Art as Experience
1934年刊
John Dewey著
ジョン・デューイの経歴
ジョン・デューイは、1859年米国バーモント州バーリントンに生まれた哲学者である。1879年にバーモント大学を卒業し、ジョンズ・ホプキンズ大学大学院で哲学を研究した後、ミシガン大学で哲学を教え始めた。当初はヘーゲルの観念論哲学から強い影響を受けていたが、その後、独自の哲学を形成していった。デューイの思想は、アメリカの実用主義を代表するものである。デューイは、人間を世界から切り離された純粋な思考主体としてではなく、自然や社会との相互作用の中で生き、学び、成長する存在として捉えた。この思想が、後年の芸術論の基礎となった。デューイは、芸術を哲学的な概念によって説明するのではなく、人間が実際に芸術を制作し、鑑賞する経験から、その本質を理解しようとした。
本書の内容
1.芸術の本質
デューイは、芸術を理解するためには、まず芸術作品を美術館や博物館の中だけで考える習慣から離れる必要があると論じる。近代社会では、絵画や彫刻などの芸術作品は、日常生活から切り離され、美術館という特別な空間に展示されるようになった。そこでは、芸術作品は人々の生活や社会的な活動から独立した、鑑賞すべき特別な物体として扱われる。しかし、デューイは、このような芸術の捉え方が、芸術の本来の意味を見失わせていると考えた。古代社会において、芸術は宗教、祭礼、労働、建築、共同体の生活などと密接に結びついていた。神殿の彫刻や壁画、祭礼で演奏される音楽、共同体の儀式に用いられる装飾品などは、人々の生活の中で実際に経験されるものであった。芸術は、日常生活とは異なる特別な世界に存在していたのではなく、人々が生きることと深く結びついていた。芸術の本質を理解するためには、完成された作品という物体だけではなく、それが人間の生活の中でどのような経験を生み出すのかを考えなければならない。一枚の絵画は、美術館の壁に掛けられているだけでは、鑑賞者にとって十分な意味を持たない。鑑賞者がその絵画に向き合い、色彩や構図を感じ取り、自らの記憶や感情を働かせ、作品との関係を深めることによって、初めて芸術としての経験が成立する。デューイにとって、芸術は物体としての作品だけに存在するのではなく、作品と人間との相互作用の中に成立する。
2.経験とは何か
デューイの芸術論の中心にあるのは経験である。デューイにとって経験とは、人間の意識の内部だけで生じる心理的な現象ではない。人間が自然や社会などの環境に働きかけ、その環境から影響を受けるという、相互作用の過程全体を意味する。例えば、人間が山道を歩く時、足元の地形や風、気温、光、周囲の風景などから絶えず影響を受けている。同時に、人間は歩く速度を変え、進む方向を選び、周囲の環境に対応しながら行動している。経験とは、このように人間が環境に働きかけ、環境から働きかけられる過程である。芸術家が絵画を制作する時も同様である。画家はキャンバスに絵具を塗り、線を引き、色彩を配置する。しかし、画家は自らの構想を一方的にキャンバスへ押しつけている訳ではない。実際に描かれた色彩や形態を見つめ、その結果から新しい印象を受け、当初の構想を修正しながら制作を進めていく。画家は作品を制作すると同時に、制作中の作品から影響を受けている。この相互作用を通じて、当初は明確でなかった構想が次第に具体化し、一つの作品として完成していく。デューイは、芸術創造を、あらかじめ完成した観念を物質に移し替えるだけの作業とは考えない。芸術家と素材、行為と知覚が相互に働きかけることによって、新しい経験と表現が生み出される。
3.一つの経験
人間が日常生活の中で経験する出来事の全てが、芸術的な経験になる訳ではない。人間は毎日、無数の出来事を経験している。しかし、それらの多くは断片的であり、明確な始まりや終わりを持たず、互いに十分な結びつきを持たないまま過ぎ去っていく。これに対して、ある出来事が一つのまとまりを持ち、始まりから展開を経て充実した完結に至るとき、人間はそれを特別な経験として記憶する。デューイは、このような経験を一つの経験と呼んだ。例えば、友人との印象深い会話、美しい夕焼けを眺めた時間、困難な問題を解決した瞬間、優れた音楽演奏を聴いた経験などが挙げられる。それらの経験では、個々の出来事がばらばらに存在しているのではなく、全体として一つの意味を形成している。優れた音楽を聴く時、一つ一つの音は独立して存在している訳ではない。旋律が展開し、緊張が高まり、変化を経て終結へと向かうことで、一つのまとまった経験が成立する。絵画を鑑賞する場合も同様である。鑑賞者は、最初に作品全体からある印象を受け、次に色彩や形態、構図などの細部に目を向け、それらの関係を感じ取りながら、作品全体に対する理解を深めていく。こうした経験が充実したまとまりを獲得する時、美的経験が成立する。美的経験は単に快適で美しいものに接することによって生じる訳ではない。デューイにとって、美的経験とは、感覚、感情、思考、行為が一つのまとまりを持って結びつき、経験が充実した意味を獲得することである。
