米中大手打ちの可能性

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ドル基軸体制と台湾をめぐる巨大な取引

米国と中国の双方が追い詰められた場合、ドル・台湾・安全保障を束ねた歴史的な包括取引が成立する構造的可能性を考察する。米国はドル基軸体制を守るため、中国は台湾統一を実現するため、金融・貿易・安全保障を束ねた歴史的な米中大取引に踏み切る兆候に注意を払う必要がある。

米国の事情

1.米国の弱点が国債の消化へ移り始めている

現在の米国が抱える最大の問題の一つは、単なる財政赤字ではなく、膨大な既発国債の借り換えと新規財政赤字を同時にファイナンスし続けなければならないことである。現在(2026年8月)米国の政府債務は40兆ドルに接近し、30年国債利回りは5%を大きく超える水準に上昇した。市場が米国債を拒絶している訳はないが、米国政府は以前よりはるかに高い金利を払わなければ長期資金を調達しにくくなっている。更に重要なのは海外投資家の動向である。2026年前半の海外民間投資家による米国債純購入額は前年同期比40%以上減少し、6月には166億ドルにまで落ち込んだ。外国中央銀行も米国債を純売却している。これは米国にとって重大である。世界最大の債務国である米国は、ドルという基軸通貨を発行できるからこそ巨額の経常・財政赤字を長期間維持できた。しかし米国債に対する世界の需要が弱くなれば、金利上昇、利払い増加、財政赤字拡大、更に国債発行増加という循環に入る危険がある。

2.イラン戦争が突きつけるドルと石油の問題

そこへイラン戦争が加わった。ホルムズ海峡をめぐる混乱と中東情勢の悪化によって、ブレント原油が1バレル91ドルを超え、米国長期金利も約20年ぶりの高水準付近にある。戦争によるエネルギー価格上昇はインフレを押し上げ、米国債金利を更に高くする可能性がある。ただし、ペトロダラー体制が崩壊している訳ではない。ドル基軸体制は単に産油国が石油をドル建てで販売することだけで成立しているわけではない。実際、IMFによれば2026年第1四半期でも世界の外貨準備に占めるドル比率は57.13%であり、前四半期よりむしろ上昇している。したがって現在起きていることはドル体制の崩壊というより、石油取引、外貨準備、米国債保有を通じて世界の余剰資金が自動的に米国へ還流する仕組みに亀裂が入り始めていると理解する方が正確である。

3.米国が欲しい世界の貯蓄

ここから問題の核心が見えてくる。米国に必要なのは単にドルの基軸通貨としての地位ではない。世界で生み出される巨大な貯蓄が、最終的にドル資産、とりわけ米国債へ還流する仕組である。従来は日本、中国、欧州、湾岸産油国などがその役割を担ってきた。しかし中国は長期的には米国債への依存を低下させ、日本にも人口減少や国内金利上昇という事情がある。中東にもドル以外の決済手段を模索する動きが存在する。そのため米国は今後、国内銀行、年金、保険、MMF、ステーブルコイン、同盟国の金融機関など、あらゆる経路を通じて米国債需要を作り出そうとするであろう。その延長線上で、中国という世界最大級の貯蓄国家を再びドル金融システムへ深く組み込めるなら、その意味は極めて大きい。

中国の事情

1.台湾は普通の領土問題ではない

一方、中国にとって台湾問題は単なる領土拡張問題ではない。中国共産党の歴史観では、中華人民共和国の成立によって中国内戦が完全に終了した訳ではなく、台湾問題が残されている。したがって台湾統一は中華民族の偉大な復興という習近平政権の国家理念とも結び付いている。これは経済合理性だけでは説明できない。台湾統一は中国共産党にとって、1949年に始まった中華人民共和国という国家建設を完成させる歴史的事業である。

