NATOの東方拡大

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ワルシャワ条約機構解体とNATO東方拡大

ソ連崩壊とともにワルシャワ条約機構が解体されたにもかかわらず、NATOが東方へ拡大し続けたのは、単なる裏切りや陰謀ではなく、冷戦後に生じた認識のずれと制度的合理性が重なった結果である。

冷戦終結時、ロシアは東西対立が終わり、軍事同盟の時代も終わると期待した。一方、米国と西欧はNATOを対ソ連同盟から民主主義陣営の安全保障枠組みへと再定義し、解体ではなく存続・再利用を選んだ。この前提の違いが、その後の摩擦の出発点となった。

NATO拡大を強く求めたのは、実は東欧諸国自身であった。ポーランドやバルト三国などは、ソ連支配の記憶とロシアへの歴史的恐怖から、主権国家として自ら同盟を選ぶ権利を行使し、NATO加盟を安全保障の最優先課題とした。NATO側はこの要請を拒めないという建付けで、拡大は自発的参加の形で進んだと主張することになった。

米国にとってもNATO拡大は合理的だった。欧州安全保障で主導権を維持し、欧州の不安定化やドイツの単独行動を防ぎ、既存の制度を解体せず活用する方が合理的だったからである。勝者が自らの制度を放棄する動機は乏しかった。

一方、ロシアは1990年の独再統一交渉時のNATOは東へ拡大しないとの趣旨の発言を政治的約束と受け止めたが、西側は法的拘束力のない文脈限定の発言と解釈したとして東方拡大を続けた。この解釈の対立は、ロシアに深い屈辱感と包囲感を残した。

結果として、NATOは解体されることなく、秩序を管理する制度として拡大し、ロシアはそれを脅威と認識するに至った。現在の欧州不安定化は、冷戦後に包括的な安全保障枠組みを構築できなかった代償である。

ロシアのウクライナ進行とNATOの挑発

ロシアによるウクライナ侵攻は、NATOの親玉である米国がロシアを挑発した結果ではないのかという問いを生んでいる。この見方には一定の根拠があるが、それだけで侵攻を説明、あるいは正当化することはできないという二重の構造で理解する必要がある。

冷戦終結後、NATOはワルシャワ条約機構の解体にもかかわらず東方拡大を続け、最終的にはロシア国境にまで迫った。2008年にはウクライナとジョージアの将来的なNATO加盟の可能性が公式に言及され、さらに米国はウクライナへの軍事支援や訓練を強化した。ロシアから見れば、これは自国の安全保障上のレッドラインを踏み越える動きであり、米国とNATOがロシアの不安を軽視し、結果的に挑発した側面は否定できない。

ただしロシアの行動は外部からの圧力だけでは説明できない。ソ連崩壊後の屈辱感、大国としての勢力圏回復志向、ウクライナを歴史的にロシア世界の一部とみなす認識、そしてプーチン政権の体制維持という内在的要因が強く作用している。侵攻は、米国の戦略的配慮不足と、ロシア自身の帝国的判断が交差した結果である。

総じて言えば、米国とNATOには冷戦後秩序を設計するうえでの戦略的失策があり、ロシアを追い込んだ側面は確かに存在する。この戦争は、どちらか一方だけが悪いという単純な構図ではなく、冷戦後の包括的安全保障体制を構築できなかった国際社会全体の失敗が、ウクライナという国家に悲劇として表出した事例である。


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