日本よ、完全自立を

日本よ、完全自立を
2018年刊
石原慎太郎著

目次

石原慎太郎の経歴

石原慎太郎は1932年、兵庫県神戸市に生まれた。一橋大学法学部在学中に、小説太陽の季節で芥川賞を受賞した。既成の道徳観にとらわれない若者を描いた作品は大きな社会現象となり、太陽族という言葉まで生み出した。若くして戦後文学を代表する作家なった。その後、1968年に参議院議員に初当選し、1972年から衆議院議員を務めた。環境庁長官、運輸大臣を歴任した後、東京都知事を4期務めた。石原の特徴は、文学者と政治家という二つの立場を生涯にわたって併せ持ったことである。文学では個人の自由、死、生、勇気、欲望を描き、政治では国家の独立、安全保障、憲法、歴史認識を繰り返し問題にした。本書は、そうした石原の長年の問題意識が晩年に凝縮された著作である。

本書の内容

1.完全自立とは何か

本書を貫く中心概念は、完全自立である。石原が問題にしているのは、日本が形式上独立国であるかどうかではない。自国の領土を守り、安全保障を構想し、憲法を自ら作り、外交上の重大な判断を自ら下せる国家である。戦後日本は経済的には巨大な成功を収めたが、安全保障では米国への依存を続け、憲法についても占領期に成立した基本的枠組みを維持してきた。この状態を石原は十分な自立とは考えない。本書で新憲法制定や自主防衛を繰り返し論じるのは、この認識が根底にある。

2.トランプと白人支配の終焉

第一章では、ドナルド・トランプの登場を契機として、石原独特の文明史観が展開される。石原は近代世界を、欧米列強が軍事力、科学技術、資本力を背景としてアジア、アフリカ、中東を植民地化してきた時代として捉える。そして21世紀には中国をはじめとする非欧米諸国が台頭し、欧米だけが世界秩序を決定する時代は終わりつつあると論じる。石原は米国を単純に日本の敵として論じている訳ではない。むしろ米国に依存しながら米国の意思に従うだけの日本を問題視する。米国もまた一国家として自国の国益を追求する以上、日本は米国の善意を前提にするのではなく、自らの国益を自ら守る能力を持たなければならない。

3.欧米の植民地支配と歴史の反作用

石原は近代史を、西欧文明が世界に自由や近代科学を広げた歴史としてだけではなく、植民地支配、資源獲得、軍事的征服を伴った歴史として見る。アジア、中東、アフリカで起きている反欧米感情や政治的反発を理解するには、この歴史を無視できない。したがって、イスラム世界と欧米の対立についても、宗教やテロだけを切り離して考えるのではなく、その背後にある植民地支配や国境形成、資源をめぐる政治まで遡って考える必要がある。

4.中国の台頭と尖閣問題

第二章では、中国の台頭が日本の自立を試す具体的な問題として論じられる。日中友好欺瞞と幻想の40年は終わった。石原にとって尖閣諸島問題は単なる小さな島の領有問題ではなく、日本が自国の領土について自ら意思を示すことができるかという国家主権の問題である。そのため中国に対して必要以上に敵対せよというより、経済関係を理由に国家として主張すべきことまで曖昧にしてはならない、という姿勢が一貫している。ここには石原の国際政治観が端的に現れている。国際社会では友好関係や経済交流は重要であるが、最後には国家が自国の利益と安全を守らなければならない。経済的繁栄だけでは国家の独立は保証されない。

5.自主防衛と日本製の戦略ミサイル

石原の自立論は安全保障にも及ぶ。米国の軍事力に依存するだけでは日本が究極的な国家意思を持てない。日米同盟を直ちに否定するというよりも、同盟があるから自国の防衛能力を考えなくてよいという戦後日本の姿勢を批判している。この問題意識は尖閣問題ともつながっている。自国の領土を守る意思を他国に委ねている国家が、本当に独立国家と呼べるのかという問いである。

6.憲法は国家の主体性の表現

第三章のもう一つの中心が憲法論である。石原にとって憲法問題は九条だけの問題ではない。より根本には、国家の最高法規を誰が作ったのかという問いがある。占領下で成立した日本国憲法を戦後70年以上維持していること自体を、国家としての主体性という観点から問い直す。したがって石原が求めるのは部分的な条文修正にとどまらず、日本人自身が国家とは何か、国民とは何か、国家をどのように守るのかを議論した上で、自らの手で憲法を作り直すことである。本書において憲法制定は完全自立の象徴である。

