日本の水素製造研究開発動向

目次

研究成果と低価格大量生産

日本は、水電解、人工光合成、高温ガス炉、産業排熱利用など、複数の方法によって低炭素水素を安く大量に製造する研究開発を進めている。大型水電解装置の運転、世界最大級の光触媒パネル、世界初の液化水素輸送など、個別技術では世界を先導した成果もある。しかし、2026年時点で、日本が再生可能エネルギー由来の水素を化石燃料由来水素と競争できる価格で大量生産し、補助金なしで商業供給している訳ではない。実現しているのは、主として大型実証、要素技術の確立、長時間運転、安全性確認、量産化に向けた技術開発の段階である。したがって、日本は安価な水素の大量生産を既に実現した国ではなく、複数の有力技術について世界水準の研究・実証成果を持つ国と評価ではあるが、商用化にはもう一段の壁がある。

大型水電解の先駆的実証

日本における代表的な大型水素製造設備が、福島県浪江町の福島水素エネルギー研究フィールド(通称FH2R)である。FH2Rは、20メガワットの太陽光発電設備と系統電力を利用し、10メガワット級のアルカリ水電解装置で水素を製造する施設である。定格運転時には、1時間当たり最大1,200ノルマル立方メートルの水素を製造できる。2020年の運転開始時点では、単一スタックの水電解設備として世界最大級であった。この設備の重要性は、単に大型の電解装置を動かしたことだけではない。太陽光発電の変動、電力系統の需給、水素の需要量を予測しながら、水素製造量を調整する運転制御を実証した点にある。水電解装置を再生可能エネルギーの余剰電力の受け皿として利用し、同時に電力系統の需給調整に役立てる仕組である。製造された水素は、福島県内を中心に、燃料電池車、バス、定置用燃料電池などへ供給されている。これは研究室内の実験ではなく、製造、貯蔵、輸送、利用をつなぐ社会実証である。

【FH2Rの評価】

FH2Rは、大型水電解装置の技術的実現性と、再生可能エネルギーに応じて柔軟に運転する制御技術を示した点で高く評価できる。また、旭化成が開発した大型アルカリ水電解装置について、単一スタックで毎時1,200ノルマル立方メートルを製造できることを確認したことは、日本企業の装置大型化技術を示す成果である。一方、FH2Rは低価格水素を市場へ大量販売して利益を得る商業プラントではない。研究実証施設であり、設備費、電力費、保守費、稼働率を含む水素の実際の製造原価が、天然ガス由来水素と競争できる水準になったことを意味しない。FH2Rが証明したのは大型に製造できることであり、十分に安く製造できることではない。この二つを区別する必要がある。

光触媒による人工光合成

日本が特に高い研究成果を持つのが、太陽光と水から直接水素を製造する人工光合成(光触媒水分解)である。この方法では、太陽光を受けた光触媒が水を水素と酸素に分解する。通常のグリーン水素のように、太陽光発電設備で電気をつくり、その電気を水電解装置へ送るという二段階を経ない。将来的には、安価な光触媒パネルと水だけで水素を製造できる可能性がある。日本はこの分野で長い研究蓄積を持つ。半導体光電極を用いた水分解の基礎となる、いわゆる本多・藤嶋効果も日本で発見されたものであり、その後の世界的な光触媒研究の出発点となった。

1.世界初の100㎡光触媒パネル

NEDO、人工光合成化学プロセス技術研究組合、東京大学、信州大学などの研究グループは、100㎡規模の光触媒パネル反応器を屋外に設置し、太陽光によって水素を製造する実証に成功した。100㎡という規模で光触媒水分解から水素を回収した例は、当時世界初であり、研究室の小型セルから屋外大型設備へ拡大できる可能性を示した成果である。この実証では、水素と酸素が混ざった発生ガスを分離膜に通し、平均94%の水素濃度まで高め、73%の水素を回収できることも確認された。天候や季節が変化する屋外環境で、継続的に水素を製造・分離できたことに技術的意義がある。また、紫外光を吸収した光子のほぼ100%を水分解反応へ利用できる光触媒も開発された。これは光化学反応の効率を示す量子収率における成果であり、光触媒研究としては世界最高水準の成果である。

2.光触媒水素の限界

ほぼ100%の効率という表現から、太陽光エネルギーのほぼすべてを水素に変換できたように受け取られることがある。しかし、これは正確ではない。ほぼ100%という数字は、主として紫外光の光子が反応に使われる割合を示す量子収率である。地表に届く太陽光のうち紫外光が占める割合は小さいため、太陽光全体から水素へ変換されるエネルギー効率が100%になった訳ではない。光触媒水素を安価に大量生産するには、太陽光の大部分を占める可視光を有効利用し、太陽エネルギー変換効率を高めなければならない。更に、光触媒の耐久性、パネルの製造費、広大な設置面積、水素と酸素の安全な分離、長期運転などの課題が残る。NEDO関連の事業計画でも、光触媒水分解部材の本格的な事業化は2040年ごろを想定している。したがって、この技術は非常に有望ではあるが、現時点では商業的大量生産技術ではなく、将来の革新的技術である。

