庭 重森三玲作品集
1964年10月刊
重森三玲著
著者の経歴
重森三玲(1896-1975年)は、岡山県上房郡吉川村、現在の吉備中央町に生まれた、日本を代表する作庭家である。日本美術学校で日本画を学び、その後東洋大学文学部に進学した。若い頃から日本画だけでなく、いけばな、茶道、建築など日本文化全般に強い関心を持ち、やがて庭園研究へと進んだ。重森の経歴で決定的に重要なのは、単に庭を設計した作庭家ではなく、日本庭園史を徹底的に実地調査した研究者だったことである。1936年から全国の古庭園の実測調査を開始し、その成果を「日本庭園史図鑑」としてまとめた。晩年には長男の重森完途とともに「日本庭園史大系」35巻を完成させ、日本庭園史研究に大きな足跡を残した。一方、重森は伝統を保存するだけでは満足しなかった。古庭園を徹底的に研究した上で、その造形原理を現代へ発展させることを目指した。その代表作が1939年に完成した東福寺本坊庭園である。その後も岸和田城八陣の庭、光明院、瑞峯院、松尾大社など多数の庭を制作した。重森の思想を端的に表すのが永遠のモダンという考え方である。過去の名庭は、制作された当時には新しい表現であった。したがって伝統を継承するとは古い形式をそのまま模倣することではなく、その精神を理解した上で、自分の時代にふさわしい新しい造形を創造することである。この姿勢こそ、重森の作庭と本書を貫く思想である。

本書の内容
1.自作47庭による作庭思想の総括
本書は冒頭の総説、庭園写真を中心とする図版、そして重森自身による庭園紹介で構成されている。東福寺、光明院、瑞峯院、石清水八幡宮、真如院、自邸をはじめ、寺院だけでなく個人住宅の庭や茶庭まで47作品を収録している。重要なのは、これらが単なる代表作の記録ではないことである。重森自身が作品について解説しているため、なぜこの場所に石を立て、なぜ白砂を広げ、なぜ幾何学的な構成を採用したのかという、作庭者自身の思想を作品とともに読み取ることができる。本書を通読すると、個々の庭の紹介を超えて、重森三玲にとって庭とは何であったのかが次第に浮かび上がってくる。
2.伝統と抽象芸術の融合-東福寺
重森の代表作であり、その作庭思想を最も明確に示すのが東福寺本坊庭園である。1939年に完成したこの庭は、方丈を囲む東西南北の四庭からなり、伝統的な枯山水を基礎としながら、それまでの日本庭園には見られなかった大胆な造形を導入した。特に有名なのが北庭である。苔と四角い敷石を市松模様に配置し、幾何学的な構成を庭園へ持ち込んだ。しかも市松模様は均一に続くのではなく、次第に崩れながら苔の中へ消えていく。一方、南庭では巨大な立石を大胆に組み、白砂と組み合わせることで、蓬莱神仙思想に基づく壮大な世界を表現した。ここで重要なのは、重森が伝統的素材を捨てていないことである。石、苔、白砂という材料は古来の日本庭園と変わらない。しかし、それらを組み合わせる構図が新しい。重森の近代性とは、西洋庭園を模倣することではなく、日本庭園の語彙を使いながら新しい抽象芸術を創造することにあった。東福寺は、その考え方を最も鮮明に示した作品である。
3.静けさと力の共存-光明院
東福寺塔頭の光明院庭園も本書に収録された重要作品である。重森の庭では、石は単なる景観上の装飾ではない。石が強い生命力を持つ存在として扱われる。庭全体を見れば静寂である。しかし一つ一つの石を見ると、上方へ伸びようとする力、互いに向き合う緊張、石組相互の方向性が感じられる。この静けさの中に力を封じ込めるという感覚は、重森庭園を理解する上で重要である。伝統的な枯山水の静謐さを保ちながら、石組には現代彫刻にも通じる力強い造形性を与える。庭を風景としてだけでなく、石と空間による抽象的な立体作品として成立させている。
4.禅庭の現代化-瑞峯院
大徳寺瑞峯院の庭では、禅寺の枯山水という伝統的な形式を継承しながら、極めて明確な線と力強い石組による現代的な構成が追求されている。白砂の砂紋は単なる水の象徴にとどまらず、庭全体に動きを生み出す線として機能する。そこに鋭く立ち上がる石が置かれることで、水平に広がる白砂と垂直方向へ伸びる石との緊張関係が生まれる。これは絵画でいえば、線と面、垂直と水平、静と動を対立させる抽象構成に近い。重森は枯山水を歴史的様式として保存するのではなく、現代においても新しい造形を生み出せる芸術形式として蘇らせようとした。
5.岸和田城
