ブッダのことば-スッタニパータ
Suttanipāta(原典)
中村元訳
中村元とブッダの経歴
中村元(1912-1999年)は日本を代表するインド哲学・仏教学者である。東京大学でインド哲学を研究し、教授となった。インド思想や仏教思想を、単なる宗教教義としてではなく、人類の思想史の中で比較研究することに大きな功績を残した。中村は、仏典を信仰の立場から解説するだけでなく、サンスクリット語やパーリ語などの原典を文献学的に検討し、歴史上のブッダが実際に何を考えていたのかを可能な限り遡って探究した。ブッダのことばもその姿勢を反映しており、後世に体系化された仏教思想から原典を逆向きに解釈するのではなく、古い言葉から初期仏教の精神を読み取ろうとしている。
ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)は古代インドの宗教思想家である。釈迦族の社会に生まれた彼は、人生に避けることのできない老い、病、死という問題を深刻に受け止め、世俗的生活を離れて修行に入った。激しい苦行を経験した後、快楽にも苦行にも偏らない道を選び、瞑想と思索を通じて悟りに達したと伝えられる。ブッダは北インド各地を歩き、人間がなぜ苦しむのか、苦しみから自由になるにはどうすればよいのかを説き続けた。その教えは死後、弟子たちによって口承され、後にさまざまな仏典として編纂された。スッタニパータには、その中でも非常に古い段階の思想を伝えている。
本書の内容
1.苦しみ
スッタニパータの中心にあるのは、人間の苦しみを外部の環境だけに求めず、自分自身の欲望や執着との関係から考える思想である。人間は財産、地位、愛情、名誉、身体、生命などを自分のものとして保持しようとする。しかし、この世に存在するものは変化し続ける。愛する人とは別れ、財産は失われ、身体は老い、最後には生命も失われる。それにもかかわらず、人間は変化するものを変化しないものとして所有しようとする。そこに苦しみが生じる。ブッダの教えは、世界を自分の思い通りに変えることよりも、世界に対する自分の執着のあり方を変える方向へ向かう。
2.執着
本書では繰り返し、欲望、怒り、貪欲、名誉欲、他者との比較などから離れることが説かれる。これは何も望まず無気力に生きるという意味ではない。重要なのは、あるものをこれがなければ自分は生きられないと絶対化しないことである。財産を持っていても財産に支配されず、人を愛しても所有しようとせず、自分の思想を持っていても他人を敵視するほど固執しない。自由とは、何かを大量に所有することではなく、所有物や欲望によって心を支配されない状態である。
3.孤独
本書で特に有名なのが犀の角の教えである。そこでは、人間関係への執着から離れ、自立して歩む修行者の姿が象徴的に描かれる。ここで説かれる孤独は、人間嫌いや社会からの逃避とは異なる。他者から評価されなければ自分の価値を感じられない状態や、集団に属さなければ安心できない状態から自由になることである。人間は社会的存在である一方、最終的には自分の人生を自分で引き受けなければならない。老いも死も、他人に代わってもらうことはできない。その根源的な孤独を恐れるのではなく、むしろ精神的自由の出発点として受け入れるところに本書の厳しさがある。
4.争い
スッタニパータは、人間の争いについても深い洞察を示している。争いの原因は単なる利害対立だけではない。自分の考えこそ正しい、自分の宗教こそ正しい、自分の立場こそ優れているという見解への執着が対立を生み出す。これは現代にも通じる重要な思想である。国家、民族、宗教、政治思想などが異なる場合、人間は自分の側を絶対化し、相手を誤った存在として排除しようとする。しかしブッダの立場から見れば、その自分だけが正しいという執着が新しい苦しみを生み出している。
5.幸福
本書の幸福観は、現代社会の成功観とはかなり異なる。富を増やし、社会的地位を高め、他人から評価されることが幸福なのではない。欲望に振り回されず、怒りに支配されず、他者と自分を比較せず、自分の心を静かに保つことのできる人間こそ自由であるという考え方である。幸福とは、外部から何かを付け加えて完成するものではない。むしろ自分を苦しめている欲望や執着を一つずつ減らしていった先に現れる心の状態である。
6.生と死
本書の背景には常に死の問題がある。人間は死を避けようとするが、どれほど財産や権力を得ても死を消すことはできない。ブッダは死を忘れることによって幸福になろうとはしない。むしろ死が避けられないことを直視する。その認識によって、財産、名誉、争い、嫉妬など、日常では重大に思えることが相対化されていく。死を見つめることは生を否定することではなく、有限である人生を余計な執着によって浪費しないための方法である。
7.生きる意味を探しすぎない
スッタニパータの興味深いところは、人生の意味とは何かという壮大な理論を提示しようとしないことである。むしろ、苦しみがあるなら、その苦しみがどこから生じているかを見る。怒りがあるなら怒りを見る。欲望があるなら欲望を見る。そして、それに捕らわれないようにする。人生全体を説明する巨大な答えを探すより、現在の自分を苦しめているものから一つずつ自由になっていく。その積み重ねの中に、仏教的な生き方がある。この意味でスッタニパータは、後世の壮大な宗教体系になる以前の、非常に実践的な人間観を残した書物である。
本書が言いたかったこと
人生を思い通りにしようとすることから自由になれ。人間は幸福になるために、富、地位、愛情、健康、名誉などを求める。しかし、それらを手に入れても、失う恐怖が生まれる。多くを求めれば欲望は終わらない。結局、人間を苦しめているのは、足りないものの多さではなく、こうでなければ幸福ではないという自分自身の執着である。ブッダが示す自由は、世界を征服することではない。自分自身を苦しめている欲望、恐怖、怒り、比較、思い込みから離れていくことである。これは、生きる気力を失った時にも重要な意味を持つ。生きる意味を見つけなければならない、もう一度成功しなければならない、以前の自分に戻らなければならないと考えること自体が、新しい苦しみになる。スッタニパータは、無理に希望を作れとは言わない。失ったものに執着せず、未来を過度に恐れず、他人と比較せず、まず現在の一瞬を静かに生きることを説く。そこには、人生とは何かを新しく付け加えることによって完成するのではなく、むしろ余計な執着を一つずつ手放すことによって、本来の自由を取り戻していくものだという思想がある。