7.経済大国から主体的国家へ

石原は戦後日本の経済的成功を否定している訳ではない。豊かさを国家の最終目的にしてしまった結果、日本人が国家、歴史、安全保障、公共への責任を考えなくなったのではないかと問題を提起する。本書には田中角栄、朴正煕、三島由紀夫など、石原自身が出会った人物についての回想も挿入されている。これらは単なる思い出話ではない。石原が評価した人物に共通しているのは、良くも悪くも自分自身の意思を持ち、国家や人生について決断する人間であった。国家の自立と個人の自立が、石原の思想の中では重なっている。

8.地球環境というもう一つの危機

本書には地球はどうなるという文章もあり、安全保障とは異なる角度から人類文明の将来を論じている。石原はかつて環境庁長官を務め、水俣病患者を訪ねた経験にも触れ、経済発展や物質的豊かさが環境に巨大な犠牲を強いてきたことを問題にしている。ここでは国家主義的な議論だけでは捉えられない石原のもう一つの側面が現れる。国家が自立することと同時に、人類が経済成長だけを価値基準とする文明から脱却できるのかという問題である。

本書が言いたかったこと

日本は自分自身で決断できる国家なのか。石原が問題にしたのは米国でも、中国でも、憲法九条でもない。自国の安全保障を他国に依存し、経済的利益を失うことを恐れて外交上の主張を抑え、国家の基本法についてさえ自分たち自身で根本から考え直そうとしない日本人の姿勢である。世界には永久に続く覇権も同盟もない。かつて世界を支配した欧州列強が後退し、米国の相対的な力も変化し、中国をはじめ新たな大国が台頭するように、国際秩序は常に変化する。その変化の中で生き残るためには、特定の大国に運命を委ねるのではなく、自国の歴史と利益を踏まえて自ら判断できる国家にならなければならない。したがって、本書における完全自立とは孤立主義ではない。外国との同盟や経済関係を否定することでもない。他国と協力しながらも、最後の判断を他国に委ねないという国家の主体性を意味している。作家として人間の自立を描き、政治家として国家の自立を訴えてきた石原慎太郎が晩年に残したこの本は、個々の政策提言への賛否を超えて、戦後日本が避け続けてきた自分の国の運命を最後に誰が決めるのかという問いを突きつけた著作である。

白人の世界支配は終わった(付記)

文藝春秋2014年9月号

1.白人支配という世界史の見方

この論考で石原慎太郎が提示する最大の視点は、近代世界史をヨーロッパ文明の進歩と拡大の歴史としてではなく、ヨーロッパを中心とする白人が軍事力、科学技術、航海能力、経済力によって世界の大部分を支配してきた歴史として捉え直すことである。近代史は一般に、ルネサンス、宗教改革、産業革命、市民革命、民主主義、資本主義の発展という流れで説明される。しかし石原は、その同じ歴史をヨーロッパの外側から見れば全く違う姿になると考える。アメリカ大陸、アフリカ、アジア、中東にとって近代とは、欧州列強による征服、植民地化、資源獲得、国境線の設定を伴う時代でもあった。欧米にとって近代化と呼ばれたものが、支配された側にとっては必ずしも同じ意味を持たなかった。この視点の転換が論考全体の出発点である。

2.科学技術が生んだ圧倒的な力の格差

石原が重視するのは、人種の優劣ではなく、ある時代に生じた文明間の力の格差である。航海技術、火器、造船、組織化された軍隊、更に後の産業革命によって、西欧諸国は遠隔地まで軍事力を投射できるようになった。この力の非対称性が、少数の欧州人によって巨大な地域が征服される世界を作ったというのが石原の歴史観である。そこでは火薬、印刷術、航海技術などを例に、技術革新が文明間の力関係を根本から変えたと論じている。したがって石原のいう白人支配とは、単純な人種論というより、軍事技術と経済力の格差を利用して西欧諸国が世界秩序を形成した数百年間を指す概念である。

3.米国もまた白人支配の延長

石原の議論はヨーロッパだけで終わらない。第二次世界大戦後、世界の中心が英国をはじめとする欧州列強から米国へ移っても、世界秩序の基本構造はなお西欧文明を中心としている。その象徴として石原が取り上げるものの一つが、第二次世界大戦終結直後の米国社会における対日認識である。石原がここで問題にしているのは、単に米国を非難することではない。第二次世界大戦を民主主義対軍国主義という理念だけで理解するのではなく、当時の欧米社会に存在した人種観や文明観まで含めて検討しなければ、戦争の性格を完全には理解できないという問題提起である。

