ジョン・ミヤシャイマーの著作

目次

ミヤシャイマーの経歴と著作

ジョン・J・ミヤシャイマー(John J. Mearsheimer, 1947–)は、シカゴ大学の国際政治学者である。国際政治における攻撃的リアリズム(offensive realism)を体系化した代表的研究者である。陸軍士官学校ウェストポイントを卒業後、米空軍士官を経てコーネル大学で博士号を取得し、1982年からシカゴ大学で教えてきた。著作は、初期の軍事戦略研究から、大国間競争、イスラエルと米国外交、政治指導者の虚偽、リベラル国際秩序批判、国家の合理性へと発展している。ミヤシャイマーの著作全体を貫く思想は、国際政治を善悪や理念だけで理解してはならない。国家は究極的には自らの生存を守るため、力と安全保障を追求するというリアリズムである。そのため彼の議論は、米国外交を正当化する議論とも、ロシア・中国・イスラエルなどを単純に善悪で評価する議論とも距離を置く。この点が、現在の国際情勢を分析する際に彼が頻繁に参照される理由である。

大国政治の悲劇

The Tragedy of Great Power Politics
2001年刊
John J. Mearsheimer著

1.国際政治の悲劇

本書の出発点は、国家の指導者が好戦的だから戦争が起こる、あるいは独裁国家だから侵略する、という説明ではない。ミヤシャイマーが問題にするのは、個々の指導者の性格よりも国際社会そのものの構造である。国内社会には政府、警察、裁判所が存在し、最終的に秩序を強制する主体がある。しかし国際社会には国家の上に立って各国を確実に守る世界政府が存在しない。国際政治学ではこれをアナーキーと呼ぶ。ここでいうアナーキーとは無秩序という意味ではなく、国家より上位に最終的な権力主体が存在しないという意味である。この構造こそが大国政治の悲劇を生み出す。ある国家が純粋に自衛目的で軍備を増強したとしても、隣国には本当に自衛だけが目的なのか判断できない。そのため隣国も軍備を増強する。すると最初の国家は更に不安を感じて軍備を強化する。双方が安全を求めているにもかかわらず、結果として双方が以前より危険な状態に置かれる。

2.攻撃的リアリズム

ミヤシャイマーは、この世界観を攻撃的リアリズムと呼ぶ。本書によれば、大国間の政治を考えるためには五つの基本的前提が重要になる。第一に、国際システムはアナーキーである。第二に、大国は互いを攻撃できる軍事能力を持っている。第三に、国家は他国の将来の意図を完全には知ることができない。第四に、国家にとって最優先の目標は生存である。第五に、国家は合理的主体として、自国が生き残るための戦略を考える。この五つが同時に存在すると、大国は他国を全面的に信用することができなくなる。その結果、国家は自国を守ってくれるのは最終的には自国だけであるという自己救済の原則に従うようになる。ここからミヤシャイマーは、国家は単に一定量の軍事力を持てば安心する訳ではないと考える。安全保障をより確実にする最良の方法は、潜在的な敵国より強くなることである。したがって大国には、自国の相対的な力を最大化しようとする構造的圧力が働くのである。

3.防御的リアリズムとの違い

この点でミヤシャイマーは、ケネス・ウォルツなどの防御的リアリズムと重要な違いを持つ。防御的リアリズムでは、国家は生存に必要な程度の力を確保すればよく、過度の膨張は他国による対抗同盟を招くため、かえって安全を損なうと考える。これに対してミヤシャイマーは、どれだけ力を持てば十分に安全なのかを国家は事前に知ることができないと考える。今日友好的な大国が30年後にも友好的である保証はない。そのため、機会があるなら国家はより多くの相対的権力を獲得しようとする。ここに攻撃的という言葉の意味がある。国家が本質的に邪悪だから攻撃的なのではない。安全を最大化しようと合理的に行動することが、国家を権力拡大へと向かわせる。

4.覇権こそ究極の安全

それでは国家はどこまで強くなろうとするのか。ミヤシャイマーの答えは覇権である。他国が自国を脅かすことのできない圧倒的な地位を確保できれば、その国家の生存は最も安全になる。そのため大国は、可能であれば覇権国になろうとする。しかし世界全体を支配する世界覇権は極めて困難である。ここで重要になるのが、ミヤシャイマーの有名な水の阻止力という考え方である。巨大な海洋を越えて軍事力を投入し、遠隔地の大国を征服・占領することは極めて難しい。したがって現実的な大国の最高目標は世界征服ではなく、自国が属する地域における地域覇権となる。

5.米国という成功例

ミヤシャイマーが地域覇権を達成した典型が米国である。米国は19世紀を通じて西半球で勢力を拡大し、欧州列強を西半球から遠ざけ、最終的に西半球において他の大国から深刻な軍事的挑戦を受けにくい地位を確立した。ここから米国外交の興味深い特徴が導かれる。米国は自らは西半球の地域覇権国であり続けようとする一方、欧州や東アジアに別の地域覇権国が出現することを阻止しようとする。なぜなら、米国にとって最も危険なのは、自国と同様の圧倒的支配力を別の地域で持つ国家が出現することだからである。この観点から見ると、20世紀の米国がナチス・ドイツ、大日本帝国、ソ連などの勢力拡大を阻止しようとした行動には、一つの共通した戦略論理が見えてくる。米国は必ずしも世界を直接支配しようとしているのではなく、他地域に自国の競争相手となる覇権国を誕生させないことを重視する。本書は英国と米国を代表的なオフショア・バランサーとして分析している。

6.陸軍力の優位

ミヤシャイマーは軍事力についても独特の議論を展開する。それが、陸上戦力の優位である。海軍力や航空力は重要であるが、最終的に領土を占領し、敵国を打倒し、政治的支配を確立する中心的能力は陸軍にある。そのため大国の軍事力を評価する場合、単純な国防費や兵器数だけを見るのではなく、陸上戦争を遂行できる能力を見る必要がある。一方、核兵器は大国間戦争の計算を大きく変える。核抑止は全面戦争の危険を高めるため、大国間の直接戦争を抑制する。しかし核兵器が存在しても安全保障競争がなくなる訳ではない。通常戦力、同盟、経済力、地政学的位置をめぐる競争は継続する。