3.光触媒と電気分解を組み合わせる新方式

産業技術総合研究所は、光触媒反応と電気分解を組み合わせるハイブリッド方式も開発している。通常の水電解では、理論的に少なくとも1.23ボルトの電圧が必要になる。産総研の方式では、太陽光による光触媒反応で鉄イオンに化学エネルギーを蓄え、そのエネルギーを後段の水素製造に利用する。2024年には、0.9ボルト以下の電解電圧で水素を製造できる流通型システムを実証した。水素製造コストの大部分は電力費であるため、必要電圧を下げられれば製造費低下につながる可能性がある。また、水素と酸素を別々の場所と時間で発生させやすく、安全性の向上にもつながる。

【ハイブリッド方式の評価】

この成果は、電力消費を減らす新しい原理を実際のシステムとして示した点で重要である。しかし、まだ小規模な研究実証であり、大型装置による連続運転、耐久性、光触媒溶液の循環、設備費などは今後の課題である。したがって、低コスト化の可能性を示した成果ではあるが、既に安価な大量生産を実現したものではない。

高温ガス炉の熱を利用するISプロセス

日本原子力研究開発機構は、高温ガス炉から得られる高温の熱を使い、水を熱化学反応によって水素と酸素に分解するISプロセスを研究している。一般的な水電解では電気を使うが、ISプロセスではヨウ素と硫黄を循環利用し、高温熱を主要なエネルギー源として水を分解する。原料は基本的に水であり、反応に使用するヨウ素と硫黄は循環するため、理論的には二酸化炭素を排出せず大量の水素を製造できる。日本原子力研究開発機構は、実用的な工業材料で製作した装置を用い、毎時30リットルの水素を150時間連続して安定製造することに成功した。腐食や配管閉塞などへの対策を行い、一連の化学反応を長時間安定して循環させた点に技術的価値がある。

【ISプロセスの評価】

高温ガス炉が安定した高温熱を供給できれば、天候に左右されず大量の低炭素水素を製造できる可能性がある。電力へ変換してから水を電気分解するよりも、高温熱を直接利用することで、エネルギー効率を高められる可能性もある。一方、実証された毎時30リットルという製造量は、商業プラントの規模から見れば極めて小さい。高温・強腐食性の化学物質を扱う大型設備の耐久性、安全性、建設費、高温ガス炉との接続運転については、今後の実証が必要である。したがって、150時間連続運転は重要な工学的成果であるが、原子力水素の実用化や安価な大量生産の達成と表現するのは早い。

固体酸化物形電解セル

日本では、固体酸化物形電解セル(SOEC)を使った少ない電力で水素を製造する高温電解する研究も進んでいる。SOECは、高温の水蒸気を電気分解する方式である。水を高温にするための熱の一部を、工場排熱や原子力、再生可能熱などから供給できるため、常温の水を電気分解する方式よりも必要な電力量を減らせる可能性がある。NEDOの研究では、100度以下の産業排熱も回収して水蒸気をつくり、交流電力ベースで80%以上、電力消費量では水素1ノルマル立方メートル当たり3.75キロワット時以下を目指す開発が進められている。更に2026年には、SOECの大型化、耐久性向上、製造コスト低減を目的とする新たな研究開発事業が開始された。SOECは、水電解時に生じる熱を再利用でき、外部熱も利用できるため、高効率化が期待されている。

【SOECの評価】

SOECは、製鉄所、化学工場、発電所など、排熱と水素需要の両方がある場所に適した技術である。日本のセラミックス、燃料電池、熱制御、精密製造技術を生かせるため、日本企業が競争力を持つ可能性が高い。一方、高温環境で運転するため、セルやシール材の劣化、起動停止による損傷、大型化、長期耐久性が課題となる。現状ではアルカリ型やPEM型の水電解装置ほど商業化が進んでおらず、次世代技術という位置付けである。

水素エネルギー事業の要点

1.日本国内では安いグリーン水素を作りにくい

水電解で製造するグリーン水素の価格を決める最大の要因は、電解装置の価格だけではなく、使用する電気の価格である。日本は、国土が狭く、平地が限られ、太陽光や風力発電の建設費、系統接続費、土地代が比較的高い。海外の砂漠地帯や強風地域のように、極めて低価格の再生可能電力を大量に確保することが難しい。水電解装置の効率を改善しても、電気料金が高ければ水素は安くならない。また、太陽光や風力だけで装置を動かす場合、発電しない時間には電解装置が停止するため、設備稼働率が下がり、水素一単位当たりの設備費負担が上昇する。FH2Rが再生可能エネルギーだけでなく系統電力も利用しているのは、変動する太陽光を最大限活用しながら、装置の運転と水素供給を安定させるためである。したがって、日本が水素製造装置で技術的優位を持つことと、日本国内で世界最安の水素を生産できることは別問題である。