重森の革新性を理解する上で欠かせないのが、1953年に作庭された岸和田城庭園八陣の庭である。この庭は諸葛孔明の八陣法を主題とし、中央の大将を中心として八群の石組を配置するという極めて明確な幾何学的構成を持つ。しかも鑑賞方法が革新的である。一般的な日本庭園は地上から見ることを基本とするが、八陣の庭は岸和田城天守閣から俯瞰することも想定して設計された。地上から見れば立石による立体的な彫刻となり、上から見れば石群による抽象的な平面構成となる。庭園を自然風景の再現から解放し、一種の環境芸術、抽象芸術へと接近させた作品であり、も重森の抽象的な意匠・構成を示す重要作品である。
6.庭園における彫刻・石
本書全体を通して最も強く感じられるのは、重森にとって石が庭園の中心的な造形要素であったことである。伝統的な日本庭園でも石は重要であったが、重森は石を更に強い存在として扱った。巨大な石を垂直に立て、別の石を斜めに傾け、低い石を組み合わせる。それによって、石と石の間に方向性や緊張が生まれる。一個の石は静止している。しかし複数の石を組み合わせることで、上昇、下降、対立、集中、拡散といった視覚的な運動が生まれる。この意味で、重森の石組は現代彫刻に近い。庭全体を一枚の風景画として構成するのではなく、石を強い造形として成立させ、それらの関係によって空間をつくる。
7.白砂が生み出す運動・線
重森の庭では白砂も重要な造形材料である。伝統的な枯山水では白砂は海や川を象徴する。しかし重森は、それに加えて砂紋を造形的な線として利用した。直線、曲線、波形などの砂紋が石組の周囲を流れることによって、静止した石に動きが与えられる。ここでも自然を忠実に再現することは目的ではない。石という点、砂紋という線、白砂という面を組み合わせて空間全体を構成する。抽象絵画にも通じる発想が認められる。重森が元々日本画を学び、いけばなや茶道にも深く関わっていたことを考えると、彼の庭は複数の日本芸術を総合した空間表現として理解することができる。
8.模倣ではなく創造・伝統
本書を貫いている最も重要な問題は、伝統とは何かである。重森は全国の古庭園を実測し、日本庭園の歴史を徹底的に研究した。彼は伝統を否定したのではない。むしろ同時代の誰よりも深く伝統を研究した作庭家であった。しかし、その研究から導き出した結論は、古い庭をそのまま模倣することではなかった。室町時代の名庭が優れているのは、それが室町時代における新しい創造だったからである。桃山時代や江戸時代の名庭についても同様である。ならば昭和という時代に庭をつくる者も、室町時代の庭をコピーするのではなく、昭和という時代にしか生まれない庭をつくらなければならない。ここに重森の永遠のモダンという思想の核心がある。
9.庭は総合芸術としての空間・
重森にとって庭は、単なる造園ではなかった。そこには絵画的な構図があり、彫刻的な石組があり、建築との関係があり、茶道やいけばなの間の感覚があり、更に宗教思想や日本人の自然観がある。したがって庭とは、様々な芸術を一つの空間へ統合する総合芸術である。自然石や植物という素材を使いながら、人間の強い意志によって空間を構成する。自然と人工、伝統と現代、静寂と運動、具象と抽象という対立する要素を、一つの庭の中で緊張させながら統合することこそ、重森の作庭である。
本書が伝えようとしたこと
日本庭園は過去の様式を保存するだけの伝統芸術ではなく、現代においても新しい美を生み出すことのできる創造的な芸術である。重森は日本の古庭園を徹底的に調査したからこそ、伝統の本質が昔と同じものをつくることではないことを理解していた。今日我々が古典と呼ぶ名庭も、それがつくられた時代には新しく、大胆な表現だったからこそ後世に残ったのである。したがって現代の作庭家も、自分の時代の感覚を庭に刻まなければならない。そのため重森は、石組、白砂、苔、枯山水といった日本庭園の伝統的な素材を守りながら、市松模様、幾何学的構成、大胆な立石、抽象的な砂紋などを導入した。伝統を壊したのではなく、伝統の内部から新しい造形を生み出した。ここに重森三玲の庭の本質がある。庭は自然を小さく再現する場所ではない。石、砂、苔、植物、建築、光、余白を組み合わせ、人間の思想を空間として表現する芸術である。その意味では、絵画や彫刻と同じように、庭にも作者の思想と時代精神が表れなければならない。伝統とは過去を繰り返すことではなく、過去を深く理解した者が、その精神を自分の時代に新しく創造することである。