7.富と軍事力

本書では経済力も重要な位置を占める。ミヤシャイマーは国家の潜在的権力と軍事的権力を区別する。潜在的権力の主要な基盤は人口と富である。巨大な人口と強力な経済を持つ国家は、それを軍事力へ転換することができる。そのためGDPが軍事力ではないが、長期的な大国間競争では経済規模が極めて重要になる。本書ではこの問題にWealth and Powerという一章が割かれている。この考え方は中国を見る際に特に重要である。中国の経済成長が重要なのは、単に中国国民が豊かになるからではない。巨大な経済力が軍事力、技術力、外交力へ転換されれば、東アジアの力の分布が変化するからである。

8.バランシングと責任転嫁

強大な国家が出現した場合、周辺国家には大きく二つの選択肢がある。一つは自ら軍備を増強したり同盟を形成したりして脅威に対抗するバランシングである。もう一つは、自国が直接対抗するのではなく、別の国家にその役割を負わせようとするバック・パッシングである。ミヤシャイマーは後者を非常に重視する。国家は可能であれば、強大な敵と戦う負担を他国に負わせ、自国の国力を温存したい。したがって同盟は必ずしも永続的な友情ではない。共通の脅威が存在するから協力しているのであり、力関係や脅威が変化すれば同盟関係も変化する。この冷徹な同盟観もミヤシャイマーのリアリズムを特徴づけている。

9.多極世界の危険

本書のもう一つの重要な主張が、国際システムにおける極の数と戦争との関係である。ミヤシャイマーは、二つの超大国が向き合う二極体制より、複数の大国が存在する多極体制の方が一般的に戦争の危険が高いと考える。とりわけ多極体制の中に、他国より突出して強力で地域覇権を狙える潜在的覇権国が存在する場合が最も危険である。国家の数が増えれば、誰が誰を抑止するのか、誰が脅威なのか、誰が戦争の負担を引き受けるのかについて誤算が生じやすくなる。したがって本書において戦争は単なる指導者の失敗ではない。国際システムの力の分布によって、戦争が起こりやすい構造と起こりにくい構造が存在する。

10.中国台頭への予言

本書が今日まで大きな注目を集める最大の理由の一つが中国論である。ミヤシャイマーは、中国が経済成長を続けて巨大な軍事力を持つようになれば、米国と中国が友好的な大国として共存し続ける可能性には悲観的である。2001年の初版時点から、台頭する中国と米国の安全保障競争が激化する可能性を論じており、2014年の改訂版では最終章を中国問題を更に正面から扱った。その論理は単純である。もしミヤシャイマーが中国の指導者であれば、中国を東アジアで圧倒的に強い国家にし、米軍の影響力を可能な限り遠ざけようと考えるだろう。それは米国が19世紀以降、西半球で行ったことと基本的に同じだからである。しかし米国側から見れば、それを認める理由はない。米国は自国以外の地域覇権国の出現を阻止するという、それまでの大戦略に従って中国を封じ込めようとする。その結果、米中対立は習近平個人や共産主義というイデオロギーから生まれるのではなく、既存の地域覇権国である米国と、地域覇権を目指すほど強大になった中国との構造的対立になる。

11.なぜ悲劇なのか

本書の題名にある悲劇という言葉こそ、ミヤシャイマーの思想を最もよく表している。彼は戦争を礼賛している訳でも、大国は侵略すべきだと主張している訳でもない。むしろ逆である。問題は、平和を望む合理的な国家でさえ、相手国の将来の意図を完全には知ることができず、自国の生存を他国の善意に委ねることができない点にある。A国が安全を確保するために軍備を増強すると、B国は危険を感じる。B国が対抗して軍備を増強すれば、今度はA国が更に危険を感じる。どちらも戦争を望んでいなくても、安全保障競争が発生する。したがって大国政治の本質的問題は、単純な善い国家対悪い国家ではない。安全を求める国家同士が、その安全を確保しようとする行動によって互いを不安にし、最終的には軍拡、覇権競争、同盟形成、更には戦争へ追い込まれる可能性があること自体が悲劇なのである。これが大国政治の悲劇を貫く中心思想である。冷戦後に広がった民主主義と経済的相互依存が進めば大国間戦争は過去のものになるという楽観論に対し、ミヤシャイマーは、大国間の力の政治は終わらないと主張した。そして本書の最も重要な結論は、国家が安全を求めることと国際社会が平和になることは同じではないということである。各国が自国の生存を合理的に追求した結果、全体としては軍拡と対立が強まり、誰も望まなかった戦争へ向かう可能性がある。この逆説こそ、ミヤシャイマーが大国政治の悲劇と呼んだものである。

イスラエル・ロビーと米国外交政策

The Israel Lobby and U.S. Foreign Policy
2007年刊
John J. Mearsheimer/Stephen M. Walt著

本書はシカゴ大学の国際政治学者ジョン・J・ミヤシャイマーと、ハーバード大学の国際政治学者スティーヴン・M・ウォルトによる共著である。全体は大きく二部に分かれ、前半で米国とイスラエルの特別な関係とイスラエル・ロビーの構造を分析し、後半でパレスチナ、イラク、シリア、イラン、第二次レバノン戦争への影響を具体的に検討している。

1.問題の出発点

本書の中心的な問いは極めて単純である。なぜ米国はイスラエルに対して、これほど長期間にわたり特別な軍事的、経済的、外交的支援を提供してきたのか、という問題である。ミヤシャイマーとウォルトは、米国とイスラエルが緊密な同盟関係を持つこと自体を否定している訳ではない。またイスラエルの存在に反対している訳でもない。彼らが問題にするのは、米国によるイスラエル支持の程度が、通常の国家利益や同盟関係だけでは十分に説明できない点にある。そこで著者は、米国の中東政策を理解するには、国際的な力関係だけではなく、米国内部の政治過程を見る必要があると考える。その中心に置かれるのがイスラエル・ロビーである。

