セザンヌ

セザンヌ
近代絵画の父、とは何か?
2019年7月刊
永井隆則編

著者とセザンヌの経歴

イザベル・カーン
イザベル・カーン(Isabelle Cahn)は1954年生まれのフランスの美術史家である。パリ・ナンテール大学、ルーヴル学院、フランス国立文化財学院で学び、19世紀後半から20世紀初頭のフランス美術を専門としてきた。オルセー美術館では絵画部門の主任級学芸員として活動し、ポスト印象派、ゴッホ、新印象主義、ナビ派などのコレクションを担当した。マネ、ゴーギャン、セザンヌなどについて研究を重ね、ポール・セザンヌ協会の常任委員も務める、フランス近代美術研究を代表する専門家である。本書ではピカソと師セザンヌ、近代性への道を担当し、セザンヌが後世のピカソによってどのように師として受容され、20世紀美術の出発点として位置づけられることになったのかを論じている。

永井隆則
編者の永井隆則は1956年生まれの美術史家である。フランスのプロヴァンス大学を経て、京都大学で文学博士号を取得した。長年セザンヌの制作論、受容史を研究し、ポール・セザンヌ協会常任委員を務めてきた。日本におけるセザンヌ研究を代表する研究者である。本書では全体を編集するとともに、冒頭の近代絵画の父―セザンヌとは何か?を問うことの意味と、日本における近代絵画の父セザンヌ像の形成を論じている。

浅野春男
浅野春男は1950年生まれの美術史家である。学習院大学大学院博士課程を経て、1979年から1981年までパリ第4大学に学び、沖縄県立芸術大学教授などを務め、フランス近代美術に携わった。本書では英語圏において近代絵画の父としてのセザンヌというイメージがどのように形成され、普及していったのかを分析する。

大木麻利子
大木麻利子は美術史家、翻わけ家であり、慶應義塾大学大学院美学美術史学分野の後期博士課程を修了した。ドイツ語圏を含む近代美術史・美術批評史を研究領域とする。本書ではドイツの美術史家・批評家ユリウス・マイア=グレーフェによるセザンヌ論を取り上げ、セザンヌがポスト印象主義の巨匠として位置づけられていく過程を検証している。

工藤弘二
工藤弘二は1979年生まれの美術史家である。東北大学大学院文学研究科博士課程を経て、国立新美術館アソシエイトフェロー、ポーラ美術館学芸員などを務めた。本書ではセザンヌのりんごを論じ、日常的で平凡なモティーフであるリンゴが、いかにしてセザンヌの芸術革新と結びつきを考察している。

ポール・セザンヌ
ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)は1839年、南フランスのエクス=アン=プロヴァンスに生まれた。父は帽子商から銀行家となった裕福な人物であり、少年時代の親友には後に作家となるエミール・ゾラがいた。父の意向で一時法律を学んだものの画家になる決意を固め、パリへ出てアカデミー・シュイスなどで制作した。初期にはクールベ、ドラクロワ、マネなどの影響を受け、暗い色彩と厚い絵具による激しい作品を制作した。その後カミーユ・ピサロとの交流を通して印象派の戸外制作と明るい色彩を学び、1874年の第1回印象派展、1877年の第3回印象派展にも出品した。しかしセザンヌは、光の瞬間的変化を捉える印象派の方法だけには満足しなかった。自然の中に持続的な秩序を見出し、色彩によって形態と空間を構築する独自の方法を追究したのである。静物、肖像、風景、水浴図などを何度も描き、特にサント=ヴィクトワール山、リンゴの静物、カード遊びをする人々、大水浴図などが代表作となった。1890年代になると若い画家や批評家から高く評価され、1895年には画商アンブロワーズ・ヴォラールによる大規模な個展が開催された。1906年にエクス=アン=プロヴァンスで死去したが、その造形思想はピカソ、ブラック、マティスらに大きな影響を与え、キュビスムをはじめ20世紀美術への重要な橋渡しとなった。本書が問題にするのはまさにこの最後の部分である。我々は今日ほとんど疑うことなくセザンヌは近代絵画の父であると言う。しかし、この評価はセザンヌ自身の時代から自明だった訳ではない。本書は、いつ、誰が、どのような目的と論理によってこのセザンヌ像を作り上げたのかを問い直す。

