Personal Memoirs of U. S. Grant
1885–86年刊
Ulysses S. Grant著
ユリシーズ・S・グラントの経歴
ユリシーズ・S・グラントは1822年、オハイオ州ポイント・プレザントに生まれた。父は皮なめし業を営む実業家であった。少年グラントは家業を好まず、一方で馬の扱いには非常に優れていた。17歳で陸軍士官学校ウェストポイントに入学し、陸軍に入り、1846年から1848年の米墨戦争に従軍した。この経験は後の南北戦争を見る視点にも影響した。陸軍を退役した後は農業、不動産業などを試みたが成功せず、経済的に苦しい生活を送った。南北戦争が始まった1861年、北軍に復帰すると軍人としての才能を急速に発揮する。1862年のフォート・ドネルソン攻略、シャイローの戦いを経て、1863年には難攻不落とされたミシシッピ川の要衝ヴィックスバーグを攻略した。これによって北軍はミシシッピ川を事実上掌握し、南部連合を東西に分断することに成功した。1864年、エイブラハム・リンカーン大統領から中将に昇進させられ、北軍全軍の指揮を委ねられる。グラントは南軍のロバート・E・リー将軍に対する継続的攻勢を展開し、1865年4月、ヴァージニア州アポマトックス・コートハウスでリーの降伏を受け入れた。戦後は共和党から大統領選挙に立候補し、1869年から1877年まで第18代大統領を2期務めた。政権では南部再建、解放奴隷の市民権保護、白人至上主義組織への対応などに取り組んだ一方、政権周辺の汚職事件にも悩まされた。大統領退任後は世界各国を旅行し、各国の君主や政治指導者と会談した。しかし晩年、投資会社Grant & Wardの破綻によって財産の大部分を失い、更に喉頭癌を発症する。妻ジュリアに財産を残すため、グラントは回想録執筆を決意した。友人であった作家マーク・トウェインが出版を支援し、病状が悪化すると口述し、話すことも困難になると鉛筆で書き続けた。1885年7月、原稿を完成した数日後の7月23日、63歳で死去した。回想録は出版後大成功し、4年間で60万部以上を販売した。
本書の内容
1.人生は計画通りには進まない
本書はグラントの祖先、出生、少年時代から始まる。冒頭から印象的なのは、自分を英雄として描こうとする姿勢がほとんどないことである。グラント自身、人生の重要な出来事の多くは本人の選択によって生じるものではないという趣旨を序文で述べている。実際、若いグラントは大統領はもちろん、偉大な将軍になることさえ目指していなかった。ウェストポイントへの入学も本人が強く希望したものではなく、軍人として華々しい野心を抱いていた訳でもなかった。この普通の人間が予想外の状況に置かれ、そこで責任を引き受けていくという構図が本書全体を貫いている。
2.米墨戦争-戦争を実地で学ぶ
グラントにとって最初の大規模な戦争経験が米墨戦争であった。本書では行軍、補給、地形、部隊配置、指揮官の判断などを詳細に振り返る。後に南北戦争で敵となるロバート・E・リーら多くの軍人も、この戦争を経験していた。興味深いのは、グラントが自分の参加した戦争を無条件に正当化していないことである。彼は米墨戦争を米国による領土拡張のための不当な戦争と考え、南北戦争を、その拡張によって奴隷制を新領土へ広げようとしたことに対する一種の歴史的帰結として理解した。ここには、軍人でありながら戦争を美化しないグラントの特徴がよく表れている。
3.挫折した市民生活
米墨戦争後、グラントの人生はむしろ下降する。1854年に退役した後、農業や不動産業などに挑戦するが成功しない。生活は困窮し、父親の家業を手伝うまでになる。
後に南北戦争を勝利に導き大統領となる人物としては意外なほど、30歳代のグラントには目立った成功がなかった。しかし、この部分こそ本書の重要な伏線である。人生のある時期の失敗が、その人物の最終的な能力を決める訳ではない。平時には居場所を見つけられなかった人物が、国家的危機に直面したとき驚くべき能力を発揮する。
4.南北戦争-グラントという指揮官の誕生
1861年に南北戦争が始まると、グラントは軍務に復帰する。ここから本書は本格的な軍事回想録となる。1862年のフォート・ドネルソン攻略では南軍に無条件降伏を要求し、グラントの名は全国的に知られるようになった。しかし同年のシャイローの戦いでは、北軍は南軍の奇襲を受けて甚大な損害を出した。グラントは批判を浴びるが、撤退せず、翌日の反撃によって戦場を確保する。ここに彼の指揮官としての特徴が現れている。グラントは失敗しない将軍ではなかった。むしろ失敗しても戦争全体の目的を見失わず、態勢を立て直して次の行動を続ける将軍であった。
5.ヴィックスバーグ-戦略家グラントの真骨頂
本書の中心的部分の一つが1863年のヴィックスバーグ戦役である。南軍の要塞都市ヴィックスバーグはミシシッピ川を支配する戦略的要衝であった。北軍は何度も攻略を試みたが成功しなかった。グラントも複数の作戦に失敗する。しかし彼は失敗するたびに方法を変えた。最終的には大胆にミシシッピ川を渡り、補給基地との通常の連絡に過度に依存せず内陸へ進撃し、南軍を各個撃破してヴィックスバーグを包囲する。1863年7月4日、南軍は降伏した。この作戦はグラントの軍事思想を最もよく示している。彼は完璧な作戦を最初から考え出すタイプではない。目的を明確にし、行動し、失敗すれば修正し、それでも前進を止めない。この柔軟性と執拗さが、グラントの強さであった。
