ステーブルコインの現状
米国と日本の現状を比較すると、米国は連邦法による制度的な枠組の整備を完了し、日本は具体的な円建てステーブルコイン発行と制度運用の実装が現実化している段階である。米国では世界市場をリードするドル建てステーブルコインの規制統合と金融インフラへの統合が進む一方で、日本では国内銀行と民間企業によるステーブルコイン発行・実証の動きが活発化している。いずれも2025年以降の本格導入に向けた潮流が形成されている。
1.米国
米国においては、2025年7月にGENIUS法(Guiding and Establishing National Innovation for U.S. Stablecoins Act)が成立し、ステーブルコインに関する包括的な枠組が初めて整備された。GENIUS法は、決済用途のステーブルコインを発行する主体に対して、1対1での準備金保有や透明性の高い資産裏付けと反マネーロンダリング要件などを要求する制度を定めている。また、発行者の監督権限については、連邦準備制度理事会(FRB)や米国通貨監督庁(OCC)が関与する体制が設けられ、従来の連邦・州ごとに分散していた規制体系を統一的に整える方向性が打ち出されている。GENIUS法の成立は、米国内におけるステーブルコインの法的位置付けを明確にし、金融市場への統合を促進する重要な転換点となった。
実務面では、ブラックロックなど金融大手が同法への対応を進めるなど、制度を前提とした新商品・ファンドの再編やサービス設計が活発化している。また、関連して米国内では、OCCによるナショナル信託銀行チャーター申請を通じた、銀行によるステーブルコイン発行・運用の動きも見られるなど、金融インフラとしての実装が進展しつつある。尚GENIUS法は成立したものの、その最終的な施行規則の整備は2026〜2027年にかけて段階的に進められる予定であり、規制実務の具体的な運用は現在進行形である。こうした米国の枠組整備は、ドル建てステーブルコインを中心とした市場の健全な成長を後押しし、ドルの国際的地位を、デジタル領域でも維持するという国家戦略とも結び付きつつある。
2.日本
日本においては、2025年に入ってステーブルコインの実発行と制度運用の段階が本格化した。日本では2022年に資金決済法が改正されて、ステーブルコインが電子決済手段として法的に位置付けられていたが、実際の円建てステーブルコインの発行承認は2025年に至って実現した。具体的には、フィンテック企業JPYCが金融庁の承認を受け、1JPYC=1円の円建てステーブルコインを正式に発行し、運用を開始した。この発行に際しては厳格な資産裏付けと資金移動業としての登録が要件となっている。また、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行の3大メガバンクを中心とした協調プロジェクトとして、円建てステーブルコインの実証実験が金融庁の支援の下で開始されるなど、既存金融機関による制度下のステーブルコイン実装に向けた動きが進んでいる。日本では暗号資産交換業者や電子決済手段サービス提供者としての登録制度が整備され、ステーブルコイン関連事業者にも一定のライセンス要件が設けられている。法的枠組としては、改正資金決済法に基づく位置付けが基礎となり、発行主体の登録と顧客保護措置が運用面で適用される。JPYCのような円建てステーブルコインの発行と、国内金融機関による実証段階は、日本国内の決済・送金インフラのデジタル化やキャッシュレス化の深化につながると期待されている。
ステーブルコインのインパクト
ステーブルコインは、単なる暗号資産の一形態ではなく、通貨・決済・金融インフラの再設計をもたらす装置である。2025年以降の米国と日本の制度整備によって、その経済的インパクトは実体経済の中枢にまで及び始めている。ステーブルコインは米国にとっては覇権通貨の再武装であり、日本にとっては停滞した金融インフラの跳躍台である。両国は異なる動機からこの技術を導入しているが、その帰結は共通している。それは、貨幣が国家の紙から、ネットワーク上のコードへと移行することであり、2025年はその転換点として、歴史に刻まれる年になる。
