The Curator’s Egg
The Evolution of the Museum Concept from the French Revolution to the Present Day
2000年刊
Karsten Schubert著
著者シューベルトの経歴
カールステン・シューベルトは1961年ベルリン生まれの美術商、ギャラリスト、著述家である。ドイツで神学を学んだ後、美術界に入り、ケルンの美術商を経てロンドンに移り、現代美術界で大きな影響力を持つリッソン・ギャラリーで働いた。その後、1986年、ロンドンのシャーロット・ストリートに自身のギャラリーを開設した。シューベルトが美術史上重要なのは、単なる研究者ではなく、実際の美術市場の内部で活動した人物だった点にある。アリソン・ワイルディングをはじめ、ゲイリー・ヒューム、マイケル・ランディ、レイチェル・ホワイトリードなど、後にYoung British Artists(YBA)と呼ばれる世代を早くから支援し、ブリジット・ライリー、カール・アンドレ、ゲルハルト・リヒターなどとも関わった。特に1980年代末から90年代の英国現代美術の形成に重要な役割を果たした。
本書の内容
1.フランス革命と公共美術館の誕生
シューベルトは近代美術館の歴史を、フランス革命とルーヴル美術館の成立から本格的に開始する。王侯貴族が所有していた美術品が革命によって国家・国民の財産へと読み替えられ、一般市民が鑑賞できる公共的空間へ移されたことは、美術館史上の決定的転換であった。本書はルーヴルの成立からテート・モダンまでを約250年にわたって追跡する構成を取っている。ここで重要なのは、美術館が単なる美術品の倉庫ではなかったことである。何を展示し、どの時代を重視し、作品をどの順序で並べるかによって、国家は自らの文化観を提示する。したがって近代美術館の成立は、王侯の私的コレクションが公共化された歴史であると同時に、美術を通じて国民文化を構築する制度が誕生した歴史でもあった。
2.19世紀の美術館
19世紀になると、パリ、ロンドン、ベルリンなどのヨーロッパ主要都市で美術館が国家的文化制度として発展する。ナショナル・ギャラリー、ベルリンの博物館島などは、美術作品を保存するだけでなく、文明の歴史を体系的に展示しようとする施設となった。作品は学校別、国別、時代別に整理され、美術館を歩くことによって鑑賞者が美術史を体験できるようになる。ここにキュレーターや美術史研究者の権限が生まれる。シューベルトが重視するのは、この分類が必ずしも客観的なものではないことである。何が傑作であるか、どの画家を重要とするか、どの時代を美術史の中心とするかという判断によって、美術館は美術史を保存するだけでなく、美術史を編集する機関となった。
3.アメリカ型美術館
ヨーロッパとは異なる発展を遂げたのがアメリカである。シューベルトは、とりわけ1930~50年代のニューヨークに注目し、メトロポリタン美術館の拡大とニューヨーク近代美術館(MoMA)の成立を論じる。ヨーロッパの美術館には王室や国家のコレクションを母体としたものが多かったのに対し、アメリカでは実業家、銀行家、大富豪、財団、個人コレクターの力が大きかった。私的な富によって形成されたコレクションが寄贈され、公共文化へ転換される。同時にMoMAの登場は、過去の名作を保存するという従来の美術館概念を大きく変えた。美術館が存命作家や新しい芸術運動を積極的に評価し、現代美術の方向に影響を与えるようになった。
4.美術館から現代美術館へ
20世紀になると、美術館の役割は更に変化する。伝統的な美術館では既に歴史的評価の定まった作品を収集することが中心であった。しかし現代美術館では、まだ評価の確定していない芸術家を紹介し、その価値を社会に提示することが重要になる。ここでキュレーターの権限は飛躍的に大きくなる。何を展示するかという判断が、作家の評価、市場価格、美術史的位置を左右する。美術館は過去を保存する機関から、現在の芸術を選択し、未来の美術史を作る機関へと変わっていった。この変化は、美術館と画商、コレクター、批評家、美術市場との境界も曖昧にしていった。シューベルト自身が画商であったからこそ、この問題は本書において現実感をもって捉えられている。
5.ポンピドゥー・センターが起こした革命