6.敵を必要以上に恐れない
グラントの軍事思想でもう一つ重要なのが、敵に対する心理的態度である。若い頃のグラントは敵軍を恐れていた。しかし実戦経験を通じて、自分が敵を恐れているのと同じように、敵も自分を恐れていることに気づく。これは本書を通じて繰り返し現れる重要な認識である。戦争では情報が不完全であるため、人間は相手を実際以上に強大だと想像する。しかし敵も同じ不安と情報不足を抱えている。したがって指揮官に必要なのは恐怖を感じないことではなく、恐怖を抱えながらも状況を冷静に判断し、行動を止めないことである。
7.リーとの最終決戦
1864年、グラントは北軍全体を指揮する立場となる。それ以前の北軍は、一度大きな戦闘をすると休息し、南軍にも再編の時間を与えることが多かった。グラントはこの戦い方を変えた。ロバート・E・リー率いる北ヴァージニア軍に対して継続的に圧力をかけながら、同時にウィリアム・T・シャーマンらにも南部各地で攻勢を行わせる。南軍に戦力を移動させる余裕を与えず、戦争を個々の戦闘ではなく国家全体の総合的な軍事作戦として捉えた。荒野の戦い、スポットシルヴェニア、コールドハーバー、ピーターズバーグ包囲戦と激しい戦闘が続き、双方に多数の死傷者が出る。グラントはこの過程で多大な犠牲を出したことについても触れ、特にコールドハーバーでの攻撃については後悔を記している。ここでも彼は自分を無謬の英雄として描いていない。
8.アポマトックス-勝者の節度
1865年4月、追い詰められたリーはアポマトックス・コートハウスで降伏する。本書でも最も印象的な場面の一つである。グラントは勝者として敵将を辱めようとはしなかった。南軍将兵を捕虜として収容するのではなく、宣誓後に帰郷することを認め、私有の馬を所有する兵士については、それを持ち帰って春の農作業に使えるよう配慮した。戦争の目的は敵への復讐ではなく、戦争を終わらせ国家を再統合することにある。本書は敵をいかに倒したかだけではなく、勝った後に敵をどう扱うべきかという問題まで描いている。
9.大統領時代を書かなかった理由
意外なことに、本書では1869年から1877年までの大統領時代がほとんど扱われない。回想録は基本的に南北戦争終結までで終わる。したがって本書は政治家グラントの自伝というより、軍人グラントの形成と戦争についての回想録である。これは本書の性格を理解する上で重要である。グラントが後世に残そうとしたのは、自分の地位や名声についての弁明よりも、自分が実際に経験した戦争とは何であり、その中でどのように判断したかという記録だった。
10.死を目前にして書かれた回想録
本書の成立過程も、一つの物語である。晩年のグラントは投資会社の破綻によってほぼ全財産を失った。その直後、喉頭癌と診断された。自分の死後、妻や家族が経済的に困窮することを恐れたグラントは、原稿料を残すため回想録を書き始める。病状は急速に悪化した。声を出すことが困難になると口述から筆記へ移り、1885年6月にはニューヨーク州マウント・マクレガーへ移った。そこで毛布に包まれながら執筆を続け、死のわずか数日前に原稿を完成させた。出版を強く支援したのがマーク・トウェインであった。トウェインの出版社から刊行された本書は大成功し、グラントが望んだ通り家族に大きな収入を残した。この成立事情を知ると、本書の簡潔で感傷を排した文章が一層印象的になる。
本書が言いたかったこと
本書から浮かび上がる中心的な思想は、人生も戦争も思い通りにはならないが、人間は与えられた状況の中で目的を見失わず、判断し、行動し続けることができるということである。グラントは若い頃から成功者だった訳ではない。軍を辞め、事業に失敗し、経済的に困窮した。しかし南北戦争という予想もしなかった状況の中で、それまで自分自身さえ十分に知らなかった能力を発揮した。その強さは、華麗な天才性というより単純明快さにあった。敵を必要以上に恐れない。情報が完全になるまで待たない。目的を明確にする。失敗したら方法を変える。しかし目的そのものは捨てない。そして一度決断したら前へ進む。更に重要なのは、勝利を目的としなかったことである。アポマトックスで敗者を辱めなかった態度に象徴されるように、戦争の目的は敵を永遠に憎むことではなく、戦争を終わらせ、その後の社会を再建できる状態をつくることにあった。その意味で本書が描いているのは、単なる強い将軍ではない。危機に際して何を目的とし、どこまで耐え、いつ決断し、勝った後にどこで止まるべきかを知る指導者の姿である。しかもこの思想を語った本人が、最後には癌と貧困という自分自身の最後の戦いに直面した。そこで彼は絶望する代わりに、残された時間で家族のために回想録を書き上げた。だからこそグラント回想録は軍事的名著であるだけでなく、失敗と逆境の中で人間はいかに責任を引き受け、最後まで自分の仕事をやり遂げるかを示した人生論としても読むことのできる名著である。
