国家と暴力集団の歴史

目次

無法者と権力


歴史を振り返ると、国家と反社会的な暴力集団は必ずしも対立する存在ではなかった。むしろ中央政府の軍事力、警察力、徴税能力が弱かった時代には、国家が海賊、山賊、傭兵、地方武装勢力などを利用し、その軍事能力を国家権力へ取り込むことが頻繁に行われてきた。国家と暴力集団の歴史は、現実の歴史を織りなしてきた。

古代世界

1.古代ギリシアの僭主

古代ギリシアのポリスでは、国家が完全な常備軍を持っていた訳ではなく、有力者が私的な支持者や武装勢力を抱えることが珍しくなかった。紀元前6世紀のアテネで権力を握ったペイシストラトスは典型である。彼は政治的支持者だけでなく武装した従者を背景としてアテネの権力を奪取し、最終的に僭主となった。ところが、権力掌握後には単なる暴力的支配者にとどまらず、農民保護、公共事業、宗教祭典の振興などを行い、後のアテネ発展の基盤をつくった。ここには武力による権力獲得→政治権力への転換という、後世何度も繰り返される構図が既に存在している。

2.ローマと蛮族傭兵

ローマ帝国後期になると、帝国はゲルマン人など帝国外部の武装集団を大量に軍事力として利用するようになった。彼らはフォエデラティと呼ばれる同盟部族として領土や報酬を与えられ、その代わりにローマ軍として戦った。これは当初きわめて合理的であった。ローマは自国民だけで巨大な国境を守る必要がなくなり、戦闘能力の高いゲルマン戦士を利用できたからである。しかし、武装集団の指導者は次第にローマ政治へ介入するようになった。最終的には476年、ゲルマン系軍人オドアケルが西ローマ最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃位した。ローマは外部の暴力を国家防衛に取り込んだが、その暴力を完全には国家化できず、最後には国家が彼らに乗っ取られた。

ヴァイキング

1.ヴァイキングからノルマンディー公へ

9~10世紀、ヴァイキングはヨーロッパ各地を襲撃する最大級の海上武装集団であった。しかしフランク王国は彼らを単純に討伐するのではなく、一部を国家体制へ取り込んだ。代表的人物がロロである。フランク王シャルル3世は911年頃、ロロにセーヌ川下流域の領土を認める代わりに、キリスト教への改宗と他のヴァイキングからフランク王国を防衛することを求めた。ここからノルマンディー公国が成立する。驚くべきことに、その子孫であるノルマンディー公ウィリアムは1066年にイングランドを征服して国王となった。数世代前には略奪者だった一族が、ヨーロッパ有数の王朝になった。

2.ノルマン人傭兵からシチリア王国へ

ノルマン人の別集団は11世紀、南イタリアへ傭兵として進出した。当初は現地の諸侯、東ローマ帝国、教皇などに雇われて戦う軍事請負人に近い存在であった。ところがロベール・ギスカールらは、雇われる側から領土を奪う側へ転じた。更にロジェール2世の時代にはシチリア、南イタリアを統合し、1130年にシチリア王国を成立させた。これは傭兵→地方軍閥→領主→国王という国家形成の典型例である。

イスラム世界

1.マムルーク

イスラム世界にはマムルークと呼ばれる軍事奴隷制度が存在した。中央アジアやコーカサスなどから連れてこられた少年をイスラム教徒として教育し、騎兵として訓練して君主直属の軍隊とする仕組である。君主から見れば、地方豪族とは違って血縁的基盤を持たないため、忠誠心の高い精鋭部隊をつくれるという利点があった。しかし軍事力を独占したマムルークは次第に政治権力を握り、1250年にはエジプトで自らマムルーク朝を成立させた。更に彼らはモンゴル軍をアイン・ジャールートの戦いで撃破し、十字軍勢力も追い詰めた。国家が利用するためにつくった武装集団が、最後には国家になった。

