軍事・制度・外交上の非対称性を正常に
1.1945年の占領から1952年の独立へ
第二次世界大戦の敗戦後、日本は1945年から連合国軍の占領下に置かれ、それを担った米国は、日本の政治、軍事、行政、教育、経済制度の再編に決定的な影響を及ぼした。1951年にサンフランシスコ平和条約が締結され、1952年4月28日の発効によって日本は国際法上の主権は回復した。しかし重要なのは、占領の終了と同時に米軍が日本から撤退した訳ではなかったことである。講和とほぼ一体となって日米安全保障体制が構築され、1960年の現行日米安全保障条約第6条は、米軍が日本国内の施設・区域を使用することを認めた。直接占領が終了した後も、条約によって米軍駐留と安全保障上の非対称関係へ転換したにすぎない。
2.米軍基地
米軍基地は、日本の主権行使が制約される空間である。日米地位協定第3条によって、米国は提供された施設・区域内において、その設定、運営、警護、管理のため必要な措置をとる権限を有する。日本領土であっても、日本政府が通常の日本領土と同じように自由に行政権を行使できる構造ではない。基地への立入り、事故・事件への対応、航空機運用、環境問題などでは、地位協定と日米間の合意によって日本側の権限行使が制約される。ドイツ、イタリアなどと比較し、日本では国内法による規制、基地への立入り、訓練・演習、航空機事故への対応などについて日本側の権限が極めて弱い。日本の領土でありながら日本国家の主権的権限を通常どおりには行使しにくい特殊な空間である。
3.日米合同委員会
国会から見えにくい統治構造を象徴する存在が日米合同委員会である。日米地位協定第25条に基づいて設置され、基地の提供、使用条件、航空、通信、事件・事故、刑事手続、軍事的要請など極めて広範な実務事項について協議している。外務省自身も、地位協定の実施事項が主として日米合同委員会合意で規定されていることを明らかにしている。更に重要なのは透明性である。1960年の合意により、日米合同委員会の公式議事録は双方の合意がない限り公表されないことになっている。ここに民主主義上の重大な問題がある。通常、国民生活に影響する国家間の重要なルールは、条約、法律、国会審議などを通じて公開される。しかし日米合同委員会では、行政官僚と米側関係者による協議を通じて実務的ルールが形成され、その過程の多くを国民が直接検証できない。形式上はあくまで日米両政府の協議機関であるが、軍事力、情報力、外交力、安全保障依存度に大きな格差がある二国間では、形式的な対等性と実質的な交渉力の対等性は必ずしも一致しない。
4.基地問題を超えた構造的非対称性
米国の影響力は基地だけに限定されない。日本の安全保障政策が、戦後長期間にわたって米国を中心として設計されてきた。日本は自衛隊を保有しているものの、核抑止、情報収集、衛星、ミサイル防衛、長距離打撃能力、指揮統制など、安全保障の重要部分で米国との協力を前提としてきた。近年は日米共同情報分析組織などを通じて情報面でも一体化が進められているが、これは軍事的合理性から見れば強力な同盟を低いコストで利用できる仕組ではある。しかし政治学的に見れば、依存が深まれば深まるほど、その同盟から離脱する自由が小さくなる。米国に守ってもらうため米国との軍事統合を進め、その統合が進むほど米国なしでは安全保障が成立しにくくなり、更に米国への依存が必要になるという自己強化的構造である。
5.拡大抑止が抱える根本的矛盾
核の傘は、本来的に信頼性のジレンマを抱えている。米国は現在も日本に対する拡大抑止を公式に約束しており、日米両政府は拡大抑止協議を行っている。しかし、核抑止には避けられない疑問が存在する。仮に日本が核攻撃された場合、米国が報復核攻撃を行えば、米本土が相手国から核報復を受ける可能性が生じる。それでもワシントンやニューヨークを危険にさらして東京を守るのか、という問題である。これは日本だけの問題ではなく、NATOの核抑止でも長年議論されてきた拡大抑止の信頼性の根本問題である。核の傘が虚構であることが明白とは言えないが、究極的な局面で米国が日本のために自国都市への核攻撃リスクをどこまで引き受けるかは、まずもって保証できる性質のものではない。しかも日米安保条約第5条の文言も、米国が無条件・自動的に参戦すると書いている訳ではなく、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処すると規定している。ここに日本の安全保障上の根源的な不確実性が存在する。
