INDRA
Interactive Deep-dreaming Robotic Artist. Painting with a Real-Time Embodied AI
2025年刊
慶應義塾大学研究チーム
INDRAの内容とメンバー
はAIをコンピュータ画面の中から現実世界へ取り出し、身体を与え、人間と同じ空間で創作させようという研究である。本稿は一般的な意味での学術雑誌論文ではなく、世界最大級のHuman-Computer Interaction研究会議であるACM CHI 2025に収録された生成AIと物理AIと絵画を接続した研究論文である。
1.中川マリナ
中川マリナは慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科のEmbodied Media Projectに所属し、研究を行っている。本研究では筆頭著者であり、INDRA研究の中心人物である。中川の研究の特徴は、単にロボットに絵を描かせることではなく、人間の芸術家が身体を持ったAIと一緒に制作した時、創造性や作者性の感覚がどのように変化するのかを研究している点にある。
2.キンガ・スキエルシュ
キンガ・スキエルシュ(Kinga Skierś)も慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科に所属する研究者であり、KMDにおいて身体性、VR、人間の感情や心理状態とテクノロジーとの関係などに関わる研究に参加している。INDRAのほか、バイオレスポンシブ・アバター、VRを利用した感情調整などに関連する研究にも関わっている。本研究では、AIを単なる画像生成システムではなく、人間が心理的・身体的に関係を結ぶ創造的パートナーとして設計するという方向に貢献していると位置づけられる。
3.脇坂崇平
脇坂崇平はVR/SR、認知心理学、身体情報学を専門とする研究者である。神戸大学大学院自然科学研究科博士課程を修了後、理化学研究所BSIにおいて、現実と仮想の境界を曖昧にする代替現実システムの開発に携わった。その後、東京大学先端科学技術研究センターで身体スキル共有や人間拡張技術を研究した。脇坂の研究を貫く重要な概念が、異なるレベルの現象を混合することによって新しい性質が生じる創発である。この研究背景は、人間とAIが別々に作品を作るのではなく、相互作用によって一つの作品を生み出すINDRAの思想と深く結び付いている。
4.南澤孝太
南澤孝太は慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授である。東京大学大学院情報理工学系研究科博士課程を修了し、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の教授となった。専門はハプティクス、VR、人間拡張、身体情報学などであり、デジタル技術によって人間の身体経験を伝送・拡張・創造する身体性メディアを研究している。
本論文の内容
1.生成AIを画面の中から現実世界へ
INDRA研究の出発点には、現在の生成AIアートに対する一つの問題意識がある。画像生成AIに文章を入力すれば、数秒から数十秒で完成画像を得ることができる。しかしこの方式では、人間が実際にキャンバスへ向かい、描いては考え、描き直し、偶然生まれた線や色に反応しながら作品を発展させていく伝統的な絵画制作とは大きく異なる。INDRAはこの隔たりを埋めようとする。AIに画像を生成させるだけではなく、AIに物理的身体を与え、人間と同じキャンバスの前に立たせ、実際の制作過程へ参加させる。
2.INDRAとは何か
INDRA(Interactive Deep-Dreaming Robotic Artist)は、人間の芸術家とリアルタイムで共同制作するために設計されたロボット・アーティストである。外見にも工夫がある。INDRAは無機質な産業用機械としてではなく、機械的な招き猫を思わせるサイバネティック・アバターとして表現されている。これは単なる装飾ではない。研究者たちは、AIを芸術家の仕事を奪う不気味な競争相手ではなく、芸術家と一緒に制作する親しみやすいクリエイティブAIコンパニオンとして感じてもらうことを重視している。
3.キャンバスを人間とAIが共有
INDRAの最大の特徴は、人間とAIが同じ物理的キャンバスを共有することである。従来のAI画像生成では、人間がプロンプトを入力し、AIが画像ファイルを生成する。人間とAIの作業空間は基本的に分離されている。従来の絵画ロボットでも、ロボットが単独で作品を制作する方式が多かった。INDRAでは、人間がキャンバスへ描き、その状態をINDRAが認識し、次にINDRAがキャンバスへ介入する。そして再び人間がその結果を見て描く。人間とロボットが交互に一枚の作品を変化させていく。論文自身が、これを従来のAIアート・ジェネレーターやアート・ロボットとの重要な違いとして強調している。
4.人間が描きAIが見る
この共同制作を可能にするため、INDRAにはコンピュータビジョンが組み込まれている。人間がキャンバスへ何かを描くと、AIはその物理的なキャンバスの現在の状態を視覚情報として取り込む。通常の生成AIは、デジタルデータとして与えられた画像を処理する。しかしINDRAは、現実世界に存在する人間の描画行為の結果を見ることから次の行動を始める。したがって知覚、判断、生成、身体運動という一連の循環が成立する。これは現在身体化AI(Embodied AI)・物理AIと呼ばれている研究方向と極めて近い。INDRAがコンピュータビジョン、生成画像合成、ロボット絵画を統合していることは論文でも明記されている。
5.言葉でもAIと対話する