2.台湾を押さえることによる地政学的飛躍

第二に台湾には巨大な軍事的価値がある。現在、中国海軍が太平洋へ展開しようとすると、日本列島、南西諸島、台湾、フィリピンへ連なる第一列島線が存在する。台湾の位置はその中央にある。中国が台湾を支配すれば、中国海軍・空軍の西太平洋へのアクセス条件は大きく変わる。逆に米国から見れば、台湾は日本、フィリピン、グアムを結ぶ西太平洋防衛構造の重要な一角である。しかも現在、米国の軍事資源の中東への振り向けがインド太平洋にも影響を及ぼし始めている。2026年8月には空母ジョージ・ワシントンの中東への移動によって、西太平洋に一時的な空母空白が生じることへの懸念まで報じられている。したがってイラン戦争と台湾問題は、まったく別の戦争ではない。米国の限られた軍事・財政資源を奪い合うという意味で既に接続している。

3.半導体とAI

更に現代特有の問題が半導体である。TSMCは台湾の新竹・高雄で複数の2nm工場を整備する一方、米国のアリゾナ、日本の熊本などにも生産拠点を拡大している。2025年には同社売上高の74%を7nm以下の先端技術が占めた。AI時代には半導体製造能力が経済力だけでなく軍事力にも直結する。したがって中国にとって台湾は、歴史的正統性+西太平洋への出口+先端半導体産業という三つの価値が重なった特殊な地域である。ただし、中国が台湾を軍事占領すればTSMCの工場をそのまま獲得できるという単純な話ではない。装置、ソフトウェア、材料、人材、海外顧客からなる国際的な供給網が途絶すれば、工場だけ取得しても最先端半導体を継続生産することは困難だからである。だからこそ中国にとって最も望ましいのは、破壊的な台湾侵攻ではなく、台湾の産業基盤を破壊せず政治的統合を達成することになる。

4.中国にある巨大な貯蓄

そして米国との大取引を可能にする中国側の最大の金融資産が貯蓄である。中国国家統計局によれば、2025年末の中国国内家計預金だけで約167兆元(約24兆8000億ドル、3700兆円)に達している。もちろん中国人の人民元預金がそのまま米国債になる訳ではない。しかし中国政府が資本規制、銀行、保険会社、政府系金融機関、外貨準備などを組み合わせて対外資産政策を変更すれば、中国からドル金融市場へ流れる資金の方向をかなり大きく変えることは可能である。中国には、米国のドル体制を壊す側に回ることも、一定期間支える側に回ることもできるという巨大な交渉カードが存在する。

米中が大きな勝負に出る可能性

1.台湾と米国債を直接交換するのではないが

ここで米中の利害を並べると興味深い構造が浮かび上がる。米国はドル基軸体制を守りたい。米国債の安定的な買い手を確保したい。中国との全面戦争も避けたい。そしてイラン戦争など中東への軍事負担も軽減したい。中国は台湾問題を解決したい。米国による半導体封鎖を緩和したい。対米貿易・投資環境を安定させたい。そして米国との全面戦争をせずに西太平洋での地位を高めたい。ここには明らかに取引可能な巨大な領域が存在する。ただし、中国が1兆ドルの米国債を買うから米国は台湾を中国に渡すという単純な取引にはならないだろう。より現実的なのは、金融、貿易、安全保障、半導体、台湾を一つのパッケージにした包括的な米中グランド・バーゲンである。

2.考えられる21世紀型米中手打ち

たとえば中国は米国債の継続的売却を停止し、外貨準備のドル比率低下を抑制する。中国金融機関によるドル資産保有を増加させ、一定範囲で民間資金の海外投資を認める。米中貿易によって中国側に蓄積するドルを再び米国金融市場へ還流させる。更に人民元によるドル代替を急激には進めない。これに対して米国は対中関税の一部を撤廃し、半導体・AI関連規制を選択的に緩和する。中国企業への金融制裁も限定する。そして最も重要なのが台湾である。米国は台湾独立を支持しないという立場を更に強調し、中国が武力を行使しないことを条件として、台湾と中国の政治的接近には介入しない。中国も台湾への全面侵攻を放棄し、封鎖や軍事圧力を抑制する。中国はドル体制を破壊しない。米国は中国の平和的台湾統一を妨害しないという暗黙の了解である。