本書の内容

1.近代絵画の父を疑う

本書は、セザンヌがなぜ偉大なのかを説明するだけではなく、セザンヌ=近代絵画の父という現在ではほとんど常識化した評価を研究対象にする。美術史の教科書では、印象派の後にセザンヌ、ゴーギャン、ゴッホが現れ、そこからフォーヴィスム、キュビスム、抽象絵画へ発展したという物語が語られることが多い。その中でセザンヌは、印象派と20世紀美術を結ぶ決定的な存在として位置づけられてきた。しかし本書は本当に最初からそうだったのかと問い返す。近代絵画の父という称号は、作品に書き込まれている事実ではない。それは後世の芸術家、批評家、美術史家、画商、コレクター、美術館などによって作られた歴史的評価である。したがってセザンヌ研究とは、作品を見るだけでは不十分である。セザンヌを見る我々の眼がどのように作られたのかを調べなければならない。

2.ピカソにとってのセザンヌ

イザベル・カーンのピカソと師セザンヌ、近代性への道は、本書の中心的論考の一つである。セザンヌが近代絵画の父と呼ばれる最大の理由の一つは、ピカソをはじめとする20世紀の前衛画家たちが彼を自分たちの先駆者として認めたことにある。ピカソはセザンヌを深く尊敬していた。重要なのは、ピカソがセザンヌの絵を単に模倣したのではないことである。彼が受け継いだのは、自然を一つの固定された視点から再現するというルネサンス以来の絵画原理を疑う姿勢だった。セザンヌの静物では、テーブルの左右で傾きが微妙に異なり、器や果物が一つの透視図法によって完全には統一されていない。従来ならば遠近法の誤りと評価されかねない。しかしピカソやブラックの世代は、むしろそこに新しい可能性を見た。人間は実際には世界を一瞬の固定された視点から見ている訳ではない。対象を見ながら眼を動かし、身体を動かし、複数の視覚経験を統合している。セザンヌが開いたこの問題が、やがてキュビスムによる複数視点の画面へ発展していく。この意味でピカソにとってセザンヌは、完成した様式を教える先生ではなく、絵画を根本から考え直す方法を示した師だった。

3.父は子供たちによって作られる

ここには本書全体を貫く興味深い逆説がある。ある芸術家が父になるためには、子供が必要である。セザンヌが近代絵画の父になったのは、セザンヌ自身がそう宣言したからではない。ピカソ、ブラック、マティスをはじめとする後世の芸術家が、自分たちの芸術の祖先としてセザンヌを選んだからである。美術史は単純に過去から未来へ進むものではない。未来の芸術家が過去を振り返り、この画家こそ自分たちの出発点だったと評価することによって、過去の芸術家の意味が変わる。本書のタイトルに疑問符が付けられている理由もここにある。父とはセザンヌ自身の属性なのか。それとも後世が作った歴史的役割なのか。本書はこの問いを繰り返し検討していく。

4.英語圏で作られた近代絵画の父

浅野春男は、英語圏におけるセザンヌ受容を検討する。フランスで生まれた画家セザンヌが世界的巨匠となるためには、フランス国内だけの評価では不十分だった。イギリスやアメリカを中心とする英語圏で、批評家、美術史家、画商、コレクター、美術館が彼を評価し、その意味を説明していく必要があった。そこで重要になるのが受容史という考え方である。作品の価値は作品内部だけで決まる訳ではない。誰が作品を買ったのか、どの展覧会で紹介されたのか、どの批評家が評価したのか、どの美術館が収蔵したのか、どの本が読まれたのかによって、画家の歴史的位置は変わっていく。セザンヌが英語圏で近代美術の基礎を作った人物として説明される過程を追うことによって、近代絵画の父という評価が国際的な美術史の共通語になっていく様子が明らかになる。