2..オスマン帝国のバルバロス・ハイレッディン

オスマン帝国のバルバロス・ハイレッディンは地中海で活動するコルセア(イスラム側の私掠船・海賊勢力の指導者)であった。北アフリカを拠点としてスペインなどキリスト教勢力と戦い、アルジェを支配するまでに成長した。スレイマン1世は、この独立性の強い海上武装勢力を排除するのではなく帝国へ取り込み、ハイレッディンをオスマン海軍の最高司令官に任命した。これは驚くほど合理的な政策であった。海賊には正規海軍にはない航海経験、地中海の港湾情報、奇襲能力、人的ネットワークが存在していたからである。1538年のプレヴェザ海戦でハイレッディンは神聖同盟艦隊を破り、オスマン帝国の地中海における優位を決定的なものにした。スレイマンは海賊を取り締まったのではなく、最も優秀な海賊を国家最高の海軍軍人にした。

英国

エリザベス1世時代の英国も同じ発想を採用した。フランシス・ドレーク、ジョン・ホーキンズらはスペイン側から見れば海賊であったが、英国側から見れば女王の支援を受けた私掠活動者であった。ドレークの世界周航にはエリザベス1世自身も出資しており、その航海ではスペイン船や植民地への襲撃によって巨額の財宝が英国にもたらされた。ドレークはやがてナイトに叙され、1588年のスペイン無敵艦隊迎撃では副司令官として39隻を率いた。英国は海賊行為を単なる犯罪ではなく、スペインという圧倒的強国に対する低コストの非対称戦争として利用した。私掠船は敵国の貿易を破壊し、財宝を奪い、敵国の海軍力を消耗させながら、自国には利益をもたらした。この仕組は後の英国海洋帝国形成の重要な前段階となった。

日本

1.中世日本の犯罪者と新興武士

日本史では特に興味深い現象が悪党である。中世史料における悪党とは、今日の意味での単なる犯罪者ではない。荘園領主、寺社、国衙など既存の支配秩序に抵抗し、年貢を拒否したり、土地を実力で占拠したりする在地武装勢力を含む概念であった。鎌倉幕府末期になると、こうした勢力の一部は後醍醐天皇の倒幕運動と結びついた。楠木正成も当時の社会的文脈では悪党的性格を持つ在地武装勢力と関係づけて理解されている。各地の悪党勢力が反幕府運動に加わり、鎌倉幕府崩壊を促した。秩序を乱す者と呼ばれていた勢力が、政権が交代すると新しい国家秩序を支える武士へ転換した。

2.地方武装勢力から戦国大名へ

鎌倉・室町時代の地方には国人と呼ばれる在地武士が存在した。彼らは中央政府から見ればしばしば統制困難な武装勢力であり、自分の土地、家臣、城、軍事力を持っていた。中央権力が弱体化すると国人は同盟を組み、周辺勢力を征服し、次第に戦国大名へ成長した。逆に有力戦国大名は国人を家臣団へ編入し、私的な武装勢力を大名の軍事組織へ組み替えていった。日本の戦国国家形成とは、ある意味では全国に分散していた無数の私的暴力集団を、より巨大な暴力組織である大名権力が吸収していく過程であった。

3.村上水軍

瀬戸内海の村上氏も典型的である。村上氏は因島、能島、来島などを拠点とし、海上交通を掌握した。通航船から警固料を徴収するなど、その活動には海賊的側面が明確に存在していた。史料研究でも村上氏などが関所を設け警固料を徴収する行為が海賊行為として確認されている。しかし彼らは単なる略奪集団ではなく、航路案内、護衛、海上警備、輸送、軍事作戦を行う海上勢力でもあった。毛利氏はこの能力を利用した。1555年の厳島合戦などでは海上勢力との連携が重要となり、毛利氏の瀬戸内海支配を支える軍事力となった。ここでも海賊を排除するのではなく、海賊の持つ海上支配能力を大名権力へ組み込むという現象が起きている。