1.ドル覇権の延命(米国)
米国においてステーブルコインがもたらす最大の効果は、ドル覇権のデジタル延命である。USDCやUSDTに代表されるドル建てステーブルコインは、すでに新興国の送金、暗号資産取引、国際商取引の決済基盤として機能してきたが、2025年の連邦法制化によって、これらはグレーな民間ドルから、制度化されたデジタルドルへと格上げされた。これにより、SWIFTやコルレス銀行を経由せずとも、世界中の誰もが米ドル建ての価値を、ほぼ即時に移転できる環境が整う。これは米国にとって、制裁・資本規制・金融覇権を維持しつつ、ブロックチェーン上に新しいドル圏を構築することを意味する。ブラックロックやJPモルガンのような巨大金融機関がこの分野に参入するのは、ステーブルコインがもはや暗号資産ではなく、次世代の決済インフラと国債需要の源泉になりつつあるからである。実際、ステーブルコインの準備資産として大量の米国債が保有される構造は、米国債市場に新たな恒常的需要を生み、財政ファイナンスをデジタル領域から支える仕組みに転化しつつある。
2.新しい決済体制の整備(日本)
一方で日本におけるステーブルコインの経済的意味は、米国とは異なる方向に向かっている。日本は円が国際決済通貨として限定的な役割しか持たない一方で、国内の銀行・決済・送金システムが極めて高コストかつレガシーであるという構造問題を抱えてきた。円建てステーブルコインの実装は、この問題に対するデジタル的なバイパスとして機能する。銀行振込、国際送金、証券決済、貿易決済といった分野で、ブロックチェーン上の円が使えるようになることは、日本の金融を営業時間・書類・仲介に縛られた世界から解放することを意味する。とりわけ企業間決済、貿易金融、データのマイクロペイメント領域では、即時性・プログラム可能性・自動清算を持つ円建てステーブルコインは、従来の銀行システムを大きく凌駕する効率性を持つ。
3.通貨のソフトウェア化
ステーブルコインは米国にとっては覇権通貨の再武装であり、日本にとっては停滞した金融インフラの跳躍台である。両国は異なる動機からこの技術を導入しているが、その帰結は共通している。それは、貨幣が国家の紙から、ネットワーク上のコードへと移行することである。言い換えればステーブルコインが通貨を、金融商品からソフトウェアへと変えることである。米国ではドルがAPI化され、日本では円がトークン化されることで、金融はもはや銀行の専有物ではなく、プラットフォームとコードの上で動く公共インフラへと変質する。これにより、フィンテック、IoT、ゲーム、サプライチェーンといった分野に、ネイティブに通貨が組み込まれた新しい経済圏が生まれる。米国はこの構造を通じてドルの世界的循環を強化し、日本は円をデジタル経済の内部通貨として再定義することになる。
ステーブルコインが国債にあたえる影響
ステーブルコインが経済にもたらす影響の中でも、国債市場への影響は最も本質的かつ長期的な変化の一つである。これは単なる新しい決済手段の登場ではなく、国債が国家の借金からデジタル通貨の基礎資産へと性格を変え始めていることを意味する。ステーブルコインの普及は、国債市場に新たな需要をもたらす一方で、国家財政と通貨発行をより密接に結び付ける。米国では国債がデジタルドル覇権の燃料となり、日本では国債がデジタル円経済の基礎資産として再接続される可能性を持つ。これは、国債がもはや過去の財政の記録ではなく、未来の経済活動を支えるリアルタイム担保へと進化することを意味している。ステーブルコインは、静かに、しかし確実に、国債の役割そのものを書き換えつつある。
1.新たなドル債の需要
