色彩からみる近代美術

色彩からみる近代美術
2022年刊
前田富士男編

目次

編者の経歴

編者である前田富士男は、日本の西洋美術史研究を代表する研究者である。とりわけドイツ近代美術、表現主義、近代の視覚文化論に関する研究で知られる。東京大学大学院で美術史を学び、ミュンヘン大学へ留学する。ドイツ近代思想と美術理論を背景に、単なる様式史ではなく、視覚とは何か、近代人はいかに色を経験したかという根源的問題を研究している。前田は、絵画を単なる美的対象としてではなく、文明そのものの感覚構造を映し出す装置として捉える。本書においても、色彩は装飾的要素ではなく、人間の知覚・精神・社会意識を可視化する重要な媒体として論じられている。

本書の内容

本書は、近代美術史とは色彩解放の歴史であるという問題意識のもとに構成されている。ルネサンス以来、西洋絵画は長らくデッサンや形態を中心に組み立てられてきたが、19世紀以降、色彩が自律的価値を持ち始める。その変化を、美術史・科学・哲学・心理学・都市文化など多面的観点から分析している。

生きる喜び
生きる喜び
マティス.

本書ではニュートンやゲーテの色彩理論から出発し、19世紀における光学研究や産業革命による顔料革命が、画家たちの色彩感覚をいかに変えたかが論じられる。印象派における光の色彩、ゴッホやゴーガンにおける感情の色彩、マティスやフォーヴィスムにおける解放された色彩、カンディンスキーや抽象絵画における精神的色彩へと論が展開される。

夜のカフェテラス
夜のカフェテラス
ゴッホ

本書は、単に画家ごとの色彩技法を解説するのではなく、近代とは色彩が現実再現から解放され、自立した存在となってゆく時代であると捉える。色彩は、もはや対象を塗るための手段ではなく、世界認識そのものを構成する主体となる。20世紀後半に入ると、色彩は絵画空間を超え、広告、デザイン、映像、都市空間へと拡張されていく。本書はその変化も視野に入れ、近代美術における色彩が現代視覚文化へどう接続されたかを示している。

子供と伯母
子供と伯母
クレー

色彩のゆくえ

1.色彩論

色彩とは単なる感覚ではなく、世界をどう知覚するかという思想である。西洋絵画史では長らく、線描が理性、色彩が感情と考えられていた。古典主義ではデッサンが重視され、色彩は補助的役割にとどめられていた。しかし近代に入ると、この序列が崩壊し始める。ゲーテは色彩論において、色彩を単なる物理現象ではなく、人間心理と結びついた経験として捉えた。これが近代色彩論の出発点となる。印象派は、物の固有色ではなく、光によって変化する瞬間的色彩を描いた。ここで色彩は客観的再現から解放される。ゴッホになると、色彩は感情や精神の表現となる。黄色は太陽の歓喜となり、青は孤独や無限性を象徴する。近代美術における色彩とは、見えるものを描く技術ではなく、人間が世界をどう経験するかを可視化する思想へ変化した。

2.色彩への挑戦

近代美術とは、色彩への挑戦の歴史でもあった。モネは光そのものを描こうとし、セザンヌは色面によって空間構造を作ろうとした。ゴーガンは自然色を捨て、象徴的色彩を導入した。マティスは純粋色彩によって画面を構成し、色彩は感情を直接伝える力であると考えた。特にフォーヴィスムは、西洋絵画史における色彩革命であった。赤い空、青い樹木、緑の顔など、自然再現を超えた色彩が登場する。ここで色彩は対象への従属から完全に解放された。カンディンスキーは、色彩と音楽の対応関係を追求した。彼にとって青は精神性、黄色は運動性、赤は生命力を意味していた。色彩は抽象精神の言語へと変化したのである。20世紀になると、ロスコやニューマンらの色面絵画では、色彩そのものが宗教的空間となる。巨大な色面は観る者を包み込み、色彩はもはや絵画の要素ではなく、存在そのものに近づいていく。

3.色彩の今

現代社会は、歴史上かつてないほど色彩に満ちた社会である。都市広告、テレビ、映画、デジタル映像、ファッション、インターフェースなど、人間は日常的に人工色彩に囲まれて生きている。本書では、近代美術が切り開いた色彩解放が、最終的に大衆視覚文化へ拡散したことが示唆される。その一方で、現代の色彩は消費社会と結びつき、瞬間的刺激へ変化している。かつて画家たちが精神や存在を表現するために探究した色彩は、マーケティングや広告技術の一部として利用されるようにもなった。現代は、色彩が最も自由になった時代であると同時に、最も商品化された時代でもある。

4.色彩のゆくえ

本書が示唆する重要な未来像は、色彩が物質から解放されつつあるという点である。絵具や顔料によって成立していた色彩は、デジタル技術によって光のデータへ変化した。液晶やLEDによる発光色彩は、従来の物質色彩とは異なる経験を生み出している。この変化は、美術の根本にも影響を与える。近代絵画が追求した色彩の精神性は、映像・VR・AI生成画像・デジタル空間へと移行していく。色彩は、キャンバス上の絵画から、人間の環境そのものを構成するメディアへ変貌しつつある。

近代美術における色彩とは何か

近代美術における色彩とは、世界の見え方の革命であった。古典絵画において色彩は形態に従属していた。しかし近代に入ると、色彩は独立した力を獲得し、人間の感情、精神、知覚、存在を直接表現する媒体となった。印象派は光を、ゴッホは感情を、マティスは歓喜を、カンディンスキーは精神性を、ロスコは存在の深淵を色彩によって描こうとした。近代美術の歴史とは、単なる様式変化ではない。それは人間はいかに世界を知覚するかという問いの歴史であり、その中心に色彩が存在していた。現代において色彩は、絵画を超え、都市、映像、情報空間、デジタル環境へ拡散している。近代画家たちが解放した色彩は、今や人類の知覚環境そのものを形成する力となっている。

私のマティス(付記)

色彩を解放したマティスに敬意を払い、私が模作・模写したマティスをいつくか。

マティスのブルーヌードⅡ
ブルー・ヌードⅡ
國井正人作 
アクリル
マティスの赤い室内
赤いアトリエ(部分)
國井正人作
パステル

未来の輪郭

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