4.芸術創造とは何か
デューイは、芸術を単なる感情の発散と同一視する考え方を批判する。人間が怒りを感じて大声を出したり、悲しみによって涙を流したりすることは、感情の直接的な発散である。しかし、そのような行為が直ちに芸術になる訳ではない。芸術的な表現が成立するためには、感情が素材や経験との関係の中で整理され、他者が経験できる形へと変化する必要がある。例えば、画家が強い悲しみを感じ、その感情を絵画によって表現しようとする場合、画家は、悲しみを感じた瞬間にその感情をそのままキャンバスに移し替える訳ではない。自らの記憶や経験を振り返り、どのような色彩や形態がその感情にふさわしいかを探りながら、制作を進めていく。制作の過程では、当初の感情も変化する。悲しみは、怒りや諦め、静けさ、あるいは新しい希望と結びつき、より複雑な精神的内容へと発展する。芸術家は、感情を単に外部へ放出するのではなく、制作という経験を通じて感情を新しい形へと変容させる。デューイは、このような過程に芸術的表現の本質を見いだした。芸術作品は、芸術家の内面にあらかじめ完成した感情や思想が存在し、それを外部へ移し替えたものではない。芸術家が素材と関わりながら制作を進める過程によって、表現すべき内容が形成される。したがって、芸術創造とは、単に感情を表現する行為ではなく、経験を新しい意味ある形へと組織し直す活動である。
5.形式と内容
デューイは、芸術作品の形式と内容を、互いに独立したものとして捉える考え方にも疑問を投げかけた。従来の芸術論では、作品が何を表現しているかという内容と、それをどのような技法や構図によって表現しているかという形式が、別々に論じられることが多かった。しかし、デューイにとって、形式と内容は芸術作品の中で切り離すことのできない関係にある。例えば、画家が夕暮れの風景を描く場合、その作品の内容は、単に夕暮れという自然現象だけではない。夕暮れの光がもたらす静けさ、時間の経過に対する感覚、風景を眺める画家の感情などが、作品の内容を形成する。そして、それらの内容は、色彩、明暗、構図、筆触などの具体的な表現によって初めて成立する。仮に同じ夕暮れの風景を描いたとしても、鮮やかな色彩と激しい筆触を用いた作品と、淡い色彩と静かな構図を用いた作品とでは、鑑賞者が経験する内容は大きく異なる。形式は、あらかじめ存在する内容を包み込む外側の容器ではない。内容は、形式を通じて具体的な意味を獲得する。優れた芸術作品において、素材、技法、構図、色彩、感情、思想などが相互に関係し、一つの統一された経験を形成する。この統一は、すべての要素が均一に整えられていることを意味しない。強い対比、不均衡、緊張、変化なども、作品全体の経験を成立させる重要な要素となる。優れた芸術作品とは、単に美しい形態を備えた作品ではなく、様々な要素が相互に働きかけ、鑑賞者に一つの充実した経験をもたらす作品である。
6.芸術家と鑑賞者
デューイの芸術論において重要なのは、芸術家による制作と鑑賞者による鑑賞を、完全に異なる活動として区別しないことである。芸術家は、作品を制作する過程で、自らの行為によって生じた結果を絶えず知覚し、その結果に応じて制作を進めていく。画家は絵具を塗ると同時に、描かれた色彩や形態を見つめ、作品全体の変化を感じ取る。芸術家は制作する者であると同時に、自らの作品を鑑賞する者でもある。一方、鑑賞者もまた、完成された作品から感覚的な刺激を受動的に受け取るだけではない。鑑賞者は、作品の色彩や形態、構図などを積極的に知覚し、自らの経験や記憶、想像力を働かせながら、作品全体の意味を形成していく。例えば、抽象絵画を鑑賞する場合、作品には明確な物語や具体的な対象が描かれていないことがある。それでも鑑賞者は、色彩の対比、形態の配置、画面全体の緊張や調和などを感じ取りながら、作品の中に独自の意味を発見することができる。その意味で、鑑賞は、芸術家が作品に込めた意味を正確に読み取るだけの作業ではない。鑑賞者自身が作品との相互作用を通じて、新しい経験を形成する活動である。芸術家と鑑賞者は、それぞれ異なる立場から、作品を通じた経験の形成に参加する。デューイにとって、芸術は作品が完成した瞬間に終わるものではない。作品が鑑賞され、新しい経験を生み出すことによって、芸術は人間の生活の中で現実の働きを持つのである。
7.知覚と想像力