米国において、ドル建てステーブルコインはその裏付け資産として、米国短期国債(T-bills)を大量に保有する構造を急速に拡大させている。USDCやUSDTといった主要ステーブルコインは、安全性と即時換金性の観点から、準備資産の中心を短期国債に置いている。2025年以降の制度化によって、この構造は半ば公認されたものとなった。これは、ステーブルコインの流通量が増えれば増えるほど、自動的に米国債への恒常的な需要が発生することを意味する。国債はもはや銀行や機関投資家だけでなく、ブロックチェーン上の通貨流通を支える担保資産として新たな役割を担い始めたのである。
この変化は、米国の財政運営にとって極めて戦略的である。従来、国債需要は金利政策や海外投資家の動向に左右されてきたが、ステーブルコインという新たな需要主体の登場により、デジタル経済の拡大そのものが国債需要を生む構造が成立しつつある。これは、財政赤字を抱える米国にとって、金融政策とは別次元の静かな国債吸収装置を手に入れたことに等しい。ドル建てステーブルコインが世界中で利用される程、その準備資産として保有される国債は海外に分散し、ドル覇権と国債市場がブロックチェーンを介して結合する構造が強化されていく。
2.日本国債の位置づけの変化
一方、日本における影響は、米国とは異なる形で現れる。日本国債はすでに日本銀行と国内金融機関による消化が極端に進んでおり、市場原理による価格形成が弱い状態にある。円建てステーブルコインが本格的に普及した場合、その準備資産として日本国債が用いられる可能性は高いが、これは単なる需要増ではなく、日本国債を、国内金融システムの閉じた資産から、デジタル円経済の基礎担保へと再定義する契機となる。特に、民間発行の円建てステーブルコインや銀行主導のトークン化預金が広がれば、日本国債は再び民間経済の中で循環する役割を取り戻す可能性がある。
また、国債がステーブルコインの裏付け資産として利用されることは、国債の性格を満期まで保有する債券から、常時換金される流動担保へと変質させる。この構造では、国債は単に利息を生む金融商品ではなく、決済・清算・担保管理の基盤として機能する。その結果、国債市場では、金利水準以上に、流動性・信認・即時換金性が重視されるようになり、財政規律や国の信用力が、より直接的に通貨流通量へと反映されるようになる。
ステーブルコインが貨幣にあたえる影響
ステーブルコインが貨幣に与える影響は、単なるデジタル化ではなく、貨幣の存在様式そのものの変質である。それは紙幣や銀行預金という形態の更新ではなく、貨幣が国家の制度からネットワークの中へ移動する過程にほかならない。ステーブルコインは貨幣を紙からデータへ変えるだけでなく、制度からプロトコルへ、領土からネットワークへ、銀行からコードへと移行させる。貨幣はもはや単なる価値の単位ではなく、デジタル社会を動かす実行エンジンとなり、国家と市場の関係そのものを再編し始めている。
1.自動決済の世界
近代の貨幣は、中央銀行が発行し、銀行が管理し、決済ネットワークが流通を仲介することで成り立ってきた。そこでは貨幣とは国家が発行した債務であり、銀行預金はその上に構築された信用の階層構造であった。これに対してステーブルコインは、国家通貨に価値を連動させながらも、その流通と管理をブロックチェーンという非銀行的インフラの上に移す。これにより貨幣は、もはや銀行口座の数字ではなく、グローバルに移動可能なデジタルトークンとして存在することになる。
この変化が意味するのは、貨幣が決済のための記録から、プログラム可能な資産へと進化することである。ステーブルコインは、送金・決済・担保といった機能をコードとして内蔵できる。これは、貨幣が単に価値を保存し交換するだけでなく、経済行為そのものを自動実行するエンジンになることを意味する。たとえば、サプライチェーンでの支払い、AIエージェント間の決済、デジタルコンテンツの即時支払などが、人間の介入なしに貨幣とともに完結する世界が現実化しつつある。