5.セザンヌのリンゴはなぜ重要なのか

工藤弘二のセザンヌのりんごは、一見単純な静物画からセザンヌの近代性を考察する。セザンヌといえばリンゴを思い浮かべる人は多い。しかし、なぜリンゴなのか。西洋絵画には歴史画、宗教画、神話画など、伝統的に高い価値を持つジャンルがあった。それに比べれば、テーブルの上にリンゴを並べた静物画は極めて日常的で地味な題材である。しかしセザンヌにとって重要なのは題材の格ではなかった。リンゴ一個であっても、それをどの位置から見るか、周囲の物とどのような関係にあるか、色彩によってどのように量感を作るか、画面全体をどのように構成するかという問題が存在する。リンゴは、絵画を研究するための実験対象となった。ここにセザンヌの近代性がある。絵画の価値を何が描かれているかから、どのように絵画が成立しているかへ移動させた。

6.自然を描くから絵画を作るへ

セザンヌの重要性を考える上で、本書が繰り返し示すのは、彼の絵画が単純な自然再現ではないことである。セザンヌは自然を非常に重視した。しかし自然をコピーしようとしたのではない。キャンバスは二次元であり、自然は三次元である。現実には奥行きがあり、人間は身体を動かしながら対象を見る。この現実を、単純な遠近法だけでは表現しきれない。そこでセザンヌは色面、筆触、形態相互の関係によって画面を組み立てた。この結果、一本の木、一個のリンゴ、一つの山でさえ、単なる対象の再現ではなく、画面全体を成立させる構造的要素となる。後世の画家たちが注目したのは、この点であった。セザンヌから絵画は、窓の向こうの世界を再現するものから、キャンバス上に独自の秩序を作るものへと大きく方向を変えたのである。

7.ドイツ語圏とマイア=グレーフェ

大木麻利子の論考では、ドイツ語圏におけるセザンヌ評価の形成が検討される。重要人物がドイツの批評家・美術史家ユリウス・マイア=グレーフェである。マイア=グレーフェのような批評家がセザンヌについて書き、その芸術を美術史上の大きな流れの中へ位置づけることによって、セザンヌは単なるフランスの一画家からヨーロッパ近代美術全体を代表する存在へ変化していった。ここではマレーとの比較などを通じて、セザンヌが印象派の延長上だけでなく、その先にある新しい芸術を切り開いたポスト印象主義者として理解される過程が分析される。ポスト印象派という分類も、後世の批評と言説によって作られた歴史的カテゴリーである。

8.日本ではセザンヌ

永井隆則は日本におけるセザンヌ受容を検討する。日本にとってセザンヌは、単なるフランス人画家ではなかった。明治以後、日本の画家たちは西洋美術を急速に吸収しながら、日本人が近代的な絵画を作るとはどういうことかという難問に直面していた。その中でセザンヌは大きな意味を持つようになる。印象派の光や色彩を学びながら、それをより堅固な造形へ変えた画家セザンヌは、日本の近代洋画家にとって極めて魅力的だった。更に美術雑誌、展覧会、画家たちの言説を通じて、セザンヌは次第に近代絵画を理解するために必ず通らなければならない画家となった。ここでも近代絵画の父というイメージは自然発生したものではない。欧米で形成されたセザンヌ像が日本へ輸入され、日本の美術状況に応じて再解釈された。

9.近代絵画史

ここまでの第一部を通して、本書はより大きな美術史上の問題を提起する。我々は通常、印象派からセザンヌへ、セザンヌからピカソへ、そしてキュビスム、抽象絵画へという流れを当然の歴史として理解する。しかしこの系譜自体が、後世の美術史家によって整理された物語である。実際の歴史には、同時代に膨大な数の画家が存在する。なぜその中からセザンヌが選ばれたのか。なぜ別の画家ではなくセザンヌがピカソの前史として位置づけられたのか。そこには作品の質だけでなく、後世の芸術家の発言、美術市場、展覧会などが関与している。したがって美術史とは、優れた作品が時間順に並んでいるだけのものではない。誰が何を重要と判断し、その判断がどのように共有されたかという評価の歴史でもあるのである。

