生物と無生物のあいだ
2007年5月刊
福岡伸一著
著者の経歴
福岡伸一は1959年東京生まれの分子生物学者であり、京都大学卒業後、米国ロックフェラー大学やハーバード大学医学部などで研究に従事した。その後、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授として生命科学研究と科学思想の普及に携わった。専門は分子生物学・細胞生物学であり、とりわけ細胞膜やタンパク質輸送機構の研究で知られる。しかし彼を広く世に知らしめたのは、研究成果そのものよりも、生命とは何かいう根源的問いを、極めて詩的かつ哲学的な文体で語った点にあった。本書において福岡は、生命を単なる機械や設計図として捉える従来の還元主義的生命観に疑問を投げかけ、生命とは絶えず流動し続ける動的な存在であるという新たな生命観を提示した。
本書の内容
1.分子生物学の興奮と挫折
本書前半では、20世紀分子生物学の歴史が、科学ミステリーのような筆致で描かれる。DNA二重らせん構造の発見、遺伝情報の解読、タンパク質合成機構の発見など、人類が生命の秘密へ迫っていく過程が、研究者たちの情熱、嫉妬、競争、偶然とともに語られる。そこでは、生命を精密機械として理解しようとする還元主義的世界観が支配していた。DNAという設計図を解析し、部品を一つずつ調べれば、生命の全体像も理解できるはずだという思想である。生命は巨大な機械であり、生物学はその設計図を解読する学問だと考えられた。しかし研究が進むほど、生命は単純な機械では説明できないことが明らかになっていく。遺伝子を一つ除去しても予想通りの結果が出ない。細胞内部では無数の分子が絶え間なく移動し、破壊され、再構成され続けている。生命は固定された構造物ではなく、むしろ絶え間ない流れであることが見えてくる。
2.シェーンハイマーと動的平衡
本書の中心思想となるのが、動的平衡という概念である。福岡は、20世紀前半の生化学者 ルドルフ・シェーンハイマーの研究に深い影響を受ける。シェーンハイマーは放射性同位体を用いた研究によって、生体内の分子が絶えず入れ替わっていることを発見した。人間の身体は一見すると固定された存在に見える。しかし実際には、タンパク質も脂質も細胞も、絶えず分解と合成を繰り返している。昨日の自分の身体と今日の身体は、物質的にはすでにかなり異なっている。それにもかかわらず、生命体は同じ自己を維持している。この矛盾した状態を福岡は動的平衡と呼ぶ。生命とは、静止した存在ではなく、壊しながら保つという矛盾した運動なのである。そこでは秩序は固定によって維持されるのではなく、むしろ絶え間ない崩壊と再構築によって維持されている。
3.生命機械論への批判
本書は近代科学が抱えてきた生命機械論を批判する。デカルト以来、西洋近代科学は、生物を機械として理解しようとしてきた。DNAは設計図、細胞は工場、遺伝子はプログラムであるという比喩が多用された。しかし福岡は、それだけでは生命の本質に届かないと考える。機械は部品を交換しても本質的に変化しない。しかし生命は、部品の絶えざる交換によって存在している。生命は完成された構造ではなく、流れのなかにしか存在しない。この視点は、生命を固定的存在としてではなく、時間のなかの運動として捉える思想へとつながっていく。
4.科学者たちのドラマ
本書の魅力は、生命論だけではない。科学者たちの人間的ドラマが、極めて文学的に描かれている。DNA研究の競争、研究費獲得の圧力、論文至上主義、研究者同士の対立や嫉妬、偶然の発見など、科学の世界が決して純粋な理性だけで動いていないことが描かれる。福岡は科学を神聖視せず、人間の欲望と情熱に満ちた営みとして描写する。そのため本書は単なる生物学入門ではなく、人間とは何かを問う思想書として読まれる。
生物学の未来
1.生物とは何か
