知恵の七柱

Seven Pillars of Wisdom
A Triumph
1926年刊
T. E. Lawrence著

目次

T・E・ロレンスの経歴

トーマス・エドワード・ロレンスは1888年、英国ウェールズに生まれた。オックスフォード大学で歴史を学んだ。卒業後は中東に渡り、考古学者として現在のシリアなどで発掘調査に従事した。この経験によってアラビアの地理、文化、言語、人間関係に精通したことが、後の軍事活動の基礎となった。第一次世界大戦が始まると英国陸軍情報部に入り、カイロで情報分析に従事する。1916年、オスマン帝国に対してアラブ人が蜂起すると、英国は反乱勢力を支援し、ロレンスはアラブ軍との連絡将校として派遣された。ロレンスはファイサル王子らと行動を共にし、正規軍同士の大規模な戦闘を避け、鉄道、橋梁、補給線を攻撃するゲリラ戦を展開した。特に1917年のアカバ攻略は彼の名を高め、1918年にはアラブ軍とともにダマスカスへ入った。しかし戦争が終わると、英国とフランスはアラブ人に約束された独立よりも自国の中東権益を優先した。ロレンスは、自らがアラブ独立のために戦いながら、同時に大英帝国の軍人として彼らを利用する矛盾に苦しむ。戦後は英雄として有名になることを嫌い、名前を変えて英国空軍に一兵士として勤務した。1935年、オートバイ事故により46歳で死去した。考古学者、軍人、外交的工作者、作家という複数の顔を持ち、自ら作り上げた英雄像に苦しんだ。

知恵の七柱の内容

知恵の七柱は、第一次世界大戦中の1916年から1918年にかけて起きたアラブ反乱に英国軍人として参加したT・E・ロレンスが、自らの体験を文学的に再構成した録である。単なる戦記ではなく、アラブ民族、砂漠、帝国主義、戦争、そして自分自身について考察した自伝的文学でもあり、デヴィッド・リーン監督の映画アラビアのロレンスの主要な原典となった。

1.アラブ反乱への参加

物語の中心となるのは、オスマン帝国支配下にあったアラブ地域で1916年に始まったアラブ反乱である。英国はオスマン帝国を内部から弱体化させるため反乱を支援し、ロレンスはアラブ側との連絡役となる。ロレンスはファイサル王子と出会い、彼の指導力と政治的能力を高く評価する。そして英国軍の通常戦とは異なり、広大な砂漠を武器として利用する戦いを構想する。都市や領土を恒久的に占領するより、敵の交通・補給網を断ち、オスマン軍を広い地域に分散させる方が有効だと考えた。

2.砂漠という戦場

本書で最も印象的なのは砂漠の描写である。砂漠は単なる背景ではなく、ほとんど一人の登場人物のように描かれている。灼熱、渇き、夜の寒さ、果てしない距離が人間の肉体と精神を試す。ロレンスはベドウィンと生活し、彼らの部族社会、誇り、宗教、忠誠心、対立を観察する。アラブ軍は近代的な統一軍ではなく、それぞれ異なる利害を持つ部族の集合体であった。そのためロレンスの仕事は軍事指揮だけではなく、部族間の調整や資金の配分、説得、政治工作にまで及んだ。

3.アカバ攻略

大きな転機となるのが紅海北端の港湾都市アカバの攻略である。海側から攻撃することが困難な要塞に対し、ロレンスたちはオスマン軍がほとんど想定していなかった砂漠側から接近する。過酷な砂漠横断を経てアラブ軍はアカバを攻略する。この成功によって反乱軍は重要な補給港を獲得し、英国軍から本格的な物資支援を受けられるようになる。ロレンス自身も単なる連絡将校から、アラブ反乱を象徴する存在へ変化していく。

4.鉄道破壊とゲリラ戦

アカバ攻略後、ロレンスはヒジャーズ鉄道に対する破壊工作を本格化させる。線路や橋を爆破し、列車を襲撃することで、オスマン軍の補給と移動を妨害した。ここにはロレンス独自の戦争観が示されている。敵軍を完全に撃破する必要はなく、敵が必要とする交通網や補給網を絶えず脅かせばよい。広大な領土を守ろうとするオスマン軍に対し、アラブ軍は自由に移動し、攻撃地点を選択できる。この発想は後世のゲリラ戦・非対称戦争の理論にも通じるものとして注目されている。

5.戦争が変える人間

しかし戦果が拡大するにつれて、ロレンス自身の精神も変化していく。殺人、処刑、復讐、残虐行為を繰り返し目撃し、自らも暴力に加わることで、当初の理想主義は次第に失われていく。本書の重要な特徴は、ロレンスが自分を単純な英雄として描いていないことである。勇気と臆病、理想と虚栄、自己犠牲と自己陶酔、アラブへの共感と英国人としての優越意識が同じ人物の中に共存する。戦争が進むにつれて、自分自身が何者なのかという疑問が強くなっていく。

