ブルネイの歴史と日本

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海洋交易から生まれたイスラム王国

ブルネイ・ダルサラーム国は、ボルネオ島北西部、南シナ海に面する人口約45万人、国土約5,800平方キロメートルの小国である。しかし、その歴史は長く、現在の王朝につながるスルタン制は東南アジアでも最も古い。ブルネイは14世紀から16世紀にかけて海洋交易国家として繁栄し、最盛期には現在のサラワク、サバからフィリピン南部に及ぶ広い地域に影響力を持つスルタン国となった。南シナ海とジャワ海を結ぶ交易路に位置し、中国、マレー世界、インド、中東をつなぐ中継地として発展した。イスラム教もこの時期に王国の政治・社会の中心に定着していった。しかし17世紀以降、内紛、周辺勢力との競争、欧州列強の進出などによって勢力は縮小した。19世紀には英国人ジェームズ・ブルックによるサラワク支配の拡大によって領土を失い、1841年にはサラワク、1846年にはラブアン島を手放した。1888年には英国の保護国となり、1906年には英国人駐在官が置かれ、宗教とマレー慣習を除く行政に英国が強い影響力を持つ体制となった。

ブルネイ

石油発見が国家の運命を変える

ブルネイ史の最大の転換点の一つが1929年のセリア油田の発見である。石油探査は1899年まで遡るが、商業的に重要な発見となったのが、現在のクアラ・ブライト近郊に位置するセリア油田であった。1932年には原油輸出が始まり、それまでの小規模な交易・農業国家であったブルネイは、石油輸出国へと変貌していった。現在のブルネイの国家財政と豊かな国民生活の原型はここから始まったといってよい。第二次世界大戦では、この石油資源がブルネイの戦略的重要性を更に高めた。1941年から1945年まで日本軍がブルネイを占領し、戦後は再び英国の統治下に戻った。日本とブルネイの関係には、戦時期の占領という歴史と、戦後のエネルギー協力という全く異なる二つの側面が存在する。

独立国家への道

戦後、ブルネイでは自治権拡大が進み、1959年に成文憲法が制定され、内政について自治権を持つようになった。外交と防衛については引き続き英国が担当した。1962年にはブルネイ人民党による武装反乱が発生し、英国軍の支援によって鎮圧された。また、当時形成されつつあったマレーシア連邦への参加問題も大きな政治課題となったが、ブルネイは最終的にマレーシアへの加盟を選択せず、独立したスルタン国として存続する道を選んだ。1967年には第28代スルタンのオマール・アリ・サイフディン3世が退位し、息子のハサナル・ボルキアが第29代スルタンに即位した。現在まで国家元首を務めている。1979年に英国との間で友好協力条約を締結し、1984年1月1日、ブルネイは完全独立を達成した。同年ASEANと国連にも加盟した。現在の国家体制はマレー・イスラム・王政を基本理念とし、スルタンが国家元首と首相を兼ねる強力な王政を特徴としている。

日本との関係

1.外交関係より古いエネルギー関係

日本とブルネイが正式に外交関係を樹立したのは、ブルネイ独立直後の1984年4月2日である。しかし両国の実質的な経済関係はそれよりはるかに古い。その中心にあるのが石油と天然ガスである。ブルネイ・シェル石油会社は1969年に日本への原油輸出を開始した。天然ガスでは、それ以上に重要な関係が形成された。日本とブルネイのLNG取引は1972年以来、半世紀以上継続している。この意味で、日・ブルネイ関係は外交関係がエネルギー関係を生み出したのではなく、エネルギー関係が先に形成され、それを追う形で国家間の外交関係が成立したという特徴を持つ。

2.三菱商事とブルネイLNG

この関係を築いた日本企業の中心が三菱商事である。1963年、シェルがブルネイ沖で有望な天然ガス田を発見した。日本では高度経済成長によってエネルギー需要が急増していたことから、シェルと三菱商事は、この天然ガスを液化して日本へ輸送する構想を進めた。1969年、ブルネイ政府、シェル、三菱商事によってブルネイLNG Sdn. Bhd.(BLNG)が設立され、ルムットに天然ガス液化施設、パイプライン、LNG積出設備などが建設された。現在の出資比率はブルネイ政府50%、シェル25%、三菱商事25%である。1972年12月、ブルネイから日本へLNGを積んだ第一船が到着した。これは三菱商事にとって初の大規模LNG事業であり、その後、日本企業がオーストラリア、マレーシア、インドネシア、カタールなど世界各地のLNG事業へ進出していく一つの原型となった。ブルネイは、単なる日本への天然ガス供給国ではない。日本のLNG産業の黎明期を支えた国である。

