捕鯨産業にみる欧米の論理転換

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欧米における捕鯨の歴史

19世紀後半に石油が普及する以前、欧米社会において鯨油は最重要エネルギー資源の一つであった。鯨油は街灯や家庭用ランプの燃料として用いられ、夜間活動を支える基盤であり、都市化と商業発展を可能にした。また潤滑油として機械産業や造船業に不可欠であり、産業革命を陰で支える存在でもあった。この需要を背景に、欧米諸国は大規模な捕鯨を展開し、特に18〜19世紀のアメリカでは遠洋捕鯨が産業化した。捕鯨船は世界各地の海を巡り、マッコウクジラなどを追って数年に及ぶ航海を行った。捕鯨は単なる資源採取ではなく、航海技術、造船、金融、保険を巻き込んだ総合産業であり、欧米文明のエネルギー基盤として機能していたのである。

英国をはじめとするヨーロッパ諸国においても、19世紀後半に石油が普及する以前、鯨油は社会と産業を支える重要なエネルギー資源であった。英国、オランダ、デンマーク、ノルウェーなどは、北海や北極海を中心に組織的な捕鯨を展開し、鯨油を都市照明、工場用潤滑油、軍需物資として利用した。とりわけ英国では、街灯や家庭用ランプに鯨油が広く使われ、夜間の都市活動と商業の拡大を支えた。捕鯨は国家の保護と投資を受けた戦略産業であり、また捕鯨船は海軍予備人材の育成にも寄与し、海洋国家としての基盤を強化した。ヨーロッパにおける捕鯨は、単なる漁業ではなく、近代化を支えるエネルギー供給と海洋覇権を支えた国家的産業であった。

欧米の捕鯨産業規模

19世紀前半から中葉にかけて、ヨーロッパと米国の捕鯨産業は、現在の感覚から見れば極めて大規模な資源採取を行っていた。正確な統計は存在しないが、歴史研究からおおよその規模感は把握できる。

まず米国である。18世紀末から19世紀半ば、いわゆるアメリカ捕鯨の黄金期において、年間の捕獲数は概ね3,000~6,000頭前後と推定されている。最盛期の1840年代には、米国は世界の捕鯨船の約7割を保有し、稼働船数は700~900隻に達した。主対象はマッコウクジラで、鯨油と鯨蝋は照明・潤滑油として高値で取引された。単年では数千頭規模だが、数十年にわたる累積捕獲数は数十万頭規模に及ぶと考えられている。

一方、ヨーロッパ諸国(英国、オランダ、デンマーク=ノルウェー、フランスなど)も17~18世紀から捕鯨を展開していたが、19世紀に入ると主導権は米国に移った。とはいえ、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、欧州全体でも年間2,000~4,000頭程度を捕獲していたと推定される。特に北極海ではセミクジラやホッキョククジラが集中的に捕獲され、地域的には資源枯渇が早期に顕在化した。

重要なのは、これらの捕獲が短期間の乱獲ではなく、数世代にわたる継続的産業活動として行われた点である。結果として19世紀半ばには多くの海域で鯨資源が著しく減少し、石油(ケロシン)の登場以前から捕鯨産業は経済的・生態学的限界に近づいていた。欧米の捕鯨史は、近代文明がエネルギーを求めて自然資源を動員した規模と、その代償を示す典型例である。

現在の捕鯨規模との比較

現在、全世界の捕獲総数(2023年)は約1,200頭である。その主要内訳はノルウェー500頭、日本400頭、グリーンランド200頭、ロシア100頭である。 19世紀後半には現在を比較すると約5〜15倍位(ピーク年を取れば20倍程度)の鯨が捕獲されていたと推計されている(19世紀以前には世界合計の年次統計が現代ほど整っておらず、海域ごとの好漁・不漁や船団規模の変動が大きいことから、更に捕獲数が大きい可能性もある)。

欧米の価値観転換

欧米は現在捕鯨を厳しく批判しているが、その背景には、自らが大量に捕り、不要になり、価値観を転換した後で、それを普遍倫理として提示しているという歴史的構造があることをまず認識しなくてはならない。これは捕鯨に限らず、石炭、石油、森林、鉱物など、多くの資源問題に共通する欧米の論理転換パターンである。

第一に、産業的必要性の消失がある。19世紀の捕鯨は、鯨油が照明・潤滑・工業用途の基幹エネルギーであったから成立していた。しかし19世紀後半にケロシン、20世紀に石油・電力が普及すると、欧米社会は鯨油を必要としなくなった。自らは代替エネルギーを獲得し、捕鯨から撤退した後に、捕らないことが倫理として語られるようになった。

第二に、乱獲の当事者であったという歴史的負債がある。大型鯨類の激減は、主として欧米主導の工業化以前の捕鯨によって引き起こされた。その反省から、20世紀後半の欧米では、保護、規制を掲げることで、加害の歴史を倫理的に上書きする必要が生じた。反捕鯨は、環境政策であると同時に、歴史的自己正当化の装置でもある。

第三に、環境倫理の象徴化が進んだ。鯨は大型で知能が高く、社会性をもつ存在として語られやすい。1970年代以降の環境運動は、鯨を自然保護の象徴、人類の反省を託す存在として位置づけた。結果として、捕鯨は科学的資源管理の問題というより、善悪二元論の道徳問題として扱われるようになった。

第四に、ポスト産業社会の価値観転換がある。欧米はすでに資源採取型経済からサービス・金融・情報中心の社会へ移行している。その段階では、自然は利用する対象ではなく、保存し鑑賞する対象として再定義される。捕鯨禁止は、成熟社会の自己像を確認する行為でもある。