2.イスラエル・ロビーとは何か

本書を理解する上で最も重要なのは、著者がいうイスラエル・ロビーの定義である。これは秘密組織でも、単一の司令塔を持つ組織でもなく、ましてユダヤ人全体を意味するものでもない。著者は、米国の外交政策を親イスラエル方向へ動かそうと積極的に活動する個人や組織の緩やかな連合体として定義している。その中心的存在として本書が詳しく扱うのがAIPAC(American Israel Public Affairs Committee、米国イスラエル公共問題委員会)である。しかしロビーはAIPACだけではない。様々な親イスラエル団体、シンクタンク関係者、政治家、資金提供者、言論人、ネオコン系知識人などが、それぞれ異なる立場からイスラエル支持政策を推進している。更に重要なのは、キリスト教シオニストや福音派キリスト教徒もこの広い意味でのロビーに含まれる。

3.米国は最大の支援者

本書第1章は米国がイスラエルに提供してきた大規模な援助と外交的支援を検討している。著者は、イスラエルが通常の同盟国とは異なる特別な待遇を受けてきたと論じる。軍事・経済援助だけではなく、先端兵器の供与、外交的支援、国際機関における支援などを含め、米国はイスラエルの安全保障を長期間にわたって強力に支えてきた。もちろん、その背景には冷戦、ソ連の中東進出、テロ対策、情報協力などの戦略的理由が存在する。しかし著者は、それだけでは米国の一貫した強い支持を完全には説明できないと考える。

4.イスラエルは戦略的資産なのか

そこで第2章では核心的問題を提起する。冷戦期には、イスラエルは中東における親米勢力としてソ連の影響力を抑制する役割を果たした。この意味では確かに戦略的資産であった。しかし冷戦終結後も同じ説明が成立するのか、と著者は問う。むしろ無条件に近いイスラエル支持によって、米国がアラブ・イスラム世界で反感を招き、中東諸国との外交関係を複雑化させ、テロ組織が反米感情を動員する材料を与える場合もある。著者はイスラエルとの関係を断つべきだと主張するのではない。米国の国益とイスラエルの国益は常に一致する訳ではない以上、通常の同盟国と同じように、利害が一致するときには協力し、一致しない場合には距離を置くべきだというリアリズム的な立場を取る。

5.道徳的理由は十分なのか

第3章では、イスラエルに対する特別な支援を道徳的理由から正当化できるのかを検討する。ホロコーストという歴史、ユダヤ人迫害の歴史、イスラエルが民主主義国家であること、敵対的勢力に囲まれてきたことなどは、イスラエル支持の重要な理由として語られてきた。著者はこれらを無意味だとはしていない。しかし同時に、パレスチナ人の権利、占領地、入植政策、軍事行動などを考慮すれば、道徳的理由によってイスラエル政府の政策をほぼ無条件に支持することはできない。ここでも重要なのは、イスラエルという国家の存在と、個々のイスラエル政府の政策を区別することである。

6.ワシントンをどう動かすのか

本書の中心部分が第4章から第6章である。ここで著者はイスラエル・ロビーが具体的にどのように政治的影響力を行使するのかを分析する。米国政治では議員への働きかけ、選挙資金、政策提言、シンクタンク、専門家ネットワーク、政権内部への人材供給などが外交政策に大きな影響を及ぼす。これはイスラエル問題だけに特有の現象ではない。銃規制、石油、金融、労働組合、環境問題などについても利益団体が政治に影響を与えることは米国民主政治の通常の一部である。しかし著者は、イスラエル問題については親イスラエル勢力が特に高い組織力を発揮してきた。議会に対する働きかけは特に重要である。大統領や国務省がイスラエル政府に圧力を加えようとしても、議会から強い反発が起これば政策遂行は困難になる。このためホワイトハウスがイスラエルに対して持つ軍事援助や外交支援という大きな交渉手段を、十分に利用できなくなる。

7.世論をめぐる競争

著者は政策決定過程だけでなく、メディア、大学、シンクタンクなどを含む公共的言論空間も重視している。著者によれば、イスラエルに批判的な議論が政治的に高いコストを伴う環境が形成されると、政策そのものを自由に検討することが難しくなる。本書の主張が反ユダヤ主義的ではないかとの批判も出た。これに対して著者は、ユダヤ人一般を批判しているのではなく、米国における具体的な利益団体の政治活動を分析しているのであり、ロビー活動を公開の場で検討することは民主政治において正当であると反論した。

8.パレスチナ問題

第7章からは理論的・構造的説明から具体的事例へ移る。最初に取り上げられるのがパレスチナ問題である。著者は、米国がイスラエルとパレスチナの和平仲介者を名乗りながら、実際にはイスラエル側に大きく傾斜してきたと論じる。イスラエル政府に対して入植停止などを求めようとしても、米国内政治の反発を考慮しなければならない。その結果、米国は持っている経済的・外交的影響力を十分に利用できず、和平交渉を効果的に進められなかった。そして、これは長期的にはイスラエル自身にも不利益を与えたと考える。米国が友好国として必要な時にイスラエル政府へ圧力をかけていれば、二国家解決を促進し、イスラエルの長期的安全保障に貢献できた可能性がある。

9.イラク戦争とネオコン

本書で最も論争的な部分の一つが、2003年のイラク戦争をめぐる分析である。著者は、イスラエル・ロビーが単独でイラク戦争を起こしたとは主張していない。ジョージ・W・ブッシュ政権、9・11テロ後の米国世論、サダム・フセインへの敵意、米国の中東戦略など複数の要因があったことを認めている。その上で、ネオコン(ネオコン系政策知識人)がイラク侵攻を強く推進し、その多くがイスラエルの安全保障を重視していたことに注目する。彼らの構想には、サダム・フセイン政権を倒すことによってイラクを民主化し、それを起点として中東の政治構造を変えるという発想があった。イラクが変わればシリアやイランにも圧力をかけることができ、結果としてイスラエルを取り巻く安全保障環境も改善できると期待された。