6.米軍駐留は日本防衛を目的としていない
もう一つ重要なのは、在日米軍を日本を守るための軍隊と理解するのは不十分である。安保条約第6条が、米軍基地の目的を日本の安全だけではなく、極東における国際平和の維持と規定している。したがって日本列島は、日本防衛の拠点であると言うよりは、米国の東アジア・西太平洋戦略を支える軍事拠点である。横須賀、嘉手納、佐世保、岩国などの基地を総合して考えれば、日本は米国のインド太平洋軍事戦略の重要な前方拠点を提供している。その意味では米国が一方的に日本を守っているのではなく、日本が米国に巨大な戦略的価値を提供し、米国がその軍事力によって日本の安全保障を補完するという相互依存関係である。ただし、その相互依存は対称ではない。米国は日本以外にも軍事拠点と核戦力を持つが、日本にとって米国の代替は容易ではない。この代替可能性の差が交渉力の差となる。
7.沖縄に凝縮された戦後体制
この問題が最も鮮明に現れるのが沖縄である。防衛省資料では、在日米軍専用施設面積の約70%が沖縄県に集中し、県土面積の約8%を占めている。これは単なる基地面積の問題ではない。沖縄問題は、基地問題であると同時に、外交・安全保障に関する中央政府の決定と日米同盟上の要請が、地方自治、住民意思を超えて存在する日本統治構造の現実でもある。
8.強要はどこから生まれるのか
米国の軍事力を利用することで、日本は防衛負担を相対的に抑制し、その資源を経済成長、産業政策などへ振り向けることができたとよく言われる。現在の構造は単純な米国による強制だけではなく、米国の世界戦略と、日本の戦後保守政治・官僚機構・経済界が選択した対米依存戦略が相互補完的に形成してきた体制でもあると説明される。しかしながら、日米関係の特殊性は、その交渉の前提となる力が大きく非対称であることにある。軍事力、核戦力、情報力、金融力、技術力、外交力などで米国が圧倒的に優位にあり、日本自身も安全保障の中核を米国に依存している。この状態では、日本政府が形式的には自由意思で合意していても、拒否した場合のコストが非常に大きい。したがって、日本には米国の要求を拒否する現実的な政策選択肢がほとんど存在していない。ここに形式的主権と実質的自律性の違いが現れる。
日本の防衛産業をめぐる米国の影響
1.武器を買う国への固定化
戦後の日米関係を考える際、基地と地位協定だけではなく、日本の防衛産業がどのように形成されてきたかを見る必要がある。戦後長期間にわたり、日本の主要な航空機や防衛装備体系が米国製兵器の導入、ライセンス生産、日米共同開発を中心として構築され、日本独自の防衛技術体系を形成する余地が政治的・制度的に狭められた。戦闘機はその象徴である。日本はF-104、F-4、F-15など米国系戦闘機を導入・ライセンス生産してきた。そのため日本企業には高度な製造技術が蓄積された一方、設計思想、エンジン、基幹システムなどを含めて完全に独立した戦闘機産業を形成することはできなかった。この構造が最も鮮明に現れたのが、1980年代のFS-X、後のF-2開発問題である。
2.日本独自戦闘機をめぐる政治圧力
当初、防衛庁はF-1後継機について国内開発、現有機の転用、外国機導入の三つを検討していた。しかし米国から共同開発の提案がなされ、その後国内開発という表現自体が開発に変更された。当時、米議会では日本に米国製戦闘機を購入させることを求める動きまで生じていた。最終的に日本独自開発案は採用されず、F-16を基礎とする日米共同開発となった。米国企業には開発予算価値の40%が配分されることとなった。もちろんF-2は単なるF-16のライセンス生産ではない。大型主翼、複合材料、一体成形技術、先進的なフェーズドアレイ・レーダーなど日本独自技術を大量に導入した別機種に近い航空機である。日本が純国産戦闘機という選択肢を検討した際、米国が強い政治的圧力を加え、最終的に米国機を基礎とする共同開発へ方向転換させたことは歴史的事実である。日本が技術的に作れることと、政治的理由から独自に作らせないことは、米国の真意を反映した象徴的事象である。
