負ける建築

負ける建築
2004年3月刊
隈研吾著

隈研吾の経歴

隈研吾は1954年に神奈川県に生まれ、東京大学工学部建築学科を卒業後、同大学大学院建築学専攻を修了した。その後、米国のコロンビア大学建築・都市計画学科の客員研究員を務め、帰国後に隈研吾建築都市設計事務所を設立した。2009年からは東京大学大学院教授を務め、日本を代表する建築家として世界各地で設計活動を行っている。彼の建築思想の特徴は、巨大で記念碑的な建築を否定し、木、石、竹、土といった自然素材を用いながら、その土地の風景や歴史、人々の生活に溶け込む建築を目指す点にある。その思想を最も鮮明に理論化した著作が本書である。

隈研吾

本書の内容

1.二十世紀を支配した勝つ建築

隈はまず近代建築を勝つ建築と規定する。高層ビルや巨大公共建築、郊外の均質な住宅地などは、周囲の環境を圧倒し、人間の力を誇示するための建築であった。建築は高く、大きく、目立つことを競い、都市の中で優位性を示す象徴として存在してきた。こうした建築は国家権力や資本主義経済と結びつき、人間の所有欲や支配欲を視覚的な形として表現してきた。近代建築の歴史とは、言い換えればいかに勝つかを追求してきた歴史であった。

2.阪神大震災と9・11が示したもの

しかし著者は、1995年の阪神・淡路大震災や2001年のアメリカ同時多発テロによって、強さを誇った建築の脆弱性が露呈したと指摘する。巨大で永遠に存在すると思われていた建築物は、一瞬の災害や暴力によって容易に破壊された。建築が強さを誇示すればするほど、それは攻撃や破壊の対象となり、逆にその弱さをさらけ出してしまう。著者は、この歴史的転換点によって20世紀的な建築観は終焉を迎えたと考える。

3.負ける建築という逆転の発想

そこで隈が提案するのが負ける建築である。ここでいう負けるとは、諦めや敗北主義を意味しない。自然や環境、時間、人々の生活と対立するのではなく、それらに身を委ね、受け入れる姿勢を意味している。風が吹けば揺れ、光が変われば表情を変え、周囲の景観に溶け込む建築こそが、新しい時代の建築である。それは巨大なオブジェとして自己主張する建築ではなく、風景の一部となる建築であり、人間よりも場所を主役にする建築である。

4.素材への回帰

隈は、鉄やガラスやコンクリートによる均質な建築から離れ、木材、竹、石、和紙など地域固有の素材に注目する。自然素材は工業製品のような完全な均質性を持たず、時間とともに変化し、劣化し、やがて自然へと戻っていく。その不完全さこそが環境との調和を可能にする。建築は永遠性を目指すべきではなく、変化し続ける自然の循環の一部として存在すべきである。

5.建築を物体から関係へ

本書において最も重要な転換は、建築を単なる物体として捉える発想からの脱却である。建築の価値は形ではなく、人と人、人と自然、人と地域社会を結びつける関係性の中に存在する。したがって建築家の役割も、目立つ造形物を設計することではなく、人間と環境との関係を調整する媒介者へと変わる。

6.二十一世紀の建築への展望

著者は21世紀の建築を、支配や征服の象徴ではなく、共存と受容の技術として位置付ける。建築は都市に対して勝つ必要はなく、自然に勝つ必要もない。むしろ建築は弱く、柔らかく、曖昧であることによって初めて持続可能な社会に貢献できる。この思想は後の隈作品における木材利用や地域性重視の設計思想へと発展していった。

本書が言いたかったこと

20世紀の建築を支えてきた強さ支配永遠性という価値観から離れ、人間も建築も自然の一部として生きるべきである。建築は都市や自然に勝つために存在するのではなく、それらと共存するために存在する。目立つことや所有することを目的とするのではなく、周囲との関係を豊かにする存在へと変わるべきである。負けるとは敗北ではなく、環境に身を委ねることで初めて得られる新しい強さである。

未来の輪郭