起業とは人生の使い方を問う行為
起業とは、単に会社を作り利益を追う行為ではない。もっと根源的で、もっと人間的な営みである。挑戦とは、一度きりの人生という限られた時間の使い方そのものだ。人間は必ず死ぬ。これは誰一人例外のない事実である。にもかかわらず、人はまるで永遠に生きるかのように、今日を惰性で消費し、明日に判断を先送りする。しかし死を起点に人生を見つめ直せば、迷いは霧のように消える。死を知る者は迷わない。なぜなら、残された時間が有限であることを理解した瞬間、何に人生を費やすべきかが鮮明になるからだ。
無常を知る者だけが本気で生きられる
仏教は、人間の生命は無常であると説く。命は永続せず、常に変化し、やがて終わりを迎える。無常を理解するとは死を恐れることではなく、生を丁寧に使うことを意味する。人生を永遠と錯覚するうちは、人は本気になれない。しかし死が確実であると悟ったとき、今日という一日がどれほど尊く、貴重で、取り返しのつかない時間であるかに気づくのである。
死を基準とする人生
人生の目的は、死を見据えた時、くっきりと輪郭を持つ。もし人生が残り10年なら、私は何を選ぶか。この問いは、起業家にとって羅針盤となる。世間の評価や一時の利益ではなく、自分が心から信じ、死の直前に誇れるかどうか。それが進むべき道を決める基準になる。
使命を悟る
死から逆算して人生を設計することで、自分だけの使命は輪郭を持ち始める。これだけはやり遂げずに死ねないと思えるもの、それが使命である。時間とはすなわち命であり、何に使うかによって人生そのものが形づくられる。無駄に費やされた時間は取り戻せないが、意志を持って投じた時間は使命となり、軌跡となり、誰かの未来を照らす。
死を意識すると決断は強くなる
死を恐れることはない。しかし忘れてはいけない。死を意識すればこそ、生き方は鋭く研ぎ澄まされる。不安や迷いに心を乱されることなく、大きな決断にも躊躇しなくなる。死ぬ時に後悔することがないかを基準にすれば、小さな損得で揺れなくなる。人生は有限であり、挑戦できる時間もまた限られている。だからこそ、起業家は今日を燃やし、未来へ投じなくてはならない。
死を見据える者だけが生を燃やし尽くせる
死を静かに見つめられる者だけが、生を全力で生きられる。死生観は恐怖ではなく力だ。命の終わりが確実だからこそ、使命を持ち、人は前へ進む。挑戦とは、命を賭けて未来に橋をかける行為である。人生は一度きり。死を忘れず、生を燃やせ。使命ある者は迷わない。