2.地理性の消失
ステーブルコインは貨幣の地理性を消失させる。従来の通貨は国境と金融制度に縛られていたが、ドル建てステーブルコインや円建てステーブルコインは、どの国にいても同じ速度とコストで使える。この結果、貨幣は国家の領域から解放され、ネットワーク上の標準プロトコルとして競争する存在になる。ドルはブロックチェーン上で更に強化され、円やその他の通貨も、デジタル経済の内部でどれだけ使われるかによって価値が再定義される。
3.中央銀行の変質
重要なのは、ステーブルコインが中央銀行の貨幣独占を静かに侵食する点である。表面上は法定通貨に裏付けられているが、実際には発行・流通・決済の主導権は民間のプラットフォームやネットワークに移る。これは、貨幣が国家の特権から市場とコードが運営するインフラへと変わる兆しである。将来的にはCBDC(中央銀行デジタル通貨)をも巻き込んだ新しい貨幣秩序を形成することになる。
ステーブルコインが送金に与える影響
ステーブルコインの発行が内外送金、とりわけ海外送金にもたらす影響は、送金という行為そのものの再定義である。従来の国際送金は、銀行・清算機関・コルレス銀行・SWIFT網という多層の仲介構造の上に成り立ってきたが、ステーブルコインはそれをブロックチェーン上の単一レイヤーに圧縮する。ステーブルコインは海外送金を、遅く高価で不透明な手続きから、即時・低コスト・プログラム可能なデジタル通信へと変える。国境は資金移動の障壁ではなくなり、貨幣はネットワーク上を流れるデータとなる。これは、国際金融の構造を静かに、しかし決定的に書き換える革命である。
1.海外送金の激変
従来の海外送金では、送金人の銀行から中継銀行、受取側銀行へと資金が移動する過程で、数日単位の時間、数%に及ぶ手数料、為替リスク、資金凍結リスクが発生していた。これは技術的制約というより、20世紀型の金融インフラの構造的遅さであった。これに対してステーブルコインによる送金は、ブロックチェーン上で価値そのものを直接移転するため、国境・営業時間・中継銀行という概念を消し去る。ドル建てや円建てのステーブルコインを送れば、それは数秒から数分で世界のどこへでも到達し、受取人は即座にデジタルドルやデジタル円を保有することになる。
この構造は、海外送金のコストと速度を根本から変える。個人の出稼ぎ労働者による送金、グローバルEC、ゲームやコンテンツの国際配信、B2Bの貿易決済などにおいて、銀行を通さない価値移転が標準化される。とくに新興国では、ドル建てステーブルコインが事実上のデジタル外貨口座として機能し、通貨不安や資本規制を回避する手段として急速に浸透している。これは送金の効率化にとどまらず、通貨主権と金融包摂の構造を変える力を持つ。
2.決済効率の劇的低減
日本にとっても、この変化は極めて大きい。日本の海外送金は依然として手数料が高く、処理が遅く、企業・個人にとって重い負担であった。円建てステーブルコインやドル建てステーブルコインを用いた送金が一般化すれば、日本の企業はブロックチェーン上で直接海外と決済できるようになり、貿易金融、越境EC、スタートアップの国際展開の障壁は大きく下がる。とりわけAI・デジタルサービス・コンテンツ産業では、即時・自動・小口の国際決済が可能になることで、ビジネスモデルそのものが変わる。
3.送金・決済の一体化
重要なのは、ステーブルコインによって送金と決済と為替が一体化する点である。従来は、送金→着金→両替という三段階が必要だったが、ステーブルコインでは、ドルで送り、ドルで受け取る、あるいはスマートコントラクトを介して自動的に通貨変換されるという形が可能になる。これにより、為替業務は銀行からアルゴリズムへと移り、国際送金は金融商品ではなくネットワーク通信に近いものへと変質する。
ステーブルコインが租税に与える影響
