国益より自己利益優先のメカニズム
世界の戦争を政治的視点で分析するのではなく、政治家が個人的利益を得るために、国家の利益を犠牲にして私欲(端的にはお金儲け)のために行っているのではないかとの構図を拭いきれない。イラク戦争のブッシュ大統領、チェイニー副大統領やウクライナ戦争のバイデン大統領やゼレンスキー、フォン・デア・ライエン欧州委員長やマクロン・フランス大統領、スターマー英国大統領、そしてイラン戦争のトランプ大統領などは国家の利益を損なってでも戦争を遂行しているとしか思えないが、その構造は単に政治家のみの利益構造というものではなく、多層的である。より深刻なのは、秘密の金銭授受など存在しなくても、政治家、官僚、軍、情報機関、軍需企業、金融機関、シンクタンク、大学、専門家、メディアなどが、それぞれ自らにとって合理的な利益を追求した結果、国家全体としては不合理な戦争が開始され、しかも終わらなくなる可能性があることである。問題の核心は、誰かが国家を裏切っているという単純なものではない。国家を構成するそれぞれの主体にとっての合理性と、国家全体にとっての合理性が一致しなくなることである。
国益という曖昧な概念
そもそも国益というものが一枚岩ではない。国民にとっては、生命、安全、所得、自由、社会保障、経済成長、財政の持続可能性などが重要である。ところが政治家には選挙があり、官僚には予算があり、軍には組織があり、企業には利益があり、金融機関には取引があり、専門家には研究資金と影響力がある。平時にはこれらの利益は必ずしも一致しない。しかし国際危機が発生すると、奇妙なことに多くの利益が同じ方向へ整列する。軍には予算増額の根拠が生まれる。情報機関には権限拡大の理由が生まれる。軍需企業には受注が生まれる。金融には巨大な資金需要が生まれる。シンクタンクには安全保障研究の需要が生まれ、専門家には政府諮問やメディア出演の機会が増える。その結果、平和によって利益を得る主体より、危機によって直接的利益を得る主体の方が政策決定過程の中心に集まりやすいという非対称性が生じる。
政治家の個人的動機
政治家の私益を金銭だけではない。政治家にとって最も重要な利益は、しばしば権力そのものである。再選、支持率、党内での地位、政権維持、歴史的評価、国家指導者としての威信などは、直接的な金銭以上に重要になり得る。国際危機が発生すると、政治指導者には強い指導者を演出する機会が生まれる。反対に、一度強硬姿勢を公言した指導者が妥協すれば、敗北、弱腰、敵への屈服と攻撃される可能性がある。国際危機において指導者が公然と強硬な約束を重ねるほど、後から撤回する国内政治上のコストが高まり、指導者自身が後退できなくなる場合がある。政治家は、自らの政治的生存を守るために国家を危険な地点まで進ませてしまう可能性がある。したがって国家にとって停戦が合理的かという問いと、指導者本人にとって停戦が合理的かという問いは同じではない。
官僚組織の自己保全
官僚にも固有の合理性がある。組織の力は一般に、予算、人員、権限、担当領域によって大きく左右される。脅威が拡大すれば、それを担当する組織の重要性も高まる。テロが増えれば対テロ部門が拡大する。サイバー攻撃が増えればサイバー部門が拡大する。大国間対立が激化すれば情報機関や軍事部門の予算が増える。これは必ずしも官僚が危機を意図的につくるという意味ではない。むしろ、自らの担当分野を重要だと考える誠実な官僚ほど、その脅威を強く認識し、より多くの予算と権限が必要だと考える。ここに制度の逆説がある。問題を解決するためにつくられた組織は、問題が完全に解決すると自らの存在理由を失う。したがって危機が長期化すると、危機を管理するためにつくられた組織自体が巨大な既得権益になり得る。
軍事手段の目的化
軍も同様である。もちろん軍人は戦争で最も直接的に生命を危険にさらすため、軍人は戦争を望むと単純化するのは誤りである。しかし軍という組織には、兵力、装備、基地、艦船、航空機、ミサイル、情報能力、司令部、ポストなどを維持・拡大しようとする組織論理がある。問題は、軍事力という手段が国家安全保障という目的から離れ、いつの間にか手段の維持が目的になることである。国家指導部が世界を軍事的脅威、敵味方、抑止力、戦力比較を中心に理解するようになると、本来は外交、経済、文化、妥協によって解決できる問題まで軍事問題として認識されるようになる。軍事力が外交を支えるのではなく、外交が軍事力を正当化するために使われるようになれば、手段と目的は完全に逆転する。
