ニコラ・ド・スタール

Nicolas de Staël
1961年刊
Douglas Cooper著

著者とスタールの経歴

ダグラス・クーパー(1911–1984年)はイギリスを代表する20世紀美術研究者であり、とりわけキュビスム研究の権威として知られている。彼は ピカソ、ブラック、グリスらの研究を通じて近代絵画史に大きな貢献を行った。また優れたコレクターでもあり、多くの前衛芸術家と直接交流を持った。ニコラ・ド・スタールとも親交があり、そのため本書は単なる研究書ではなく、画家を身近に知る人物による証言としても高い価値を持っている。

ニコラ・ド・スタールl(1914–1955年)は、ロシア帝国サンクトペテルブルクの貴族の家系に生まれた。ロシア革命後に家族とともに亡命を余儀なくされた。幼少期に両親を失った彼はベルギーで育ち、美術教育を受けた後、フランスを中心に活動するようになる。第二次世界大戦後に急速に評価を高め、厚塗りの絵具と力強い色面構成によって抽象と具象を融合させた独自の絵画世界を築いた。しかし創作への極度の緊張と精神的疲弊の中で、1955年にアンティーブにおいて41歳で自ら命を絶った。彼の短い生涯は20世紀絵画史において伝説的な存在となっている。

本書の内容

1.抽象と具象の狭間に立つ画家

本書は、ド・スタールを単なる抽象画家として理解することの誤りを指摘する。1950年代のヨーロッパでは抽象絵画と具象絵画の対立が盛んに論じられていたが、ド・スタールはそのどちらにも属さなかった。彼の絵画は風景や人物、スポーツ競技や静物など現実世界を出発点にしながら、それらを色彩と構成の純粋な関係へと変換していく試みであった。

2.厚塗りの絵具による構築的表現

クーパーはド・スタールの技法を詳細に分析している。ナイフによって塗り重ねられた絵具は、単なる表面効果ではなく建築物のような構造を持っている。絵具の塊は石壁のような重量感を持ちながら、同時に光や空気を感じさせる透明性を備えている。彼の作品では色彩は輪郭線に従属するものではなく、色が形態を生み出している。

3.戦後ヨーロッパ絵画の新しい方向

本書では、戦後美術におけるド・スタールの位置づけも論じられている。アメリカではポロックに代表される抽象表現主義が主流となっていたが、ド・スタールはより静謐で構築的な道を選択した。彼の作品は感情の爆発ではなく、秩序と感覚の均衡を追求していた。そのため彼はヨーロッパ絵画の伝統を継承しながらも、新しい抽象表現を切り開いた存在として評価されている。

4.風景画への回帰

1950年代に入ると、ド・スタールの作品は徐々に風景や海、空、都市などの具体的なモチーフを再び取り入れるようになる。南フランスの光の中で制作された作品群では、抽象的な色面が地平線や海面、建築物として知覚されるようになる。クーパーはこの変化を抽象から具象への後退ではなく、抽象を経由した新しい具象表現の誕生として評価している。

5.創造と破滅の関係

本書の終盤では、創作への情熱と精神的苦悩との関係にも触れられている。ド・スタールは猛烈な速度で制作を続けたが、その創作エネルギーはしばしば彼自身を消耗させた。彼の死は単なる悲劇として描かれるのではなく、芸術的完全性を求め続けた人生の延長線上に置かれている。

本書が言いたかったこと

ニコラ・ド・スタールは抽象画家でも具象画家でもなく、その両者を超えた場所に立っていた画家である。彼にとって絵画とは現実を写し取ることでも、完全に現実から離脱することでもなかった。現実の風景や光や空気を出発点にしながら、それを色彩と形態の本質へと凝縮することこそが彼の芸術の目的であった。クーパーはド・スタールを、20世紀絵画が失いかけていた感覚と構造の統一を再び実現した稀有な画家として位置づけている。

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