ステーブルコインの発行が租税、特に徴税に与える影響は、単なる決済手段の変化ではなく、国家が経済活動を把握し、課税する能力の質的転換である。ステーブルコインは決済革命であると同時に、徴税革命である。国家にとってそれは、逃げ道のない税基盤を構築するための最も洗練された技術である。国民にとっては、利便性と引き換えに経済的透明性を差し出す制度への移行を意味する。ステーブルコインとは、貨幣のデジタル化であると同時に、国家と市民の関係を再定義する財政テクノロジーなのである。
1.徴税の自動化
従来の税制は、銀行口座、企業の帳簿、申告制度といった事後的・間接的な情報に依存してきた。そのため、現金取引、海外送金、タックスヘイブン、地下経済、移転価格操作などを完全に把握することは原理的に困難であった。これに対してステーブルコインは、すべての取引がブロックチェーン上の改ざん困難な台帳に記録されるという性質を持つ。もし国家が制度として認可したステーブルコインを税務インフラと結合すれば、誰が、いつ、誰に、いくら支払ったかが原理的に追跡可能な経済が成立する。
この構造が意味するのは、徴税の自動化である。スマートコントラクトを用いれば、売上が発生した瞬間に消費税や付加価値税が自動的に差し引かれ、給与が支払われた瞬間に所得税や社会保険料が源泉徴収され、国際取引においても関税や源泉税が自動計算されることが可能になる。これは、申告・監査・追徴という20世紀型の徴税モデルを、リアルタイム徴税モデルへと転換させる。国家にとっては、徴税コストの大幅な削減と脱税余地の縮小を同時に達成できる仕組である。
2.徴税の強化
ステーブルコインの真の狙いは徴税強化であるという見方には、本質的な真理が含まれている。表向きは決済の効率化や金融イノベーションであっても、国家の視点から見れば、経済をデジタル台帳の上に載せ直すことは、税基盤を再構築することにほかならない。とりわけ米国や日本のように、地下経済や国際的な租税回避が拡大し、既存の税制が限界に近づいている国家にとって、ステーブルコインは最も穏健で、かつ最も強力な徴税技術となる。
3.国際課税
ステーブルコインは国際課税の構造も変える。これまで多国籍企業や富裕層は、送金経路と会計処理を操作することで、どこで利益が発生したのかを曖昧にできた。しかし、ブロックチェーン上の決済が標準化されれば、価値の移動と発生地点が可視化され、各国の税務当局が取引データを共有することも技術的に可能になる。これは、BEPS(税源浸食と利益移転)対策を、条約や報告義務ではなく、決済インフラそのものに埋め込むことを意味する。
4.社会統制の強化と自由の剥奪
この構造は市民にとって両義的である。一方では、税負担の公平化と行政の効率化が進むが、他方では、国家が国民の経済活動をほぼ完全に可視化できる社会が到来することを意味する。現金が持っていた匿名性と自由度は失われ、貨幣は事実上、常時監査可能なデジタル証票へと変わる。これは一見社会の公平性を確保するように見えるが、社会統制の強化と自由の剥奪を併せ持つことを忘れてはならない。
デジタル人民元とドル覇権対抗
1.中国のデジタル人民元
中国におけるステーブルコインは、単なる民間の暗号資産政策ではなく、国家の通貨戦略と地政学戦略が融合したプロジェクトである。その核心にあるのは、米ドルが支配する国際決済と金融インフラから中国経済とその勢力圏を切り離し、人民元をデジタルの形で国際化するという長期国家戦略である。中国はビットコインや民間ステーブルコインを厳しく規制する一方で、中央銀行デジタル通貨であるe-CNY(デジタル人民元)を世界で最も早く実用化した国家である。e-CNYは本質的にはCBDCであり、厳密な意味での民間ステーブルコインではないが、国家が発行するプログラム可能な人民元として、民間のドル建てステーブルコインに対抗する中国版の解答である。中国政府は、AlipayやWeChat Payと連動させることで、e-CNYを国内決済の標準インフラに組み込み、同時に国外での利用拡大を視野に入れている。
2.国際決済の武器