企業需要
軍需企業についても、企業が戦争を起こすのではない。企業が直接求めているのは戦争そのものではなく、継続的で予測可能な需要である。しかし兵器という商品の特殊性は、その需要が国際的不安と密接に結びついていることである。安全保障環境が安定し、国家間の緊張が低下すれば、兵器需要を減らす政治的圧力が強くなる。逆に、新しい敵、新しい脅威、新しい戦争形態が出現すれば、新型兵器、弾薬、ミサイル防衛、サイバー防衛、宇宙防衛、AI兵器など、新しい市場が生まれる。ここで重要なのは軍需企業単独の力ではなく、兵器生産を多数の州や地域、企業へ分散させることによって、その兵器計画が雇用政策になることである。すると議員は、安全保障上必要だからだけではなく、地元の工場を守るために軍事予算を支持するようになる。企業利益、雇用、議員の再選、軍の装備要求が一本につながるのである。
回転ドア
更に官民間の回転ドアが加わる。政府高官が退任後に防衛企業へ移り、軍幹部がコンサルタントになり、シンクタンク研究者が政府へ入り、政権交代後に再び研究機関や企業へ戻る。この人材移動が常態化すると、政府と軍需産業を完全に別々の主体として考えること自体が難しくなる。露骨な贈収賄など必要ない。同じ大学、同じ政府機関、同じ企業、同じシンクタンク、同じ国際会議を行き来する人々が、同じ脅威認識と同じ政策言語を共有するようになるからである。この段階では利益相反は金銭取引だけではなく、人間関係、キャリア、価値観、専門知識の中に埋め込まれる。これこそ陰謀よりはるかに発見しにくい利益構造である。
専門知識
シンクタンク、大学、安全保障専門家も例外ではない。専門家は客観的知識を提供する存在であるべきだが、その専門知識にも市場が存在する。国際情勢が安定し、戦争の可能性が低下すれば、軍事危機を専門とする研究者への需要は相対的に低下する。一方、新しい脅威が出現すれば、研究費、政府委託、国際会議、テレビ出演、新聞寄稿、政策提言などの需要が急増する。すると構造的に、脅威はそれほど大きくないと主張する専門家より、新しい重大な脅威が迫っていると主張する専門家の方が注目を集めやすくなる。ここでも専門家が嘘をつく必要はない。むしろ自らの専門分野を深く研究するほど、その問題を重要視するという認知的偏りが生じる。
金融と戦争遂行
近代以前の戦争は、国王が資金を使い果たせば終わらざるを得なかった。ところが国債市場と近代金融制度の発達は、この制約を劇的に変えた。政府は現在の国民から税金を徴収するだけでなく、国債を発行することによって将来世代から事実上資金を借り、戦争を継続できる。ここに重大な時間的非対称性が生まれる。戦争を決定する政治家と、戦争費用を最終的に負担する国民が同じではなくなる。政治家は現在の政治的利益を得ることができる一方、債務返済、退役軍人費、利払い、復興費などは10年、20年、30年後でよい。近代金融は戦争を起こす原因というより、政治指導者が戦争の真の費用を現在の有権者から見えにくくし、未来へ移転する装置として作用し得るのである。
戦争と新しい既得権益
ここまでは開戦までの構造である。しかし本当に重要なのは開戦後である。戦争が始まると、戦争以前には存在しなかった巨大な経済圏が生まれる。兵器契約が結ばれ、工場が増産し、新しい部隊が編成され、情報機関が拡大され、軍事援助制度がつくられ、物流会社が契約を得て、安全保障専門家が登用され、新しい政府部署が設置される。戦争は、自分自身を継続させる利益集団を戦争中に生み出す。ここから戦争の性質が変わる。開戦時には戦争を始めるべきかが問題だったのに、数年後には戦争を終わらせることで何を失うかが問題になる。平和とは単に戦闘を停止することではない。予算削減、契約終了、工場縮小、基地閉鎖、部隊削減、組織廃止、政治的敗北を意味するようになる。その結果、戦争を始めるより戦争を終わらせる方が政治的に困難になるという逆説が生じる。
サンクコスト
長期戦には更に強力な心理的要因が働く。これほど多くの兵士が犠牲になったのだから撤退できない、これだけの資金を投入した以上、勝利するまで続けなければならないという論理である。経済学的には、過去に支払った費用はサンクコストであり、現在の意思決定は将来得られる利益と将来発生する費用によって判断すべきである。しかし政治ではそうはならない。撤退すれば、指導者はこれまでの犠牲は何だったのかと問われる。国家にとって合理的な撤退が、指導者個人にとっては過去の失敗を認める政治的自殺になる。公然と強硬姿勢を積み上げた指導者ほど、国内政治上の後退コストによって自ら選択肢を狭める場合がある。