10.シリアへの圧力

イラクに続いて著者が取り上げるのがシリアである。当時のシリアはイスラエルと敵対し、ヒズボラなどとの関係を持ち、イランとも協力関係にあった。そのためイスラエルの安全保障という観点から見れば、シリアの弱体化は重要な戦略目標となる。著者は、イラク戦争後、米国がシリアへの圧力を強めていった背景にも、イスラエルの安全保障を重視する米国内の勢力が影響したと分析する。ここでもミヤシャイマーとウォルトの基本的な問いは変わらない。それはイスラエルにとって何が有利かではなく、米国自身の国益にとって、その政策が合理的だったのかという問いである。

11.最大の問題としてのイラン

本書後半で特に重要なのが第10章である。イランはイスラエルにとって重大な安全保障上の脅威と認識されてきた。特に核開発問題が浮上すると、イスラエルはイランの核武装阻止を最重要課題の一つとするようになった。著者は、米国内の親イスラエル勢力もイランへの強硬政策を推進し、制裁や外交的孤立、場合によっては軍事力行使の可能性を政策論議の中心に押し上げたと論じる。しかしリアリストであるミヤシャイマーとウォルトは、イランという国家を道徳的に評価することと、米国がイランとどのような関係を構築すべきかは別問題だと考える。米国にとって重要なのは、中東の勢力均衡を維持し、米国自身の安全保障を確保することである。そのためイスラエルの脅威認識と米国の脅威認識を自動的に同一視してはならないというのが彼らの立場である。

12.第二次レバノン戦争

2006年のイスラエルとヒズボラの戦争も、本書における重要なケーススタディである。著者は、米国がイスラエルの軍事行動を強く支持したことを取り上げ、その政策が米国自身の利益にどの程度貢献したのかを検討する。彼らによれば、米国がイスラエルに対してより早く軍事作戦の修正や停戦を求めていれば、イスラエル自身にとっても有利だった可能性がある。ここから本書の重要な逆説が導かれる。イスラエルを無条件に支持することが、必ずしもイスラエルの長期的利益になるとは限らないということである。

13.イスラエル支持と米共和党

本書を現在の米国政治まで延長して理解する場合、もう一つ重要なのがキリスト教シオニズムである。イスラエル支持はユダヤ系政治団体だけによって支えられているのではない。米国にはイスラエル国家の存在を聖書の預言や終末論と結び付けて理解する福音派キリスト教徒が多数存在し、その一部は非常に強固な親イスラエル政治勢力となった。したがって米国の親イスラエル政策を理解するには、AIPACだけを見ても不十分である。ユダヤ系親イスラエル団体、ネオコン、共和党保守派、キリスト教シオニスト、福音派有権者などが、それぞれ異なる理由からイスラエル支持で重なるという構造を見る必要がある。これは、スコフィールド聖書からキリスト教シオニズム、米国福音派、共和党、親イスラエル政策へ至る流れとも接続する問題である。

14.本書が求める外交政策

最終章は何をなすべきかである。著者は米国がイスラエルとの関係を断絶すべきだとは主張しない。イスラエルには生存する権利があり、米国がイスラエルの存立を支持することにも合理的理由がある。しかし、それとイスラエル政府の個々の政策を無条件に支持することは別問題である。イスラエルが米国の国益と一致する行動を取れば協力する。しかし入植政策など米国の利益と一致しない政策については、必要なら援助や外交的支援を交渉手段として圧力を加える。イスラエルを特別扱いするのではなく、通常の重要な同盟国として扱うべきである。この考え方は大国政治の悲劇で展開されたミヤシャイマーのリアリズムと一貫している。国家外交の最終的基準は宗教的連帯でも道徳的感情でも国内利益団体の要求でもなく、国家の安全保障と国益でなければならない。

15.本書の核心

本書の核心は、イスラエルが米国を支配しているという単純な陰謀論ではない。むしろ、世界最強の国家である米国でさえ、外交政策は純粋な地政学的合理性だけでは決まらず、国内の選挙、議会、資金、利益団体、宗教、メディア、シンクタンク、知識人などによって大きく方向づけられるという問題を提示したところにある。その意味では大国政治の悲劇との対比が興味深い。大国政治の悲劇では国家を一つの合理的主体として見て、国際システムにおける大国間の力の競争を説明した。ところがイスラエル・ロビーでは、その国家の内部に入り込み、そもそも米国の国益とは誰が決めているのかという問題を扱っている。したがって両書を続けて読むと、ミヤシャイマーの思想にある一つの緊張関係が見えてくる。国際政治では国家は自国の生存と国益を追求する。しかし現実の外交政策は国内政治によって形成されるため、必ずしも客観的な国家利益と一致するとは限らない。そしてミヤシャイマーとウォルトが本書で最終的に問題視したのは、親イスラエルであること自体ではない。米国とイスラエルの利益が常に同一であるかのように扱われ、両国の利害が異なる可能性について自由に議論しにくくなることである。著者は、その状態は米国の国益を損なうだけでなく、イスラエル政府に必要な政策修正を促す機会を失わせるため、長期的にはイスラエル自身の安全保障にも不利益をもたらし得ると結論づけている。

大いなる妄想

The Great Delusion
Liberal Dreams and International Realities
2018年刊
John J. Mearsheimer著

1.冷戦後の大いなる妄想

本書が批判する最大の対象は、ミヤシャイマーがリベラル・ヘゲモニーと呼ぶ米国の外交戦略である。1991年にソ連が崩壊すると、米国は世界で圧倒的に強力な国家となった。米国の外交政策を担うエリートの多くは、自由民主主義、市場経済、人権、国際機関といった米国を中心とする価値や制度を世界に広げれば、より平和で安定した国際社会を作れると考えた。その論理は魅力的である。世界の国々を自由民主主義国家に変え、開放的な国際経済を形成し、国際機関によって国家間の協力を制度化すれば、大国間の戦争を減らし、人権を守り、世界を豊かにできるという考えだからである。しかしミヤシャイマーは、これこそが大いなる妄想であると考える。善意から出発したとしても、世界を自国の価値観に合わせて改造しようとすれば、最終的には軍事介入、政権転覆、長期占領、内戦への介入を繰り返すことになり、かえって戦争を増加させる。