中国は、e-CNYをクロスボーダー決済の武器として使おうとしている。香港、UAE、タイなどと共同で進めるmBridgeプロジェクトでは、SWIFTや米国の銀行網を介さずに、ブロックチェーン上で中央銀行同士が直接決済できる仕組が実証されている。これは、ドルと米国の金融制裁網を迂回するためのインフラであり、中国、ロシア、湾岸諸国、グローバルサウスを結ぶ非ドル型決済圏の基盤になり得る。
一方、中国本土では民間のUSDTやUSDCの流通は原則として禁止されているが、実際には香港を経由したオフショア人民元型ステーブルコインの実験が進められている。香港は、中国本土とは異なる金融制度を持つため、将来的には人民元建て、あるいは中国国債・中国の銀行預金を裏付けとするステーブルコインが、国際市場で発行される可能性が高い。これは、e-CNYが国家主導の決済インフラであるのに対し、市場型のデジタル人民元として機能し、DeFiや国際貿易、資源取引などでの利用が想定されている。
3.新しい通貨覇権
この中国の戦略は、米ドル覇権に対する明確な挑戦である。現在の国際金融は、ドル建て決済、米国債、SWIFT、コルレス銀行というインフラの束によって支配されている。中国は、e-CNYと人民元型ステーブルコイン、mBridge、CIPSを組み合わせることで、この束をバラバラにし、ドルを通さない価値移転の回路を作ろうとしている。とりわけ、エネルギーや資源、インフラ投資と結びつく形でデジタル人民元が使われれば、人民元は貿易決済の通貨としての地位を徐々に拡張する。中国のステーブルコイン戦略は、暗号資産の自由化ではなく、通貨の主権と覇権を守るためのデジタル国家通貨である。ドルがブロックチェーン上で拡張されるのに対し、中国は人民元をブロックチェーンの基軸通貨にしようとしている。この二つの動きは、21世紀の通貨覇権が、紙幣ではなくプロトコルと決済ネットワークを巡って争われる時代に入ったことを示している。
ステーブルコインとセキュリティ
ステーブルコインが社会インフラとして普及するにつれ、その安全性は銀行の金庫や中央銀行の決済網に匹敵する重要性を持つようになっている。現在のステーブルコインは一見法定通貨に裏付けられた安全なデジタルマネーに見えるが、その実体は、暗号技術・ブロックチェーン・スマートコントラクト・発行体のガバナンスという多層のセキュリティに支えられている。
1.現在のセキュリティ
現在のステーブルコインの技術的セキュリティの中心は、ビットコインやイーサリアムと同じ公開鍵暗号(楕円曲線暗号 ECDSA / EdDSA)に基づく署名である。ユーザーは秘密鍵によってトランザクションに署名し、その正当性をネットワークが検証することで、所有権と送金の正当性が保証されている。さらに、トランザクションはハッシュ関数(SHA-256やKeccak)によってチェーン化され、改ざんが極めて困難な台帳が形成される。USDCやUSDTのような主要ステーブルコインは、これらの暗号技術の上に、発行体が管理するスマートコントラクトによって発行・償却・凍結・ブラックリスト管理が行われている。
2.脆弱性
この構造は、従来の銀行よりも透明で検証可能である一方、暗号アルゴリズムの安全性に完全に依存しているという根本的な脆弱性を持つ。とりわけ量子コンピュータの実用化は、現在のステーブルコインの基盤を直撃する。量子計算機で実装されれば、ECDSAやRSAといった公開鍵暗号は理論的に破られ、他人の秘密鍵を逆算して資金を盗むことが可能になる。これは、銀行の金庫の鍵が世界中で同時に開くのと同じ意味を持つ。
さらに深刻なのは、ブロックチェーンの過去の安全性も失われる点である。現在ブロックチェーン上に公開されているすべての公開鍵と署名データは、将来の量子コンピュータによって解析され、過去に発行されたステーブルコインや未使用アドレスの資産が一斉に危険にさらされる可能性がある。これは、暗号資産だけでなく、国が依存し始めたデジタル通貨インフラそのものを不安定化させる。
