多拠点生活のススメ
2017年10月刊
佐々木俊尚・小林希共著
著者の経歴
本書は、作家・ジャーナリストの佐々木俊尚と旅作家の小林希による対談集である。佐々木俊尚はジャーナリストとして情報社会や働き方、コミュニティ論などを長年研究してきた。早くからノマドワークや多拠点居住の可能性を提唱し、自らも東京・軽井沢・福井を行き来する生活を実践している。一方の小林希は世界各地を旅しながら執筆活動を続ける旅作家であり、東京、瀬戸内の島々、海外を往復する生活を送っている。本書は、多拠点生活を理論として論じるのではなく、実践者同士が自身の経験を語り合う形で進められている。
本書の内容
1.人と会うための東京、自分と向き合うもう一つの拠点
本書の中心的なテーマは、一つの場所に定住することが必ずしも人生の最適解ではないという考え方である。佐々木は東京を人と会う場所と位置づける。東京には情報が集まり、人との出会いがあり、仕事の機会がある。しかし同時に、東京だけに暮らしていると視野が狭くなり、自分自身と向き合う時間が失われがちになる。そこで必要になるのが第二、第三の拠点である。軽井沢や福井のような場所では、東京とは異なる時間が流れ、読書や執筆、思索に集中できる。多拠点生活とは単に住む場所を増やすことではなく、自分の人生の質を高めるために異なる環境を活用することである。
2.多拠点生活を始めるきっかけ
本書では、なぜ人が複数の拠点を持とうと考えるのかについても語られる。佐々木の場合は東日本大震災が一つの契機であった。東京以外にも生活拠点を持つことでリスクを分散しようと考えた。小林の場合は旅を続ける中で、一つの場所に縛られない生活が自然な生き方になっていった。二人に共通しているのは、移住を目的にしていないことである。むしろ、人生をより自由にするために複数の居場所を持つという発想である。
3.お金と住まいの現実
多拠点生活というと贅沢な別荘暮らしを想像しがちである。しかし本書はそのような発想を否定する。著者たちは、高額な別荘を所有する必要はないと述べる。賃貸や古民家利用、地域との関係を通じた住まいの確保など、柔軟な方法が紹介されている。重要なのは不動産を所有することではなく、その土地との関係を築くことである。また、多拠点生活を始めると持ち物が自然に減り、生活がシンプルになるという指摘も興味深い。移動を前提とする生活は、人に本当に必要なものを見極めさせる。
4.地域との関係性
本書の中で繰り返し語られるのが、人とのつながりの重要性である。地方に拠点を持つと、その土地の人々との関係が生まれる。しかし著者たちは、地域社会に無理に溶け込もうとする必要はないと述べる。一方で、地域への敬意を持たずに外部者として振る舞えば摩擦も生まれる。そこで重要になるのが弱いつながりという考え方である。親密すぎず、しかし完全な他人でもない関係を数多く持つことによって、人は豊かなネットワークを形成できる。多拠点生活は、この弱いつながりを増やすための優れた手段である。
5.多拠点生活がもたらす未来
著者たちは、今後の社会では一つの会社、一つの家、一つの地域に縛られる生き方が徐々に変化していくと考えている。インターネットやリモートワークの普及によって、人はどこでも仕事ができるようになりつつある。その結果、生活と仕事の自由度は高まり、多拠点生活は特別なものではなくなる。本書は、多拠点生活を単なるライフスタイルではなく、これからの社会における新しい生き方のモデルとして描いている。
二拠点生活で気をつけるべき点
多拠点生活は理想や憧れだけで始めるべきものではない。重要なのは、いきなり移住しないことである。気に入った土地があっても、まずは何度も通い、その地域の雰囲気や人間関係を理解することが大切である。本書では、多拠点生活は移住よりも心理的負担が少なく、地域との相性を見極めるための優れた方法であると述べられている。
次に気をつけるべきは、地域との関係である。地方にはそれぞれ独自の文化や慣習がある。外部から来た人間がそれを軽視すれば摩擦が生じる。地域社会との適度な関係を築き、感謝と敬意を持って接することが重要である。
多拠点生活は不動産の所有が目的ではない。家を持つことよりも、その土地に居場所を持つこと、人とのつながりを持つことの方がはるかに重要である。本書では、人との出会いや弱いつながりこそが多拠点生活の最大の価値であると繰り返し語られている。
