Landscape and Memory
1995年刊
Simon Schama著
著者の経歴
サイモン・シャーマは1945年、ロンドン生まれの歴史家・文化史家である。ケンブリッジ大学で学び、後に同大学で教鞭を執った後、ハーバード大学やコロンビア大学教授として活躍した。専門はヨーロッパ文化史・思想史・美術史であり、歴史を単なる政治や制度の変遷としてではなく、人間の感情・記憶・象徴体系の歴史として描くことに特徴がある。シャーマの著作は、厳密な史料研究と文学的筆致を兼ね備えており、特に自然・風景・芸術と人間精神との関係を深く考察する点に独自性がある。本書は、その学問的関心が最も壮大な形で結実した著作であり、人類が自然をどのように意味づけしてきたかを文明史的視点から描いた記念碑的作品である。
本書の内容
1.風景は自然ではなく文化である
本書の中心的な主張は、人間が見ている風景とは純粋な自然ではなく、歴史的記憶や神話、宗教、民族意識によって形づくられた文化的産物だという点にある。シャーマは、森・山・川・庭園などを題材に、人類が古代から現代までどのように自然を象徴化してきたかを考察する。彼によれば、人間は自然をそのまま見ているのではない。人はそこに祖先の記憶、国家の神話、宗教的感情、死者の痕跡を重ね合わせている。したがって風景とは、視覚的対象である以前に記憶の容器である。
2.森(文明以前の恐怖と聖域)
シャーマはまず森を論じる。ヨーロッパ文化において森は、古来より恐怖と神聖さの両義性を持つ存在だった。ゲルマン神話や中世キリスト教では、森は野蛮・異教・死の領域として描かれる一方、同時に神秘と再生の空間でもあった。彼は、ドイツ民族主義における森林崇拝を分析する。ドイツ人は森を民族精神の象徴として神話化し、そこに祖国の純粋性を見出した。風景は単なる地理ではなく、民族意識を形成する精神的基盤となった。
また、アメリカの原生林についても論じ、開拓者たちが森林を恐れながらも征服対象として見ていたことを描く。荒野の開拓という神話が、アメリカ国家形成の精神史だった。
3.水と川(文明を映す鏡)
本書では河川や水辺も重要なテーマとして扱われる。川は単なる自然地形ではなく、文明の記憶を運ぶ象徴として描かれる。たとえばライン川はドイツ民族意識の象徴となり、テムズ川は帝国ロンドンの繁栄を映し出す文化的風景となった。シャーマは、水辺には常に記憶と死の感覚が付きまとっていると指摘する。川は流動しながらも歴史を蓄積し、人々の記憶を運び続ける存在だからである。古代神話や絵画、文学作品においても、水は再生・忘却・境界・死を象徴してきた。ここで彼は、風景画や文学作品を多数引用しながら、自然表現の背後にある歴史意識を明らかにしていく。特にロマン主義以降のヨーロッパでは、自然は感情と記憶を投影する精神空間となった。
4.山(崇高さと超越)
山岳についての章では、人間が山をどのように畏怖し、神聖視してきたかが論じられる。古代では山は神々の住処であり、人間を拒絶する超越的存在だった。しかし18世紀以降、アルプスへの関心の高まりとともに、山は崇高美の象徴として再解釈される。シャーマは、ロマン主義絵画や旅行文学を参照しながら、人間が山に自己超越や精神的純化を見出していった過程を描く。自然はもはや単なる対象ではなく、人間精神を映し出す鏡となった。ここではフリードリヒやターナーのような風景画家たちの作品世界とも深く響き合う議論が展開される。彼らの描いた風景は自然描写ではなく、人間の内面や文明不安を象徴する精神風景として理解される。
5.庭園と人工自然
シャーマはまた、人間が自然を管理しようとしてきた歴史にも注目する。ヨーロッパ庭園は、自然を秩序化し、人間理性の支配下に置こうとする文明の欲望を象徴している。フランス式庭園の幾何学的秩序は権力と合理主義を体現し、イギリス風景庭園は逆に自然らしさを人工的に演出した。人間は常に自然を文化的理想へ作り変えてきた。ここで本書は、自然保護思想すら文化的想像力の産物であることを示唆する。人間は自然を愛しているのではなく、意味づけられた自然を愛している。
本書が言いたかったこと
人間は決して純粋な自然を見てはいない。私たちが美しいと感じる森や川や山は、長い歴史の中で形成された神話・宗教・芸術・民族意識・個人的記憶によって意味づけられた風景である。風景とは、自然そのものではなく、人類の精神史の投影である。人間は自然を外側の世界として眺めているのではなく、自らの恐怖、憧憬、死生観、祖国意識を自然の中に映し出している。シャーマは、風景画や文学や歴史資料を通じて、その記憶の層を読み解こうとした。本書は同時に、現代人が自然を単なる観光資源や環境問題として扱うことへの批判でもある。自然とは物理的空間ではなく、人類文明の深層心理と結びついた文化的存在であることを、本書は壮大な歴史的スケールで示した。