3.耐量子暗号体系への移行
このため、世界の暗号研究と金融当局は、耐量子暗号への移行を前提とした次世代ステーブルコイン設計を模索している。格子暗号やハッシュベース署名を用いたウォレット、トランザクション署名、スマートコントラクト鍵管理への移行が進めば、量子攻撃に耐えるステーブルコインが実現可能である。しかし、これは単なるソフトウェア更新ではなく、ブロックチェーン全体の鍵体系とアドレス体系の再設計を伴う大手術となる。
現在のステーブルコインは、古典暗号の上に築かれた量子前時代の金融インフラである。その安全性は現時点では極めて高いが、量子コンピュータが実用化されれば、その前提は根底から崩れる。ステーブルコインが国家と世界経済の中枢を担うならば、そのセキュリティもまた、量子時代に耐える水準へ進化しなければならない。さもなければ、デジタル通貨は最大の利便性と引き換えに、最大のシステムリスクを内包することになるのである。ステーブルコインのセキュリティ確保は、通貨制度そのものを根底から支える深刻なテーマであることを忘れてはならない。
各国の現金決済比率(追記)
世界は一様にキャッシュレス化しているわけではない。韓国・中国はほぼ非現金社会に到達し、欧州は文化によって分化し、米国はカード中心だが現金も残り、日本は現金大国とキャッシュレスの二重構造を持つ。インドや東南アジアはモバイル決済による飛び級型デジタル化が進む。この多様な現実の上にステーブルコインが重なることで、現金・カード・QR・ブロックチェーン通貨が併存する複層的な決済世界が、当面は続くと思われる。
1.韓国
韓国は世界で最もキャッシュレス化が進んだ国の一つであり、日常の小額決済から公共料金、交通、税金支払いに至るまで、クレジットカードとデビットカード、モバイル決済が標準となっている。現金は法的に有効であるが、実務上はほとんど使われず、露店や個人商店でさえカードが通るのが当たり前である。政府の税控除制度やポイント還元政策がカード利用を強力に後押しし、現金はもはや例外的な手段になっている。
2.中国
中国はQR決済が現金を飲み込んだデジタル経済。中国ではクレジットカードよりもAlipayとWeChat PayによるQRコード決済が支配的であり、屋台から高級店、公共交通、個人間送金まで、スマホがそのまま財布である。現金は法的に流通しているものの、都市部では事実上ほとんど使われず、受け取れない店舗すら多い。非現金決済は個人の信用スコア、ローン、EC、行政サービスと統合され、決済が社会インフラの中核を成している点が最大の特色である。
3.欧州
欧州は国によって二極化する現金文化。欧州は一枚岩ではない。北欧やオランダ、英国などではカードとモバイル決済が主流で、現金は急速に縮小している。一方、ドイツ、オーストリア、イタリアなどではプライバシー意識や現金文化が根強く、現金が日常決済で今なお重要な役割を持つ。ユーロ圏全体としては非現金化が進む一方、現金を「自由と匿名性の象徴」として守ろうとする社会的合意が存在する点が特徴である。
4.米国
米国はカード社会だが現金もなお根強い。米国はクレジットカードとデビットカードが圧倒的に強い国であり、オンラインから実店舗までカードが決済の基盤である。ただしチップ文化や小規模事業者、移民社会、地下経済の存在により、現金もなお広範に使われている。カード決済は消費者信用と一体化しており、分割払いやポイント制度が消費行動を形成する一方、現金は匿名性と即時性の手段として生き残っている。
5.日本
日本は現金大国とキャッシュレスの並走。日本は先進国の中でも現金利用比率が極めて高い国であり、治安の良さ、ATM網、現金への信頼がその背景にある。コンビニ、飲食店、個人商店でも現金が普通に使われ、高齢者層を中心に現金文化が深く根付く。一方で近年はクレジットカード、電子マネー、QR決済が急拡大し、都市部とECではキャッシュレスが主流になりつつある。二重構造が併存する社会である点が日本の最大の特色である。