中国

1.漢の劉邦

中国史には更に劇的な事例がある。無頼的集団から天下を狙った劉邦である。漢王朝を建国した劉邦は名門貴族ではなく、秦代には地方の亭長という下級役人であった。囚人を護送中に逃亡者が続出すると、残った囚人まで解放し、自らも逃亡者となって山野に潜伏した。やがて秦末の反乱に参加すると、彼の周囲には農民、逃亡者、地方の有力者、武装集団などが集まった。その集団が次第に軍隊へ変わり、項羽との楚漢戦争を勝ち抜き、紀元前202年に劉邦は皇帝となった。ここでは国家秩序から脱落した集団が反乱軍となり、反乱軍が正規軍となり、最後には新しい国家をつくるという逆転が起こっている。

2.明の朱元璋

極端なのが明の太祖・朱元璋である。朱元璋は極貧農民の出身で、飢饉によって家族を失い、一時は托鉢僧となった。その後、元朝末期の紅巾軍に参加した。紅巾軍は元朝から見れば明らかな反乱武装集団である。しかし朱元璋はその内部で軍事力と政治力を伸ばし、他の軍閥を次々に打倒した。1368年には皇帝となり明王朝を建国する。反乱者、盗賊、農民兵、宗教的秘密結社などが混在する世界から、中国史上有数の巨大王朝が誕生した。

ロシア

ロシア帝国の拡大を理解する上で欠かせないのがコサックである。コサック社会には逃亡農民、辺境住民、戦士などが集まり、国家権力から一定の独立性を持つ武装共同体を形成していた。彼らは略奪や独自の軍事行動を行う一方、ロシア国家はその騎馬戦闘能力と辺境生活能力を利用した。特にイェルマーク率いるコサック集団による16世紀後半のシベリア進出は重要である。彼らの活動を契機としてロシアのシベリア征服が本格化し、最終的には太平洋岸まで広がる巨大なロシア帝国が形成された。ところが国家に反抗するコサックも存在した。ステンカ・ラージンやプガチョフの反乱では国家を震撼させている。ロシア帝国はその後コサックを軍事制度へ組み込み、土地や特権を与える代わりに兵役を課した。国家は危険な武装集団を消滅させるのではなく、特権を与えて国家の暴力装置に転換する方法を採用した。

米国

19世紀の北米でも似た現象が見られる。メキシコ領テキサスには米国系入植者が大量に移住し、独自の民兵組織を形成した。1835年からメキシコ政府に対して武装蜂起し、翌年にはテキサス共和国として独立した。メキシコから見れば彼らは反乱者である。しかし米国社会から見れば開拓者であり、独立運動家でもあった。1845年にテキサスは米国へ併合され、その後の米墨戦争を経て米国は太平洋岸まで領土を大きく拡張した。ここにも私的武装集団→反乱軍→独立国家→大国への編入という連続性が存在する。

為政者は危険人物を利用する

上記の事例には共通した原理が存在する。
第一に、国家がまだ弱かったからである。現代国家は軍隊、警察、沿岸警備隊、情報機関を持っている。しかし古代・中世国家にはそのような巨大な常設組織を維持する財政力がなかった。そのため、すでに武器、船、馬、兵士、情報網を持っている集団を利用する方が圧倒的に安かった。

第二に、暴力集団は特殊技能を持っていた。海賊は航海術と海域情報を、遊牧民は騎馬戦闘能力を、山賊は山岳地形を、コサックは辺境での生存能力を持っていた。これは宮廷で育った官僚や正規軍には容易に代替できない能力であった。
第三に、彼らを敵にしておくより味方にした方が合理的だった。ロロ、バルバロス、コサックなどはまさにこの論理によって国家に取り込まれた。
第四に、国家自身が彼らに合法性を与えることができた。昨日まで海賊だった人物に提督という肩書を与えれば、その暴力は国家の海軍力となる。地方武装集団に領地を与えれば領主となり、盗賊的軍団が天下を取れば、その指導者は皇帝となった。