3.ライセンス生産が生んだ利益と依存
ただし米国製兵器のライセンス生産を、すべて米国による押し付けと見るのも一面的である。ライセンス生産によって三菱重工、川崎重工、IHIなど日本企業は航空機、エンジン、電子機器などの高度な製造技術を維持することができた。また自衛隊にとっても、世界最大の軍事大国である米国との相互運用性には大きな軍事的合理性があった。問題は、その合理性が長期間継続することによって依存構造が固定化されたことである。米国製装備を採用すれば、部品、整備、ソフトウェア、弾薬、情報システム、訓練まで米国体系に組み込まれる。その結果、次の装備更新でも米国製を選択する合理性が高まり、更に依存が深まる。これは単なる武器購入ではない。装備体系を通じて軍事システム全体が米国のシステムへ接続される構造である。近年、日本がスタンド・オフ・ミサイルなどの国内開発を拡大し、次期戦闘機GCAPを英国・イタリアと共同開発していることは、この長年の日米一極依存から一定程度多角化しようとする動きでもある。
アジア通貨基金構想
1.安全保障以外でも現れた米国の拒否権
日米間の非対称性は軍事だけではない。極めて象徴的なのが1997年のアジア通貨危機である。タイを発端とする危機がアジア各国へ波及する中、日本の大蔵省はアジア諸国が資金を拠出して地域金融危機に対応するアジア通貨基金(AMF)構想を提唱した。この構想が実現していれば、日本の巨額の外貨準備とアジア諸国の資金を基礎として、アジアが独自の金融安全網を持つ可能性があった。しかし米国とIMFが強く反対した。後に日本銀行総裁となる黒田東彦は、この経緯について、ASEAN諸国や韓国が賛成する一方、IMFと米国が反対し、基本的にはアメリカの反対でできなかったと振り返っている。IMF自身の公式史も、日本の榊原英資財務官らがAMFを推進したものの、米財務省のローレンス・サマーズらが強く反対し、1997年9月には事実上構想が頓挫した。
2.なぜ米国はAMFに反対したのか
米国側にも論理はあった。IMFとは異なる基金が容易な条件で資金を供給すれば、金融危機国に厳しい構造改革を要求するIMFのコンディショナリティが弱まり、モラルハザードを生むという主張である。しかし地政学的に見れば、それだけではない。AMFが成立すれば、日本を中心として米国を含まない巨大なアジア金融圏が形成される。金融危機に陥ったアジア諸国がワシントンを中心とするIMF体制だけに依存せず、東京を中心とする金融安全網から支援を受けることが可能になる。したがってAMF問題は金融政策であると同時に、アジアの金融秩序を誰が主導するのかという国際政治上の問題でもあった。最終的に日本案は実現せず、IMFを中心とする枠組が維持された。その後2000年にASEAN+3によるチェンマイ・イニシアティブが成立し、アジア独自の通貨スワップ網が形成されたが、当初はIMFとの連動が強く組み込まれていた。ここにも、日本が米国とは異なる地域戦略を構築しようとした時に、その自律性の限界が表面化した事例を見ることができる。
非核三原則と核密約
1.建前と現実の二重構造
核問題は更に深刻である。日本は核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずという非核三原則を掲げてきた。しかし冷戦期の米国は、核兵器を搭載しているか否かを肯定も否定もしない、いわゆるNCND政策(※特定の艦船・航空機・基地に核兵器が存在するかどうかを、肯定も否定もしない政策)を採用していた。そのため、核兵器を搭載した米軍艦船が日本へ寄港する問題と持ち込ませずという原則との間には、根本的な矛盾が存在していた。この問題は単なる推測ではない。2009-10年に外務省が行った大規模な密約調査では、1960年の日米安保改定時に核搭載艦船の寄港などをめぐって日米間に非公表の了解が存在したのではないかという問題について、関連する外交文書が大量に発見された。したがって、歴史的な非核三原則の運用については、国民に示された原則と、実際の日米安全保障運用との間に重大な乖離が存在していた。
2.米原潜の核弾頭搭載