3.1972年の米中接近以上の歴史的転換

歴史的に考えれば、まったく荒唐無稽な発想ではない。1970年代、米国はソ連に対抗するため、それまで敵視していた中国との関係を劇的に転換した。国家は巨大な戦略的利益が存在すると判断すれば、それまで絶対的に見えた外交原則を変更することがある。21世紀の大取引では、ソ連に代わって、米国の財政とドル体制が米国側の強烈な動機となる可能性がある。中国側では、台湾統一と対米経済封鎖の緩和が対価になる。しかもトランプ政権の外交は、同盟や理念を無視するという意味ではないにせよ、安全保障問題を関税、投資、防衛負担、産業政策などと結び付けて交渉する傾向が強い。そのため従来の米国外交よりも、このような異分野を束ねた包括取引を想像しやすい。

4.最大の障害

しかし、この大取引には根本的な矛盾がある。最大の障害は、台湾を渡せばドルも傷つくという逆説である。米国が中国から資金を引き出すために台湾を事実上放棄すれば、日本、韓国、フィリピン、豪州、欧州は、米国との安全保障関係も米国の国内事情によって取引材料になり得ると考える。これは米国の同盟システムへの信頼を低下させる。そしてドル基軸体制を支えているのは米国経済だけではない。巨大で流動性の高い金融市場、法制度、軍事力、同盟網、政治的信頼性を含む米国というシステム全体である。したがって、ドルを救うため台湾を譲歩した結果、米国への信頼を傷つけ、かえってドル基軸体制を弱体化させるという逆説が生じる。ここが米中大取引の最大の制約である。

5.米国が追い詰められれば計算は変わる

現時点では米国債市場に買い手が完全にいなくなった訳ではない。ロイターも、投資家は高い利回りを要求しているものの、買い手ストライキが起きているとは評価していない。しかし重要なのは現在ではなく、今後である。米国の債務が更に膨張し、長期金利が高止まりし、イラン戦争による財政・インフレ負担が長期化し、外国による米国債購入が更に減少するなら、米国債市場の安定が米国の国家安全保障問題になる。そのとき米国は、中国を最大の戦略的競争相手として封じ込めることと、中国の巨大な貯蓄をドル体制へ取り込むことのどちらを優先するのか、という極めて大きな選択を迫られる。中国にも同じ計算が生じる。米国の金融覇権を崩すことと、米国の黙認の下で台湾問題を解決することのどちらが中国共産党にとって重要なのか、という選択である。ここで両国の優先順位が一致した瞬間、歴史的な手打ちが成立する余地が生まれる。

東アジア秩序対ドル秩序の交換

したがって、本当に考えるべきシナリオは、中国が米国債を買う代わりに米国が台湾を中国へ渡すという単純な密約ではない。もっと巨大な取引である。中国はドル基軸体制への挑戦を一定期間抑制し、中国の巨大な貯蓄を再びドル金融圏へ還流させる。米国は中国との経済戦争を緩和し、半導体・AI規制を部分的に調整し、台湾について武力による現状変更には反対するものの、平和的統合まで阻止しない方向へ政策を転換する。すなわち交換されるものは、台湾と米国債ではなく、中国が求める東アジアにおける新しい勢力圏と、米国が必要とするドルを中心とする世界金融秩序である。現時点では、そのような大取引が進んでいる証拠はない。むしろ台湾は防衛力を増強し、中国の米国債依存も低下している。しかし今後、米国債市場の不安定化、イラン戦争の長期化、中国経済の停滞、台湾海峡の緊張という四つの圧力が同時に強まった場合、米中双方にとって対決を続けるコストが歴史的妥協をするコストを上回る瞬間が来る可能性は否定できない。その意味で米中の大手打ちは、台湾だけを見ていては発見できない。米国債市場、ドル体制、石油、AI・半導体、台湾海峡を一つの巨大な地政学的貸借対照表として見る必要がある。

産業と投資に関する論説

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