エンデの遺言

エンデの遺言
根源からお金を問うこと
2000年2月刊
河邑厚徳編著

著者とエンデの経歴

本書は、1999年にNHKで放送されたドキュメンタリー「エンデの遺言」を基礎として、ミヒャエル・エンデが晩年に投げかけた貨幣への根源的な問いを追究した書物である。河邑厚徳は、NHKで数多くのドキュメンタリーを手掛けたディレクターである。河邑の特徴は、エンデを単なる児童文学・ファンタジー作家として取り上げなかったところにある。エンデが晩年に貨幣制度について語った問題意識を出発点として、その背後にある思想を調べ、さらに欧米における地域通貨などの実践へ取材対象を広げた。本書はその調査と思索を活字化したものである。

ミヒャエル・エンデ(Michael Ende)は1929年、ドイツのガルミッシュに生まれ、1995年にシュトゥットガルトで死去した。父はシュルレアリスムの画家エドガー・エンデであり、その幻想的な芸術世界は幼少期のエンデに大きな影響を与えた。戦後、演劇を学び、俳優や劇作家などを経て作家となった。ジム・ボタンの機関車大旅行、モモ、はてしない物語などによって世界的作家となり、その作品は53以上の言語に翻訳された。しかしエンデを単なる児童文学作家と捉えると、その思想の重要な部分を見失う。彼は近代社会が合理性、効率性、数量化を過度に重視することによって、人間の想像力や生命的な時間を失っていると考えた。モモにおける時間泥棒はその問題意識を象徴的に表現したものである。晩年には、その問題の根底にある貨幣に強い関心を向けるようになった。

本書の内容

1.エンデが最後に問いかけたお金

本書の出発点は、なぜ現代社会では、お金が人間に奉仕する道具であるはずなのに、逆に人間がお金の論理に支配されるようになるのかという根源的な疑問である。本書の正式な構成も、プロローグ「エンデの遺言」その深い衝撃から、第1章エンデが考えてきたこと、第2章エンデの蔵書から見た思索のあと、第3章忘れられた思想家シルビオ・ゲゼル、第4章貨幣の未来が始まった、第5章お金の常識を疑うへと展開する。エンデにとって貨幣の問題は経済学だけの問題ではなかった。それは人間はいかに生きるべきか、時間とは何か、社会は何のために存在するのかという文明論的な問題であった。

2.モモと貨幣の問題

本書を読むうえで重要なのがモモとの関係である。モモでは、灰色の男たちが人々に時間を節約することを勧める。しかし、人々が時間を節約すればするほど生活は忙しくなり、友人と話したり、子供と遊んだり、何もせず考えたりする時間が失われていく。ここには現代経済に対するエンデの疑問が象徴されている。効率化によって豊かになるはずなのに、なぜ人間はますます時間を失うのか。経済が成長するほど、なぜ更に成長し続ける必要が生じるのか。エンデにとって時間とお金は別々の問題ではなく、近代社会を動かす同じ構造の異なる表現であった。

3.エンデ思想の源流をたどる

本書の興味深い部分は、エンデの発言だけではなく、彼がどのような本を読み、どのような思想に接近していたのかを追跡した点にある。その過程で浮かび上がってくる重要人物が、ドイツ生まれの経済思想家シルビオ・ゲゼルである。本書は一章を割いて忘れられた思想家シルビオ・ゲゼルを取り上げている。

4シルビオ・ゲゼルと老化するお金

ゲゼルが問題にしたのは、通常の商品と貨幣との性質の違いである。食料は腐敗し、建物は傷み、機械は摩耗する。人間も老いる。ところが貨幣は保存できるばかりか、利子によって増殖することさえある。このため貨幣を持つ者は交換を待つことができ、貨幣を必要とする側に対して構造的に有利になる。そこでゲゼルは、貨幣も時間とともに価値が減少する仕組を持たせればよいと考えた。いわゆる減価する貨幣である。重要なのは、単に貯金を罰するという発想ではない。貨幣を蓄積すること自体が目的になる状態を弱め、貨幣を本来の交換手段として社会の中で循環させようという思想である。本書の中心的テーマの一つがこの発想である。

5.利子と無限成長への疑問

ここから問題は更に大きくなる。利子によって貨幣が増殖する仕組が社会全体に組み込まれれば、経済には継続的な成長圧力がかかる。しかし自然界には限界がある。資源にも環境にも人間の時間にも限界がある。それにもかかわらず金融上の数字だけが際限なく成長することを要求するならば、いずれ実体経済や自然環境との間に矛盾が生じる。エンデが問題にしていたのは富そのものではなく、有限な世界の上に無限の貨幣増殖を要求する仕組を置くことの矛盾であった。

6.地域通貨という実験

本書は思想の紹介だけに終わらない。取材班はエンデの問題提起を手掛かりとして、欧米で既に始まっていた新しい貨幣の実験を取材している。米国のイサカ・アワー、ヨーロッパの交換リング、スイスのWIRなどが代表例である。国家が発行する通貨とは別に、一定の地域や共同体の内部で使用する交換手段を作ることで、地域内部の取引や人間関係を活性化させようとする試みである。ここで重要なのは、地域通貨を円やドルに代わる万能通貨として提示している訳ではない。それらの実験を通して、そもそもお金とは何なのかという常識を問い直している。

7.お金は一種類でなければならないのか

本書が更に提起するのは、すべての経済活動を一種類の貨幣だけで処理する必要があるのかという問題である。国際貿易や大規模投資に適した貨幣と、地域社会で商品やサービスを交換するための貨幣は、必ずしも同じ機能を持つ必要はない。貨幣を目的に応じて複数化するという発想がここから生まれる。貨幣は自然法則ではなく、人間が作った社会制度である以上、人間の目的に合わせて設計し直すことができる。

8.暴走するお金を人間社会へ取り戻す

こうして本書は単なる金融制度批判を越えていく。現代では貨幣が実体経済から離れ、金融市場の内部で自己増殖する傾向を強めている。本書が刊行された2000年当時、金融のグローバル化はすでに急速に進んでいた。エンデが求めていたのは、経済を否定することでも市場を廃止することでもない。むしろ、経済や貨幣を再び人間の生活に奉仕する道具へ戻すことであった。

本書が言いたかったこと

私たちはお金を使っているのか、それともお金によって生き方を決められているのか。私たちは円、ドル、銀行、利子、投資、経済成長といった制度を、あたかも自然界にもともと存在する仕組のように受け入れている。しかし貨幣制度は人間が歴史の中で作ったものであり、自然法則ではない。人間が作った以上、その仕組が人間の幸福を損なうのであれば作り替えることも可能である。その意味でエンデの問いは、どのような新しい通貨を作るべきかという技術論だけではない。むしろ、経済の目的とは何なのかという問いを人間の側へ取り戻すことにある。モモで人々が時間を節約するほど本当の時間を失っていったように、現代人も富を増やそうとするほど、生活の豊かさ、自然、人間関係、自由な時間を失う可能性がある。エンデが最後に問いかけたのは、成長を目的とする社会から、人間が本当に生きるための経済へ転換できないかということであった。したがって本書は地域通貨の紹介書というより、貨幣を変えることによって社会を変えるという思想を通じて、最終的には人間にとって本当の豊かさとは何かを問い直した文明論である。

未来の輪郭