Seeing Is Forgetting the Name of the Thing One Sees
1982年刊
Lawrence Weschler著
著者とロバート・アーウィンの経歴
ローレンス・ウェシュラーは1949年生まれのアメリカの作家・ジャーナリストであり、長年The New Yorkerなどで活動したノンフィクション作家として知られる。政治、芸術、人権問題、知覚論など幅広い領域を扱い、とりわけ物事の見え方や認識の変容をテーマにした著作に定評がある。本書では、アメリカ現代美術を代表する芸術家ロバート・アーウィンへの長年にわたる取材を通じて、単なる評伝ではなく、知覚とは何かを探究する哲学的ドキュメントを作り上げている。
本書の内容
1.ロバート・アーウィンという存在
本書は、ロバート・アーウィンの人生と芸術的変遷を軸に進行する。アーウィンはもともと抽象表現主義の影響下で活動していた画家だったが、次第に絵画を描くことに疑問を抱き始める。彼は作品よりも、人がどのように空間を知覚するかに関心を移していった。やがて彼はキャンバスを捨て、光、空気、壁、影、透明素材などを用いた空間的作品へ向かう。作品は次第に物体ではなくなり、鑑賞者の感覚体験が作品となっていく。ウェシュラーはその変化を、美術史の流れだけでなく、アーウィン本人の会話、思索、生活態度を通じて描き出していく。
2.見るという行為への徹底した探究
本書の中心テーマは、人間は本当に見えているのかという問いである。アーウィンは、人間が世界を実際には見ておらず、名前や先入観を通じて世界を認識していると考える。たとえば、人は木を見る時、本当は木を見ているのではなく、木という概念を見ているにすぎない。そのため彼は、鑑賞者の知覚を揺さぶる作品を制作する。極端に微妙な光の変化、境界の曖昧な空間、消え入りそうな線などを用いることで、人々が普段どれほど惰性的に世界を見ているかを暴き出そうとする。見るということは、見ている対象の名前を忘れることであるというタイトルは、本書全体を貫く思想を象徴している。
3.芸術から物が消えていく過程
本書では、1960年代から70年代のアメリカ現代美術の大きな転換も描かれる。抽象表現主義以後、ミニマルアートやコンセプチュアルアートが登場し、作品とは何かという問いが急速に先鋭化していった。アーウィンはその流れの最前線にいたが、彼は単なる理論家ではなかった。彼の関心はあくまで実際に身体がどう感じるかに向けられていた。彼は美術館の展示空間を改造し、窓から入る自然光を調整し、鑑賞者が歩く速度まで考慮した。彼にとって芸術とは、完成した物体ではなく、経験の条件を設計する行為だった。ウェシュラーは、こうしたアーウィンの試みを難解な理論としてではなく、生きた会話として描き出す。そこに本書の大きな魅力がある。
4.芸術家の生き方としての徹底性
本書を通して強く印象に残るのは、アーウィンの異様なまでの徹底性である。彼は名声や市場評価にあまり関心を示さず、自らの知覚探究を極限まで突き詰めていく。そのため、収入の不安定さや社会的孤立も経験する。しかし彼は妥協せず、本当に見るとはどういうことかという問いを追求し続ける。ウェシュラーはアーウィンを単なる現代美術家としてではなく、哲学者や禅僧にも近い存在として描いている。実際、本書には東洋思想や瞑想的感覚を思わせる場面も多く現れる。そして読者は次第に、芸術とは作品を作ることではなく、世界との関わり方を変えることなのではないかという感覚へ導かれていく。
本書が言いたかったこと
本書は本当に見るという行為の困難さと重要性を語っている。人間は普段、名前、知識、分類、先入観を通じて世界を理解している。しかしその瞬間、世界を直接経験する力を失っている。ロバート・アーウィンは、その固定化された認識を一度壊し、純粋な知覚へ立ち戻ろうとした。本書は単なる芸術論ではない。それは、人がどのように現実を見ているのかを問い直す哲学書でもある。芸術とは、美しい物を作ること以上に、世界を新しく見る方法を人間に与える営みである。