そして何より、多拠点生活は人生の自由度を高めるための手段であって目的ではない。複数の場所を持つことに意味があるのではなく、それによって自分らしい生き方や働き方を実現することに本当の価値がある。東京で人と出会い、地方で自分と向き合う。その往復の中にこそ、多拠点生活の本質がある。
国内二拠点イメージ(付記)
【候補1】東京+軽井沢
東京では、時間は常に前へと流れている。人と会い、新しい情報が絶えず押し寄せる。事業を動かし、決断を重ね、社会と向き合う日々である。そこでは人は外へ向かい、世界と接続され続ける。しかし軽井沢へ向かう新幹線に乗ると、まるで別の時間軸へ移るような感覚が訪れる。駅を降りれば空気はひんやりと澄み、木々の香りが漂う。森に囲まれた書斎で机に向かうと、東京では見えなかった思考の輪郭がゆっくりと姿を現す。窓の外には風に揺れる木々があり、鳥の声が聞こえる。時には筆を執り、キャンバスに向かう。絵を描きながら過ごす時間は、仕事のためではなく、自分自身の内面と向き合うための時間である。昼は森を歩き、夕方には本を読み、夜は静寂の中で文章を書く。東京で集めた情報や経験が、軽井沢で一冊の本や一つの構想へと結晶していく。東京が社会との対話の場であるなら、軽井沢は自分自身との対話の場である。人生の後半において、この二つの世界を往復することは、仕事を続けながら知的創造と芸術的創作を深める、最も豊かな生き方の一つである。
【候補2】東京+京都
東京は未来をつくる街である。新しい技術が生まれ、新しい事業が立ち上がり、人々は常に次の時代を追い求めている。一方、京都は過去と現在が静かに共存する街である。春の桜、夏の祭、秋の紅葉、冬の雪景色。四季の移ろいとともに、千年の歴史が今も息づいている。寺院の庭に広がる苔、受け継がれてきた町家、茶道や工芸の文化。それらは急ぐことなく、ただ静かに存在し続けている。そして京都には、千年の歳月に磨かれた食文化の極致がある。季節ごとに変わる京料理は、単なる食事ではなく、日本文化を日常的に味わう至福の時間である。東京で仕事に区切りをつけて、京都に身を置く。朝は寺院の境内を歩き、美術館や古美術店を巡り、夕暮れには鴨川の流れを眺める。そこには利益や効率では測れない価値が息づいている。京都で過ごす時間は、単なる休息ではない。文化と歴史の蓄積に触れることで、自らの思想や感性を磨く時間である。東京で未来を見つめ、京都で過去と向き合う。その往復の中から、より深い視点と豊かな人生観が育まれていく。
【候補3】東京+箱根
東京の日々は刺激に満ちている。しかし刺激は時に疲労を伴う。判断を重ね、人と会い続けるほど、心と身体は知らぬうちに緊張を抱え込む。そんな時、箱根は静かな避難港となる。都心からわずかな距離でありながら、そこには山々に囲まれた自然と温泉が待っている。箱根には数多くの源泉があり、それぞれ異なる湯の個性を楽しむことができる。朝は鳥の声で目覚め、昼は美術館を訪れ、夕方には湯煙の立つ温泉に身を沈める。何かを生み出そうとするのではなく、まず疲れを癒やし、自分を整える。箱根では無理に考えなくてもよい。無理に創造しなくてもよい。ただ自然と芸術に身を委ねる。すると不思議なことに、東京で行き詰まっていた問題の答えが、ふと湯船の中で浮かんでくる。東京が戦う場所なら、箱根は再生する場所である。仕事を長く続けるために、休養を人生の一部として組み込む。そのための理想的な二拠点生活である。
【候補4】東京+横浜
東京と横浜は近い。しかし、その空気は少し違う。東京が緊張感に満ちた都市だとすれば、横浜にはどこか余裕がある。海があり、空が広く、街の歩幅が少しだけゆっくりしている。平日は東京で仕事に集中する。夜や週末には横浜へ戻り、港を眺めながら散歩をする。異国情緒の残る街並みを歩き、海風を感じながら食事を楽しむ。そこには遠くへ旅をしなくても得られる小さな非日常がある。横浜は人生を劇的に変える場所ではない。しかし、日々の暮らしに穏やかな変化を与えてくれる。東京の利便性を失うことなく、少しだけ心に余白を持つことができる。そして何より、海を望む貿易港の風景には独特の魅力がある。世界へ向かって開かれた港町の空気は、東京とは異なる自由さを感じさせる。大きな挑戦や深い創造ではなく、日常を少し豊かにするための二拠点生活。それが東京と横浜の組み合わせの魅力である。
国内・海外二拠点イメージ(付記)
【候補1】東京+ロンドン
