Tristes Tropiques
1955年刊
Claude Lévi-Strauss著
レヴィ=ストロースの経歴
レヴィ=ストロースは1908年、ベルギー生まれのフランス人であり、構造主義人類学の創始者として世界的に知られる。若い頃は哲学を学んだが、1930年代にブラジルへ赴任し、アマゾン奥地の先住民族調査を行った。この体験が彼の思想形成を決定づける。第二次世界大戦中はナチス迫害を逃れてアメリカへ亡命し、帰国後、人類学・神話研究を通じて人間文化の深層構造を探究した。代表作には親族の基本構造、神話論理などがある。悲しき熱帯は、ブラジル探検の記録を軸としながら、近代文明批判、人類文化論、人間存在への深い省察を展開する書物であり、20世紀思想史を代表する名著の一つである。
悲しき熱帯の内容
本書は有名な一文から始まる。私は旅と探検家が嫌いだ。旅行記でありながら、この逆説的書き出しによって始まる点に、本書の特異性が象徴されている。レヴィ=ストロースは、近代社会が異文化を消費対象として眺める観光的視線に強い違和感を抱いていた。彼にとって旅とはロマンではなく、文明が未開世界を破壊していく現場を見る行為だった。
物語は、1930年代のブラジル調査を中心に進む。彼はサンパウロ大学教授としてブラジルへ赴任し、その後、アマゾン奥地の先住民族社会へ分け入っていく。そこで彼は、カドゥヴェオ族、ボロロ族、ナンビクワラ族など、多様な先住民族と接触する。しかし本書は単なる民族記録ではない。レヴィ=ストロースは、文明とは何か、未開とは何かという問いを根本から問い直していく。彼はまず、西洋文明が自分たちこそ進歩した文明だと信じていることに疑問を投げかける。ヨーロッパ人は先住民族を未開と呼ぶ。しかし実際には、西洋文明こそ大量破壊、植民地主義、戦争、自然破壊を引き起こしているのではないか。彼はそう問いかける。特に印象的なのは、先住民族社会の静かな秩序への観察である。ナンビクワラ族などは、西洋的意味での国家、巨大都市、貨幣経済を持たない。しかし彼らには独自の社会秩序、贈与、親族関係、神話体系が存在していた。文明は西洋近代だけを意味しない。
本書では、文字の問題も重要なテーマとなる。西洋文明は文字を進歩の象徴と考える。しかしレヴィ=ストロースは、文字の歴史をたどると、それはしばしば支配・徴税・国家管理と結びついていたと指摘する。文字文明は、単純に自由や進歩を意味するわけではない。
本書全体には、失われゆく世界への悲しみが流れている。彼が出会った先住民族社会は、既に西洋文明侵入によって崩壊し始めていた。道路建設、商業、宣教師、行政機構によって、長い時間をかけて形成された文化が急速に消滅していく。ここで本書タイトル悲しき熱帯の意味が浮かび上がる。それは単に熱帯風景が悲しいのではない。人類が、多様な文明や文化を自ら破壊していくことへの深い悲しみである。
本書では、レヴィ=ストロース自身の内面的孤独も描かれる。彼はヨーロッパ文明にも完全には属せず、かといって先住民族社会へ同化できるわけでもない。彼は常に境界に立つ観察者として存在している。そのため本書は民族誌であると同時に、文明から疎外された知識人の精神史でもある。後半では、人類文化全体への巨大な視野が展開される。レヴィ=ストロースは、人類文化の違いを単なる優劣としてではなく、多様な構造の差異として捉えようとする。神話、婚姻制度、食文化、儀礼など、一見異なる文化にも深層構造が存在しているという視点は、後の構造主義思想へつながっていく。本書全体には、人類とは何かを静かに問い続ける深い哲学的思索が流れている。
悲しき熱帯が言いたかったこと
悲しき熱帯でレヴィ=ストロースが伝えたかったことは、文明に優劣はなく、人類文化は本来多様であるということである。近代西洋文明は、自らを進歩した文明と考え、他文明を未開として支配してきた。しかしレヴィ=ストロースは、その価値観を疑った。物質的発展だけが文明ではなく、それぞれの文化には独自の知恵と秩序が存在する。
本書は、近代文明は世界を均質化し、多様性を破壊しているという深い危機感に貫かれている。先住民族社会は単なる過去の遺物ではない。それは、人類が持ち得た別の生き方の可能性だった。しかし近代化は、それらを急速に消し去っていく。レヴィ=ストロースはそこに、人類文明全体の悲劇を見ていた。
本書は、人間は自分の文明を絶対視してはならないと語っている。異文化を理解するとは、相手を自分より遅れた存在として見ることではない。むしろ、自分自身の文明を相対化し、人類全体をより広い視野から見直すことである。悲しき熱帯は単なる旅行記ではない。それは、文明とは何か、人類はどこへ向かうのかを問い続ける、20世紀最大級の文明批評書である。