敵対国同士の相互必要性
更に深刻なのは、同じ制度が敵対する双方に存在することである。A国が軍備を増強する。B国の軍と政治家はA国の脅威が増大したと主張し、軍備を増強する。するとA国ではB国が軍拡しているという主張が正当化され、更に軍事費が増える。国際政治学では安全保障のジレンマとして知られる現象だが、これに国内の利益構造を加えると、更に強力になる。A国の軍産複合体にとってB国の軍拡は予算拡大の根拠になり、B国の軍産複合体にとってA国の軍拡が同じ役割を果たす。敵対する二つの軍事システムは政治的には敵でありながら、組織の存在理由という意味では互いを必要とする関係になる。
平和産業は存在しない
ここには更に根本的な非対称性がある。戦争には受益者が集中しているが、平和の受益者は分散している。一つのミサイル計画が中止されれば、その企業、工場、従業員、選挙区、軍の担当部署は具体的な損失を被る。そのため彼らは強力に政治活動を行う。しかしその予算を削減することで国民一人当たりが得る利益は小さく分散している。国民一人が数千円得をするために国会議員へ毎日陳情することはない。しかし数千億円の契約を失う企業には、ロビイストを雇って政策決定に働きかける十分な動機がある。これは公共選択論でいう集中した利益と分散した費用の問題である。戦争経済を理解する上で、この点は極めて重要である。戦争には強力なロビーが形成され得るが、戦争が起こらなかったことには売上も契約も発生しない。平和によって利益を得るのは社会全体だが、その利益が広く薄く分散しているため、政策決定過程では組織化されにくい。
国益の名による自己正当化
そして最も難しい問題は、これらの主体が自分自身を腐敗しているとは考えていない可能性が高いことである。政治家は国家の威信を守っている言える。軍人は国家を防衛していると考える。官僚は国家安全保障を強化していると考える。企業は防衛産業基盤を維持していると考える。研究者は安全保障上の脅威を警告していると考える。それぞれの説明には一定の真実がある。だからこそ問題は深刻である。露骨な腐敗なら摘発できる。しかし組織利益が本人の頭の中で国益に置き換えられてしまえば、本人には利益相反が見えなくなる。国家のために組織が存在していたはずなのに、いつの間にか組織を維持することが国家のためであると説明されるようになる。目的と手段が逆転する。
個別合理性と国家的不合理
以上を統合すると、戦争が長期化する制度的メカニズムの核心が見えてくる。政治家は再選するために合理的に行動する。官僚は自分の組織を守るために合理的に行動する。軍は戦争に備えるために合理的に装備を要求する。企業は株主利益のために合理的に受注を求める。金融機関は合理的に資金需要を取り込む。研究者は自らの専門領域の重要性を合理的に主張する。誰も国家を破壊しようとは考えていない。ところが、そのすべてを合計すると、軍事費が膨張し、財政が悪化し、人的資源が失われ、外交的妥協が困難になり、民間投資が圧迫され、敵国との憎悪が固定化される。個人には合理的、組織にも合理的、しかし国家には不合理という結果が生じる。これが政治家の私欲という人物論を超えて考えるべき核心である。
戦争を終わらせない国家
この構造が成熟すると、国家は戦争を利用するのではなく、逆に戦争を必要とする制度を内部に抱えるようになる。脅威が軍事予算を生み、軍事予算が組織を生み、組織が雇用を生み、雇用が政治的支持を生み、企業利益が政治活動を生み、専門家が脅威を分析し、その脅威認識が再び軍事予算を正当化する。そこには必ずしも司令塔はいない。陰謀なら首謀者を排除すれば終わる。しかし制度化された利益構造には首謀者が存在しない。この構造の究極的な危険は、戦争に勝つことさえ二次的になる可能性がある。本来、戦争は政治目的を達成するための一時的手段である。しかし軍事組織、予算、企業、雇用、政治的威信が戦争継続に依存するようになると、明確な勝利も敗北もない状態(終わらない危機)が制度的には最も安定した状態になる。
問うべきは誰が儲けたかではない