国家形成とは暴力の統合

この歴史を貫いている最大のテーマは、国家の成立とは暴力をなくすことではなく、分散していた暴力を国家の下へ集める過程であった。古代の武装集団、ローマのゲルマン兵、ヴァイキング、ノルマン人、マムルーク、バルバロス、ドレーク、日本の悪党・国人・村上水軍、中国の反乱軍、ロシアのコサックには、一見するとまったく異なる歴史がある。しかし構造は驚くほど似ている。最初は国家の外側に存在する武装集団である。国家が弱ければ彼らを討伐できない。そこで為政者は懐柔し、土地、爵位、金銭、官職、略奪権などを与える。武装集団は国家のために戦うようになり、その一部は軍人・貴族・官僚へ転化する。更に強大になった場合には、既存国家を倒して自ら王朝をつくることさえある。したがって歴史を善良な国家が犯罪者を取り締まりながら発展してきたと見るだけでは、国家形成の重要な部分を見落としてしまう。実際の歴史では、国家と無法者、正規軍と傭兵、海軍と海賊、武士と悪党、皇帝と反乱者の境界はきわめて曖昧であった。近代国家が完成していく過程とは、こうした私的暴力を完全に消滅させた過程というより、ある者を討伐し、ある者を懐柔し、ある者を軍隊へ編入しながら、最終的に暴力を行使する資格を国家へ集中させていった過程である。その意味では、スレイマン大帝がバルバロスを大提督にしたことも、エリザベス1世がドレークの私掠活動を支援したことも、日本の大名が国人や海上勢力を家臣団へ組み込んだことも、例外的な逸話ではない。むしろ制御できない暴力を、国家に役立つ暴力へ転換することこそ、前近代の為政者にとって最も重要な統治技術の一つであった。

現代国家と非正規暴力

前近代において海賊、傭兵、豪族、盗賊的武装集団が国家形成に利用された構図は、近代国家の成立によって完全に消滅した訳ではない。20世紀以降になると、その姿はマフィア、秘密結社、右翼団体、反共民兵、革命勢力、軍閥、民間軍事組織などへ変化した。ただし近現代には重要な違いがある。近代国家は建前として合法的暴力を国家が独占することを原則とする。そのため為政者が非国家的暴力集団を利用する場合、正式な軍隊への編入だけでなく、秘密工作、黙認、資金援助、情報提供、代理戦争といった曖昧な関係が増加した。その結果、現代史における最大の問題は、国家が暴力集団を利用できるかではなく、一度利用した暴力集団を、国家は最後に統制・解体できるのかという問題へ変化した。

1.蒋介石と上海青幇

20世紀中国の代表例が上海の青幇(Green Gang)である。青幇は秘密結社的性格を持つ巨大組織であり、上海の港湾労働、賭博、アヘン、売春など地下経済に大きな影響力を持っていた。特に杜月笙は上海裏社会の大物として知られた。国民党と青幇との関係は1911年革命期まで遡り、1920年代には蒋介石側と青幇指導者の関係が深まった。1927年4月、上海で国民党が共産党勢力を武力排除した際には、青幇系の武装勢力が動員されたことが知られている。ここで蒋介石が必要としていたのは正規軍だけではなかった。労働組合、港湾、街路、租界、地下社会を熟知する青幇の人的ネットワークが必要だった。更に日中戦争期には一部の青幇系勢力が国民党側の秘密工作、ゲリラ活動などにも組み込まれていった。しかし国民党が1949年に中国大陸を失うと、この国家と地下社会との結合も崩壊した。共産党政権は上海の地下組織を徹底的に取り締まり、青幇は中国大陸における政治的影響力を失った。これは犯罪組織を政治目的に利用することには成功したが、それを近代国家制度へ転換することには成功しなかった事例である。

2.米国とマフィア組織

第二次世界大戦中の米国にも有名な事例が存在する。ニューヨーク港では船舶、倉庫、労働組合などにマフィアが大きな影響力を持っていた。戦時中、米海軍情報部は港湾の防諜や破壊工作防止のため、裏社会との協力を模索した。そこで重要人物となったのが服役中だったマフィア指導者チャールズ・ラッキー・ルチアーノである。米当局側はマフィアが持つ港湾労働者への影響力や情報網を利用しようとした。米国は、戦時という非常事態には正規の警察・軍事組織だけでは到達しにくい社会領域について、犯罪組織のネットワークを利用した。戦後ルチアーノは減刑されてイタリアへ送還された。しかしマフィアが合法的国家組織へ編入された訳ではなく、米国政府はその後組織犯罪を本格的な取締り対象としていった。したがってこれは、非常時だけ犯罪組織を利用し、目的達成後には再び犯罪者として扱うという現代国家特有のモデルである。

