地球温暖化の推進経緯
地球温暖化を最初に科学的仮説として明確に提示したのは、スウェーデンである。19世紀末の1896年、スウェーデンの物理化学者スヴァンテ・アレニウスは、大気中の二酸化炭素(CO₂)の濃度変化が地球の気温に影響を与えるという理論を発表した。彼は、石炭燃焼などによってCO₂が増加すれば、地球が温暖化する可能性があることを、当時としては極めて先進的な計算によって示した。これは、今日地球温暖化と呼ばれている現象を、世界で初めて体系的に説明した研究である。
もっとも、アレニウスの時代には、温暖化は必ずしも危機として捉えられていなかった。むしろ彼自身は、寒冷な北欧において農業生産が向上するなど、人類にとって好ましい影響をもたらす可能性もあると考えていた点が興味深い。当時はまだ、化石燃料の大量消費が地球規模の環境問題を引き起こすという認識は社会的に共有されていなかったのである。
その後、20世紀半ばに入ると、アメリカを中心に大気観測と気候モデル研究が進展し、1950年代には人為起源のCO₂増加が現実の問題として意識されるようになった。特に1958年に始まったハワイ・マウナロアでのCO₂連続観測は、地球温暖化研究の転機となった。さらに1980年代以降、国連や欧米諸国が主導する形で、地球温暖化は国際政治課題として扱われるようになる。
英国では19世紀の産業革命の中心国であり、化石燃料利用と気候の関係に早くから関心を持っていた。1980年代以降は、気候変動を国際政治課題として積極的に位置づけ、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)やIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の形成に深く関与した。
ドイツもまた、地球温暖化を強く主張してきた国の一つである。ドイツでは1970年代以降、環境主義と反原発運動が結びつき、温暖化対策は国家理念の一部となった。再生可能エネルギー政策(エネルギー転換)は、温暖化対策を産業競争力に転化しようとする戦略でもあり、道徳と経済を結びつけた主張が特徴である。
フランスは、温暖化問題を国際秩序と外交の文脈で強調してきた。特に2015年のパリ協定に象徴されるように、地球温暖化を国際合意形成の中核議題として位置づけ、欧州の中で調停役を果たしてきた。
ノルウェーやデンマークなど北欧諸国も、温暖化問題を強く訴えてきた。これらの国は環境先進国としての国家イメージを重視し、資源輸出国でありながら環境倫理の発信地であることを外交資産として活用している点が特徴的である。
地球温暖化から気候変動への転換
現在、欧米諸国は地球温暖化について、かつてのように強い危機感を煽る形で主張しなくなっている。その象徴が用語の変化である。欧米では近年、地球温暖化(Global Warming)から気候変動(Climate Change)という言葉へのすり替えが行われている。これは単なる言い換えではなく、気温上昇だけでは主張の信ぴょう性に疑念が高まっているため、異常気象、熱波、豪雨、干ばつなど、否定しがたい通常の現象を包括的に取り込み、論点をすり替えているのである。
これにより全体として、欧米の主張は危機の強調から管理と適応へと重心を移している。欧米諸国は地球温暖化を否定も放棄もせず、文明や経済をどう設計し直すかという戦略的ツールに気候変動を活用している。
地球温暖化への疑念
1. 気候は昔から自然に変動してきた。
地球の気候は、氷期と間氷期を繰り返してきた。中世温暖期や小氷期のように、人為的CO₂がほとんどなかった時代にも気温変動は存在していた。また太陽黒点の増減に代表される太陽活動が地球気候に影響を与えることの方が大きいのは科学的に証明されている。
2. 観測データは不完全・恣意的である。
地球全体を均等に観測しているわけではなく、都市部のヒートアイランド効果や、測定点の偏りが平均気温を押し上げている可能性が高い。
3. 地球温暖化をCO₂を主因とする恣意性。
CO₂は大気中で微量成分にすぎず、水蒸気の方が温室効果は大きい。CO₂の温室効果はすでに飽和しており、追加的影響は小さいのは自明のことである。
4. 気候モデルは信用できない。
気候モデルはあまりに仮定が多く、雲や海洋循環など不確実性が極めて大きい。過去の予測が外れた例は多く、将来予測を政策の根拠にするのは恣意的で危険である。
5. 政治・経済的利害が混入している。
地球温暖化は、新たな規制、補助金、炭素税、再エネ産業の促進を正当化するため誇張や単純化が行われた政治的物語である可能性が高い。地球温暖化や二酸化炭素排出量を理由に電気自動車を推進するのは全く論理矛盾した政策であり、いかに恣意性が強い論理であるかを自ら証明しているようなものである。
規範を成果に転化する日本型現実主義
欧米が主導した地球温暖化ムーブメントは、科学的知見を口実としつつも、政策・金融・産業戦略と結びついた政治的・経済的側面を強く帯びていた。規制や数値目標が先行し、市場や投資の方向性を誘導する動きが加速する中で、日本はこの潮流に感情的に反発することも、無批判に迎合することも選ばなかった。むしろ日本は、脱二酸化炭素という大義を現実的な技術課題として受け止め、愚直な改善と積み上げによって実利へと転化する道を歩んだ。
具体的には、省エネルギー技術の高度化、製造プロセスの効率化、電力利用の最適化など、地道な改善を重ね、結果として産業全体のエネルギー効率を世界最高水準に引き上げた。さらに、日本は短期的な流行に左右されることなく、長期的に真のクリーンエネルギーとなり得る水素エネルギーに早期から注力し、製造・輸送・貯蔵・利用に至るサプライチェーンの実用化を進めてきた。
たとえ欧米の温暖化ムーブメントが政治的・経済的動機を含む演出であったとしても、日本はそれを空疎な理念で終わらせず、技術力・産業競争力・エネルギー安全保障の強化という具体的成果に結びつけてきたと言える。規範を拒まず、しかし振り回されもせず、現実的な技術と制度に落とし込むこの姿勢こそが、日本の成熟した対応であり、今後の国際規範への向き合い方にも通底する日本型現実主義の本質である。