2.リベラリズムを否定しているのではない

ここで重要なのは、ミヤシャイマーが自由主義を否定している訳ではないことである。彼自身、個人の自由、法の支配、権力の制限、基本的人権といった自由主義的価値を国内政治において重要なものと考えている。問題は、国内社会で機能する自由主義の原理を、そのまま国際社会へ拡張できると考えることにある。国内社会には国家という最終的な権力主体が存在する。法律に違反すれば警察や裁判所が介入し、国家が秩序を維持する。しかし国際社会には世界政府が存在しない。国家を最終的に守ってくれる上位権力が存在しない以上、国家は自国の生存を自ら確保しなければならない。ここに国内政治と国際政治の根本的な違いがある。国内ではリベラリズムが有効であっても、国際政治ではリアリズムの論理が強く働く。これが本書を理解する最も重要な前提である。

3.人間は良い生き方に合意できない

ミヤシャイマーは、リベラリズムの思想にも内在的な問題があると考える。人間は良い人生とは何か、正義とは何か、宗教とは何か、社会はどのようにあるべきかについて最終的に合意することができない。キリスト教徒、イスラム教徒、無神論者では世界観が異なる。保守主義者と進歩主義者でも理想的社会について異なる考えを持つ。だからこそ自由主義は本来、どの価値観が絶対的に正しいかを国家が決定するのではなく、それぞれの個人が自分の人生観を選択する自由を認めようとする思想である。その意味ではリベラリズムは、多様な価値観を持つ人々を一つの国家の中で共存させるための非常に有力な政治思想なのである。ところが、この思想を国外へ持ち出して世界中の社会を自由民主主義社会に変えるべきだと考え始めると矛盾が生じる。本来は価値観の多様性を認める思想だったはずのリベラリズムが、外交政策では他国に特定の政治制度や価値観を押し付ける思想へ変化してしまうからである。

4.ナショナリズムという巨大な力

そしてミヤシャイマーが、リベラリズム以上に重要視するのがナショナリズムである。人間は単なる個人として存在している訳ではない。言語、歴史、文化、宗教、領土、共同体への帰属意識を持っている。そのため外国があなたの国をもっと自由で民主的な社会にしてあげようと介入しても、その国の人々が歓迎するとは限らない。むしろ外国から政治制度や価値観を押し付けられれば、外国に支配されているという民族的反発が生まれる。この点でミヤシャイマーは、リベラリズムよりナショナリズムの方が国際政治において強力な政治的エネルギーになりやすいと考える。米国が軍事力によって他国の政治体制を変更しても、現地社会の歴史、宗教、民族、国家意識を簡単に作り変えることはできない。したがって、米国が圧倒的な軍事力を持っていることと、米国が外国社会を自由主義的に改造できることは全く別問題なのである。

5.民主主義を広げれば平和になるのか

リベラルな国際秩序を支える重要な考え方の一つが民主的平和論である。民主主義国家同士は戦争をしにくい。したがって世界中を民主主義国家にすれば、最終的には戦争を減らすことができるという考え方である。ミヤシャイマーは、この議論には一定の経験的根拠があることを認めながらも、それを米国の世界戦略にすることには反対する。なぜなら、民主主義を世界に拡大するためには、非民主主義国家の政治体制を変えなければならなくなる。外交的圧力だけで体制が変わらなければ、経済制裁、秘密工作、反政府勢力への支援、更には軍事介入へと進む可能性がある。世界を平和にするために民主主義を広げるという思想が、民主主義を広げるために戦争するという逆説に陥る。ミヤシャイマーはここにリベラル・ヘゲモニーの重大な矛盾を見る。

6.米国による世界改造

冷戦後の米国外交は、ミヤシャイマーから見ると、このリベラル・ヘゲモニーを実際に試みた巨大な実験であった。米国は圧倒的な軍事力を背景に、自由民主主義、市場経済、人権、国際制度を世界的に拡大しようとした。しかしその結果として米国は、バルカン、アフガニスタン、イラク、リビア、シリアなど、多数の地域で軍事的・政治的に関与することになった。とりわけイラク戦争は、ミヤシャイマーにとってリベラル・ヘゲモニーの失敗を象徴する事例である。サダム・フセイン政権を倒せば民主的なイラクを建設でき、それが中東全体の民主化につながるという期待が存在した。しかし実際には、国家秩序の崩壊、宗派対立、武装勢力の台頭など深刻な混乱を招いた。ミヤシャイマーから見れば、これは単なる戦後処理の失敗ではない。外国の軍事力によって他国社会を根本的に作り変えられるという発想そのものに問題があった。

7.人権外交の逆説

リベラル・ヘゲモニーには人権という強い道徳的根拠がある。独裁政権が国民を弾圧している場合、自由主義国家がそれを放置してよいのかという問題である。ミヤシャイマーも人権を否定しない。しかし、人権を守るために軍事介入すれば、本来守ろうとしていた人々が戦争によって犠牲になる可能性がある。更に政府を倒せば国家機構そのものが崩壊し、内戦、難民、テロ、民族・宗派紛争を引き起こすこともある。そのため正しい目的が正しい結果を保証する訳ではない。本書が厳しく批判するのは、この善意と結果の混同である。

8.NATO拡大とロシア

この理論はロシアとの関係を考える際にも重要になる。冷戦後、米国と欧州はNATOとEUを東方へ拡大し、自由民主主義を旧ソ連圏へ広げていった。リベラルな視点から見れば、これは欧州の平和圏を拡大する政策である。しかしリアリズムから見ると全く違った姿になる。NATOは理念共同体であると同時に軍事同盟である。ロシアの指導者から見れば、世界最大の軍事同盟が自国の国境へ近づいてくることになる。