10.作品だけでなく場所を理解する

第二部では、セザンヌが実際に生活し制作した場所も重要視される。エクス=アン=プロヴァンス、ジャ・ド・ブッファン、レスタック、ビベミュスの石切場、サント=ヴィクトワール山周辺など、セザンヌの絵画は特定の土地と深く結びついている。セザンヌは同じ山や風景を繰り返し描いた。それは有名な景勝地を描きたかったからだけではない。同じ場所を長期間観察することで、季節、光、距離、見る位置によって自然がどのように変化するかを研究した。作品と制作場所を対応させることによって、セザンヌ芸術が抽象的な造形理論から生まれたのではなく、極めて具体的な見るという行為から成立したことが理解できる。

12.批評家がセザンヌを作った

第二部では同時代の批評家についても整理される。これは本書の中心テーマと直結している。画家は作品を作る。しかし、その作品が社会の中でどのような意味を持つかを説明するのはしばしば批評家である。初期のセザンヌはサロンから拒絶され、作品も嘲笑されることがあった。ところが後に批評家がその作品を新しい視点から解釈することによって、不器用な画家という評価が既存の絵画を根底から変革した先駆者という評価へ変わっていく。同じ作品でも、それを取り巻く言葉が変わることによって歴史的位置が変わる。本書はこの点を極めて明確に示している。

13.コレクターと画商が作ったセザンヌの価値

セザンヌの評価形成にはコレクターや画商も重要である。作品が買われ、保存され、展覧会へ貸し出され、美術館へ寄贈されることによって、画家の評価は社会的な形を持つようになる。とりわけ画商アンブロワーズ・ヴォラールによる1895年の個展は、セザンヌの評価を大きく変えた出来事であった。またゴーギャンをはじめ、同時代の芸術家自身がセザンヌ作品を高く評価し所有したことも、その後の神話形成に寄与した。天才が発見されるという出来事の背後には、作品を流通させる市場と、それを評価する人間のネットワークが存在する。

14.展覧会が美術史を作る

セザンヌ展の歴史を追うことも本書の重要な部分である。展覧会とは、すでに評価の確定した名作を並べるだけの場所ではない。どの作品を選び、どの順番で並べ、どのような解説を付けるかによって、画家についてのイメージが作られる。特に没後の回顧展は重要である。美術館と展覧会もまた、近代絵画の父セザンヌを形成してきた主体なのである。

本書が言いたかったこと

偉大な芸術家の評価もまた歴史の中で作られる。今日では、セザンヌを近代絵画の父と呼ぶことにほとんど違和感がない。しかしセザンヌ自身が私は近代絵画の父になると考えて作品を作っていたわけではない。彼が取り組んでいたのは、自然をどう見るのか、色彩によって形をどう作るのか、平面であるキャンバスの上にどのように空間を成立させるのかという、極めて具体的な絵画上の問題だった。その成果を後から見たピカソやブラックが、自分たちの問題とセザンヌの問題との間に連続性を発見した。批評家がその関係を言葉にした。美術史家がそれを歴史として体系化した。画商が作品を流通させ、コレクターが収集し、美術館が展示し、展覧会がその評価を世界へ広げた。こうしてセザンヌから20世紀美術が始まったという巨大な物語が形成された。ここで重要なのは、セザンヌの作品が後世の画家たちに絶えず新しい問題を与え続けたことである。セザンヌは一つの完成された方法を後世に残したのではない。見る位置と対象との関係、色彩と形態の関係、自然と画面の関係、奥行きと平面の関係など、絵画についての解決しきれない問いを残した。だからピカソはそこからキュビスムへの道を見つけることができたし、別の画家は別のセザンヌを発見することができた。セザンヌは20世紀絵画の形式をすべて発明したから父なのではない。彼以後の画家たちが、自分たちの新しい芸術を考えるたびにセザンヌへ戻り、そこから別々の可能性を発見したために父になったのである。

未来の輪郭