3.戦後混乱期のヤクザ・右翼と日本国家

敗戦直後の日本では警察力、行政能力、物資供給システムが著しく弱体化し、闇市が巨大化した。その中でヤクザ、愚連隊、右翼系団体などが急速に勢力を拡大した。彼らは犯罪や暴力の主体である一方、闇市の秩序維持、露店の管理、労働者の統制など、国家が十分に提供できなかった非公式の秩序を形成する側面も持った。その後冷戦が本格化すると状況は更に複雑になる。反共を共通項として、右翼活動家、財界人、政治家、暴力団関係者などのネットワークが形成された。児玉誉士夫のように右翼・政界・財界・裏社会を横断する人物が大きな影響力を持ったことは、その象徴である。しかし高度成長とともに国家の警察力・行政能力が回復すると、ヤクザの社会的必要性は次第に低下した。1990年代以降の暴力団対策法や暴力団排除条例などによって、国家は暴力団を社会から切り離す方向を明確にした。ここには、国家が弱い時代には非公式暴力が秩序の一部を担い、国家が強くなると排除されるという典型的なパターンを見ることができる。

4.コロンビアの反共・反ゲリラ民兵という危険な選択

第二次世界大戦後の事例として特に重要なのがコロンビアであり、国家の敵を倒すため別の暴力集団を利用した。コロンビアではFARCなど左翼ゲリラが長期間活動し、政府軍だけでは地方全域を完全には支配できなかった。そこで地主、企業家、地方政治家、麻薬組織などと結び付いた右翼系自警・準軍事組織が拡大した。1990年代にはCONVIVIRと呼ばれる制度が設けられ、反ゲリラ目的の地域警備組織が制度化された。問題は、こうした組織が単なる国家の補助部隊ではなく、独自の経済基盤、地域支配、麻薬取引などを持つようになったことである。やがてAUCなどの巨大準軍事組織が形成され、政府は2000年代にその武装解除・動員解除を進めた。ところが2002-2006年の過程でも完全な解体には至らず、一部が再武装したり別の犯罪組織へ転化したりした。これは現代史における非常に重要な教訓である。国家が敵の敵として暴力集団を育てることは容易だが、一度巨大化した暴力集団を国家が解体することははるかに難しいのである。

5.反共民兵を国家防衛に組み込むフィリピン

フィリピンでも共産党系新人民軍(NPA)との長期的な戦闘の中で、政府側は地域住民を武装させた民兵組織を利用してきた。代表的なのがCAFGU(Citizen Armed Force Geographical Units)である。政府軍にとって地方ゲリラ最大の問題は、誰がゲリラなのか、どの村が支援しているのか、山岳地帯のどこに拠点があるのかを把握しにくいことである。そこで地域社会を熟知した住民を武装させ、正規軍を補完させた。反共産主義の地主層などが民兵を支援した事例も確認されている。しかし当然ながら、私怨、土地紛争、地方政治、経済利権と反共活動の境界が曖昧になる危険が生じる。ここでも国家は軍事的即効性と引き換えに、国家の完全な統制下にない暴力を社会内部へ作り出す危険を負った。

6.アフガニスタンのムジャヒディンを利用した米国

これは敵の敵を武装させる代理戦争である。1979年にソ連がアフガニスタンへ侵攻すると、米国、パキスタン、サウジアラビアなどはソ連と戦うアフガン・ムジャヒディンを支援した。特にCIAとパキスタン軍統合情報局を通じた支援は、冷戦史上最大規模の秘密工作の一つとなった。米国から見れば、米軍兵士を直接ソ連軍と戦わせることなく、現地武装勢力によってソ連に巨大な軍事的・経済的負担を負わせることができた。1989年にソ連軍は撤退した。短期的には米国側の戦略的成功であった。しかしその後アフガニスタンは内戦状態となり、ムジャヒディン諸派の争いの中からタリバンが台頭した。短期的な代理戦争の成功が、長期的な地域秩序の形成を保証しないという重要な教訓を残した事例である。