2.製造技術よりも電力価格が重要

水素の製造コストを大幅に下げるためには、水電解装置の価格低下、効率向上、長寿命化に加え、安価な再生可能電力が必要である。仮に水電解装置の設備価格を半分にしても、電力費が高いままであれば、水素価格全体は半分にはならない。逆に、中東、オーストラリア、南米などで非常に安い太陽光・風力電力を利用できれば、電解装置が多少高価でも、日本国内より安く水素を製造できる可能性がある。このため、日本企業の現実的な競争戦略は、日本国内だけで水素を大量生産することではない。日本製の水電解装置、制御システム、膜、触媒、圧縮機、貯蔵設備を、再生可能エネルギーの安い海外地域で使用し、製造した水素やアンモニアを日本や第三国へ供給することである。

3.技術成果と経済成果を分ける必要

日本の水素研究を評価する際には、技術的成果と経済的成果を分ける必要がある。技術的成果としては、10メガワット級水電解設備の運転、単一大型スタックによる毎時1,200ノルマル立方メートルの製造、100㎡光触媒パネル、94%濃度での水素分離、ほぼ100%の紫外光量子収率、ISプロセスの150時間連続運転、0.9ボルト以下のハイブリッド電解などが挙げられる。これらは世界的にも評価できる成果である。しかし、経済的成果として必要なのは、設備費、電力費、保守費、資金調達費、輸送費などを含めた水素価格が、天然ガス由来水素や他の脱炭素手段と競争できることである。日本政府は水素供給コストを下げる目標を掲げているが、現在も低炭素水素の価格と既存燃料との間には大きな差がある。このため、水素社会推進法に基づく価格差支援などによって市場を立ち上げようとしている。政策支援が必要であること自体が、まだ自立的な低価格市場が成立していないことを示している。

4.世界の中での日本の位置

日本は、大型アルカリ水電解、光触媒、燃料電池、SOEC、高温ガス炉水素、液化水素輸送など、広範囲の技術を持つ点では世界有数である。特に、基礎研究から装置、制御、輸送、利用までを一つの体系として研究している点は強みである。一方、水電解装置の生産量と価格では中国企業、安価な再生可能電力では中東、オーストラリア、南米、税制支援と事業規模では米国、規制による需要形成では欧州が強い。日本は2017年に世界に先駆けて国家水素戦略を策定したが、現在では多くの国が大規模な水素政策を展開している。先行して研究を始めたことが、そのまま将来の市場占有率につながるとは限らない。

5.日本の成果に対する総合評価

日本の取り組みは、研究開発としては高く評価できる。特に、光触媒による100㎡規模の屋外実証、大型アルカリ水電解装置、変動電源に対応する運転制御、高温ガス炉を想定したISプロセスなどは、日本独自または世界先端の成果である。しかし、実用化という言葉には注意が必要である。FH2Rのように実際に水素を製造・供給している技術は存在するが、これは商業的採算が確立した大量生産ではない。光触媒、ISプロセス、SOECは、更に実用化から距離がある。したがって、現在の評価は次のようになる。日本は、水素を大量に製造する装置の大型化と運転技術では実証成果を上げている。水素を少ないエネルギーで製造する革新的原理でも有望な成果を上げている。しかし、安価な低炭素水素を年間数十万トン、数百万トン規模で、補助金に依存せず生産する段階には到達していない。

実用化に必要な条件

日本が真に世界に先駆けて安価な水素製造を実現するためには、水電解装置の量産による設備価格の低下、貴金属や特殊材料の使用量削減、10年以上の長期耐久性、安価な再生可能電力の確保が必要である。更に製鉄、化学、製油、発電などの大口需要家と製造設備を近接させ、輸送費を抑える必要がある。工場排熱をSOECへ利用することや、原子力、高温ガス炉、地熱などの安定した熱源を利用することも有効である。光触媒水素については、太陽光変換効率、耐久性、安全なガス分離、パネル量産費を同時に改善しなければならない。ISプロセスについては、高温ガス炉との接続、大型化、腐食対策、原子力安全規制への適合が必要である。

世界最安の商業生産に向けて

日本には、水素製造に関する世界初、世界最大級、世界最高水準の成果が複数存在する。特に大型アルカリ水電解、光触媒水分解、高温熱化学法、低電圧ハイブリッド電解などは、日本の科学技術力を示す重要な成果である。しかし、日本が世界に先駆けて、安い水素を大量に製造する方法を既に実用化したという説明は誇張を含む。正確には、日本は安価な大量生産につながり得る複数の技術を世界に先駆けて実証しているが、その多くはまだ商業化前であり、現在の水素価格は既存燃料より高い。今後の勝負は、世界初の実験に成功することではなく、その技術を大型化し、量産し、長期間運転し、補助金なしでも需要家が購入できる価格に下げることである。日本の研究成果は有望であるが、技術的成功を産業的成功へ転換できるかどうかは、これからの課題である。

産業と投資に関する考察

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