したがって戦争を分析する時、誰が裏で金を受け取ったのかという問いだけでは不十分である。より重要なのは、戦争が続くことで誰の予算が増え、誰の権限が強まり、誰が再選され、誰の企業価値が上がり、誰の専門性が重要になり、誰の政治的失敗が隠され、反対に平和になれば誰がそれらを失うのかを調べることである。この視点に立つと、政治家の銀行口座だけを調べても戦争の利益構造は見えてこない。予算、政治献金、政府契約、天下り・回転ドア、選挙区雇用、国債、シンクタンク資金、メディア、官僚組織の拡大、そして政治指導者自身の権力維持まで追跡する必要がある。そこで初めて、国家全体にとって戦争を終わらせることが合理的であるにもかかわらず、国家の意思決定に強い影響を持つ主体の多くにとっては、戦争を終わらせないことの方が合理的であるという恐るべき逆転が見えてくる。戦争の本当の危険は、悪人が私腹を肥やすことだけではない。善意も使命感も愛国心も企業倫理も組織防衛も選挙民主主義も、それぞれが個別合理性に従って動きながら、全体として戦争を自己増殖させる可能性があることである。したがって戦争を防ぐために必要なのは、政治家の人格を監視するだけではない。開戦によって利益を得る者とその費用を負担する者を可能な限り一致させ、軍事契約と政治資金を透明化し、官民の回転ドアを監視し、戦争目的と撤退条件を開戦時に明示し、戦争継続を定期的に再審査する制度が必要である。突き詰めれば、これは戦争論というより民主国家における統治の問題である。国家が戦争を制御できるか。それとも戦争によって形成された政治・官僚・軍事・経済・知識の利益共同体が国家を制御するようになるのか。この境界を見失った時、国家は国益のために戦争をする国家から、戦争を続けること自体が多数の権力主体の利益となり、その利益を守るために国益が後から定義される国家へと変質する。
参考文献(付記)
1. War Is a Racket
Smedley D. Butler著(1935年)
米海兵隊少将で二度の名誉勲章を受けたバトラーが、自らの軍歴を振り返りながら、戦争とは少数者が利益を得て、多数者が費用と生命を負担する仕組であると告発した古典である。第一次世界大戦を中心に、兵器、造船、鉄鋼、金融などの企業が戦争によって巨額の利益を得る一方、兵士と納税者が犠牲になる構図を描く。更に重要なのは、彼自身が中南米などへの米軍介入に参加した経験から、軍事介入が必ずしも純粋な国益のためではなく、企業の海外権益保護と結びついていたと述べた点である。本書は政治家が戦争を起こして企業が儲かるという問題を、最も直接的な言葉で論じた原点といえる。
2. The Shock Doctrine
Naomi Klein著(2007年)
クラインは戦争、クーデター、テロ、大災害、金融危機などのショックによって国民が混乱している間に、通常なら反対の強い政策が実行される構造を災害資本主義と呼ぶ。とりわけイラク戦争では、軍事、警備、兵站、石油関連、復興事業まで大量に民間企業へ外注され、戦争が巨大な市場へ変質したと論じる。ここで重要なのは、戦争によって国家財政が悪化しても、企業とその株主、政府と関係の深い業者には巨額の利益が生じる点である。したがって政策決定者が国民全体の利益ではなく、特定企業や支援者と結びつく場合、戦争や危機を長引かせる誘因が生まれる。本書は危機を利用して利益を得る政治経済を理解する基本文献である。
3.The Spoils of War
Andrew Cockburn著(2021年)
コックバーンは米国の軍事政策を、安全保障上の必要性だけから説明することはできないと論じる。国防総省、情報機関、軍需企業、金融界、議会、ロビイストが巨大な利益共同体を形成し、高額兵器、海外基地、戦争、軍事的脅威の継続からそれぞれ利益を得るからである。本書の鋭い点は、強い軍隊をつくることと軍事予算を増やすことが必ずしも同じではないと示す。実戦上の有効性より、予算規模や契約額が優先される場合すらある。したがって国家としては不合理な支出でも、組織や企業、政治家の選挙区にとっては合理的となる。本書は現代版戦争による利益配分の構造を最も包括的に描く一冊である。
4.The Iron Triangle
Gordon Adams著(1981年)
本書は、議会、国防総省、軍需企業の三者が形成する鉄の三角形を体系的に研究した重要書である。アダムズは主要軍需企業について、政府契約だけでなく、政治献金、ワシントンでのロビー活動、政府諮問委員会への参加、官民間の人材移動まで追跡している。問題は、軍需企業が単に政府の注文を受ける存在ではなく、何を兵器として開発し、どれだけ予算を使うかという政策形成に影響し得る点である。その結果、本当に国家安全保障上必要な兵器よりも、政治的に維持しやすい兵器計画が残ることがある。国益と企業利益が混同される制度的経路を知る上で、最も重要な研究の一つである。
