量子コンピュータの重要性
量子コンピュータは、従来のコンピュータでは膨大すぎて処理できない計算を圧倒的な速さで解くことができ、新材料開発、創薬、金融最適化、暗号解読など多くの分野で革新をもたらす。国家の存亡と企業の競争力に直結する基盤技術であり、AIと組み合わせることで未知のパターン探索や高度最適化が飛躍的に進化する。量子コンピュータは次世代の社会を支える重要なエンジンとなるものである。
量子コンピュータの主要な開発企業
量子コンピュータは、世界的企業とベンチャー企業が入り乱れて激しい開発競争を展開している。以下ではその中で主要なプレーヤーを4社概説する(世界的プレーヤーであるNTTについては後述する)。
1.IBM
IBMは、量子コンピュータ分野でも最も実用化に近づいている企業の一つである。超伝導量子ビット方式(極低温-273度Cの超電導状態にした回路にマイクロ波を当てて量子状態を制御する方式)を採用している。難解な量子コンピュータを専門家だけのものにせず、インターネット経由(クラウド)で誰でも利用できる量子計算環境(IBM Quantum)を提供し、大学や企業を巻き込んで実験や研究に使える仕組をいち早く整えている。量子チップの性能向上や標準ルールづくりにも力を入れており、量子コンピュータのエコシステム構築を主導している。IBMは単に性能を競うのではなく、量子時代のインフラを担おうとしている。
2.Google
Googleは、量子コンピュータ分野においても極めて挑戦的な研究を行っている。超伝導量子ビット方式を採用している。2019年には、従来のスーパーコンピュータでは実質的に解けない計算問題を、量子コンピュータによって短時間で解く量子超越性を達成し、世界に衝撃を与えた。量子コンピュータが理論だけでなく、現実の世界で既存技術を超える可能性を持つことを示した象徴的な出来事である。Googleは実用性よりも限界突破を重視する研究姿勢が強く、ブレークスルーを達成するのに集中している。
3.Rigetti Computing
Rigetti Computingは、量子チップの開発からクラウドサービスの提供まで自社で手がける垂直統合型の量子コンピュータ企業である。超伝導量子ビット方式を採用している。特にソフトウェアとの親和性を重視しており、研究者や開発者が量子アルゴリズムやアプリケーションを試しやすい環境づくりに力を入れている。銀行、製薬、エネルギーなどの産業に対して、量子コンピュータがどのように役立つかという現実的な応用例を探ることに重点を置いている。Rigettiは未来技術の実験場ではなく、ビジネス現場で使える量子技術を目指している実務志向の企業である。
4.IonQ
IonQは、量子コンピュータ分野の中でも特に注目されているベンチャー企業である。同社は、超電導ではなくイオン(電気を帯びた原子)を使って量子ビットを制御する方式を採用している。この方式では、量子の状態が比較的安定しやすく、計算の正確さが高いという利点がある。その一方で、大規模化が難しいという課題もある。IonQは、難しい専門装置を自社でコントロールしつつ、クラウド経由で量子コンピュータを提供することで、企業や研究者が実験的に利用しやすい環境を整えている。商用化に積極的で、量子コンピュータをビジネスとして成立させることに本気で挑んでいる企業である。
量子コンピュータと暗号技術
量子コンピュータが実現した社会では、暗号はこれまでとは桁違いに重要な存在になる。私たちが現在当たり前のように使っているインターネット上の安全は、多くが解くのに非常に時間がかかる数学問題を基礎とした暗号技術によって守られている(ネットバンキング、クレジットカード決済、電子メール、クラウドサービス、政府の機密通信など)。すべてのデジタル情報は、解読が困難な計算を前提にした暗号によって保護されている。現代のコンピュータでは膨大な時間がかかるため、事実上解けないとされてきた計算問題があることで、私たちの情報は安全に保たれている。
しかし、量子コンピュータの出現は、この前提を大きく揺るがす。量子の性質を利用することで、これまで何万年もかかる計算を、極めて短時間で解けてしまうからである。特に、現在広く使われているRSA暗号や楕円曲線暗号といった仕組みは、素因数分解や離散対数問題という難しい計算に依存しているが、量子コンピュータはこれらを効率よく解くアルゴリズムを持つため、従来の暗号は無力化されてしまう。 暗号が破られてしまえば、個人の預金情報や医療データ、企業の機密情報、軍事・外交の極秘情報までもが読み取られてしまう。量子コンピュータは科学技術の進歩をもたらす一方で、情報社会の土台そのものを崩しかねない。このため、量子コンピュータの開発と同時に、量子でも破れない新しい暗号=耐量子暗号の開発が急務となっている。
量子コンピュータは「攻撃者」にも「防御者」にも使うことができる。量子の性質を利用した量子暗号通信は、盗聴をしようとすると必ず痕跡が残るため、非常に安全な通信が可能となる。量子コンピュータが暗号を破る力を持つ一方で、量子そのものがより強固な暗号技術を生み出す基盤にもなっている。
量子コンピュータと暗号はまさに「表と裏の関係」にある。片方だけが発展すればよいのではなく、両者が同時に進化し、競い合いながらバランスを取っていかなくては、私たちの社会の安全は守れない。量子コンピュータの性能だけでなく、それに対抗できる暗号技術をどれだけ早く、確実に整備できるかが、国家や企業の命運を左右する極めて重要なテーマとなっている。
NTTの量子コンピュータ戦略
1.NTTの光量子コンピュータ
NTTは、量子コンピュータ分野では、光通信、半導体、ネットワーク技術といったNTTの得意分野を活かし、光量子コンピュータや量子暗号通信など次世代の情報基盤を総合的に研究している。特にIOWN構想は次世代通信インフラと、量子技術を融合させようとしている点が、日本独自の戦略である。情報通信全体を量子レベルで進化させようとするNTTの取り組みは、単なる一企業の挑戦ではなく、国家戦略に近いスケールで進められている点が大きな特徴である。