米軍の原子力潜水艦が日本に寄港する際、核弾頭を搭載していないことになっているがそのような事実は決して確認されない。米国が核兵器の所在を明らかにしない政策を採る一方、日本政府は事前協議がない以上、核持ち込みはないという説明を国民に繰り返していた。後に密約問題が表面化したことで、この説明の信頼性が大きく揺らいだ。問題の本質は特定の艦船に核兵器があったかを一点一点証明すること以上に、国家安全保障の根幹に関する政府の公式説明と、同盟の実際の運用との間に国民から見えない領域が存在していることにある。
3.日本の独自核武装
日本の核武装についても、日本には技術的能力がないから核武装しなかったと考えるのは適切ではない。高度な原子力技術、核燃料サイクル、ロケット技術、精密機械・電子技術などを考えれば、日本は長年潜在的核保有能力を持つ国家と見られてきた。1964年の中国核実験以降、佐藤栄作政権内部でも核兵器をめぐる検討が行われ、米国側も日本の核武装可能性を現実の問題として認識していた。しかし米国にとって望ましかったのは、日本が独自核戦力を保有することではなく、米国の拡大核抑止、すなわち核の傘の下にとどまることであった。これは米国の立場からすれば合理的である。日本が独自核武装すれば、日本の安全保障政策に対する米国の影響力は低下する。また韓国など周辺国の核武装を誘発し、東アジアの核拡散につながる可能性がある。更にNPTを中心とする核不拡散体制が動揺する。したがって米国は、同盟国日本を米国の核抑止体系内部に置き、独自核戦力を持たせないことを米国の東アジア戦略上望ましい状態としてきた。
保護と自立制約は表裏一体
ここまで基地、防衛装備、戦闘機、通貨金融、核政策を並べると、戦後日米関係に共通する一つの構造が見えてくる。米国は日本に安全保障を提供し、米国製兵器と軍事技術を提供し、核抑止を提供し、ドルを中心とする国際金融秩序へのアクセスも提供した。これらは日本に確かに利益をもたらした。しかしその反対側には、日本独自の軍事体系、日本独自の戦闘機産業、日本主導のアジア金融秩序、日本独自の核抑止力といった米国から自立する可能性が抑制される構造が存在した。米国による日本への保護と、日本の戦略的自立の制約は、別々の問題ではない。同じ構造の表と裏である。
戦後日本の本質
米国は、日本自身が米国との関係から離れることを困難にする制度を長期間かけて形成してきた。米国製戦闘機を導入すれば次の戦闘機も米国体系との互換性が重要になる。米国の情報システムを利用すれば、情報共有も米国との連携が不可欠になる。核の傘に依存すれば独自核抑止力を構築する必要性は低下する。IMF・ドル体制に依存すれば、それとは異なるアジア金融秩序を構築する外交的コストは高くなる。こうして個々の選択が何十年も積み重なり、最終的には米国から自立しようとすると極めて大きなコストが発生する国家構造が出来上がる。この構造こそ、戦後日米関係を考える上で最も重要である。日本は法的主権を完全に有する一方、安全保障・防衛産業・核抑止・金融秩序の重要部分を米国中心のシステムへ深く組み込み、その利益を享受する代償として、独自戦略を選択する自由を制約されてきた国家である。戦後日本の政治家、官僚、財界もまた、米国との対立を避け、安全保障コストを抑え、経済発展を優先するという合理的判断からこの体制を選択し続けてきた。したがって戦後日本の対米従属を考える場合、最も深い問題は米国が日本に何を強要したかだけではない。なぜ独立回復から80年以上を経ても、日本自身が米国から拒否される可能性のある国家戦略を構想し、必要なら実行できる制度と政治的意思を十分に形成してこなかったのか。FS-X、アジア通貨基金、核密約、独自核抑止をめぐる歴史は、いずれもこの問いに行き着く。現在、日本に求められているのは単純な親米か反米かではなく、米国との同盟を維持する場合であっても、基地管理、情報公開、地位協定、指揮権、核抑止、外交政策について日本側の自己決定能力をどこまで回復するかという同盟の対称化である。
日米同盟を相互依存へ転換するために
基地・核抑止・国産防衛力・米国債を一体として再交渉する。
1.日本だけが米国に依存している訳ではない