本書を要約すると、福岡伸一は生命とは動的平衡であると述べている。生物は固定された物体ではない。絶えず分解され、作り替えられ、流動しながら、なお自己同一性を保っている存在である。生命とは、変わり続けることで保たれる秩序である。この考え方は極めて重要である。なぜなら近代科学は長らく、安定しているものに真理を求めてきたからである。しかし生命は逆に、不安定さ、流動性、揺らぎによって成立している。福岡の生命観では、生きているとは完成された状態ではない。それは崩壊へ向かいながら、それでも秩序を維持しようとする不断の運動である。その意味で生命とは、存在ではなく過程である。
2.生物学はこれからどう進むのか
福岡が示唆した未来の生物学は、単なる遺伝子解析中心の学問ではない。20世紀後半の生物学は、DNAや遺伝子を中心に生命を理解しようとした。しかしヒトゲノム解読後、生命は設計図だけでは説明できないことが明らかになった。今後の生物学は、部分ではなく全体の流れを扱う方向へ進むと考えられる。生命を静止した情報ではなく、時間の中の動的システムとして理解する方向である。そこでは、システム生物学、複雑系科学、非平衡熱力学、情報科学、AIによる生命解析などが融合していくことになる。特に重要なのは、生命とは境界そのものであるという視点である。生物と無生物の境界、自己と外界の境界、秩序と崩壊の境界、その曖昧で揺らぐ場所にこそ生命の本質がある。これは量子論や複雑系科学とも深く共鳴する思想であり、21世紀生物学は単なる医学や遺伝学を超え、存在とは何かという哲学へ接近していくだろう。
動的平衡(2009年)
生物と無生物のあいだで提示された動的平衡という概念を、生命現象全般へ本格的に展開した福岡伸一の思想的主著である。人間の身体は昨日と同じように見えても、その内部ではタンパク質や脂質などが絶えず分解・合成され、物質としては入れ替わり続けている。それでも私という存在は持続する。この一見矛盾した現象を福岡は動的平衡と呼ぶ。食物、消化、肥満、ES細胞、病原体、ミトコンドリアなど具体的な生命現象を通じて、生命を機械として理解する考え方の限界を示していく。生命の秩序とは、変化しないことによって守られるのではなく、むしろ絶えず変化することによって維持されている。変わらないために変わり続けるという逆説が本書の核心である。
動的平衡2(2011年)
第一作動的平衡を更に発展させ、生命と時間、自由、環境との関係を考察した著作である。生命は遺伝子という設計図によって一方向的に作られる機械ではなく、環境から絶えず物質や情報を受け取りながら自己を作り直している。したがって生命を理解するためには、遺伝子か環境かという二者択一を乗り越える必要がある。生命の内部と外部には明確な境界があるように見えるが、食物、空気、微生物、情報などを通して両者は絶えず交流している。そこから福岡は自由についても考察する。生命の自由とは外部から完全に独立することではなく、環境との関係を受け入れながら、その関係を絶えず組み替えて自己を維持する能力にある。動的平衡論を哲学的領域へ進めた一冊である。
動的平衡3(2017年)
動的平衡シリーズ第三作であり、生命科学だけでなく、科学史、進化、時間、人間社会へと考察を広げた著作である。生命は常に分解と合成を繰り返し、環境からの予測不能な変化を受け入れながら秩序を維持する。この柔軟性こそが生命の強さであり、あらかじめ完全な設計図を持つ機械との根本的な違いである。福岡は科学的発見についても、単なる偶然によって生まれるのではなく、偶然を発見へ変えるための長い準備と観察が必要だと考える。生命も科学も、予定された完成形へ直線的に進むのではなく、偶然や揺らぎを取り込みながら自己を更新していくという共通構造を持つ。本書では動的平衡が生命論から科学観・人生観へと更に広がっている。
動的平衡ダイアローグ(2014年)
福岡の動的平衡を生命科学の外側へ展開する対談集である。カズオ・イシグロ、平野啓一郎、宇宙物理学者の佐藤勝彦、玄侑宗久、ジャレド・ダイアモンド、隈研吾、鶴岡真弓、千住博らと対話し、文学、宇宙、宗教、文明、建築、美術などを動的平衡の観点から考察する。ここで重要なのは、動的平衡が単なる生物学用語から世界を見る方法へ拡張されていることである。建築も都市も文化も個人も、固定された完成形ではなく、変化しながら存続する存在として捉えられる。生命科学から出発した福岡の思想が、人文科学・芸術・社会へ接続され、存在とは固定されたものではなく関係と流れであるという世界観へ発展していく過程を示す著作である。