6.インド
インドは現金社会から一気にデジタル化へ。インドは長らく現金中心であったが、政府主導のUPI(即時送金インフラ)により、スマホ決済が爆発的に普及した。露店や個人間送金でもQRが使われ、現金からデジタルへ飛び級した典型例である。ただし農村部や高齢者層では現金も依然重要で、都市と地方の格差が残る。
7.東南アジア
シンガポールはカードとQRが主流の高度キャッシュレス国家である一方、タイやインドネシアではQR決済が急成長しつつも、現金と併存している。観光業や中小商店、非正規経済が大きいため、現金は社会的潤滑油として残り続けるが、スマホ決済が実用レベルで浸透しているのが共通点である。
現金決済とステーブルコイン(追記)
ステーブルコインは世界を一様に変えるのではなく、国ごとの制度と権力構造にぶつかりながら、異なる形で浸透していく通貨技術である。現金化(キャッシュレス)決済比率が国によって大きく異なる現実は、ステーブルコインの普及戦略を国ごとに全く違うものにする。ステーブルコインは技術的に優れた決済手段であっても、決済文化・規制・金融構造・政治の違いによって受け止められ方が根本的に異なるからである。
1.韓国
韓国は既に完成されたカード社会が最大の壁である。韓国では、決済はすでにクレジットカードとデビットカードでほぼ完全に最適化されている。即時決済、ポイント還元、分割払い、税控除まで組み込まれており、ステーブルコインはこれ以上便利になる余地が小さい。最大の課題は、既存カード網があまりに効率的なため、ブロックチェーン決済に乗り換える経済的動機が弱いことである。ステーブルコインが普及するには、国際送金やWeb3、AI決済など、カードが不得意な領域での突破が必要になる。
2.中国
中国は国家の通貨主権が最大の障壁である。中国ではQR決済が極限まで普及しているが、その上にあるのは国家が管理する人民元決済網である。民間のドル建てステーブルコインは規制され、e-CNY(デジタル人民元)が国家の選択肢として用意されている。このため、中国での課題は技術ではなく、国家が許可しない通貨インフラは原則として使えないという政治構造である。ステーブルコインが普及するとすれば、それは中国版デジタル人民元の形を取らざるを得ない。
3.欧州
欧州はプライバシーと金融主権の葛藤が続く。欧州では国によって現金文化が強く、現金はプライバシーと自由の象徴として社会的価値を持つ。このため、すべての取引が記録されるステーブルコインには心理的抵抗が強い。一方でEUは金融主権を守るため、米ドル建てステーブルコインの支配を警戒している。欧州での課題は、利便性よりも「主権と市民の権利」をどう守るかという政治的設計である。
4.米国
米国ではドル建てステーブルコインは国家戦略に組み込まれつつあるが、同時に銀行業界や決済企業(Visa, Mastercard)との競合が激しい。最大の課題は、ステーブルコインが銀行預金を侵食し、金融システムの安定性を揺るがす可能性である。米国では、普及の条件は技術ではなく、規制と既存金融機関との利害調整にある。
5.日本
日本では現金への信頼が極めて高く、さらに銀行振込網が広く使われているため、ステーブルコインが何を置き換えるのかが曖昧である。加えて、金融規制が厳格で、民間が自由に発行できない。日本での最大の課題は、現金と銀行の間に割って入る明確な用途を見つけることであり、国際送金、B2B決済、Web3などが突破口となる。
6.インド・東南アジア
これらの国では、現金とQR決済が併存しており、銀行口座を持たない層も多い。ステーブルコインは技術的には適合性が高いが、規制、識字、詐欺、価格変動への不安が普及の壁になる。一方で、ドル建てステーブルコインは事実上のデジタル外貨として強い需要を持ち、為替と送金の問題を解決できる点が武器となる。