日米同盟について、日本側では長年日本は米国に守ってもらっているのだから、基地負担や米国製兵器の購入など一定の要求を受け入れるのは仕方がないという説明がなされてきた。しかし、米国もまた、日本に相当に依存している。米国は、現在の日米同盟を米国のアジアにおける軍事即応態勢を支えるプラットフォームと位置づけ、約5万4千人の米軍が日本に駐留し、日本にはアジア太平洋最大級の米軍前方兵站基盤が存在す。横須賀には空母を含む艦艇が前方配備され、本州には航空、海軍、陸軍、海兵隊の主要拠点が置かれ、沖縄の基地は台湾や南シナ海に最も近い米軍運用拠点の一つである。米国自身も、日本が提供する基地と財政的・物的支援が米軍の前方展開にとって不可欠である。したがって、より正確な構図は米国が日本を一方的に守っているのではない。日本は米国から核・通常戦力による抑止を受ける一方、米国は日本から西太平洋における極めて価値の高い軍事拠点、兵站網、財政負担、同盟国としての政治的正統性を受け取っている。日米関係は依存関係ではあるが、一方向の依存ではなく、著しく非対称に運用されてきた相互依存である。
2.米国は許可する立場にはない
まず法的に確認しておく必要がある。日本が米軍基地を永久に受け入れる義務はない。日米安全保障条約第10条は、条約発効後10年を経過した後は、日米いずれの国も相手国に終了意思を通告することができ、通告から1年後に条約が終了すると明記している。したがって、日本が国家意思として日米安保条約を終了させるのであれば、理論上米国の許可は必要ない。しかし政治と軍事の現実は別である。米国は強く反対すると予想される。なぜなら日本列島は中国沿岸、台湾海峡、朝鮮半島、ロシア極東を一体として監視・展開できる極めて特殊な地政学的位置にあり、グアムやハワイだけでは現在の展開速度と兵站能力を維持できないからである。特に横須賀、嘉手納、岩国、佐世保などを同時に失うことは、米国の西太平洋戦略の再設計を意味する。したがって、日本が基地撤去を本当に交渉カードとして提示すれば、米国が無関心でいられる可能性は低い。これは日本にとって重要な交渉力である。
3.米軍を全部追い出す必要はない
ここで日本は二つの問題を混同してはならない。米軍基地を日本の主権が十分及ばない現在の形態のまま維持することと、米軍との軍事協力をなくすことは別問題である。日本にとって合理的なのは、米軍をゼロにすることではなく、基地の所有・使用・指揮権を正常な同盟国同士の関係へ転換することである。例えば、日本国内の主要基地を日本側の自衛隊基地とし、米軍には共同使用権を認める方式に順次転換する。こうすれば、日本国内に米国だけが事実上管理する広大な軍事区域を置くという占領期に由来する印象を解消しながら、米軍の西太平洋展開能力は維持できる。米国が基地がなければ日本を守れないと反論するのであれば、日本はこう答えればよい。米軍の存在を否定しているのではない。日本国内にある以上、日本の主権下に置き、対等な共同使用方式に変更しようと言っているのである。これは反米ではなく、同盟正常化である。
4.中国への抑止力
米国が最も強く主張するのは、在日米軍の縮小は中国、北朝鮮、ロシアを利するという論理であろう。この主張には一定の合理性がある。しかし日本側は、だから現在の基地制度を永久に維持しなければならないという結論は導けないと反論できる。日本自身が長距離ミサイル、潜水艦、統合防空、弾薬備蓄、海空戦力などを大幅に強化すれば、米軍常駐を減らしても日米全体としての抑止力を維持することは可能だからである。実際、米国自身も近年、日本の防衛力強化を歓迎している。2026年5月の日米防衛相会談でも、米国側は日本独自の防衛能力強化を地域抑止に貢献すると評価している。米国が、日本自身の防衛力を強化せよと言う一方で、その結果として米軍依存を低下させることは認めないと言うのであれば論理的に矛盾する。日本はこの点を明確に指摘すべきである。
5.国産装備を中心とした防衛自主権
日本が本当に交渉力を持つためには、米軍基地問題より前に日本自身の防衛力を大幅に強化する必要がある。重要なのは単なる防衛費増額ではない。日本国内で設計・製造・修理・弾薬補給・ソフトウェア更新まで完結できる防衛産業を作ることである。米国製装備を排除する必要はない。しかしFMSによってしか購入できず、部品、整備、ソフトウェア、弾薬供給まで米国に依存する装備の割合を下げるべきである。、日本が長期的に米国が売ってくれなければ戦えない国であり続ければ、外交的自立は不可能である。したがって次期戦闘機GCAP、国産長射程ミサイル、無人機、潜水艦、電子戦、AI、衛星、サイバーなどを重点領域として、国内生産能力を国家インフラとして維持すべきである。