欧米の日本捕鯨批判

欧米が日本の捕鯨をことさらに批判してきた理由は、捕獲頭数や資源管理の問題というより、政治的・象徴的な意味合いに根差している。実際、現在でもノルウェーは日本より多くの鯨を捕獲しており、韓国では混獲や沿岸での捕殺によって日本をはるかに上回る相当数の鯨が死亡している。それにもかかわらず、国際的な非難の矛先が主として日本に向けられてきたのは、反捕鯨運動が科学や数量の議論ではなく、語りや象徴を中心に展開されてきたからである。

欧米において反捕鯨が強く主張されるようになった背景には、産業的必要性を失った後の価値観転換がある。かつて鯨油をエネルギー源として大量捕獲を行ったのは欧米自身であり、その結果として鯨資源を激減させた歴史的責任も欧米側にある。石油や電力という代替手段を獲得し捕鯨から撤退した後、欧米社会は捕らないことを倫理として掲げ、環境保護の先進的主体であるという自己像を形成した。反捕鯨は、その過去を清算し、道徳的優位性を確立するための象徴的政策でもあった。

この構図の中で、日本は象徴として使いやすい存在だった。日本は捕鯨を食文化や伝統として正面から主張し、政府も国家政策として捕鯨を擁護した。さらに、欧米こそが歴史的に大量捕獲の主体であったことを指摘し、科学的資源管理の観点から反論を行った。これは反捕鯨運動が必要とする単純な善悪二元論を崩す行為であり、運動側から見れば扱いにくい相手であった。その結果、日本は近代倫理を理解しない他者、自然を破壊する側という分かりやすい物語の中に位置づけられ、集中的な批判を受けることになった。

一方、ノルウェーは欧州内部の国であり、捕鯨を大きな文明論や文化論として主張せず、国際的な摩擦を拡大させない姿勢を取ってきた。また韓国は、捕獲を混獲や事故として処理し、捕鯨を公然と正当化しない。このように、実態としての捕獲数よりも、どう語るか、正当化するか否かが批判の強度を左右しているのである。

結局のところ、現代の捕鯨問題の本質は、鯨の数や生態系管理の是非ではなく、誰が文明の倫理を定義し、その語りを主導するのかという問題にある。欧米は保護する側という立場を確立するために、まだ捕る側を必要とし、その役割を日本が担わされた。日本への批判は、捕鯨という行為そのもの以上に、異なる価値観を示し、反論した国への象徴的攻撃であったと言える。捕鯨問題は、自然保護を装いながら、文明の物語と倫理の主導権をめぐる対立として理解することで、初めてその全体像が見えてくるのである

欧米の自己都合的論理展開

捕鯨問題をめぐる欧米の姿勢を歴史的に俯瞰すると、その論理が必ずしも普遍的・中立的なものではなく、きわめて自己都合的に形成されてきたことが見えてくる。欧米諸国は19世紀まで、鯨油を主要エネルギー源として大量捕獲を行い、世界の鯨資源を決定的に減少させた当事者であった。都市の照明、産業機械の潤滑、軍需物資など、近代文明の基盤は鯨油によって支えられていたにもかかわらず、その歴史的事実は今日の反捕鯨言説の中でほとんど語られない。

石油や電力という代替エネルギーを獲得すると、欧米は捕鯨から撤退し、今度は捕らないことを倫理として掲げる立場へと転じた。ここで重要なのは、捕鯨をやめた理由が資源枯渇や倫理的覚醒だけでなく、経済合理性の消失にあったという点である。にもかかわらず、欧米は自らの発展段階の変化を普遍的価値へと昇華させ、捕鯨は非文明的であるという道徳的枠組みを国際社会に提示した。これは、過去の大量捕獲という加害の歴史を、環境保護という新たな物語で上書きする行為でもあった。

その過程で、日本は格好の批判対象となった。日本は捕鯨を食文化や地域文化として正面から位置づけ、科学的資源管理の可能性を主張し、欧米中心の倫理観に異議を唱えた。捕獲頭数で見れば、日本より多く捕鯨している国や、混獲という形で多数の鯨を死亡させている国も存在するが、それらは大きく問題視されない。批判の基準が生態系への影響ではなく、誰がどのように語っているかに左右されていることは明白である。

結局、欧米の反捕鯨論は、科学や数量の議論というより、我々は反省し、進歩した側であるという文明観を維持するための装置として機能してきた。その物語を脅かす存在、すなわち異なる価値観を公然と主張し、反論する国が現れたとき、そこに強い批判が集中する。捕鯨問題とは、鯨の保護をめぐる純粋な議論ではなく、近代文明が自らの歴史をどのように正当化し、誰に倫理を押し付けるのかという問題である。欧米の論理が自己正当化と選別的批判に満ちていることを直視しなければ、この問題の本質は見えてこない。

捕鯨問題から見えてくる日本の欧米対応策

捕鯨問題において日本は、欧米の価値論争に正面から対峙する段階を越え、世界捕鯨協会を脱退し、自国の排他的経済水域に限定した資源管理型捕鯨へ移行することで、論争を回避しつつ実利を確保する成熟した対応を選択した。この判断は、欧米の規範主導型論理を理解したうえで、主権と国際法の枠内に自らの行為を再配置する高度な戦略である。

今後さらに高度化するには、
第一に、科学的資源評価と管理手法を国際標準に接続し、第三者検証やデータ公開を通じて透明性を制度化することが重要である。
第二に、捕鯨を単独の是非論から切り離し、海洋資源管理・生物多様性・食料安全保障を包含する包括的な海洋ガバナンスの一部として位置づけるべきである。
第三に、同様の立場を持つ国々との連携を深め、規範を受け取る側ではなく共同で形成する側へ回ることである。

対立を煽らず、論破を目的とせず、制度・科学・連携で自立性を高めることこそが、欧米の論理を超えて持続可能な正当性を確立する道である。


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