東京の朝は早い。人々は正確な時間の流れの中で動き、仕事は効率と成果によって測られる。未来へ向かう意思が街全体を駆動させている。新しい技術が生まれ、新しい事業が始まり、人々は絶えず変化の先を見つめている。しかしロンドンに降り立つと、時間の流れは少し変わる。そこには何世紀にもわたる歴史の層が積み重なり、古い石造りの建物と広大な公園が街のあちこちに共存している。朝、曇り空の下を歩きながら、ふと目に入るのは数百年前から変わらぬ教会の尖塔であり、静かに広がる緑である。昼は美術館や博物館を訪れ、夜はミュージカルや音楽会へ足を運ぶ。ロンドンは派手さによってではなく、蓄積された知性と教養によって人を魅了する都市である。世界中から集まる人々と交わりながら、自らの視野が少しずつ広がっていくのを感じる。東京で事業を動かし、ロンドンで歴史と思想を学ぶ。その往復は単なる移動ではない。現代のスピードと歴史の重みを行き来する旅である。そこでは仕事はより長期的な視点を持ち、人生はより深い奥行きを帯びてくる。人生の後半において、知性と文化に支えられた豊かな時間を求めるなら、この二拠点生活は大きな魅力を持つ。
【候補2】東京+パリ
東京では、人は常に何かを成し遂げようとしている。効率と合理性が社会を支え、日々の生活を前へ進めている。しかしパリでは少し違う。そこでは何をするか以上に、どのように生きるかが問われる。朝、カフェのテラスに座り、一杯のコーヒーを飲みながら街を眺める。誰も急がない。人々は会話を楽しみ、本を読み、芸術について語る。美術館には世界中の名作が集まり、街そのものが巨大な文化遺産となっている。パリの魅力は有名な美術館だけではない。街角には小さな画廊や個性的な美術館が点在し、歩くだけで芸術との出会いがある。少し郊外へ出れば豊かな緑が広がり、TGVに乗れば南仏の地中海へも容易にたどり着く。芸術と自然、都市と地方が美しくつながっている。東京で事業に取り組み、パリで芸術と思想に触れる。その繰り返しの中で、人は成果だけでは測れない人生の豊かさを知る。東京が外へ向かう力なら、パリは内面を育てる力である。夜、セーヌ川沿いを歩きながら振り返る人生は、数字や肩書きだけでは語れないものになる。パリは成功のための街ではない。人生を美しくするための街である。
【候補3】東京+マドリード
東京では一日が短い。朝から夜まで予定が埋まり、人は時間を追いかける。仕事は次々と生まれ、決断は途切れることがない。しかしマドリードでは、人々は時間に追われていない。昼下がりには広場に人が集まり、夜はゆっきりと流れて行く。家族や友人との時間が何よりも大切にされている。街を歩けば歴史的建築と豊かな太陽の光が迎えてくれる。そして意外なことに、マドリードには世界屈指の美術品が集まっている。名画の数々が静かに展示され、人々はそれらを日常の一部として楽しんでいる。芸術は特別なものではなく、生活の中に自然に溶け込んでいる。夕暮れになると、お気に入りのバルへ立ち寄る。カウンター越しに顔なじみの店主と言葉を交わし、ワインを片手に、たわいのない話をする。政治や仕事の話ではなく、その日のサッカーや街の小さな出来事について笑い合う。そうした何気ない時間が、人生を静かに豊かにしていく。人は人生を仕事のためだけに使うのではなく、人生を楽しむために使うのだということを、この街は教えてくれる。東京で築いた成果をマドリードでゆっくり味わう。その二拠点生活は、人生の後半に新しい自由と余裕を与えてくれる。
【候補4】東京+クアラルンプール
東京は挑戦の街である。競争があり、変化があり、成長がある。新しい仕事や人との出会いが絶えず、自らを前へ前へと押し出してくる。一方、マレーシアには穏やかな時間が流れている。高層ビルが立ち並ぶ都市部にも熱帯の空気が漂い、多民族社会ならではの寛容さがある。朝はヤシの木の揺れる景色を眺めながら始まり、夕方には南国特有の柔らかな夕陽が街を包む。ここでは人は肩の力を抜くことができる。生活費は比較的抑えられ、住環境は快適である。日本の厳しい冬を避けながら暮らすこともできる。気候に恵まれた環境の中で、読書をし、考え、ゆっくりと時間を過ごすことができる。東京で事業を続け、マレーシアで生活を整える。そこには欧州のような歴史や芸術の重厚さはない。しかしその代わりに、日常の心地よさと精神的な余裕がある。人生の終盤に求めるものが競争ではなく穏やかな時間であるなら、この組み合わせは大きな魅力を持つ。南国の風に吹かれながら読書をし、思索を深め、ときおり東京へ戻る。その暮らしは、激動の人生を歩んできた人への静かな贈り物のような時間となる。