6.核の最終決定権を誰が持つか
核抑止の最大の問題は、米国が善意であるか悪意であるかではない。核兵器使用の最終決定権が米国大統領にあることである。日本が核攻撃された際、米国本土への報復攻撃を覚悟して米国が本当に核報復するかは、どれだけ共同声明を出しても保証できない。現在も米国は核を含むあらゆる能力で日本を防衛すると公式に表明している。しかし保証すると実際に核戦争でも戦い抜くことは別問題である。したがって日本側が、米国の核の傘を疑っているから反米なのではない。国家存亡の最終判断を他国大統領に委ねる体制が、本当に主権国家として合理的なのかを議論していると主張することには十分な合理性がある。
7.核シェアリングは現実的な中間案
いきなり独自核武装へ向かうより、まず検討に値するのはNATO型核シェアリングに近い制度である。これは日本自身が核兵器を独自保有するのとは異なり、米国との共同計画、協議、運用参加を通じて核抑止への日本側の発言権を強化する構想である。すでに日本国内でも、拡大抑止の信頼性への疑問から、非核三原則見直し、核シェアリングを議論すべきだという提言が現れている。米国は当初、日本の核政策変更は核拡散を招くと反対する可能性が高い。しかし日本は、米国の拡大抑止が完全に信頼できるというのであれば、なぜ日本側がその意思決定過程により深く参加することを拒むのかと問い返すことができる。核シェアリングの目的を米国から離れることではなく、米国の核抑止をより信頼できる共同抑止へ転換することと位置づければ、交渉余地は存在する。
8.独自核武装についての議論を封印しない
独自核武装は核シェアリングとは次元が違う。現在の日本はNPTの非核兵器国であり、日本政府は2026年現在もNPT体制への強い支持を公式政策としている。したがって独自核武装に進む場合、外交、安全保障、経済、核不拡散体制に極めて大きな影響が生じる。米国のみならず、中国、韓国、ロシア、欧州諸国からも強い反発が予想される。それでも、日本は議論を禁止する必要はない。主権国家として、米国の核抑止が機能しなくなった場合、日本は何によって国家の存続を保証するのかという問いを政府内で恒常的に研究することは合理的である。重要なのは核兵器を急いで作ることではなく、選択肢を持たない状態から脱却することである。外交交渉では、実際に行使するつもりのない選択肢でも、相手が絶対に日本にはできないと確信しているか、条件次第では選ぶかもしれないと認識しているかで交渉力は全く異なる。
9.米国債を防衛費に使う
日本全体の米国債保有額は約1兆1,167億ドル(2026年6月末現在)であり、依然として世界最大級である。同時期の日本政府の外貨準備は約1兆2,875億ドルで、そのうち証券が約9,286億ドルを占めている。したがって、日本には100兆円規模の外貨資産が存在する。しかし米国債100兆円をそのまま日本国内の防衛産業に支払うことはできない。米国債の規模が巨大であれば、ドル安・円高、米国債価格下落、日米金融市場の混乱を引き起こす可能性がある。また日本の外貨準備は、円売り介入など為替危機への備えという役割も持つため、全額を財政資金として利用する性質のものではない。日本が保有する米国債を売却すること自体について、通常、米政府から政治的な許可を得なければならない制度ではない。米国債は市場で取引される金融資産である。しかし日本が突然100兆円規模を売却すると宣言すれば、米国は極めて強い政治的圧力をかけることは明白である。日本による巨大売却は、ワシントンにとって無視できない。ここに日本の潜在的交渉力が存在する。強力なカードほど実際に使わず、相手に存在を理解させる方が有効である。
10.新規購入を減らす
日本が財政的自立を進めるなら、売却より穏やかで強力な方法がある。今後10-20年間にわたり、外貨準備の新規運用や償還資金について米国債への再投資比率を徐々に低下させ、その一部を金、他通貨資産、戦略資源などへ分散する。同時に日本国内では、防衛国債などを発行し、国内資金で防衛産業を育成する。こうすれば米国債市場を破壊せず、日本の巨大な海外資産を徐々に国家安全保障に適した形へ再配置できる。これは米国への制裁ではなく、正常な資産運用政策として実施できる。