7.民兵を国家制度へ取り込むイラク

現代的なのがイラクの人民動員隊(PMF)であり、人民動員隊という21世紀型モデルである。2014年、ISISがイラク領内を急速に制圧した際、正規軍だけでは対応できず、多数のシーア派民兵などが動員された。彼らはISIS (Islamic State of Iraq and Syria)との戦闘で大きな役割を果たした。そしてイラク政府は民兵を単純に解散させるのではなく、2016年の法律によってPMFを正式にイラク軍事機構の一部と位置付け、最高司令官を首相の指揮下に置いた。しかし問題は、形式的に国家組織へ編入されても、各民兵組織固有の指導者、政治組織、宗派的忠誠、外国との関係まで消える訳ではない。現在に至ってもPMFの一部組織について、イラク国家から給与・制度的地位を得ながらイランとの強い関係を維持しているという二重構造が問題になっている。これは暴力集団を国家へ取り込めば問題が解決するという前近代的モデルが、現代では必ずしも成立しないことを示している。

8.現代版傭兵集団ワグネルを利用するロシア

21世紀を象徴する事例がロシアのワグネルであり、国家が表立ってできない戦争を請け負わせる事例である。ワグネルは民間軍事会社と呼ばれてきたが、通常の警備会社とは異なり、重武装した戦闘部隊としてシリア、リビア、中央アフリカ、マリなどで活動した。ロシア政府にとって最大の利点は否認可能性であった。正規軍を派遣すれば国家の正式な軍事介入となる。しかし非正規武装組織ならば、政治的責任を曖昧にしながら軍事的影響力を拡大できる。ところが2023年、エフゲニー・プリゴジン率いるワグネルがロシア軍指導部に反旗を翻し、部隊をモスクワ方向へ進軍させる事態となった。国家が利用していた暴力装置が、突然国家自身を脅かした。反乱は短期間で終結し、プリゴジンはその後航空機墜落事故で死亡した。ワグネルの活動の多くはその後ロシア国家側によって再編・吸収されていった。この事件は現代における傭兵利用の危険性を劇的に示した。国家が暴力を外注すると、その組織は戦闘経験、武器、資金、指揮系統を獲得する。そして強大になりすぎれば、依頼主である国家を脅かし得る。

9.革命勢力を国家へ転換する別のパターン

これまでとは逆方向の現象も存在する。革命や内戦に勝利した武装集団が、そのまま新国家の軍隊・警察・政治組織へ転換する場合である。中国共産党の人民解放軍、ベトナムのベトミン、アルジェリア民族解放戦線(FLN)などが典型である。既存政府から見れば彼らは非合法武装勢力である。しかし戦争に勝利すると立場は完全に逆転する。昨日まで反乱軍だった組織が翌日には国軍となり、昨日まで彼らを取り締まっていた政府軍が消滅する。ここには劉邦や朱元璋の時代から続く、非常に古い歴史法則を見ることができる。国家が暴力集団を合法化するだけでなく、勝利した暴力集団自身が国家をつくり、自らを合法化する。

変わらない暴力の政治学

スレイマン大帝とバルバロス、エリザベス1世とドレークから、蒋介石と青幇、米国とマフィア、コロンビアの準軍事組織、アフガニスタンのムジャヒディン、イラクのPMF、ロシアのワグネルまでを一本の線で結ぶと、国家と非国家的暴力の関係には大きく五つの型が存在することが分かる。
第一は雇う。傭兵や民間軍事組織を利用する。
第二は公認する。ドレークの私掠船のように、本来なら違法となる暴力を国家目的のため合法化する。
第三は秘密裏に利用する。犯罪組織や地下組織を情報活動、反乱鎮圧、秘密工作などに使う。
第四は代理人として育成する。外国の反政府勢力や民兵へ資金・武器・訓練を提供し、自国軍の代わりに戦わせる。
第五は国家へ編入する。地方民兵や武装勢力を軍隊、警察、治安組織へ吸収する。