INDRAには音声認識も組み込まれている。芸術家とAIの関係は人間が命令を入力し、機械が実行するという単純な操作関係ではない。言語的なコミュニケーションも制作プロセスへ組み込むことで、人間がより自然な方法でAIと共同制作できるよう設計されている。論文が重視するのは、技術的に高度なAIを作ることだけではない。芸術家がAIを使う際に、機械を操作していると感じるのではなく、一緒に制作していると感じられる関係を作ることである。音声認識をコンピュータビジョンや生成AIと組み合わせている理由もそこにある。
6.生成AIが次の表現を考える
INDRAはキャンバスの状態を認識した上で、生成AI技術を利用して次の視覚的表現を作り出す。この点でINDRAは、Leonel Mouraのような初期のロボット・アートから一段進んでいる。従来のロボット画家は、あらかじめ設定されたアルゴリズム、色センサー、ランダム性、創発などによって線や色を生成することが多かった。INDRAでは、それに現代の生成AIによる画像合成能力が加わる。身体を持ったロボットと生成AIが統合されている。
7.AIが再び現実世界へ戻ってくる
生成された結果はデジタル画像のまま終わらない。ロボットによる物理的描画としてキャンバスへ戻される。INDRAでは、現実のキャンバス→ AIによる認識→生成AIによる処理→ロボットの身体運動→現実のキャンバスという循環が成立する。更に、その結果を人間が見て次の筆を入れるため、人間→ AI→ロボット→ キャンバス→人間という創造的なフィードバック・ループが形成される。ここにINDRA研究の本質がある。
8.完成作品より描いている時間が重要
従来の生成AIでは、評価される中心は完成画像である。どれだけ美しい画像が生成されたかが重要になる。しかしINDRAでは、それだけではない。人間が描き、AIが反応し、そのAIの反応を見て人間が考え直す。この時間的プロセスが研究対象となる。AI芸術の重点が、AIが何を作ったかから、人間とAIがどのように一緒に作ったかへ移動する。
9.AIは共同制作者
ここから哲学的な問題が生じる。Photoshopや絵筆は人間の命令に従う道具である。しかしINDRAは、人間の作品を認識し、生成AIによって独自の結果を作り、人間が完全には決定していない介入を行う。そうなるとINDRAは単なる道具とは言い切れなくなる。しかし同時に、人間の芸術家と同じ意味で独立した作者とも言い切れない。そこで重要になるのが芸術的主体性である。INDRA研究では、人間が身体化AIと共同制作した時、そのAIにどの程度自分とは別の創造主体がいると感じるのかという問題が重要になる。
10.AIに描かせるからAIと描くへ
INDRAを従来の生成AIと比較すると、この違いが最も分かりやすい。画像生成AIでは、人間が猫を描いてと指示し、AIが猫の画像を作る。この場合、AIは非常に高度ではあるが基本的には生成装置である。INDRAでは、人間が描いている途中の作品をAIが見て、その作品へ介入する。その介入を見た人間が更に作品を変える。したがって研究の方向性は、AIに絵を描かせるから、AIと一緒に絵を描くへの転換である。
11.伝統的絵画と最先端AIを接続
もう一つ重要なのは、INDRAがデジタルキャンバスではなく伝統的キャンパスでの共同制作を意図していることである。これは非常に象徴的である。生成AIが急速に発展すると、芸術はすべてデジタル化していくようにも見える。しかしINDRAは逆方向へ進む。最新の生成AI、コンピュータビジョン、音声認識、ロボティクスを使いながら、最終的には人間が何百年も使ってきた物理的キャンバスへ戻ってくる。新技術によって伝統的絵画を消滅させるのではなく、伝統的絵画の制作過程へAIを参加させる。
12.物理AI時代の絵画の萌芽
この研究をより大きな技術史の中に位置づけると、その意味は更に明瞭になる。
第一段階では、コンピュータは人間が絵を描くための道具であった。
第二段階では、生成AIが人間の指示によって完成画像を自動生成するようになった。INDRAが示す第三段階では、AIが視覚と身体を持ち、現実世界を認識し、物質的なキャンバスへ働きかけ、人間とリアルタイムで共同制作する。デジタル・ツール →生成AI →身体化AI・物理AIという芸術制作の進化を考えることができる。INDRAはまだ研究プロトタイプであり、現在の人間の画家のように自由自在に絵具を扱う万能なAI画家が実現したという研究ではない。しかし、AIが物理世界の芸術制作へ入り込む方向を具体的に示した点に大きな意味がある。
本論文が言いたかったこと
本論文はAIにどこまで上手な絵を描かせられるかではない。研究者たちが考えているのは、人間とAIの関係を、命令する人間と命令される機械という関係から、互いに影響を与えながら創造する関係へ変えられるかという問題である。生成AIでは、人間がプロンプトを入力し、AIが完成作品を返すという関係になりやすい。しかしINDRAでは、一枚の物理的キャンバスを人間とAIが共有する。人間の筆跡がAIを変え、AIの筆跡が人間を変える。その結果、作品の作者を単純に人間あるいはAIと決めることが難しくなる。完成した作品は、人間だけでもAIだけでも生み出せなかった相互作用の結果となるからである。ここにINDRAの先進性がある。AI芸術の未来をAIが人間の芸術家を代替すると考えるのではなく、AIが身体を持って人間の創作空間へ入り込み、人間と機械が互いの創造性を刺激する未来として捉えている。更に物理AIという観点から見ると、本研究は重要な転換点を示している。生成AIは画像を無限に作れるようにしたが、身体化AIは物を作るという人間の行為へ入り始める。絵画であれば、見る、考える、筆を動かす、物質に痕跡を残す、相手の痕跡を見て考え直すという身体的循環へAIが参加することになる。したがってINDRAが提示した本質的な問いは、「AIは芸術作品を作れるか」から人間とAIが一緒に創造する時、芸術家とは誰なのかへの転換である。この点で本論文は、生成AI時代の次に到来する物理AI時代の絵画を先取りした研究と評価できる。