2.NTTの量子戦略と国家的視座
量子コンピュータの開発競争では、米国を中心に IBM、Google、IonQ、Rigetti Computing といった企業が大きな注目を集めているが、それらと比較したとき、日本のNTTの量子コンピュータ研究には独自の強みと優位性がある。米国企業が計算装置としての量子コンピュータそのものの性能競争に重点を置く傾向があるのに対し、NTTは社会インフラ全体の一部として量子技術を構築しようとしている点に大きな違いがある。
IBMやGoogleは、主に超電導方式と呼ばれる方法を使い、量子ビット(情報の最小単位)の数や計算能力の向上を競っている。IonQはイオン(原子)を使う方式で高い精度を強みとしている。Rigettiは量子チップとソフトウェアの一体化による実用化を目指している。これらはいずれも非常に優れた取り組みであるが、基本的には量子コンピュータ単体の性能を中心に展開しいる。
一方のNTTの光量子コンピュータは、超電導方式やイオン方式に比べ①常温動作➁大規模化の容易性③通信との親和性の3点で優れている。光は環境ノイズに強く、極低温設備が不要なため、大幅に低コストで拡張可能である。また光ファイバ通信と同じ技術基盤を使えるため、量子ネットワーク化や分散量子計算に極めて適している。将来的な大規模量子システムの中核となる点で他方式を大きく上回わる。
NTTの量子戦略は、量子コンピュータを単なる計算機としてではなく、次世代の通信ネットワークやデータセンター、セキュリティ、さらには社会のあらゆるデジタルインフラと結びつけて研究を進めている点が競合他社と大きく異なる。NTTは長年、光通信やネットワーク技術で世界をリードしてきた企業であり、その強みを活かして光量子コンピュータ・量子通信・量子暗号を統合的に発展させている。これは他国の企業には真似のできない、日本独自の戦略である。
特に注目されるのが、NTTが進めるIOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想との連携である。従来の電気信号ではなく、光を中心にした超高速・超低遅延・低消費電力のネットワークインフラを構築しようという壮大な構想であり、その上に量子技術を組み込もうとしている。NTTは、量子コンピュータ単体の競争ではなく、量子コンピュータが組み込まれた未来の社会システムを展開しようとしている。
安全保障や国家的な観点から見てもNTTの役割は重要である。量子時代には暗号や通信の安全性が国家の命運を左右する。NTTは量子暗号通信や耐量子暗号の研究では世界トップレベルの技術力を持っている。量子コンピュータが普及した後の社会において、日本の情報と経済を守る中核的役割を果たすことを意味している。これは即効性のある派手さはなくとも、将来極めて重要な価値を持つ、日本ならではの長期的で戦略的な強みだと言える。
量子コンピュータの応用分野
量子コンピュータが実用化された場合に以下の分野は特に大きな影響を受ける。
1.AI分野
量子コンピュータが実用化されると、AIの進化はさらに加速する。現在のAIは非常に多くの計算を必要とするが、従来のコンピュータでは限界があり、学習に長い時間と膨大な電力が必要である。量子コンピュータは一度に非常に多くの計算パターンを処理できるため、AIが学習するスピードが飛躍的に向上する。これによって、より高度で正確なAIが短時間で開発できるようになる。自動運転、気象予測、災害対策、言語翻訳、創薬などの精度が大きく向上する。さらに、人間が思いつかなかった解決策をAIが導き出す可能性が高まり、社会全体の問題解決の方法そのものが進化すると考えられる。
2.金融分野
金融分野では、膨大なデータをもとに、将来の市場を予測したり、リスクを計算したりする作業が日常的に行われている。量子コンピュータがそれらの複雑な計算を短時間で処理できるようになれば、投資判断や資産運用の精度が大きく高まる可能性がある。株式や債券、為替、商品など、無数の組み合わせの中から最適な投資先を瞬時に見つけ出すことができるようになる。一方で、従来の暗号技術が破られるリスクも高まるため、金融システム全体の安全性を守るために、新しい暗号技術への移行が急務となる。金融分野は計算能力の向上と安全性の脅威の両面で、大きな変化を迎えるだろう。
3.医療分野
医療分野では、薬の開発や病気の原因解明に、分子や細胞といった非常に複雑なメカニズムの理解が必要である。従来のコンピュータでは、こうした微細な世界を正確にシミュレーションするのが難しく、新薬開発には長い年月と莫大な費用がかかっている。しかし、量子コンピュータは分子の振る舞いをより正確に計算できると期待されており、これまで不可能に近かったレベルでのシミュレーションが可能になると考えられる。その結果、癌や希少疾患などに対する新薬の開発が加速し、個人の体質に合わせたオーダーメイド医療も大きく進展する可能性がある。医療の発展にとって、量子コンピュータは大きな希望となる技術である。
4.国防とサイバーセキュリティ分野
量子コンピュータの実用化は、サイバーセキュリティと国防の在り方を根本から変える。現在の国家間の情報戦は、暗号技術によって守られた戦いであるが、量子コンピュータは多くの暗号を破る能力を持つため、軍事・外交・インフラに関わる重要情報が危険にさらされる。これに対抗するため、各国は量子に強い新しい暗号(耐量子暗号)や盗聴ができない量子通信の開発を急いでいる。量子コンピュータは最強の攻撃手段にも、最強の防御手段にもなり得る存在であり、未来の国防の中心技術となる。量子コンピュータの開発は国家の存亡がかかる問題なのである。