できそこないの男たち(2008年)
男とは生物学的に何なのかを分子生物学から考察した福岡らしい科学エッセイである。一般には、男性と女性が二つの対等な性として存在すると考えられるが、発生生物学的には人間の身体形成の基本形は女性であり、男性はそこから特定の遺伝子やホルモンの働きによって分化していく。そこから男性をいささか挑発的にできそこないと表現する。しかし本書の本質は男女の優劣論ではない。性という一見固定的に思われる存在さえ、発生過程における複雑な相互作用によって成立していることを示す点にある。遺伝子がすべてを一方的に決定するという単純な遺伝子決定論を批判し、生命とは遺伝子・細胞・環境・時間の相互作用として形成されるプロセスであることを、性という身近な問題から明らかにした著作である。
世界は分けてもわからない(2009年)
近代科学の基本的方法である対象を細かく分け、その部品を調べれば全体が理解できるという還元主義を問い直した著作であり、生物と無生物のあいだの続編的位置にある。分子生物学は生命を細胞、タンパク質、DNA、遺伝子へと細分化することで大きな成功を収めた。しかし生命体では、一つの部品の性質を理解しても、その部品が他の要素との関係の中でどのように働くかまでは説明できない。生命の本質は部品そのものより、部品同士の関係や絶え間ない相互作用にある。分ければ分かるというデカルト以来の科学的方法に対して、分けた瞬間に失われるものがあると指摘した点が本書の核心である。福岡の動的平衡論を科学方法論へ拡張した重要作である。
生命と記憶のパラドクス(2012年)
生命科学を日常生活の小さな疑問と結びつけた科学エッセイである。人間の記憶、食物、老化、身体、遺伝子などを題材にしながら、私とは何か、過去は身体のどこに存在するのか、といった問題へ進んでいく。特に福岡にとって記憶は、コンピューターのハードディスクのように脳内の特定の場所へ固定保存されている情報ではない。生命が絶えず物質的に入れ替わっている以上、記憶も固定的な物質として理解することは難しい。それにもかかわらず人間は過去を記憶し、自己の連続性を感じる。身体は変わり続けているのに、なぜ私は私であり続けるのかという動的平衡の逆説を、記憶という問題から考えた著作であり、生命科学と人間存在論を結びつけた福岡らしい一冊である。
福岡伸一、西田哲学を読む(2017年)
福岡伸一が日本を代表する哲学者・西田幾多郎の思想を生命科学の立場から読み直した異色の著作である。西田哲学は難解な概念で知られるが、福岡はそこに自身の動的平衡論との共鳴を見いだす。生命は独立した個体として存在するのではなく、環境との関係の中で成立し、内部と外部が絶えず入れ替わりながら自己を維持している。これは主体と客体を明確に分ける西洋近代的な思考では捉えにくい。福岡は西田の自己と世界を切り離さない思想を生命論と結びつける。分子生物学から始まった動的平衡という考えを、日本哲学との対話によって存在論へと深化させた、福岡の思想的展開を知る上で重要な一冊である。
フェルメール 光の王国(2011年)
福岡伸一には生命科学だけでなく美術についての著作もある。その代表がフェルメール論である。福岡は世界各地のフェルメール作品を訪ね歩き、光、窓、室内、人物、遠近法、カメラ・オブスクラなどを考察する。しかし興味深いのは、生物学者としての見るという問題が美術鑑賞にも持ち込まれていることである。フェルメールの絵画では、静止した一瞬が描かれているようでいて、光の変化、人物の動作、時間の経過が潜在している。福岡はそこに、固定された物体より変化と関係性を重視する自身の生命観との共通性を見いだす。科学と芸術を正反対の領域とせず、どちらも世界を注意深く観察し、見えない秩序を発見する営みとして捉えた点に特色があり、福岡の科学者としての美術論を知るための代表作である。