6.アラブ独立という矛盾

更に深刻なのが政治的矛盾である。ロレンスはアラブ人に独立のために戦うことを促していたが、英国とフランスは秘密協定であるサイクス=ピコ協定によって、戦後の中東を勢力圏として分割する構想を持っていた。ロレンスは、アラブ人の独立という理想を信じながら、その理想を完全には実現する意思のない大英帝国のために働いていたことになる。この罪悪感が本書全体を覆っている。

7.ダマスカスと夢の終わり

1918年、アラブ軍は北上し、最終的にダマスカスへ入る。軍事的には勝利である。しかし、ここから政治的敗北が始まる。アラブ人自身による統治を実現しようとしても、部族間の対立、行政能力の不足、英国とフランスの利害が複雑に絡み合う。ロレンスが夢見たアラブ独立は、戦場での勝利だけでは実現できなかった。知恵の七柱は、英雄が敵を倒して終わる通常の戦争物語ではない。勝利したにもかかわらず、自分が何のために戦ったのか分からなくなっていく人間の物語である。

原作と映画の違い

1.戦記から一人の人間の悲劇へ

1962年の映画アラビアのロレンスは知恵の七柱を主要な原典としているが、原作を忠実に映像化した作品ではない。原作にはアラブ社会、部族政治、軍事作戦、地理、文化について膨大な記述があるのに対し、映画はそれらを大胆に整理し、ロレンスという一人の人間の心理的変化を中心に据えている。原作ではロレンス自身が語り手であり、自分の行動を繰り返し分析するため、内面的な葛藤が複雑に描かれる。映画では文章による内省が使えないため、砂漠の風景、表情、沈黙、暴力、衣装の変化などによって心理を視覚化している。映画では人物も大幅に整理・統合されている。オマー・シャリフが演じたシャリーフ・アリは、複数の人物を組み合わせて創作された人物であり、英国側のドライデンも複数の外交官などを統合した性格を持つ。また砂漠で救出されたガシムを後にロレンス自身が処刑するという劇的な構成も、別々の出来事を一つに結び付けた映画的再構成である。政治面にも重要な違いがある。映画ではロレンスがサイクス=ピコ協定の存在を比較的遅く知るように描かれているが、実際のロレンスはかなり早い段階から英国とフランスの戦後構想を認識していた。この変更によって映画ではアラブの理想を信じていた青年が帝国政治の裏切りを知るという悲劇がより明確になっている。更に原作はアラブ反乱全体を詳細に描く巨大な回想録であるのに対し、映画はアカバ攻略、鉄道襲撃、ダマスカス入城など象徴的事件を選び出し、それらをロレンスの人格の変貌を示す節目として配置している。原作が戦争とアラブ世界を内部から記録したロレンス自身の巨大な自己分析であるなら、映画は英雄になった男が自らの英雄像によって破壊されていく悲劇へと再構成された作品である。

映画アラビアのロレンスの見どころ

1.英雄の誕生と崩壊

デヴィッド・リーン監督アラビアのロレンスは、第一次世界大戦下の中東を舞台に、英国軍将校T・E・ロレンスがアラブ反乱に参加し、やがて伝説的英雄となりながら、その英雄像に耐えられなくなっていく過程を描いた作品である。映画冒頭でロレンスはオートバイ事故によって死亡する。その葬儀で人々は彼について様々な評価を語るが、ロレンスとは本当は何者だったのかという答えは示されない。映画全体がその問いに答える巨大な回想として始まる。カイロからアラビアへ派遣されたロレンスはファイサル王子と出会い、アラブ軍とともに砂漠を横断してアカバを陸側から攻略する。成功によって英雄となった彼は、アラブ風の衣装をまとい、自分が歴史を動かす特別な人間であるという意識を強めていく。しかし鉄道襲撃など戦闘を重ねるにつれ、ロレンスの中に暴力への陶酔と自己嫌悪が生まれる。英雄として祭り上げられる一方で、自分自身が何者なのか分からなくなっていく。そしてダマスカス入城によって軍事的勝利を得ながら、アラブ独立という政治的理想が英国とフランスの帝国的利害によって崩れていく現実を見る。この映画最大の見どころは、戦争よりも英雄とはどのように作られるのかを描いている点にある。ピーター・オトゥール演じるロレンスは、勇敢な英雄であると同時に、虚栄心、残虐性、孤独、自己陶酔、罪悪感を抱える極めて矛盾した人物として描かれる。

もう一つの主役は砂漠である。フレディ・ヤングによる70mm撮影は、人間を圧倒する砂漠の巨大さを表現し、地平線の彼方からオマー・シャリフ演じるアリがゆっくり姿を現す場面、灼熱の砂漠横断、アカバへの進撃などは映画史を代表する映像となった。モーリス・ジャールの壮大な音楽も、砂漠の広大さとロレンスの孤独を際立たせている。したがってアラビアのロレンスは単なる歴史スペクタクルではない。大英帝国とアラブ民族主義の衝突を背景に、人間は自分自身が作り上げた神話に耐えられるのかという問題を描いた心理劇である。ロレンスは砂漠を征服したように見えるが、最後には自らが作り上げたアラビアのロレンスという伝説から逃れられなくなる。この英雄神話の誕生と崩壊こそが、映画の最大の魅力である。

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