Master Drawings from the Louvre and National Museums in Paris
1997年刊(5巻)
Geneviève Monnier監修
ルーヴル美術館素描部門
ジュヌヴィエーヴ・モニエは、フランスの美術史家であり、ルーヴル美術館の素描・版画部門において研究に携わった、紙作品の専門家である。とりわけ素描、パステル、建築素描などを研究し、ルーヴル所蔵作品の調査、作品帰属、カタログ作成などに重要な仕事を残した。1972年にはルーヴル美術館所蔵の17・18世紀パステルの体系的研究を刊行し、同年には15世紀から19世紀までの素描を対象とするルーヴル美術館の展覧会図録も担当した。本全集の中心となるルーヴル美術館素描・版画部門は、フランス王室の収集品を重要な基礎として形成され、その後も購入、寄贈、遺贈などによって膨大な紙作品を蓄積してきた。油彩画とは異なり、紙作品は光に弱いため常設展示が難しく、通常は収蔵庫で保存される。このため素描コレクションは、一般の鑑賞者にはルーヴルの絵画や彫刻ほど知られていない。本全集は、こうした普段目にする機会の少ない作品を大判の図版によって紹介し、西洋美術史を完成した絵画ではなく描く行為から読み直そうとするものである。
本書の内容
1.ルネサンスと素描の確立
第1巻では、中世末期からルネサンスに至る素描の発展が扱われる。この時代に素描は、単なる作業上の下書きから、芸術家の知的構想を記録する重要な媒体へと変化していった。特にイタリア・ルネサンスではディゼーニョという概念が成立し、素描は線を引く技術であると同時に、芸術家が頭の中に抱いた理念を形にする行為と考えられるようになった。レオナルド・ダ・ヴィンチは、その典型である。人物、身体、衣服、自然などを観察しながら、線を通して対象の構造を理解しようとした。素描はレオナルドにとって絵画の準備だけではなく、世界を研究する方法であった。ラファエロやミケランジェロなどの素描になると、人体の動き、構図、量感などが紙の上で徹底して検討される。完成したフレスコ画や祭壇画からは消えてしまった芸術家の試行錯誤を、素描では直接見ることができる。

ルーブル美術館所蔵
2.完成作品では見えない芸術家の思考
本全集を貫いている重要な視点は、素描を単なる完成作品の準備段階として扱わないことである。例えば完成された絵画を見ると、構図は最初から決まっていたように感じられる。しかし関連する素描を見ると、人物の位置が何度も変更され、腕や脚の角度が検討され、時には最初の構想が放棄されている。素描とは画家が考えていた時間が残された資料である。一本の線が消され、その上に別の線が描かれている場合、その痕跡自体が画家の判断の記録となる。本全集では、こうした紙の表面に残された思考の痕跡を見ることが、素描鑑賞の重要な楽しみとして示される。
3.バロックの運動と光
17世紀になると、ルネサンス的な均衡とは異なる、激しい動きと感情が素描にも現れる。ルーベンスでは人物の身体が強烈な運動感を持ち、レンブラントでは少ない線によって人物の心理や空間の光が表現される。クロード・ロランやプッサンなどでは、風景や構図を考えるための素描が重要な役割を果たす。この時代の素描を見ると、画家によって線の意味が全く異なることが分かる。形を正確に定義するための線もあれば、運動を捉える線、光を示す線、感情を表す線もある。素描は画家の個性が最も直接的に現れる媒体となっていく。
4.18世紀素描を楽しむ時代
18世紀には、素描の独立した美術作品としての魅力が更に強くなる。ヴァトー、ブーシェ、フラゴナールなどの作品では、人物の何気ない姿勢、衣服の動き、女性の身体、風景などが自由な線によって捉えられる。特にヴァトーの三色チョークによる人物研究では、赤、黒、白のチョークが組み合わされ、素描でありながら豊かな色彩感覚と肉体感が生まれる。フラゴナールでは線は更に素早く自由になり、正確な輪郭を描くことよりも、瞬間的な印象や運動を捕らえることが重要になる。ここでは下絵と独立作品の境界が曖昧になる。画家自身が線を引く行為を楽しみ、鑑賞者もまたその線の自由さを楽しむという、近代的な素描観が形成されていく。
5.19世紀、アングルから印象派へ
