第一部である。ここでは上海の山水庭、鎌倉の澄心庭、中国・唐山の帰穏庭、横浜の聴閑庭、東京の六根清浄の庭、インドネシア・ジャワの水映の庭という六つの個人住宅庭園が紹介されている。これは、禅寺の庭を個人住宅へ応用するという観点から極めて重要である。禅寺には広大な境内や歴史的建築がある。しかし一般住宅にはそのような条件はない。そこで枡野は、禅寺の庭を縮小コピーするのではなく、その背後にある造形原理を住宅へ移植する。

2.澄心庭

鎌倉の個人住宅に設けられた澄心庭は、その考え方を象徴する作品である。重要なのは庭の面積ではない。住宅内部からどのように庭が見えるか、どこに石を置くか、どこを空けるか、植物によって何を隠し何を見せるかによって、限られた空間にも精神的な奥行きをつくることができる。ここには禅寺の庭と同じ省略の思想がある。多くの植物や装飾を置くのではなく、必要なものだけを残す。それによって一つの石、一枚の葉、光の変化が強く意識されるようになる。住宅庭園において重要なのは豪華さではなく、日常生活の中に静寂の瞬間をつくることなのである。

3.六根清浄の庭

東京の個人住宅につくられた六根清浄の庭も興味深い。六根とは仏教でいう眼、耳、鼻、舌、身、意という人間の六つの感覚・認識作用を意味する。庭を見ることは視覚だけの体験ではない。石の質感を見る。水の音を聞く。植物の香りを感じる。飛石を歩く。風を肌で感じる。庭全体を身体によって経験する。枡野の庭が単なる眺める庭ではないことがここから分かる。庭の中を歩くことによって、日常の雑念から離れ、自分自身の感覚を取り戻していく。庭は一種の精神的装置となる。

4.石

枡野の庭で重要なのが石である。石を加工して思い通りの形にするのではなく、その石が本来持っている形、表情、方向性を読み、それに適した場所を探す。この考え方は、人間が自然を完全に支配するという西洋近代的な発想とは異なる。作庭者が自然に形を押し付けるのではなく、自然が既に持っている性格を読み、それを最も生かせる場所へ置く。作庭とは、自然を征服する行為ではなく、自然との対話である。

5.余白

住宅庭園に応用する場合、本書から学ぶべき最大の点が余白である。狭い庭だからといって、石、灯籠、竹垣、苔、飛石、樹木をすべて詰め込む必要はない。むしろ狭いからこそ何も置かない場所が重要になる。日本画や水墨画では、描かれていない白い部分が空、霧、水などを想像させる。同じように庭でも、何も置かれていない砂利や苔の面が空間に広がりを与える。小さな住宅庭園ほど足すことより引くことが重要である。

6.建築と庭

ロッカーが建築家であることから、本書では建物と庭との関係が重視されている。日本庭園は庭だけでは完成しない。窓、縁側、廊下、玄関、和室などから庭を見ることによって、庭は初めて生活空間の一部になる。窓は一種の額縁となる。その中に一本の木、一個の石、苔、砂利が見えることで、庭が一枚の絵画のようになる。したがって住宅の禅庭を考える場合、庭を先に設計するのではなく、どの部屋から、どの方向に、何を見るのかを決めることが重要になる。これは本書から個人住宅の庭づくりへ応用できる非常に重要な考え方である。

7.集合住宅

第二部では、中国・青島の龍雲庭、シンガポールの水月庭、香港の山水有清音、シンガポールの清月庭などが取り上げられる。ここでは個人住宅より更に難しい問題が扱われる。高層建築、人工的な都市景観、多数の住民という環境の中に、どのように精神的な静けさをつくるのかという問題である。枡野はここでも伝統的な禅寺を再現しない。石、水、植物、歩行経路などを現代建築の幾何学的な空間と組み合わせることで、都市の中に自然との接点をつくる。禅庭は京都の寺院だけに成立する歴史的様式ではなく、21世紀の高層住宅にも成立し得る。

8.庭を歩く

本書では飛石、園路、入口、手水鉢なども重要な要素となっている。庭の道は、単にA地点からB地点へ最短距離で移動するために存在するのではない。石を少しずらし、歩幅を変え、方向を曲げることで、人間の歩く速度を落とす。歩く速度が遅くなれば、足元を見るようになる。周囲の石や植物にも注意を向けるようになる。作庭家は空間だけでなく、時間まで設計している。これは禅寺の露地や茶庭にも共通する考え方であり、住宅庭園にも十分応用できる。

9.枡野俊明と藤森照信

本書には建築家・建築史家の藤森照信と枡野俊明との対談も収録され、変化する素材と永続する自然をめぐって両者が語り合う。建築は完成した瞬間が一つの完成形となるが、庭は完成後も変化する。樹木は成長し、苔は広がり、石には苔や風化が生じ、季節によって光が変わる。庭の設計とは、完成時の姿だけを設計することではない。10年後、20年後に自然がどのように変化するかまで考えなければならない。

10.公共空間へ広がる禅

第三部では、横浜、中国・深圳、上海、ラトビアなどにおける庭園が紹介される。上海環球金融中心の縁随庭や深圳テンセント本社の円と縁の庭など、現代的な高層建築や企業施設の中にも禅的空間が成立している。ここまで来ると、本書が扱っているのは単なる日本庭園の海外輸出ではない。枡野が海外へ持ち出しているのは、石灯籠や竹垣といった日本らしい形ではなく、禅庭の根本原理(自然を尊重する、余計なものを削る、人間の歩みを遅くする、内省する場所をつくる、建築と自然を結びつける)である。

本書が言いたかったこと

禅庭とは日本庭園の一様式ではなく、人間の心を静かな状態へ戻すための空間思想である。現代人は都市生活の中で、絶えず情報、仕事、音、人工物に囲まれている。そのため自分自身の内面と向き合う時間を失いやすい。そこで枡野は、庭を生活から切り離された装飾としてではなく、日常生活の中に精神的な余白を取り戻す場所として考える。この考え方からすれば、禅庭をつくるために広大な土地は必要ない。一本の木、一個の石、わずかな水、砂利、苔、そして何も置かない空間だけでも庭は成立する。重要なのは、それらをどれだけ多く置くかではなく、それぞれの存在をどれだけ深く感じられる空間をつくるかである。したがって本書は日本庭園をどうつくるかという技術書を超えて、人間が自然とどのように向き合い、住まいの中に心を静める場所をどう取り戻すかを考える本である。特に個人住宅という観点から読むなら、本書の最大の教訓は明快である。禅寺の庭を住宅に再現する必要はない。龍安寺の石庭を縮小したような庭をつくることが目的ではない。禅庭から省略、余白、自然への敬意、建築からの視線、歩く時間、静寂という原理を取り出し、自分の住宅と生活に合わせて再構成することこそ、本当の意味で禅庭を現代住宅へ応用することである。

未来の輪郭