生命の境界

Life on the Edge
The Coming of Age of Quantum Biology
2014年刊
Johnjoe McFadden and Jim Al-Khalili著

著者の経歴

ジョンジョー・マクファデンはアイルランド生まれのイギリスの分子遺伝学者であり、サリー大学教授として結核や髄膜炎の分子診断法の研究を行ってきた。また、生命現象における量子効果の役割を探究する量子生物学の先駆者の一人として知られている。生命の進化や意識の形成に量子力学が関与している可能性を早くから提唱し、学術界に大きな議論を巻き起こした。

ジム・アル=カリーリはイラク生まれのイギリスの理論物理学者である。同じくサリー大学教授として量子力学や原子核物理学を専門としている。テレビやラジオを通じた科学普及活動でも世界的に知られる。本書ではマクファデンの生物学的知見とアル=カリーリの量子物理学的知見が融合し、新しい学際分野である量子生物学を体系的に紹介している。

本書の内容

1.生命は古典物理学だけでは説明できない

20世紀の生物学はDNA、進化、分子生物学によって大きく発展したが、それでもなお生命はなぜこれほど効率的なのかという疑問は残されていた。本書は、その失われた最後のピースが量子力学である可能性を提示する。著者たちは、生物は単なる化学反応の集合ではなく、量子世界の奇妙な現象を巧みに利用している存在である。

2.光合成と量子コヒーレンス

植物の光合成は、太陽光エネルギーをほぼ100%に近い効率で反応中心へ運ぶことで知られている。本書では、その秘密が量子コヒーレンスにあると説明される。光エネルギーを運ぶ励起電子は、古典的な粒子のように一つの経路を進むのではなく、複数の経路を同時に探索し、最適な経路を瞬時に選択する。この量子的な並列探索が驚異的な効率を実現している。

3.渡り鳥の磁気コンパス

毎年数千キロを飛行する渡り鳥が地球磁場を感知できる理由も、量子力学によって説明できる可能性がある。鳥の網膜内で生成される電子対が量子的な絡み合い状態を維持し、その状態が地球磁場によって変化することで方向感覚を生み出しているという仮説である。これは量子もつれが生物機能に利用されている代表例として紹介される。

4.嗅覚と量子トンネル効果

人間が匂いを識別する仕組についても、本書は従来説とは異なる可能性を提示する。分子の形状だけで匂いを判別するのではなく、分子振動の周波数を電子の量子トンネル効果によって読み取っているという振動理論である。もしこれが正しければ、人間の嗅覚が量子センサーとして機能していることになる。

5.酵素反応と量子トンネリング

生命活動を支える酵素反応は驚くほど高速かつ高効率で進行する。その理由として著者らは、電子や陽子がエネルギー障壁をすり抜ける量子トンネリングを利用していると説明する。通常の化学反応では越えられない壁を、量子粒子がすり抜けることで生命反応は実現している。

6.DNA突然変異と進化への影響

著者は、DNA複製時に起こる突然変異の一部にも量子トンネル効果が関与している可能性を指摘する。もしそうであれば、進化そのものが量子現象によって部分的に方向づけられている可能性がある。進化は単なる偶然だけではなく、量子力学的揺らぎの影響を受けているかもしれない。

7.生命とは何かへの新しい答え

本書の最終的な問いは、量子生物学ではなく生命とは何かである。著者は生命を、熱雑音に満ちた環境の中で極めて繊細な量子状態を利用することで成立している存在として捉える。生命は古典世界と量子世界の境界(エッジ)上に存在していると結論づける。

本書が言いたかったこと

生命は単なる化学反応の集合体ではなく、量子力学という宇宙の最も基本的な法則を積極的に利用する高度なシステムである。量子現象は原子や素粒子の世界だけに閉じ込められたものではなく、植物、動物、人間の体内でも日常的に働いている可能性がある。生命の本質を理解するためには、生物学と物理学を分離して考える時代は終わり、両者を統合した新しい科学が必要である。量子生物学は、その新しい科学革命の出発点である。

未来の輪郭