屈辱感との向き合い方

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屈辱は避けられない試練としての現実

起業しようとする人間は、ほぼ例外なく負けず嫌いである。人に使われるより自分で決めたい、自分の力で成功を勝ちとりたい。誰にも支配されたくないという強い自尊心があるからこそ、リスクを引き受けてまで事業を始めるのである。しかし、事業の世界に足を踏み入れると、その自尊心は何度も何度も挫ける場面に遭遇する。むしろ、屈辱を味わうことが日常になると言っても過言ではない。起業とは、成功の物語である前に、屈辱の連続に耐える営みである。

屈辱的な場面はどこにでも現れる

まず屈辱感を味わう典型的なのは、資金調達の場面である。自分では確信を持って語っている事業を、銀行や投資家には真正面から否定される。けんもほろろに扱われ、相手にされない。それは成立しない。市場がない。あなたには無理だと言われる。時には話の途中で興味を失い、会話を切り上げられる。自分の人生を賭けている事業計画が、数分で評価されてしまう瞬間は、精神的に非常に堪えがたいものである。取引先との交渉の場面でも屈辱感は襲ってくる。相手が大企業であればあるほど、対等ではなくなる。御社の規模では難しい。実績が足りないと言われ、契約条件を一方的に押し付けられる。頭を下げてお願いする立場に追い込まれる。内心では納得していなくても、事業の存続のために飲み込まざるを得ない場面がしばしばだ。さらに厳しいのは、社内での屈辱である。信頼していた社員が辞める。重要な案件でミスが起きて罵倒される。経営判断が外れ離反する。そうした時、経営者は表向き冷静でなければならないが、内心では自分の力不足を突きつけられる。自分がトップである以上、誰かのせいにはできない。この責任の重さそのものが、深い屈辱感を増幅する。そして、社会的な評価も容赦がない。売上が落ちればもう終わりだと噂される。過去に断った相手が成功すると、あの時見る目がなかったと言われる。家族さえもぎくしゃくする。人は結果でしか判断しない。その現実は、起業家の誇りをひどく傷つける。

屈辱は人格否定ではなく現実の情報

しかし、ここで重要なのは、屈辱をどう解釈するかである。屈辱的な言葉や態度は、自分という人格を否定しているように感じられるが、実際にはそうではない。多くの場合、それは単に現実の評価が突きつけられているだけである。資金調達で否定されるのは、自分の価値がないからではない。事業の性格、説明の仕方、タイミング、市場理解、実績不足など、様々な要素が絡んでいる。つまり、それは人格への攻撃ではなく、事業へのフィードバックなのである。この切り分けができるかどうかが、起業家として生き残れるかを分ける。人格として傷つくと、感情が支配し、冷静な改善ができなくなる。だが、情報として受け取れば、次の戦略が見えてくる。

本当に強い人間は屈辱を受け入れる

起業家に必要なのは、傷つかない心ではない。そんなものは存在しない。本当に必要なのは、傷ついても前に進む心である。最初の頃は、断られるたびに落ち込む。否定されるたびに腹が立つ。しかし、何十回と経験すると、ある瞬間から屈辱が特別な出来事ではなく、日常の一部になる。この段階になると、精神は急速に強くなる。否定されても、すぐに立ち直れるようになる。むしろ、否定の中にヒントを探すようになる。ここからが本当の意味での起業家の成長なのである。

屈辱をエネルギーに変える

屈辱には強い感情が伴う。悔しさ、怒り、焦り。これらは本来、非常に大きなエネルギー源である。問題は、それを内側に溜め込んでしまうか、前に進む力に変えるかである。たとえば、投資家に否定されたなら、次はもっと説得力のある説明をしようと考える。取引先に軽く扱われたなら、この会社が無視できない存在になろうと思う。屈辱は、方向さえ間違えなければ、極めて強い推進力になる。歴史的に見ても、大きく成功した経営者の多くは、深い屈辱を経験している。彼らは、それを復讐心に変えたのではなく、成長の燃料に変えたのである。

屈辱への耐性は事業の耐久力

事業とは、長期戦である。一時的な成功や失敗よりも、続けられるかどうかが全てを決める。その意味で、屈辱に耐える力は、そのまま事業の持久力になる。屈辱を避けようとすると、安全な選択ばかりをするようになる。だが、安全な選択は、大きな成功を遠ざける。むしろ、大きな挑戦をするほど、屈辱の機会は増える。それでも前に進み続けられる人間だけが、最後に残る。

屈辱は前に進んでいる証拠である

起業家にとって屈辱は、異常な出来事ではない。むしろ、通過儀礼である。そこを通らずに、大きくなる事業はほとんど存在しない。大切なのは、屈辱を受けたときに、自分は間違っていたのかと人格まで疑わないことである。必要なのは自己否定ではなく、現実認識である。事業のやり方を変えればよい。説明を磨けばよい。仲間を増やせばよい。屈辱を経験した回数の多さは、挑戦した回数の多さでもある。そして、挑戦した回数の多さこそが、起業家の深さをつくる。屈辱は決して恥ではない。それは、前に進んでいる証拠なのである。

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