A Study of History
1934–1961刊
Arnold J. Toynbee著
トインビーの経歴
アーノルド・ジョセフ・トインビーは1889年、ロンドンに生まれた英国の歴史家・文明史家である。同名の経済史家アーノルド・トインビーの甥にあたる。オックスフォード大学で古典学を学び、その後アテネの英国研究機関でギリシア史・考古学を研究した。第一次世界大戦中は英国外務省情報部に勤務し、パリ講和会議にも英国代表団の一員として参加した。その後ロンドン大学でビザンツ史・近代ギリシア史を教え、王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)で長期間にわたって国際情勢の研究に携わった。この経歴はトインビーの歴史観に大きな影響を与えた。彼は古代史を研究する一方、二度の世界大戦を含む国際政治の現場を直接経験したからである。第一次世界大戦によって、それまで世界を支配していたヨーロッパ文明が自ら巨大な戦争を引き起こして崩壊していく姿を目撃した。そこからトインビーは、ローマ文明が衰退したように、西洋文明もまた衰退するのではないかという問題意識を抱くようになる。しかし彼は、単純に西洋の没落を予言しようとしたのではない。むしろ世界のさまざまな文明を比較することによって、文明はいかに誕生し、なぜ成長し、なぜ挫折し、そして滅亡するのかという普遍的な法則を探ろうとしたのである。その研究の集大成が本書である。
本書の内容
1.国家ではなく文明から歴史を見る
トインビーの第一の特徴は、歴史を見る基本単位を国家ではなく文明としたことである。英国史、フランス史、中国史、ローマ史というように国家を単位として歴史を見るだけでは、人類史の本質を理解できない。国家は誕生し、分裂し、消滅するが、その背後には国家よりはるかに長く存続する文明が存在する。たとえば古代ギリシアとローマは別々の国家ではあるが、トインビーは大きなヘレニック文明の展開として考える。また中国、日本、インド、イスラム、東方正教会世界、西洋なども、それぞれ独自の文明圏として比較する。本書では約20前後の主要文明を比較し、それぞれの誕生、成長、挫折、解体の過程に共通する構造を見つけようとした。
2.文明を生み出す挑戦と応答
トインビー思想の中で最も有名なのが、挑戦と応答という考え方である。文明は、恵まれた環境だから自然に発展するのではない。むしろ人間社会が何らかの困難に直面し、それに対して創造的な回答を生み出した時に文明は発展する。その挑戦は自然環境の場合もあれば、外敵、人口移動、社会的危機、政治的混乱などの場合もある。重要なのは挑戦そのものではない。その挑戦に社会がどう応答するかである。困難がまったく存在しなければ社会は変化する必要がない。一方、挑戦があまりにも巨大であれば社会は破壊される。その中間にある適度な困難が、人間の創造力を刺激し、新しい制度、思想、宗教、技術、政治組織を生み出す。したがって文明の成長とは、挑戦に対して成功した応答を繰り返していく過程である。
3.文明を導く創造的少数者
では、新しい応答を最初に生み出すのは誰なのか。ここでトインビーが提示するのが創造的少数者という概念である。文明の転換期には、社会全体が一斉に新しい解決策を発見する訳ではない。少数の創造的な人物や集団が新しい思想、制度、技術、価値観を提示し、社会の多数者がそれを模倣することで文明全体が変化する。重要なのは、創造的少数者が権力によって人々を服従させるのではないという点である。彼らが成功している間、人々はその能力や成果を認め、自発的に従う。文明の発展を支えるリーダーシップとは、強制による支配ではなく、模倣したいと思わせる創造力である。
4.文明はなぜ成長するのか
文明の成長とは、領土が広がることでも経済が拡大することでもない。トインビーにとって本当の成長とは、社会が次々に現れる新しい挑戦に対して、より高度な応答を生み出せるようになることである。一つの問題を解決すると、その解決によって新しい問題が発生する。その新しい問題にも創造的に対応できれば、文明は更に成長する。したがって文明の生命力とは、過去に成功した制度を守り続けることではない。環境の変化に合わせて自分自身を変革し続けられる能力である。ここは本書の極めて重要な部分である。
5.文明崩壊の始まり
では文明はなぜ衰退するのか。トインビーは、文明が外敵によって機械的に滅ぼされるという説明を重視しない。文明崩壊の本質は、まず内部に起こる。かつて社会を導いた創造的少数者が、新しい挑戦に対する解決策を提示できなくなる。しかし彼らは既得権益と権力を持っているため、指導者としての地位を手放さない。そこで創造的少数者は、次第に支配的少数者へ変質する。ここに文明衰退の決定的な転換が起きる。社会の多数者は、かつて指導者を尊敬して自発的に模倣していた。しかし指導者が創造力を失えば、もはや自発的には従わない。すると支配者は、尊敬ではなく政治権力、軍事力、法律、強制によって社会を維持しようとする。文明の衰退とは、指導者が失敗すること以上に、失敗した指導者が権力だけを保持し続ける状態である。
