チェッリーニ自伝

The Autobiography of Benvenuto Cellini
1728年刊(死後150年以上を経て刊)
Benvenuto Cellini著

チェッリーニの経歴

ベンヴェヌート・チェッリーニは1500年、イタリア・フィレンツェに生まれた。父ジョヴァンニは楽器製作者で、息子を音楽家にしようと考えた。しかしチェッリーニ本人は音楽より美術、とりわけ金工に強く惹かれ、15歳頃から金細工師として本格的な修業を始めた。若い頃から並外れた才能を示す一方、性格は激烈であった。自尊心が極めて強く、侮辱されれば喧嘩や決闘も辞さず、たびたびフィレンツェを追放された。フィレンツェ、シエナ、ボローニャ、ローマなどを転々としながら金工家として技術を磨き、やがて教皇庁で働くようになった。神聖ローマ皇帝カール5世の軍隊によるローマ劫掠が起こると、チェッリーニは教皇側の防衛に参加した。本書では自らサンタンジェロ城から火砲を撃ち、敵軍の重要人物を倒したと主張している。その後も教皇クレメンス7世、パウルス3世らのために金工や貨幣製作などを行ったが、殺人や様々な事件を起こし、投獄と逃亡を経験した。チェッリーニの人生では、芸術家としての成功と犯罪・暴力が奇妙なほど隣り合わせになっている。1540年頃からはフランス国王フランソワ1世の宮廷で活動し、代表的金工作品であるサリエラ(塩入れ)を制作した。その後フィレンツェに戻り、メディチ家のコジモ1世に仕え、彫刻家として巨大なブロンズ像メドゥーサの首を持つペルセウスを完成させた。この作品は現在もフィレンツェのロッジア・デイ・ランツィに置かれ、マニエリスム彫刻を代表する作品の一つとなっている。1558年、58歳になったチェッリーニは自伝を書き始めた。原稿のかなりの部分は工房の助手ミケーレ・ディ・ゴーロに口述し、本人が加筆・訂正している。原稿はフィレンツェのラウレンツィアーナ図書館に伝わっている。1571年、フィレンツェにて70歳で死去した。

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チェッリーニの作品

本書の内容

1.優れた人物は自ら人生を書くべきである

本書は、チェッリーニの猛烈な自負を象徴する文章から始まる。彼は、何か優れたことを成し遂げた人間は、自らその人生を書くべきであるが、40歳を過ぎてから行うべきだという趣旨を述べる。そして自分は既に58歳になったから、その資格があるとして自伝を書き始める。この冒頭だけで、チェッリーニという人物の性格がよく分かる。彼は自分が偉大な芸術家であることをほとんど疑っていない。謙遜して自分を小さく見せるのではなく、自分は特別な人間であり、その人生は後世に残す価値があると堂々と宣言する。

2.芸術家になるまで

父は息子を音楽家にしたかったため、チェッリーニは幼少期からフルートなどを学ばされた。しかし本人は音楽を好まず、金工の世界へ進む。金細工師の工房に入ると、彼は急速に技術を習得したと自ら語っている。そしてフィレンツェだけに留まらず、各地の工房を渡り歩きながら技術を高めていく。ここで既に後のチェッリーニを特徴づける二つの性格が現れる。一つは、美しいものを作ることに対する異常なまでの執念である。もう一つは、他人から命令された人生を拒否し、自分が価値を感じる道を選ぼうとする強烈な独立心である。

3.芸術と暴力が共存する世界

現代の読者に最も衝撃を与えるのは、芸術家としての繊細さと暴力性が同じ人物の中に平然と共存していることである。チェッリーニは金や宝石を扱って精巧な作品を制作する一方、街では喧嘩をし、剣を抜き、敵を傷つけ、殺人まで犯したと自ら語る。16歳で喧嘩のためフィレンツェを追放され、その後も暴力沙汰、逃亡、投獄を繰り返した。しかも本人は必ずしもそれを深く反省していない。自分を侮辱した相手には報復するのが当然であるという感覚が随所に見られる。ここには現代とは全く異なるルネサンス期イタリア都市社会の一面が映し出されている。

4.ローマ劫掠-芸術家が兵士になる

1527年のローマ劫掠は、本書でも最も劇的な場面の一つである。神聖ローマ皇帝軍がローマを攻撃すると、チェッリーニはサンタンジェロ城の防衛に参加する。そして火縄銃や大砲を扱い、自ら敵の重要人物を倒したと語る。それ自体が自伝の面白さでもある。チェッリーニは単なる職人ではない。芸術家であり、戦士であり、危機に際して英雄的行動を取る人物である。

5.教皇との関係と投獄

ローマでは教皇のために宝飾品、メダル、貨幣などを制作し、高い評価を得る。しかし同時に宮廷内の競争や陰謀に巻き込まれる。チェッリーニは、自分を攻撃する人物について容赦なく悪く書く。その一方、自分の芸術を理解してくれた権力者には強い忠誠心を示す。やがて横領などの疑いを受けてサンタンジェロ城に投獄される。彼は脱獄を試み、一度は城壁からロープを使って脱出するものの負傷し、再び捕らえられる。本書では、この投獄体験が宗教的な色彩を帯びて語られる。苦境の中で祈り、神の加護を感じ、幻想的な体験についても記している。