19世紀になると素描表現は急速に多様化する。アングルにとって線は、対象の形態を正確かつ美しく捉えるための基本であった。肖像素描では、わずかな輪郭線によって人物の顔貌、衣服、社会的性格までも描き分けている。これに対してドラクロワでは、線は運動と情熱を捉えるために使われる。二人の素描を比較すると、19世紀フランス美術を代表する古典主義とロマン主義の違いが、油彩画以上に直接的に理解できる。更にミレー、ドーミエ、マネ、ドガなどへ進むにつれ、農民、都市生活、舞台、踊り子、競馬など、現代生活が素描の対象となっていく。ドガにとって素描は、身体の運動を分析する方法であった。同じ姿勢を繰り返し描くことで、目に見える一瞬の背後にある身体の構造を捉えようとした。
6.素描から見る近代美術の誕生
19世紀後半になると、素描は完成した油彩画を準備するという従来の役割から解放されていく。画家は紙の上で、線、面、明暗、空間を自由に実験するようになる。紙は完成作品を作る前の場所ではなく、新しい造形言語を試す場所となった。この変化を見ることによって、印象派から20世紀美術へ進む近代美術の流れが理解できる。素描史とは、実は画家が何を描いたかの歴史であるだけでなく、見るとは何か、線とは何か、形とは何かを問い続けた歴史である。
7.20世紀素描の概念が変わる
第5巻では20世紀美術が扱われ、ピカソ、ジャコメッティ、クプカをはじめとする近代美術家の紙作品へと展開する。20世紀になると、素描は必ずしも現実の対象を正確に写すものではなくなる。ピカソでは一本の線が人物や物体を再構成し、クプカでは素描と色彩によって抽象的なリズムが研究される。ジャコメッティでは線が何度も重ねられ、人間の存在を探るような表現へ変化する。この段階になると、素描とは何かという定義自体が揺らいでくる。鉛筆や木炭だけでなく、水彩、グアッシュ、パステルなど様々な素材が使われ、紙の上で行われる造形的実験全体が素描の領域へ広がっていく。
8.素描を通して見る西洋美術史
全5巻の最大の特色は、約750点もの作品を14世紀から20世紀まで連続して見ることによって、西洋美術史を紙の上の歴史として読み直せる。通常の西洋美術全集では、レオナルド、ラファエロ、レンブラント、アングル、ドガ、ピカソなどの代表的な油彩画が中心となる。しかし本全集では、彼らが作品を完成させる以前、あるいは完成作品とは無関係に紙へ向かっていた瞬間を見ることができる。そこでは巨匠も最初から完成された答えを持っていた訳ではない。迷い、描き直し、観察し、失敗し、新しい線を発見している。その意味で本全集の750点は名画の裏側を紹介する資料ではない。むしろ芸術が生まれる最初の場所を集めた、もう一つの西洋美術全集である。
9.大判図版だから分かる楽しみ
本全集が35センチを超える大型判で制作されたことにも重要な意味がある。素描では、描かれた人物や風景だけを見ても十分ではない。鉛筆やチョークの圧力、線の濃淡、紙の色、擦れ、描き直し、余白、紙面に残された手の動きを見る必要がある。油彩画では絵具の色彩や画面全体の構成が鑑賞の中心となりやすいが、素描では一本の線が鑑賞対象となる。大判の高精細な図版を通して紙面に近づくことによって、鑑賞者は画家の手がどの方向へ動き、どこで止まり、どこで迷ったのかまで想像することができる。そこに本全集ならではの素描を見る楽しみがある。
本書が言いたかったこと
西洋美術の本当の歴史は完成した名画だけでは理解できない。美術館に並ぶ完成作品を見ていると、レオナルドもレンブラントもドガもピカソも、最初から完成形を知っていた天才のように見える。しかし素描を見ると、その印象は変わる。巨匠たちも紙の上で迷い、観察し、線を引き直し、失敗しながら形を探していた。そこには完成作品には残らない考えている芸術家がいる。そして素描の面白さは、必ずしも完成作品との関係だけにあるのではない。一枚の紙と一本の線だけでも、優れた芸術家は人間の身体、光、空間、感情、更には存在そのものまで表現することができる。14世紀から20世紀まで約六百年の素描を並べることで、本全集は線が西洋美術の根底にあり続けたことを明らかにしている。様式も主題も技法も変化したが、目で見て、手を動かし、紙の上に何かを出現させるという行為は変わらなかった。本全集は単なるルーヴルの名品集ではない。それは西洋美術600年を、完成した作品からではなく、芸術家の眼、手、思考が最も直接的に残された素描から読み直すための、もう一つの西洋美術史である。