11.米国の最大の反論
米国は最終的にこう反論するだろう。米軍を縮小し、米国兵器依存を減らし、核の傘まで疑うなら、日本一国で中国に対抗できるのか。これに対する日本の回答は、一国で対抗するとは言っていない。日本が求めるべきなのは孤立ではなく、同盟の多極化である。米国との同盟を維持しながら、英国、フランス、イタリア、オーストラリア、インド、フィリピンなどとの安全保障協力を並行して拡大し、一国依存を低下させる。GCAPが英国・イタリアとの共同開発であることは、その方向性の象徴ともいえる。米国との同盟を唯一の同盟から、最重要ではあるが唯一ではない同盟へ変えることは、米国の意識を変えさせるのに有効である。
12.日本が米国に提示すべき新しい取引
日本は米国に次のように提案すべきである。日本は防衛費を増額し、自国防衛の第一義的責任を負う。国産防衛産業を再建し、長距離打撃、防空、潜水艦、宇宙、サイバー、AI能力を大幅に強化する。その結果、米国が日本防衛のために負担するコストを減らす。その代わり、米軍基地の管理制度を正常化し、地位協定を改定し、日本国内の基地を原則として日本管理下の共同使用基地へ転換する。核抑止については、日本側が核計画と意思決定に参加する新しい制度を協議する。防衛装備は米国製購入を義務的前提とせず、日本製、共同開発品、欧州製、米国製を性能と国益に基づいて選択する。この取引なら米国にとっても単純な損失ではない。日本という軍事的に強力な同盟国が誕生し、米国の財政負担が軽減され、中国抑止力はむしろ増加するからである。
13.本音の日米交渉
ここに日米関係の心理的問題がある。米国が日本を守るという表現は、米国を保護者、日本を被保護者として位置づける。しかし日本が基地を提供し、巨額の駐留経費を負担し、米軍が日本を拠点として西太平洋全域へ展開している以上、これは正確ではない。より適切なのは、日本と米国は、それぞれ自国の利益のために同盟を利用しているという表現である。米国は慈善事業として横須賀や沖縄に駐留しているのではない。米国の国益にとって必要だから駐留している。同様に、日本も米国への忠誠心から基地を提供しているのではなく、日本の安全保障上利益があるから認めている。ここまで双方が認めれば、日米関係ははるかに健全になる。したがって日本が米国に最初に伝えるべきは、安保条約破棄でも米国債売却でもない。1951年に設計された同盟を、21世紀の二つの主権国家にふさわしい同盟へ作り直そうという提案である。その際、日本は交渉カードを実際に持っていなければならない。国産防衛力、米軍基地の地政学的価値、世界最大級の米国債保有、経済・技術力、そして必要であれば日米安保条約を終了できる法的権利である。条約上、日本は相手国への通告から1年後に安保条約を終了できる。この権利を実際に行使する必要はない。しかし日本には選択肢がないという状態と、日本は同盟継続を自ら選択しているという状態では、同じ日米同盟でも意味が全く異なる。
目標は反米ではなく自立した親米
日本にとって最も不利なのは、米国との同盟を破壊することでも、現在の体制を無条件に維持することでもない。必要なのは、その中間にある。日本自身が十分な通常戦力、防衛産業、外交ネットワーク、経済力、そして究極の抑止についての選択肢を持った上で、米国との同盟を継続することである。その状態になって初めて、日本は米国に、あなた方が日本に駐留しているのは日本を守るためだけではなく、米国自身の国益のためでもある。我々も米国と同盟を結んでいるのは米国のためではなく、日本の国益のためである。したがって、保護する側と保護される側ではなく、お互いが必要とする条件を正面から交渉しようと言える。これこそが戦後体制から本当に脱却するということである。米軍撤退を独立と考える必要はない。核兵器保有を独立と考える必要もない。真の国家的自立とは、いつでも別の選択を取れる能力を持ちながら、自らの意思で米国との同盟を選択することである。その意味で、日本が目指すべきものは反米ではない。対米依存から脱却した上での、対等で率直な日米同盟である。明治維新以来の気概ある傑物たちの出現を待ち望んでやまない。
2026年8月
國井正人