デューイは、芸術鑑賞における知覚の重要性を強調した。人間は日常生活において、多くの対象を習慣的に認識している。例えば、道端に咲く花を見ても、単に花が咲いていると認識するだけで、その色彩や形態、周囲の光との関係を十分に感じ取らないことがある。このような習慣的な認識は、日常生活を効率的に送るためには役立つが、対象が持つ豊かな性質を十分に経験することにはつながらない。デューイは、対象を既知のものとして識別することと、対象を深く知覚することを区別した。芸術的な知覚においては、人間は対象を単に分類するのではなく、その具体的な性質や相互関係を感じ取る。例えば、一枚の絵画を見て、それが風景画であると理解することは、作品を識別したことにすぎない。その絵画の色彩や光、空間の構成、筆触などを注意深く観察し、それらが全体としてどのような経験を生み出しているかを感じ取ることによって、初めて深い鑑賞が成立する。ここでは、想像力も重要な役割を果たす。鑑賞者は、作品の中に直接描かれていない時間や空間、感情などを想像し、自らの経験と結びつけながら、作品の意味を深めていく。芸術鑑賞とは、作品を知識によって分類することではなく、感覚、記憶、想像力、思考を総合的に働かせながら、作品との関係を深める活動である。
8.芸術と社会
デューイは、芸術を個人の内面的な感情や美的な喜びだけに限定せず、人間の社会的な生活と深く結びついた活動として捉えた。人間は、それぞれ異なる環境の中で生活し、異なる経験を積み重ねている。そのため、他者が何を感じ、どのような世界を経験しているのかを完全に理解することは容易ではない。しかし、芸術作品は、ある人間が経験した世界を、他者が感覚的に経験できる形で表現する。例えば、異なる時代や文化の人々が制作した絵画や音楽、文学に接することによって、鑑賞者は、自らの日常生活では経験することのできない世界に触れることができる。芸術は、個人の経験を他者と共有できる形へと変える。デューイは、このような芸術の働きに、人間同士の交流を深め、社会的な共同生活を豊かにする可能性を見いだした。芸術は、異なる文化や社会に生きる人々の経験を結びつけ、他者に対する理解や想像力を広げることができる。この意味で、芸術は社会から切り離された個人的な活動ではない。人間が互いの経験を共有し、共同生活の意味を深めていくための重要な活動である。デューイは、芸術が人々の生活から隔離され、限られた人々だけが享受する特別な文化財として扱われることに疑問を呈した。芸術が本来持っている社会的な力を発揮するためには、人々の日常生活の中で芸術的な経験が生み出され、共有されることが重要である。
9.独創的な芸術とは何か
デューイの芸術論を、独創的な絵画や芸術家の創造性という観点から考察すると、重要な問題が浮かび上がる。それは、芸術の独創性が、単に従来の作品とは異なる形態や技法を生み出すことにあるのではなく、人間が世界を経験する新しい方法を創造することにある。例えば、画家が従来の遠近法や写実的な表現を離れ、独自の色彩や形態によって風景を描いたとする。その作品の価値は、従来の絵画と異なるという新奇性だけでは決まらない。その表現によって、鑑賞者が風景の中にこれまで気づかなかった性質を発見し、世界を新しい形で経験できるようになることが重要である。同じ対象を描いた作品であっても、芸術家の経験や感性、素材との関わり方によって、全く異なる芸術的な経験が生み出される。また、独創的な芸術は、必ずしも芸術家が制作を始める前に、完全な構想を持っていることから生まれる訳ではない。芸術家は、素材と関わりながら試行錯誤を重ね、その過程で新しい可能性を発見する。当初の構想とは異なる色彩や形態が現れ、それが新しい表現の方向を生み出す。芸術創造とは、既存の構想を正確に実現するだけの活動ではなく、制作という経験を通じて、新しい意味や表現を発見する活動なのである。このようなデューイの思想を現代絵画に応用するならば、独創的な芸術とは、芸術家が自らの経験を新しい形で組織し、それによって鑑賞者に従来とは異なる経験をもたらす作品である。デューイが重視したのは、作品の新しさではなく、芸術家と鑑賞者の経験が、作品を通じてどれほど豊かで充実したものになるかにある。
本書が言いたかったこと
芸術とは日常生活から切り離された特別な物体や活動ではなく、人間が世界と深く関わり、自らの経験を豊かで意味あるものへと変えていく営みである。人間は、自然や社会との相互作用を通じて、絶えず新しい経験を積み重ねている。しかし、その経験の多くは断片的であり、十分な意味を獲得しないまま過ぎ去っていく。芸術は、そのような経験の中に存在する感覚、感情、思考、行為を結びつけ、一つの充実したまとまりへと変える。芸術家は、世界から受けた印象や感情を単に外部へ表現するのではなく、素材と関わりながら制作を進めることによって、自らの経験を新しい形へと変容させる。鑑賞者もまた、完成された作品を受動的に眺めるだけではなく、作品との相互作用を通じて、自らの経験を新しく形成していく。したがって、芸術の価値は、作品という物体の美しさや希少性、制作技術の高さだけによって決まるものではない。作品を通じて、人間がそれまで気づかなかった世界の性質を発見し、自らの感覚や想像力を深め、人生をより豊かに経験できるようになることが重要である。優れた芸術家とは、単に美しい作品や斬新な作品を制作する者ではなく、世界を独自の方法で経験し、その経験を他者が共有できる形へと変える者である。