本書における大きな転換点が1977年に開館したパリのポンピドゥー・センターである。従来の美術館は、静かに作品と向き合う文化的神殿に近かった。ところがポンピドゥーは美術館、図書館、音楽、映像、教育、イベントなどを組み合わせ、多数の市民を呼び込む巨大文化センターとなった。ここから美術館は作品を見せる場所から、人々が文化を体験する場所へと変化していく。美術館経営においても来館者数、企画展、広報、教育、ショップ、レストランなどが重要になり、美術館が都市の文化産業の一部となっていった。
6.世界的な美術館ブーム
シューベルトが特に詳しく論じるのが1980年代から90年代にかけての美術館の急成長である。この時代、ヨーロッパとアメリカでは美術への関心が急速に拡大し、美術館の新設、増築、再開発が相次いだ。既存の美術館も急増する観客に対応するため、展示方法や運営方針を見直さざるを得なくなった。そして美術館建築が文化的商品となっていく。著名建築家による巨大美術館が都市の象徴となり、美術館は観光客を呼び込み、地域経済を活性化させる手段として期待されるようになる。その象徴的事例がビルバオのグッゲンハイム美術館である。ここでは収蔵作品だけでなく、建築そのものが人々を引きつける。美術館は都市再生、観光、国際的ブランド戦略と結びつく巨大文化施設となった。
7.テート・モダン
本書の初版が到達する象徴的な地点が、2000年に開館したロンドンのテート・モダンである。かつての発電所を巨大な現代美術館へ転換したテート・モダンは、20世紀末までに進行した美術館の変化を集約する存在として扱われる。実際、本書はルーヴルの開館からテート・モダンの誕生までを一つの大きな歴史として描いている。ここでは美術館はもはや美術に詳しい人だけが行く場所ではない。観光客、家族、若者、学生、専門家など巨大な観客層を吸収する都市空間となる。この意味で、ルーヴルからテート・モダンまでの約200年間に、美術館は王侯のコレクションを公開する施設から、大衆文化、観光、教育、都市政策までを包含する巨大な社会制度へ変貌したのである。
8.スペクタクルの民主主義という新たな問題
2009年の第3版では、新たなエピローグが加えられた。これは初版刊行から約10年を経て、9・11以後の世界における美術館の状況を再検討したものである。美術館が大衆化したことは、一面では文化の民主化である。かつて上流階級や専門家のものだった美術を何百万人もの人々が楽しめるようになった。しかしその成功には逆説がある。来館者数を競い、有名建築家を起用し、大規模企画展を開催し、ショップや飲食施設を拡充するほど、美術館が一種の娯楽産業になりかねない。したがって現代美術館は、より多くの人に開かれた公共文化施設になることと、芸術作品を深く研究・保存・鑑賞する場所であり続けることという二つの使命の間で緊張を抱えることになった。
本書が言いたかったこと
美術館とは完成された制度ではなく、社会の変化に応じて絶えず姿を変えてきた歴史的な制度である。王侯のコレクションを国民に公開したルーヴル、美術史を体系化した19世紀ヨーロッパの美術館、富豪の寄付によって発展したアメリカの美術館、現代美術の価値を積極的に作り出したMoMA、文化を大衆化したポンピドゥー、都市再生の象徴となったビルバオ、巨大な公共文化空間となったテート・モダンは、一見すると同じ美術館でありながら、その社会的役割は大きく異なる。そして、この歴史を通じて次第に大きな力を持つようになったのがキュレーターである。美術館が単に過去の名品を保存する場所である限り、キュレーターは保存・研究・分類の専門家であればよかった。しかし美術館が現代の芸術を選び、展覧会を企画し、社会に意味を提示する機関になると、キュレーターは何を芸術として社会に見せるかを決定する存在となる。しかし同時に、美術館が巨大化し、大衆化し、観光・都市政策・スポンサー・市場・メディアと結びつくほど、キュレーター自身も自由ではなくなる。美術館長、理事会、寄贈者、企業スポンサー、政治家、建築家、観客、美術市場など、多数の利害関係者の中で判断しなければならない。シューベルトが描く美術館史は、単純な文化の進歩の歴史ではない。美術館が民主化されればされるほど巨大化し、巨大化すればするほど政治・経済・観光・市場に組み込まれるという逆説の歴史なのである。