5. Prophets of War
William D. Hartung著(2011年)
本書はロッキード・マーティンを中心に、巨大軍需企業が米国の外交・安全保障政策にどこまで影響力を持つようになったかを描く。企業は単に兵器を製造するだけではなく、雇用、下請企業、政治献金、ロビー活動を全国に分散させることで、兵器計画を政治的に廃止しにくくする。ある兵器が軍事的に必要かどうかとは別に、この計画を中止すれば地元の雇用が失われるという圧力が議員に加わる。こうして企業利益、議員の再選利益、国防予算が結びつく。本書は政治家個人の賄賂という単純な問題よりも、選挙と雇用を通じて軍需企業が政治制度に組み込まれる仕組を明確に示している。
6.The Halliburton Agenda
Dan Briody著(2004年)
イラク戦争と企業利益の関係を研究する重要な本である。Halliburtonとその子会社KBRを題材に、石油産業、軍事契約、政治権力がどのように結びついてきたかを追跡する。チェイニーがHalliburtonのCEOから米副大統領へ転じた経歴も大きく扱われるが、本書の核心はチェイニー一人の問題ではない。企業が政治献金、人脈、政府との長期契約を利用して政策環境に深く入り込み、戦争時には兵站や復興事業によって巨大な契約を得る仕組である。公的資金による私的利益という構図が本書を貫く。イラク戦争を経済的利益から見る際の代表的研究である。
7.Private Warriors
Ken Silverstein著(2000年)
冷戦終了後、多くの軍人、情報関係者、武器商人、安全保障専門家が民間部門へ移り、軍事が巨大な民間ビジネスへ変化していく過程を追った本である。国家安全保障を担当していた人物が退職後に兵器企業、軍事コンサルティング会社、民間軍事会社などへ移動すると、国家と企業の境界が曖昧になる。更に政府時代に築いた人脈が民間契約獲得に利用されるため、政府で戦争政策を決定する者と、その政策から後に利益を得る者が同じ人的ネットワークの中に存在するようになる。今日の回転ドア問題を理解する上で非常に重要な本であり、国家安全保障が民間利益の市場へ転換していく過程を具体的に描いている。
8.The Permanent War Economy
Seymour Melman著(1974年)
メルマンは戦争時だけ軍事費が増えるのではなく、平時にも巨額の軍事支出を維持する恒久戦争経済が米国に成立したと論じる。政府支出、軍需企業、研究機関、大学、議会選挙区などが軍事予算に依存するようになると、戦争がなくなること自体が多くの組織にとって経済的不利益となる。戦争の原因を政治家個人の悪意だけに求めるのではなく、平和になると困る経済構造が形成されることこそ問題である。軍事支出によって民間産業への投資が不足し、長期的には国家の生産力を弱める。国益を犠牲にしても軍事支出が続く構造を理解する基本文献である。
9.The Complex
Nick Turse著(2008年)
タースは、アイゼンハワーが警告した軍産複合体が21世紀には軍需企業だけの問題ではなくなったと論じる。IT企業、映画産業、スポーツ、大学、広告、消費財メーカーなど、一般市民の日常生活まで軍との契約関係が広がっている。この状況では、軍事予算削減に反対する経済主体が社会の至るところに存在するようになる。軍事化が経済社会全体に分散すれば、戦争や軍拡を支える政治的基盤も拡大する。本書は軍需企業が政治家を操るという単純な図式から一歩進み、軍事経済が社会へ浸透し、戦争を支持する利益共同体を拡大していく仕組を描いている。
10. Washington Rules
Andrew J. Bacevich著(2010年)
元米陸軍大佐で歴史学者のベイスヴィッチは、米国がなぜ政権交代を繰り返しても世界各地への軍事介入をやめないのかを分析する。彼の答えは、個々の大統領よりもワシントンに形成された安全保障エリートの常識にある。米国は世界各地に軍隊を配置し、圧倒的軍事力を維持し、必要ならいつでも介入すべきだという考え方が、民主・共和両党を越えて共有されている。この体制からは軍、官僚、企業、シンクタンク、政治家がそれぞれ地位、予算、影響力を得る。その結果、戦争を減らす政策より、介入を続ける政策の方が制度的に選ばれやすくなる。