6.内部と外部のプロレタリアート
文明が崩壊し始めると、社会は分裂する。トインビーはその構造を、支配的少数者、内部プロレタリアート、外部プロレタリアートという三つの集団によって説明する。ここでいうプロレタリアートは、マルクス主義的な意味での労働者階級に限定されない。内部プロレタリアートとは、文明内部に存在しながら、その文明の支配秩序から精神的に疎外された人々である。一方外部プロレタリアートとは、その文明の周辺に存在し、文明の富や力に引きつけられながら、その秩序には完全には組み込まれていない外部集団である。ローマ帝国で考えれば、帝国内部で既存秩序に疎外感を持つ人々と、帝国国境周辺のゲルマン諸民族との関係が一つの典型となる。この内部と外部からの離反が進むにつれて、文明の統合力は失われていく。
7.世界国家の成立
文明が崩壊段階に入ると、しばしば巨大な統一国家が出現する。トインビーはこれを世界国家と呼んだ。代表例がローマ帝国である。一見すると巨大な帝国が成立した時代は、その文明の最盛期に見える。しかしトインビーは逆に考える。巨大な統一帝国が必要になるのは、既に文明内部の政治的活力が失われ、強力な中央権力によって秩序を維持しなければならなくなったからである。したがって軍事的・政治的統一は、必ずしも文明の健康を意味しない。国家が最も巨大になった時期が、文明史的には既に衰退期である場合がある。
8.世界宗教の誕生
しかし文明の崩壊は、トインビーにとって単純な悲劇ではない。古い政治文明が崩壊する中から、新しい精神文明が生まれることがあるからである。ローマ帝国の内部からキリスト教が成長したように、既存の政治秩序に希望を失った人々は、国家や帝国を超える精神的価値を求める。ここから普遍宗教や世界教会が成立する。トインビーは歴史を、国家や帝国の盛衰だけでなく、人間の精神的成長という観点からも考えた。このため本書は後半になるほど、政治史・文明史から宗教哲学へ接近していく。
9.文明同士の接触
トインビーは文明が孤立して発展するとは考えなかった。文明同士は戦争、交易、移民、宗教、思想、技術などを通じて互いに接触する。その接触によって、一方の文明が他方を圧倒することもあれば、支配された側が外来文明を選択的に取り入れ、新しい文明を形成する場合もある。特に近代以降、西洋文明が世界各地へ拡大した結果、非西洋文明は西洋の軍事、科学、産業、政治思想などへの対応を迫られた。
10.西洋文明も例外ではない
そしてトインビーの議論は、最終的に自分自身が属する西洋文明へ向かう。近代西洋は産業革命、資本主義、国民国家によって巨大な力を獲得した。しかし、その成功は西洋文明が永続することを意味しない。二度の世界大戦、国家間競争、軍国主義、民族主義、物質主義、大量破壊兵器などは、西洋文明が自ら生み出した力を制御できるのかという新しい挑戦を突きつけている。新しい挑戦に対して創造的な応答を生み出せるなら、文明は変化しながら存続できる。逆に過去の成功体験に固執し、既存の支配層が自己保存だけを求めれば、衰退へ向かう。
本書が言いたかったこと
文明の運命は、その文明が持っている富や軍事力だけでは決まらない。巨大な軍隊、広大な領土、豊富な資源、高度な技術を持っていても、新しい問題に対して新しい答えを生み出せなくなれば、文明は内部から衰退する。逆に困難に直面していても、それを契機として制度や思想を変革できれば、文明は成長する。したがって文明を決定するのは困難があるかどうかではない。困難にどう応答するかである。更にトインビーが重視したのは指導者の質である。文明が成長している時代には、社会を導く人々が新しい解決策を提示し、人々はその成功を見て自発的に従う。しかし文明が衰退すると、指導層は創造力を失いながら権力だけを手放さなくなる。ここにトインビーの文明論の核心がある。文明は外から殺される以前に、内部で創造力を失うことによって崩れ始める。しかしトインビーは、歴史を単純な文明の誕生→成長→衰退→滅亡という機械的循環として理解していた訳ではない。人間には選択の余地があり、新しい挑戦に新しい応答を返す可能性がある。本書は、過去の文明を分類しただけの本ではない。その根底には、現在の文明は、新しい歴史的挑戦に対して創造的に自らを変革できるのかという問いがある。この観点から見ると、ローマ帝国の衰退、中国文明の変転、イスラム文明、西洋文明の世界進出、二度の世界大戦は、すべて同じ根本問題を異なる形で示している。国家や文明が最も警戒すべきなのは、外敵の存在よりも、過去の成功を絶対視し、指導層が新しい現実に対応できなくなることである。この意味で本書は、過去を説明する歴史書であると同時に、文明が生き残る条件を問う巨大な歴史哲学である。本書の最大の価値は、文明の盛衰に単一の法則を確定したことより、国家を超えて複数文明を比較し、人類史を巨大な視野から考える方法を提示したところにある。
