Madame Bovary
1857年刊
Gustave Flaubert著
フローベールの経歴
フローベールは19世紀フランス文学を代表する作家であり、客観的で精密な文体によって近代小説の完成者の一人とされている。彼は感情的説明を避け、人物や社会を冷静に観察する手法を確立した。代表作には感情教育、サランボーなどがあるが、ボヴァリー夫人は特に近代人の欲望と幻想を描いた作品として知られている。フローベール自身はボヴァリー夫人とは私であるという有名な言葉を残しており、主人公エンマの幻想と空虚さは、近代社会に生きる人間を象徴している。
本書の内容
1.エンマの夢想
物語は田舎医者シャルル・ボヴァリーの人生から始まる。彼は平凡で善良だが、特別な才能や情熱を持たない男である。やがて彼は農家の娘エンマと出会い、結婚する。エンマは修道院で教育を受ける中で、多くの恋愛小説を読み、美しい恋愛や華やかな生活に強い憧れを抱くようになっていた。彼女は結婚によって、自分の人生が劇的に変わることを期待している。しかし実際の結婚生活は退屈で単調だった。シャルルは誠実ではあるが平凡な夫であり、エンマが夢見るような激情的愛情も洗練された社交生活も与えることができない。ここからエンマの幻想と現実との対立が始まる。
2.退屈と欲望
エンマは地方都市ヨンヴィルでの生活に強い閉塞感を抱くようになる。彼女は豪華な舞踏会や貴族社会を一度体験したことで、更に自分の日常に耐えられなくなる。彼女は恋愛によって人生を変えようとする。最初に関係を持つのは、若い書記レオンである。二人は文学や音楽など感受性を共有するが、その関係はすぐには進展しない。やがてエンマは地主ロドルフと激しい不倫関係に入る。ロドルフは経験豊かな男であり、エンマの夢想的性格を見抜きながら彼女を誘惑する。エンマは彼との恋愛に人生のすべてを賭けようとする。しかしロドルフにとってそれは一時的な遊びに過ぎず、彼は最終的に彼女を捨ててしまう。ここで描かれるのは、恋愛が幸福の救済になるという幻想の崩壊である。
3.消費と虚栄
エンマは恋愛だけでなく、贅沢な生活にも強く執着する。彼女は高価な服や家具、装飾品を買い続け、借金を重ねていく。商人ルルーは、そんな彼女の欲望を巧みに利用し、次々に商品を売りつける。エンマは美しいものに囲まれることで空虚を埋めようとするが、その満足は決して長続きしない。フローベールはここで、近代社会の消費欲望を鋭く描いている。人間は幻想によって商品を求めるが、どれほど所有しても心は満たされない。
4.レオンとの再会
失意の後、エンマは再びレオンと再会する。今度は二人は本格的な不倫関係に入る。しかしその恋愛もまた、最初の情熱を失い、次第に倦怠へ変わっていく。エンマは常にもっと大きな幸福を求め続けるが、現実の恋愛は彼女の幻想に追いつくことができない。彼女は愛されても満足できず、贅沢をしても幸福になれない。彼女を苦しめているのは現実そのものではなく、現実を拒絶し続ける欲望そのものなのである。
5.破滅
借金は膨れ上がり、ついにエンマは破産寸前に追い込まれる。彼女はかつての愛人たちに助けを求めるが、誰も本当に彼女を救おうとはしない。絶望したエンマは毒薬として砒素を飲み、自殺する。その死は決して美化されていない。フローベールは苦痛に満ちた死の過程を冷徹に描き、人間の幻想の終焉を突きつける。エンマの死後、シャルルは真実を知りながらもなお彼女を愛し続ける。しかし彼もまた破滅し、娘は貧困の中へ落ちていく。
本書が言いたかったこと
人間はしばしば現実そのものではなく、自分が抱いた幻想によって苦しむ。エンマは愛や贅沢によって人生を理想化しようとした。しかし現実の人生は、小説のように永遠の激情に満ちている訳ではない。彼女は日常の平凡さを受け入れることができず、常に別の人生を夢見続けた。フローベールは彼女を単純に批判してはいない。むしろ彼は、エンマの中に近代人共通の欲望を見ている。人間は現実に満足できず、幻想や消費、恋愛によって空虚を埋めようとする。しかしその欲望には終わりがなく、人は永遠に満たされない。本作は、近代社会における退屈の問題も描いている。平和で安定した生活の中で、人間はかえって生の実感を失い、刺激や幻想を求めるようになる。ボヴァリー夫人は、一人の女性の不倫と破滅を描いた作品であると同時に、欲望と幻想に支配された近代人そのものを描いた小説である。そして人間は、自らが夢見る幻想によって最も深く傷つけられる存在なのだという真実を、フローベールは冷静かつ美しい文章によって描き出した。
