京都 町家の坪庭

京都 町家の坪庭
2006年5月刊
水野克比古著

著者の経歴

水野克比古は1941年、京都市上京区西陣に生まれた写真家である。同志社大学文学部を卒業後、東京綜合写真専門学校研究科で写真を学び、京都の風景、庭園、寺社、建築、伝統文化を中心として本格的な撮影活動を開始した。京都という都市を長期間にわたり定点的に見つめ続け、京都写真の第一人者として独自の分野を築いた写真家である。水野にとって京都は外部から訪れて撮影する観光地ではない。生まれ育った生活空間であり、そのことが彼の写真の大きな特徴となっている。著名な寺院や庭園だけでなく、路地、町家、坪庭、雪、雨、桜、紅葉など、人々の日常生活の中に存在する京都の美を長年撮影してきた。

坪庭

本書の内容

1.坪庭-町家が生み出した小宇宙

本書が対象とするのは、寺院の壮大な庭園ではなく、京都の町家という生活空間の中につくられた小さな庭である。京町家はうなぎの寝床と呼ばれるように、道路に面する間口が狭く、奥行きが長い。こうした建物では、内部まで光や風を届けることが難しい。そこで建物の途中に小さな空地を設け、採光と通風を確保する仕組が発達した。しかし京都の人々は、それを単なる空気孔や採光設備では終わらせなかった。石を置き、木を植え、苔を育て、水鉢や灯籠を配し、限られた空間を一つの庭へと変えた。

坪庭

2.商家の庭-仕事の場に自然を入れる

本書の第一章は商家の庭である。京都では、店舗と住居が一体となった町家が長く都市生活の基本単位となってきた。本書はそうした商家の奥に残された坪庭を撮影している。表通りには商売のための店があり、その奥に居住空間が続く。その途中に坪庭が置かれることで、建物内部へ光と風が入る。しかし、それ以上に重要なのは、坪庭が仕事の世界と私生活との間に心理的な境界をつくることである。忙しい商いの場から奥へ入った時、わずかな庭が目に入る。そこに石があり、苔があり、一木が風に揺れている。それだけで空間の性格が変わる。坪庭は、都市の喧騒から完全に離れることのできない町家において、ほんの数坪の静寂をつくり出す装置である。

坪庭俵屋カフェ

3.料亭・茶寮の庭

第二章は料亭・茶寮の庭である。ここでは住宅とは少し異なり、坪庭が客を迎えるための空間演出として使われる。玄関から座敷へ向かう途中に小庭を見せたり、食事をする部屋の窓越しに坪庭を配置したりすることで、建物の内部にいながら自然を感じさせる。重要なのは、庭全体を一度に見せないことである。格子越しに見る。障子を開けた瞬間に見る。廊下を曲がったところで突然現れる。座敷の低い位置から見る。この見え隠れによって、実際の面積以上の奥行きが生まれる。ここには京都の庭園文化に特徴的な、すべてを見せない美学がある。

坪庭

4.住まいの庭-日常生活の中の自然

本書で個人住宅の庭を考える際に最も重要なのが、住まいの庭である。住宅の坪庭では、来客に見せるための華麗さより、毎日見ても飽きないことが重要になる。朝起きた時に見る。食事をしながら見る。廊下を通る時に見る。夜には室内から照明に浮かぶ木を見る。坪庭は一度鑑賞する庭ではなく、毎日暮らす庭である。そのため、強い装飾性よりも、季節や時間によって少しずつ変化するものが重要になる。新芽が出る。葉が濃くなる。雨に石が濡れる。苔が鮮やかになる。紅葉する。葉が落ちる。庭はほとんど変わらなくても、自然が微妙に変化することで、生活の中に時間の感覚が生まれる。

5.一木一石

坪庭では広い庭以上に、素材の選択が重要になる。大きな庭なら多少多くの石や樹木を置いても空間に吸収される。しかし数坪の庭では、一個の石や一本の木が庭全体の印象を左右する。そこで重要になるのが一木一石という考え方である。美しい石を大量に集めるのではない。その空間に本当に必要な石だけを置く。樹木についても同様で、何種類もの木を植えるのではなく、一本の樹形や葉の変化を生かす。これは禅庭にも通じる考え方である。要素を増やすことによって豊かにするのではなく、要素を減らすことによって一つ一つの存在を強く感じさせる。

6.小さな庭に時間をつくる苔

京都の坪庭を特徴づける重要な要素が苔である。苔には華麗な花も大きな葉もない。しかし石や地面を覆うことによって、庭に静けさと時間の蓄積を感じさせる。雨が降れば緑が鮮やかになり、乾けば色が変化する。古い石と苔が組み合わされると、庭は新しくつくられた人工物ではなく、長い年月を経て自然に生まれた空間のように見えてくる。坪庭では面積が小さいだけに、こうした微妙な質感が大きな意味を持つ。

7.坪庭を完成させる光

非常に重要なのが光である。坪庭は建物に囲まれているため、一日中同じ光が当たる訳ではない。朝のわずかな時間だけ日が差す庭もあれば、ほとんど直射日光が入らず、柔らかな反射光だけで構成される庭もある。そのため石、苔、竹、葉、水などの表情が時間によって変化する。坪庭の美は庭師が完成させるものだけではない。太陽、雲、雨、季節が最後の仕上げを行う。

8.庭を一枚の絵にする窓

坪庭では、庭と同じ位どこから見るかが重要である。室内から庭を見る場合、窓や柱、障子、格子が額縁となる。その枠の中に一本の木、一個の石、水鉢、苔などが配置されることで、庭は一幅の日本画のように見える。坪庭を設計するということは、庭だけを設計することではない。室内にいる人間の視線を設計することである。ここが一般的な屋外庭園と坪庭との大きな違いである。

9.余白

優れた坪庭ほど何もない場所を残している。砂利だけの場所、苔だけの面、土壁の前の空間がある。その余白があるからこそ、一個の石や一本の木が強く見える。水墨画において紙の白い部分が空や水や霧になるのと同様に、坪庭では何も置かれていない場所が空間の広がりを生み出す。狭い庭だからこそ、物を置くことではなく、空間を残すことが重要である。

10.市中山居

市中山居とは、都市の中にいながら、あたかも山中の庵にいるような静寂を得るという思想である。京都の町家は都市の中心部にある。道路には人が行き交い、商売が行われ、建物が密集している。しかし建物の奥へ入り、坪庭に向かうと、そこには苔、石、木、水がある。わずか数坪の庭によって、都市から精神的に離れることができる。これは禅寺の枯山水とも共通する。龍安寺が白砂と十五石によって広大な自然を想像させるように、坪庭も限られた空間によって自然の広がりを感じさせる。

本書が言いたかったこと

坪庭とは小さな庭なのではなく、小さいからこそ成立する高度な空間文化である。京都の町家は、土地の制約から生まれた建築である。間口が狭く奥行きが長いため、光と風を取り入れるための空間が必要になった。しかし京都の人々は、その必要から生まれた小さな空地を、単なる設備として終わらせず、美しい庭へと変えた。ここに日本文化の一つの特徴がある。不利な条件を克服するだけではなく、その制約を美へと転換する。坪庭には大きな池も、壮大な滝も、巨大な樹木も必要ない。一個の石、一本の木、わずかな苔、水鉢、そして余白があればよい。その代わり、一つ一つの要素が慎重に選ばれ、室内からの視線、光の入り方、雨、風、季節の変化までが庭の一部として考えられる。したがって坪庭は、自然を所有する庭ではない。自然のごく小さな断片を住まいへ招き入れ、それを通して大きな自然を感じる庭である。

未来の輪郭