しかし、どの方式にも共通する重大な問題がある。それは利用することと統制することはまったく別であるということである。前近代には、優秀な海賊を提督にし、強力な地方豪族を貴族にし、傭兵隊長に領地を与えることで、比較的容易に国家秩序へ取り込める場合があった。しかし現代では事情が違う。犯罪組織には麻薬・密輸・金融などの独自資金源があり、民兵には宗教・民族・地域共同体という忠誠基盤があり、代理勢力には外国政府との関係があり、民間軍事組織には独自の武器、兵員、情報網、海外拠点がある。したがって国家が彼らを利用すると、一種の暴力の借金を負うことになる。目の前の敵を倒すためには非常に有効である。ところが戦争が終わっても武器と組織は残る。指導者は政治的地位を要求し、兵士は生活手段を必要とし、地下経済は存続する。国家が解散を命じても従わないことがある。コロンビアでは準軍事組織の解体後にも再武装・犯罪組織化が問題となり、イラクでは民兵を正式な国家機構へ入れても二重の忠誠という問題が残る。したがって古代から21世紀までを通じた歴史の核心は、国家は暴力集団を利用して発展してきただけではない。より重要なのは、国家は自らに必要な暴力を国家の外部から調達し、その力を利用した後、いかに再び国家の統制下へ戻すかという難問と絶えず格闘してきたことである。強い国家と弱い国家を分ける最終的な境界もここにある。強い国家とは暴力集団をまったく利用しない国家ではない。必要に迫られて利用したとしても、最後には武装解除、制度化、解体、正規軍への統合を行い、再び暴力の最終的な決定権を国家へ回収できる国家である。逆に、それができなくなった瞬間、国家が暴力集団を利用しているのか、暴力集団が国家を利用しているのか、その境界は急速に曖昧になる。

国家とAI企業(付記)

新たな巨大権力AI企業を国家はいかに統治するかという問題が今日生起しつつある。

1.国家の側からの視点

AI企業は暴力集団ではないが、その技術は情報、教育、金融、軍事、行政、世論形成、サイバー空間にまで浸透し、将来は国家以上の情報処理能力を持つ可能性がある。したがって国家はAI企業を単なる民間企業として放任してはならない。しかし国家が技術開発を支配すれば、革新を阻害し、国際競争にも敗れる。必要なのは国有化ではなく国家主権の枠内への制度化である。最先端AIについては安全基準、監査、事故報告、サイバー防御、重要インフラへの接続条件を法制化し、国家安全保障に直結する技術には政府が一定の監督権を持つべきである。同時に特定企業への依存を避けるため、複数企業の競争、オープンな研究、国内計算資源、人材育成を維持する必要がある。歴史上、国家が海賊や傭兵を利用しながら最終的に暴力を国家制度へ統合したように、AI時代には知能という権力を公共秩序の中へ組み込む必要がある。ただし国家自身によるAI濫用も危険であるため、司法、議会、独立監督機関によって政府をも監視する二重の統治が不可欠である。

2.AI企業の側からの視点

AI企業にとって最大の課題は、技術的成功によって得た巨大な影響力を自らの主権と錯覚しないことである。高度なAIを保有する企業は、情報へのアクセス、計算資源、研究者、利用者データ、社会インフラとの接続を通じ、従来の巨大企業以上の権力を持ち得る。しかし企業経営者は選挙で選ばれた存在ではなく、国家のような民主的正統性も持たない。したがってAI企業は安全性、透明性、説明責任を企業価値の中核に置き、政府による合理的な監督を受け入れる必要がある。一方で政府の要求に無条件に従うことも危険であり、監視社会化、人権侵害、政治的情報操作、軍事的濫用などには明確な原則を持つべきである。理想的なAI企業は国家の敵でも従属機関でもなく、国家、大学、市民社会、国際機関と相互牽制する存在である。AI企業が長期的に繁栄するために必要なのは国家を超えることではない。自らが国家にならないという自制を持ちながら、国家にもAIを独占させないことである。国家とAI企業の双方が相手を完全に掌握しない緊張関係こそ、AI時代の自由と革新を守る基本構造となる。

歴史に関する考察

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