Siddhartha
1922年刊
Hermann Hesse著
ヘルマン・ヘッセの経歴
ヘッセは1877年、ドイツ帝国ヴュルテンベルク王国に生まれた。厳格なプロテスタント家庭で育ったが、若い頃から近代文明や西洋合理主義に強い違和感を抱き、精神的遍歴を続けた。彼の作品には、自己探求、孤独、精神的覚醒、文明批判が一貫して流れている。代表作にはデミアン、荒野のおおかみガラス玉演戯などがある。1946年にはノーベル文学賞を受賞した。シッダールタは、仏陀(ゴータマ・シッダールタ)と同時代を生きる架空人物シッダールタを主人公としている。ただし本書は仏伝小説ではない。むしろ、人間はいかにして本当の自己へ到達するかを描いた精神的遍歴の物語である。
シッダールタの内容
物語の主人公シッダールタは、古代インドのバラモン階級の青年である。彼は非常に聡明で、美しく、多くの人から将来を期待されていた。しかし彼自身は、学問や宗教儀礼だけでは真の悟りへ到達できないという深い不満を抱えていた。彼は幼なじみのゴーヴィンダと共に家を出て、沙門と呼ばれる苦行者たちの修行へ加わる。ここで彼は、断食、禁欲、瞑想、自己否定など極限的修行を行う。しかしどれほど自己を痛めつけても、真理へ到達できないことを悟る。
やがて二人は、世に偉大な覚者として知られる仏陀ゴータマの存在を知る。シッダールタは彼に会い、その人格の完成と静けさに深い感銘を受ける。しかしここで物語最大の重要場面が訪れる。ゴーヴィンダは仏陀へ帰依するが、シッダールタは去るのである。彼は仏陀の偉大さを認めながらも、悟りは教えとして伝達できないと考える。真理は他人から与えられるものではなく、自ら生きて経験しなければならない。彼はそう確信する。
ここからシッダールタは、自分自身の人生を歩み始める。彼は禁欲生活を捨て、俗世へ入る。美しい遊女カマラと出会い、性愛を学び、商人カマスワミのもとで富と商売を経験する。それまで精神世界だけを追い求めていた彼は、快楽、金銭、欲望、成功へ身を浸していく。しかし年月が経つにつれ、彼は再び深い空虚へ襲われる。贅沢な生活を送っても、魂は満たされない。ある日、絶望した彼は川辺で自殺を考える。しかしその瞬間、オームという宇宙的響きを耳にし、意識を取り戻す。
ここから物語は大きく転換する。彼は渡し守ヴァズデーヴァと共に川のそばで静かに暮らし始める。川は本書最大の象徴である。川は常に流れながら、同時に永遠に存在している。過去も未来も現在も、一つの流れとして統一されている。シッダールタは川の声を聴き続けることで、次第に世界の深い統一性を悟っていく。
後半では、彼の息子との関係も描かれる。シッダールタは息子を愛するが、息子は反抗し、彼のもとを去っていく。ここで彼は初めて、執着する苦しみを身をもって理解する。彼は、知識としてではなく、人生そのものを通して愛と苦を学ぶ。物語終盤、ゴーヴィンダは再びシッダールタを訪れる。そして彼の顔の中に、苦しみと喜び、善と悪、生と死、全てを超えた深い平安を見る。シッダールタは最終的に、世界を否定することではなく、世界をそのまま受け入れることの中に悟りを見出す。
シッダールタが言いたかったこと
シッダールタでヘルマン・ヘッセが伝えたかったことは、真理は知識として与えられるものではなく、自分自身で生きて到達するものだということである。人間は本を読み、教えを学び、哲学を知ることはできる。しかし本当の意味で人生を理解するには、自ら苦しみ、愛し、迷い、失いながら生きねばならない。ヘッセはそこに、人間存在の本質を見ていた。
本書は、人生には無駄な経験はないと語っている。禁欲も、快楽も、富も、絶望も、愛も、苦しみも、全てがシッダールタを悟りへ導いていた。人生とは、善悪で切り分けられるものではなく、すべてが一つの流れとしてつながっている。本書は、世界を否定するのではなく、肯定せよという思想に貫かれている。シッダールタは最終的に、苦しみを排除することで悟ったのではない。むしろ世界の矛盾や苦しみを含めて、その全体を受け入れることで平安へ至った。
シッダールタは、人間はいかに生きるべきかを静かに問い続ける精神の書であり、外に答えを求めるのではなく、自らの人生を深く生きよと語りかける、20世紀精神文学の最高峰である。