西側がこれは防御的な同盟であり、ロシアを攻撃する意思はないと説明しても、ロシアがその将来の意図を永遠に信用する保証はない。ここで大国政治の悲劇の論理が再登場する。国家は相手の現在の意図ではなく、相手が持っている能力と将来の潜在的脅威を考えるからである。したがってミヤシャイマーにとって、西側が自由主義的国際秩序を東方へ拡大することと、ロシアがそれを地政学的脅威として受け止めることは同時に成立し得る。西側が善意であるかどうかと、ロシアが脅威を感じるかどうかは別問題である。

9.国際制度の限界

ミヤシャイマーは国連、NATO、EU、WTOなどの国際制度を不要だと主張している訳ではない。国際制度は国家間協力を促進し、情報を共有し、ルールを設定し、取引費用を減少させることができる。しかし大国の核心的安全保障利益と国際制度のルールが衝突した場合、最終的には大国の安全保障利益が優先される。したがって国際制度は大国政治を消滅させることはできない。国家間の力の分布が変化すれば、国際秩序も変化する。米国が作った国際秩序が永久に維持される保証はない。

10.中国の台頭がリベラルな時代を終わらせる

この点で本書は大国政治の悲劇と密接につながっている。冷戦直後の米国がリベラル・ヘゲモニーを追求できた最大の理由は、米国に対抗できる大国が存在しなかったからである。しかし中国が巨大な経済力と軍事力を持つようになれば状況は変わる。米国は民主主義拡大や人権外交より、中国との勢力均衡を重視せざるを得なくなる。そして中国も、自国周辺における米国の軍事的影響力を減少させようとする。こうして国際政治は、冷戦後のリベラルな世界改造の時代から、再び古典的な大国間競争へ戻っていく。ミヤシャイマーにとってこれは例外的な事態ではない。むしろ冷戦後の米国一極時代の方が歴史的な例外だったのである。

11.リベラリズムとナショナリズムとリアリズム

本書を理解するには、この三つの力の関係を押さえることが重要である。リベラリズムは個人の自由と権利を重視する。ナショナリズムは国家・民族・共同体への帰属を重視する。リアリズムは国家の生存、安全保障、力の均衡を重視する。ミヤシャイマーは、国内政治ではリベラリズムが大きな価値を持つことを認める。しかし国際政治になると、ナショナリズムとリアリズムがリベラリズムより強い力を持つ場合が多い。この力関係を無視して、自由主義的価値だけで外交政策を設計すると失敗する。したがって本書は単純な反リベラリズム論ではない。むしろ、リベラリズムには適用できる領域と限界がある。その限界を理解せず、世界全体をリベラル化しようとすることが危険なのである。

12.抑制された外交へ

では米国はどうすべきなのか。最終章でミヤシャイマーが提示する答えが抑制である。米国は世界中の政治体制を変えようとするのではなく、自国にとって本当に重要な地域に戦略的資源を集中すべきだと考える。世界各地の内戦や人権問題へ軍事介入することを避け、他国が自ら地域の勢力均衡を維持することを基本とし、米国にとって重大な脅威となる地域覇権国が出現する場合にのみ本格的に介入する。これは大国政治の悲劇で論じられたオフショア・バランシングと基本的に連続する発想である。孤立主義ではない。世界から撤退するのでもない。世界を米国の価値観に合わせて作り変えることをやめ、米国の安全保障に本当に必要な場合に限定して力を使うべきだという戦略である。

13.大国政治の悲劇との関係

この二冊を続けて読むと、ミヤシャイマーの思想が非常に明確になる。大国政治の悲劇は、世界は実際にはどのように動いているのかを説明する理論書である。国際社会には世界政府が存在しないため、大国は生存を確保するために力を追求し、地域覇権を争う。これに対してThe Great Delusionは、米国はその現実を無視して何を間違えたのかを論じる。冷戦に勝利した米国は、自らの圧倒的な力を見て大国政治を超越できると考えた。しかし実際にはナショナリズムも勢力均衡も消滅していなかった。その結果、米国は世界各地で自由民主主義を拡大しようとして戦争や介入を繰り返し、ロシアなどとの対立も深めた。

国家戦略のリアリズム

How States Think
The Rationality of Foreign Policy
2023年(日本語版2025年)刊
John J. Mearsheimer/Sebastian Rosato著

1.国家は合理的なのか

本書の中心的な問いは極めて単純である。それは国家は合理的に行動するのかという問題である。国際政治学の多くの理論は、暗黙のうちに国家を合理的な主体として扱ってきた。しかし現実の政治を見ると、国家指導者はしばしば巨大な失敗を犯す。第一次世界大戦、第二次世界大戦、ベトナム戦争、イラク戦争、ロシアによるウクライナ侵攻などを見れば、国家は本当に合理的なのかという疑問が生じる。

2.合理的とは成功することではない

本書を理解する上で最も重要なのは、合理的という言葉の定義である。一般には、合理的な政策とは成功する政策であり、失敗した政策は非合理的だったと考えがちである。しかし著者は、この考え方を拒否する。ある国家が非常によく考え、当時利用可能な情報を分析し、優れた理論に基づいて政策を決定しても、結果的に失敗することはある。国際政治には偶然、誤算、相手国の予想外の行動、技術革新、経済危機など、多数の不確実な要素が存在する。したがって、結果が悪かったからといって、その政策決定が非合理だったとは限らない。逆に、十分な検討もせず、根拠のない思い込みで政策を決定したにもかかわらず、偶然うまくいくこともある。その場合、結果は成功していても、意思決定過程は合理的ではない。本書は、合理性と成功を切り離す。これは非常に重要な発想である。