3.日本の都市ガスを変えたブルネイ産LNG

ブルネイLNGの歴史的意味は更に大きい。1972年にブルネイ産LNGの輸入が始まり、東京・大阪地区の電力会社や都市ガス会社などへ供給された。これを契機として、日本の都市ガスは従来の石炭系・石油系ガスから天然ガス中心へと転換していった。しかも1973年には第一次石油危機が発生した。当時、日本は原油の大部分を中東に依存していたため、エネルギー供給源の分散が国家的課題となった。ブルネイは中東ではなく東南アジアにあり、南シナ海から日本への海上輸送距離も比較的短い。そのためブルネイ産LNGは、単なる経済的商品ではなく、日本のエネルギー安全保障を支える供給源の多角化という意味を持つようになった。

4.原油でも重要なブルネイ

LNGほど知られていないが、原油についても両国関係は深い。日本へのブルネイ産原油輸出は1969年に始まった。ブルネイの石油産業の中心となってきたのがセリア油田であり、その後、South West Ampa、Championなど海洋油田・ガス田の開発が進められた。1991年にはセリア油田の累計生産量が10億バレルに達している。ブルネイにとって日本は、原油と天然ガスを長期にわたって安定的に購入してくれる重要な顧客であった。一方、日本にとってブルネイは、中東への過度な依存を緩和する東南アジアの安定したエネルギー供給国であった。ここに日・ブルネイ関係の基本的な相互補完関係が成立した。

5.日本は最大級のLNG顧客

この関係は過去のものではない。2024年のブルネイLNG輸出総額の約57.2%が日本向けである※。またブルネイ産LNGは日本のLNG総輸入額の約4.1%を占めた。国の規模を考えれば極めて大きな比率である。一方、ブルネイ側から見れば日本は半世紀以上にわたり大量の天然ガスを購入し続けてきた長期安定顧客である。この関係がブルネイ政府の財政、社会保障、インフラ整備、教育などを間接的に支えてきた。2011年の東日本大震災の際には、ブルネイ政府は日本に100万ドルを寄付するとともに、LNGの緊急追加供給を行った。これは両国のエネルギー関係が単純な売買関係を超えていたことを象徴する出来事である。

※2024年、日本の原油輸入量は約1億3,503万キロリットルである。このうちブルネイからの輸入は概算約22万キロリットル、全体の約0.2%にすぎず、現在の日本の原油調達ではUAEやサウジアラビアなど中東諸国が圧倒的な地位を占めている。一方、天然ガスではブルネイの重要性は大きい。日本のLNG総輸入量約6,589万トンに対し、ブルネイからは約274万トンを輸入しており、約4.2%を占める。ブルネイ側から見ると、2024年のLNG輸出額の約57%が日本向けであり、日本は極めて重要な長期顧客である。現在の日・ブルネイのエネルギー関係は石油よりも天然ガスを中心としている。日本にとってブルネイはLNG調達先の多角化を支える安定供給国であり、ブルネイにとって日本は半世紀以上にわたり国家経済を支えてきた主要市場である。

ブルネイ政府-シェル-三菱商事の三角形

日・ブルネイ関係を理解する上で重要なのは、半世紀以上にわたり、ブルネイ政府-シェル-三菱商事→日本の電力・ガス会社という国際的なエネルギー供給網が機能してきたことである。三菱商事は2000年以降、LNG船保有会社への出資によって輸送分野にも進出し、更にブルネイ沖深海ガス鉱区にも参加した。現在ではガス田開発という上流から、液化、販売、海上輸送までを含む一貫したバリューチェーンを形成しており、ブルネイ沖CA2天然ガス鉱区の開発も計画している。これは日本とブルネイの関係が単なる日本がガスを買うという関係ではなく、日本企業がブルネイのエネルギー産業に資本参加してきた関係であることを意味する。

石油・天然ガスから次世代産業へ

最も、ブルネイには大きな課題がある。国家経済が依然として石油・天然ガスに大きく依存していることである。そのため近年は石油・ガスの下流産業、石油化学、メタノール、肥料などへ産業構造を広げようとしている。日本企業もこの多角化に参加している。日本外務省も、日本企業によるメタノール生産などをブルネイ経済多角化への貢献として位置付けている。更に2026年8月には、ブルネイ政府と日本大使の間で、LNG・原油だけでなくメタノールや尿素を含むエネルギー協力と、将来の持続可能なエネルギー関係について協議が行われている。したがって今後の日・ブルネイ関係は、従来の石油・天然ガスをブルネイから日本へ輸出する関係から、天然ガス+石油化学+水素・アンモニア+エネルギー関連インフラへ広がる可能性がある。

産業と投資に関する考察

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