長谷川清白昼に神を視る

長谷川清白昼に神を視る
1991年5月刊
長谷川仁・竹本忠雄・魚津章夫著

目次

著者と長谷川潔の経歴

著者の一人である長谷川仁は、美術評論家として長谷川潔研究に深く関わり、その精神性と技術の両面に光を当てた人物である。竹本忠雄は思想家・評論家として知られ、美術を単なる造形ではなく精神の問題として捉える立場から論じている。魚津章夫は美術史家として近代日本美術、とりわけ版画の系譜に精通し、長谷川潔を国際的文脈の中に位置づけている。

銅版画家の長谷川潔は1891年に生まれ、フランスに渡り長くパリで制作を続け、メゾチント(マニエール・ノワール)技法を極限まで深化させた作家である。静物画を中心に、光と闇の極度に精緻な表現によって独自の世界を築き、20世紀版画史において特異な位置を占める存在である。

本書の内容概要

本書は単なる作品解説ではなく、なぜ長谷川潔はあのような作品に到達したのかという問いを軸に構成されている。内容は大きく三つの層から成る。

1.長谷川潔の生涯と制作過程
日本を離れフランスに渡り、孤独の中で制作を続けた彼の人生は、近代日本人芸術家の典型であると同時に、極めて孤高の精神の軌跡でもある。

2.作品分析
果実や器、貝殻といった静物が繰り返し描かれるが、それらは単なる対象ではなく、存在そのものを問うための媒介として扱われる。

3.思想的考察
本書のタイトルにもある白昼に神を視るとは、宗教的幻視ではなく、現実の中に潜む絶対的な秩序や真理を直視する行為を意味する。長谷川潔の芸術は、可視的世界の背後にある不可視の構造を顕現させる試みである。

長谷川潔の版画の本質

長谷川潔の版画の本質は、光を描くことではなく、闇を通して光を成立させることにある。彼の主要技法であるメゾチントは、版全体を一度完全に黒くした上で、そこから少しずつ明るさを削り出していく技法である。このプロセスは通常の絵画のように描く行為とは逆であり、むしろ削る、除くことで像を浮かび上がらせる行為である。ここに長谷川の思想がある。世界は最初から明るく存在しているのではなく、深い闇の中から徐々に顕現するものであるという認識である。彼の静物は極度に静まり返っている。果実は熟しきり、光はほとんど動かず、時間は停止しているかのようである。しかしその静けさの中に、物質の存在そのものが持つ重さと緊張が凝縮されている。長谷川の版画は、対象の外形を再現するのではなく、存在の本質そのものを露わにする。彼にとって果実とは果実ではなく、存在の象徴であり、影とは単なる暗さではなく、存在を成立させる根源的条件である。

長谷川潔
長谷川潔
時・静物画
長谷川潔
ジロスコープのある静物画

マニエール・ノワールの価値と意義

長谷川潔が極めたマニエール・ノワール(メゾチント)は、単なる技法ではなく、近代芸術における一つの思想的到達点である。

第一に、この技法は黒の深さを極限まで追求したものである。油彩では到達し得ない、吸い込まれるような闇がここにはある。この闇は単なる背景ではなく、光を生み出す源泉である。

第二に、時間の凝縮という価値である。メゾチントは極めて手間のかかる技法であり、一枚の作品に膨大な時間が費やされる。この時間の蓄積が、画面に独特の緊張と密度を与える。

第三に、近代芸術への批評性である。20世紀の芸術がしばしば速度や革新を追求する中で、長谷川はあえて逆行し、沈潜と凝視を選んだ。その結果、彼の作品は時代を超えて普遍性を持つに至った。

長谷川潔のマニエール・ノワールは、見るいう行為を根底から問い直すものである。それは単に対象を見るのではなく、闇の中から世界が立ち現れる瞬間を見つめる行為である。そこにおいて人間は、白昼においてなお神を見る。現実の中に絶対を見出すという、芸術の根源的体験に到達する。

私の長谷川潔(付記)

長谷川潔の版画はもはや高くて手が出せない。自ら模写してその深淵な世界を描くことにする。

長谷川潔「時」國井正人作
時静物画(部分)
國井正人作
鉛筆

未来の輪郭

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