3.合理性を決める二つの条件

ミアシャイマーとロザートは、国家が合理的であるためには大きく二つの条件が必要だと考える。第一は、政策が信頼できる理論に基づいていることである。第二は、政策が熟議的な意思決定過程を経て決定されていることである。ここでいう理論とは、難しい学術理論だけを意味しない。もしAをすればBが起こるという、現実世界の因果関係についての説明である。たとえば軍事力を増強すれば相手国を抑止できる、経済制裁を強めれば相手国は譲歩する、民主主義国家同士は戦争しにくい、同盟を拡大すれば安全保障が強化される、といった考えも広い意味での理論である。国家指導者は必ず何らかの世界観や因果関係についての理解に基づいて政策を選択している。重要なのは、その理論が合理的に擁護できるものかどうかである。著者は、合理性とは正しい答えを知っていることではなく、現実を説明できる最もらしい理論に基づいて考えていることだとする。

4.不確実な世界で考える

国際政治において国家が直面する最大の問題は不確実性である。相手国が何を考えているのか完全には分からない。現在友好国であっても将来敵国になるかもしれない。新しい兵器が登場するかもしれない。経済力の順位が変わるかもしれない。政権が交代するかもしれない。したがって外交政策は、数学の問題のように一つの正解を導き出すことができない。それでも国家は決断しなければならない。そのため指導者は、世界はどのように動いているのかという理論を使って不確実な未来を推測する。ここに理論の重要性がある。理論を使わずに外交政策を決めることは、地図なしで未知の土地を歩くようなものである。ただし理論にも複数の選択肢がある。リアリズム、リベラリズム、ナショナリズム、民主的平和論、抑止理論など、それぞれ異なる因果関係を説明する。国家指導者は、その中から最も現実を説明できると考える理論を選択し、それに基づいて政策を形成する。

5.熟議こそ国家の合理性を生む

第二の条件が熟議である。国家は一人の人間ではない。大統領、首相、外相、国防相、軍人、情報機関、官僚、専門家など、多数の人間によって意思決定される。したがって国家の合理性とは、指導者個人の頭の良さだけでは決まらない。重要なのは、異なる意見を持つ政策担当者が議論し、反論し、複数の選択肢を比較検討する過程である。この意味で著者は、政策決定過程における議論を極めて重視する。一人の強力な指導者が最初から結論を決め、周囲が反論できないような状況では、合理性は低下する。反対意見が認められ、複数の戦略が比較され、それぞれの長所と危険性が検討される方が、合理的な政策が生まれる可能性が高い。ただし民主主義国家だから必ず合理的であり、独裁国家だから非合理的であるという単純な議論ではない。独裁国家であっても、指導者の周囲で真剣な政策論争が行われていれば合理的な政策決定は可能である。逆に民主主義国家でも、集団思考や政治的圧力によって反対意見が排除されれば非合理的な政策が生まれ得る。

6.国家と個人は違う

本書が心理学的外交論に対して重要な批判を加えるのもこの点である。確かに個人は認知バイアスを持っている。過信、損失回避、楽観主義、確証バイアスなど、人間には多数の非合理的傾向がある。しかし国家には複数の意思決定者がいる。一人の判断の偏りを別の人間が修正することができる。官僚組織が情報を提供し、軍が反論し、外交官が別の選択肢を提示することもできる。国家は、個々の人間よりも合理的になり得る。複数の人間による熟議が、個人の認知的欠陥を相殺するからである。この意味で本書は、近年の指導者の心理ですべてを説明しようとする外交論に対する強い反論でもある。

7.大戦略における合理性

本書第5章では、大戦略における国家の合理性を検討する。大戦略とは、国家が長期的にどのように安全保障を確保するかという基本方針である。著者は第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦など多数の歴史事例を検討し、国家がどのような理論に基づいて大戦略を選択したのかを分析する。たとえば第二次世界大戦前のドイツ、日本、ソ連、英国、米国などの政策を、結果的に成功したか失敗したかではなく、当時の状況でどのような理論に基づいて政策を考えたかという観点から再検討する。ここで重要なのは、敵国の政策を単純に狂気として片付けないことである。敵国の政策に同意する必要はない。しかし、その国家がどのような脅威認識を持ち、どのような因果関係を想定し、何を恐れていたのかを理解しなければ、外交政策を予測することはできない。この点に本書の実践的な意味がある。

8.危機管理における合理性

第6章では、戦争寸前の危機において国家が合理的に行動できるのかを検討する。危機では時間が限られている。情報は不完全であり、敵国の意図も分からない。誤解や誤算が戦争につながる可能性がある。そのような状況でも、国家が信頼できる理論を使い、複数の政策選択肢を熟議していれば、合理的な意思決定は可能だと著者は論じる。ここで特に重要になるのが核兵器である。核保有国同士の危機では、一つの誤算が国家の破滅につながり得る。そのため指導者は、相手国の能力と意思を慎重に分析しなければならない。冷戦期の米ソ関係は、イデオロギー的には激しく対立していたにもかかわらず、核抑止については双方がかなり合理的に行動した。敵対していることと非合理であることは同じではない。

9.非合理な国家行動とは何か

では国家が本当に非合理になるのはどのような場合なのか。第7章では、合理性の条件を満たさない国家行動を検討する。第一の問題は、政策が信頼できる理論に基づいていない場合である。指導者が根拠のない思い込み、単純な類推、宗教的確信、個人的感情などによって政策を決定すれば、合理性は低下する。第二の問題は、熟議が行われない場合である。指導者が反対意見を嫌い、周囲をイエスマンだけで固めれば、誤った考えが修正されにくくなる。ここで著者が重視するのは集団思考である。組織の中で一つの考えが絶対視され、異論が排除されると、国家全体として非合理な政策に向かう可能性が高まる。したがって合理的国家戦略には、強い指導者だけでなく、反論できる制度と文化が必要である。

10.イラク戦争は合理的だったのか

本書で特に重要な現代史上の事例が、2003年の米国によるイラク戦争である。ジョージ・W・ブッシュ政権は、サダム・フセイン政権を倒し、民主主義国家を建設すれば、中東全体の政治構造を変えることができると考えた。これは自由民主主義を拡大すれば世界はより平和になるというリベラル・ヘゲモニーの理論に基づいていた。しかしミアシャイマーはThe Great Delusionでも、この考えを厳しく批判している。本書では更に一歩進み、その政策決定過程が合理的だったのかを検討する。著者の議論から見ると、問題は単にイラク戦争が失敗したことではない。政策の前提となった理論に重大な弱点があり、更に政権内部で十分な反論や代替案の検討が行われなかったことが問題である。その意味でイラク戦争は、米国が圧倒的な軍事力を持ちながら、国家戦略として誤った方向へ進んだ重要な事例となる。