4.日本は唯一抵抗した例外

ここから石原の日本近代史観につながっていく。石原は、19世紀の世界において、西欧列強の植民地化を免れ、自ら近代国家を建設し、軍事・産業・科学技術を急速に導入した日本を特殊な存在として捉える。明治維新以後の日本は、西欧に支配されないために西欧型近代国家を作り、西欧の軍事技術を導入し、自ら列強の一員となった。この過程を石原は、西欧帝国主義が支配していた当時の国際環境と切り離して評価すべきではないと考える。石原はそれらを否定するというより、日本だけを当時の帝国主義的世界構造から切り離して断罪する歴史観に異議を唱えている。

5.第二次世界大戦が変えた世界秩序

石原の文明史観では、20世紀は白人支配が頂点に達すると同時に崩れ始めた時代でもある。二度の世界大戦によって欧州列強は巨大な損害を受け、第二次世界大戦後にはインド、インドネシア、ベトナムをはじめアジア・アフリカで独立運動が広がった。英国、フランス、オランダなどの植民地帝国は急速に解体していった。石原はここに大きな世界史的転換を見る。西欧諸国が数百年間維持してきた白人が有色人種を支配することを当然視する世界が崩壊し始めたのである。その意味で、日本の敗戦だけを見るのではなく、第二次世界大戦前後に世界の植民地体制全体がどのように変化したのかを見るべきだというのが石原の視点である。

6.中国の台頭が意味するもの

更に石原が21世紀の決定的変化として見るのが中国の台頭である。巨大な人口と経済力を持つ中国が世界政治・経済の中心に復帰してくることは、単なる一国家の成長ではない。それまで欧米が中心となって形成してきた世界秩序の重心が変化することを意味する。石原の白人の世界支配は終わったという題名は、白人あるいは欧米諸国が衰亡するという単純な予言ではない。欧米諸国だけが世界秩序の規則を決め、それ以外の国々がそれに従うという数百年間の構造が終わりつつあるという認識である。

7.中東・イスラム世界への歴史の反作用

この論考を石原の後年の文章まで含めて読むと、更に重要な論点が浮かび上がる。それが中東・イスラム世界である。石原は、現在のイスラム世界と欧米との対立を、21世紀になって突然発生した宗教対立として見ることに反対する。十字軍以降のキリスト教圏とイスラム圏の対立、大航海時代以後の欧州勢力の進出、19世紀以降の植民地化、第一次世界大戦後の中東秩序など、長い歴史の蓄積の中で理解すべきだと考える。石原は、イスラム系テロを明確に非難しつつも、その暴力が生まれる背景には、アラブ・アフリカ地域が西欧諸国から受けた植民地支配という歴史的蓋然性が存在すると論じた。フランスが掲げる自由・平等などの理念と、かつてフランスが支配したアルジェリアなどでの現実との矛盾にも言及している。

8.白人の世界終焉の意味

この論考で石原が言おうとしていることは、単なる反欧米論ではない。近代以降の国際秩序には、西欧文明が軍事力、科学技術、産業力によって他地域を圧倒し、その価値観や制度を世界標準として広げてきたという歴史的背景がある。しかし20世紀後半から21世紀にかけて植民地帝国は消滅し、日本が経済大国となり、中国やインドをはじめ非西欧世界が台頭した。その結果、数百年間続いた一極的な文明秩序が終わり、多数の文明・国家が力を持つ時代へ移行している。そして石原が日本に向けて発している問いは、むしろその先にある。欧米中心の時代が終わるなら、日本はいつまでも米国を中心とした既存秩序の中で受動的に生きていけるのか。中国をはじめ新しい大国が台頭する世界で、日本自身が国家として何を守り、誰と協力し、何を拒否するのかを自ら決めなければならない。白人の世界支配は終わったという刺激的な題名の核心は、欧米の没落を喜ぶことではない。数百年間続いた欧米中心の世界秩序が歴史的転換点を迎える以上、日本も欧米に追随する国から、自ら世界を判断し、自らの責任で進路を決める国家へ変わらなければならない。石原慎太郎の国家観はそこに考慮すべき価値がある。

未来の輪郭

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