11.プーチンは非合理なのか

本書が刊行された2023年という時期を考えると、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の行動をどう評価するかは避けられない問題である。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻後、西側ではプーチンを非合理的、狂気、現実認識を失っていると説明する議論が広がった。本書の序文も、この問題意識から始まっている。ミアシャイマーとロザートは、この説明に強い疑問を呈する。プーチンの政策を支持することと、彼の判断を合理的と分析することは全く別問題である。彼らが問うのは、ロシア指導部がどのような理論に基づいて行動したかである。ロシア側はNATOの東方拡大、とりわけウクライナが西側安全保障圏に組み込まれることを重大な安全保障上の脅威と認識していた。もし大国が自国国境付近への敵対的軍事同盟の進出を重大な脅威と感じるというリアリズムの理論が信頼できるのであれば、ロシアの脅威認識を狂気とは言えない。もちろん、だからといって侵攻が正当化される訳ではない。また軍事侵攻という手段が賢明だったかどうかも別問題である。本書が求めるのは、相手国を道徳的に評価することと、その国家がどのような戦略的論理で動いているかを分析することを分けることである。これは外交において非常に重要な視点である。

12.悪と非合理を混同してはいけない

本書の重要なメッセージの一つは、敵国を悪と評価することと、非合理と評価することを混同してはいけないということである。ヒトラー、スターリン、毛沢東、プーチンなどについて、道徳的に強い批判を加えることは可能である。しかし、そのことから直ちに彼らは合理的に計算していなかったという結論は導けない。残酷な政策であっても戦略的には合理的である場合がある。逆に、道徳的に善意の政策であっても戦略的には非合理である場合がある。これは非常に重要な区別である。国際政治では相手国を理解しなければ抑止も外交もできない。相手を狂人と考えてしまえば、その行動を予測する理論を失ってしまう。

13.目標は合理的なのか

第8章では更に難しい問題が扱われる。国家が合理的に手段を選んでいたとしても、そもそも目標自体が非合理なのではないかという問題である。たとえば世界征服や民族的純化など、極端な目的を国家が掲げる場合、それを合理的と言えるのか。著者は、手段の合理性と目的の合理性を区別する。国際政治において最も基本的な国家目標は生存である。国家が自国の存続、安全保障、領土、主権を守ろうとすることは合理的である。しかし国家の生存を著しく危険にさらすような目標を追求する場合、その目標自体を合理的とは言いにくくなる。

14.大国政治の悲劇との関係

本書は大国政治の悲劇の理論を補強する重要な著作でもある。大国政治の悲劇では、国際社会がアナーキーであるため、大国は生存を確保するために力を求めると論じた。しかしその理論は、国家が合理的に行動するという前提をかなり強く置いている。もし国家が実際にはほとんど非合理に行動しているなら、攻撃的リアリズムの予測力は大きく低下する。そこで国家戦略のリアリズムでは、その前提を検証している。大国政治の悲劇が合理的な国家は国際社会でどう行動するかを説明した本であるのに対し、国家戦略のリアリズムはそもそも国家を合理的主体と考えてよいのかを検証した本である。両書は理論的に密接につながっている。

15.リベラリズムという妄想との関係

The Great Delusionとの関係も興味深い。リベラリズムという妄想では、冷戦後の米国が自由民主主義を世界に広げようとして、イラク、アフガニスタンなどへの介入を繰り返したことを批判した。国家戦略のリアリズムでは、そのような政策がなぜ選択されたのかという意思決定の問題に踏み込む。米国の政策担当者は必ずしも愚かだった訳ではない。むしろ高度な教育を受け、豊富な情報を持った政策エリートが、世界を自由主義化できるという特定の理論を信じていた。問題は知性の不足ではなく、採用した理論が現実の国際政治を正しく説明していたかどうかである。ここに本書の重要な教訓がある。優秀な人間が集まれば、必ず優れた国家戦略が生まれるわけではない。間違った理論を優秀な人間が共有すれば、むしろ大規模な失敗を合理的に実行してしまう。

16.国家戦略に理論が必要な理由

本書は一見すると国際政治学の理論書であるが、実際には政策担当者に対する実践的な警告でもある。外交政策を立案する際には、まず自分たちはどのような世界観に基づいているのかを明確にしなければならない。中国は経済発展すれば民主化するという前提は正しいのか。経済的相互依存が深まれば戦争はなくなるという前提は正しいのか。軍事同盟を拡大すれば安全保障は強化されるという前提は正しいのか。制裁を加えれば相手国は譲歩するという前提は正しいのか。こうした政策には全て、その背後に理論が存在する。ところが実際の政治では、その理論そのものが検証されないことが多い。著者が強調するのは、政策を論じる前に、その政策がどのような因果関係の想定に基づいているのかを検証する必要があるということである。

17.日本にとっての意味

この本の議論は日本の安全保障政策にも直接関係する。日本が米国の核抑止に依存するのか、独自の防衛力を強化するのか、中国との経済関係を維持するのか、台湾有事をどのように想定するのかという問題では、それぞれ異なる理論が暗黙に使われている。米国は必ず日本を守るという考えも一つの理論である。中国は経済関係が深ければ日本を攻撃しないという考えも一つの理論である。核兵器があれば戦争を抑止できるという考えも一つの理論である。重要なのは、これらを信念や願望として扱うのではなく、歴史的証拠と国際政治理論に照らして検証することである。そして異なる見解を持つ人々が公開された場で議論する必要がある。本書の観点から見れば、国家安全保障にとって最も危険なのは、特定の戦略が絶対視され、反対意見を述べること自体が許されなくなることである。

未来の輪郭
歴史に関する考察

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