6.フランソワ1世とフランス宮廷

釈放後、チェッリーニはフランスへ向かい、国王フランソワ1世の庇護を受ける。ここで彼は金工家として最高水準の仕事を行う。その代表がサリエラである。海の神ネプトゥヌスと大地を象徴する女性像を組み合わせた豪華な金工作品であり、現在はウィーン美術史美術館に所蔵されている。しかしフランス宮廷でも人間関係は平穏ではない。他の芸術家や宮廷人と衝突し、自分の才能を理解しない者を激しく批判する。チェッリーニにとって芸術活動とは、美しいものを作るだけではなく、自分の才能を認めさせる闘争でもあった。

7.メディチ家とペルセウス

フィレンツェに戻ったチェッリーニは、コジモ1世・デ・メディチからメドゥーサの首を持つペルセウスの制作を依頼される。この巨大なブロンズ彫刻の鋳造場面は自伝最大の見せ場の一つである。鋳造の最中に炉の状態が悪化し、金属が十分に流れなくなる。チェッリーニ自身も高熱で病床にあったが、工房へ戻り、燃料を追加し、金属製品まで炉へ投入して温度を上げ、遂に鋳造を成功させた。実際、ペルセウスは彼の代表作となった。この場面では芸術制作が戦争のように描かれている。素材、火、技術、時間、病気、失敗の危険と闘い、最後に作品を生み出す。チェッリーニにとって芸術家とは静かに美を考える人物ではなく、物質と現実を力ずくで征服して作品へ変える人間である。

8.ミケランジェロへの尊敬

チェッリーニは極端な自信家であるが、自分以外の芸術家を全て軽視していた訳ではない。特にミケランジェロには深い敬意を抱いていた。彼にとってミケランジェロは、芸術家が職人的地位を超え、天才として君主や教皇と対等に渡り合えることを示した先達であった。ここにはルネサンス期に起こった芸術家の社会的地位の大きな変化が表れている。中世的な注文されたものを作る職人から、自分自身の思想と個性によって作品を生み出す創造者としての芸術家への変化である。

9.権力者と芸術家

自伝には教皇、国王、君主、貴族が次々に登場する。しかしチェッリーニは権力者に従順ではない。注文を得るためには彼らを必要とするが、自分の芸術的才能については彼ら以上の権威を持っている。ここに本書の重要なテーマがある。ルネサンスの芸術は権力者の庇護によって成立した。しかし芸術家の自意識が高まるにつれて、金を出す者と作品を創造する者の間に緊張が生まれる。チェッリーニの人生は、まさにこの緊張の連続である。

10.信頼できる自伝なのか

自伝を読む際には重要な注意が必要である。チェッリーニは明らかに自己演出をしている。自分の才能を強調し、敵対者を悪人として描き、自分が関与した事件では自分の正当性を主張する傾向が非常に強い。したがって、本書をすべて正確な歴史記録として読むことはできない。しかし逆説的に言えば、その誇張こそチェッリーニという人間を最も正確に伝えている。実際に何が起きたのかと同じくらい、チェッリーニが自分自身をどのような人間だと思っていたのかが鮮明に記録されているからである。この強烈な自己描写こそ、後世のゲーテをはじめ多くの作家や思想家を惹きつけた本書の魅力である。

本書が言いたかったこと

チェッリーニ自伝を単なる破天荒な芸術家の冒険談として読むだけでは、本書の重要性を十分に捉えることはできない。その核心にあるのは、人間は自分の才能を信じ、それを現実の世界の中で形にすることによって、自分自身の人生を創造する存在であるという強烈な自己肯定である。チェッリーニにとって人生と芸術は別のものではない。金属を溶かして彫刻を作ることも、権力者と交渉することも、敵と戦うことも、投獄から脱出することも、すべて自分という作品を作る行為である。だから彼は自分の欠点を隠そうとしない。激しい怒りも、虚栄心も、性愛も、暴力も、敵への憎悪も書く。それらまで含めてこれが自分であると後世に突きつける。ここにルネサンス的人間像が鮮明に現れている。中世的世界では、人間は神によって定められた秩序の中に自分の位置を見いだす存在であった。それに対してチェッリーニの世界では、人間は才能と意志によって自分の価値を世間に認めさせようとする。もちろんチェッリーニ自身の暴力や自己正当化を肯定する必要はない。むしろその危うさまで含めて本書は興味深い。巨大な創造力と巨大な自我は、偉大な芸術を生み出す力にもなれば、人間関係を破壊する力にもなる。したがって本書は、成功した芸術家が自分の業績を振り返った記録という以上に、芸術家とは何者か、才能とは何か、人間はどこまで自分自身の人生を創造できるのかを、一人の極端な人間の生涯を通じて示した書物である。その意味でチェッリーニが作った最大の作品は、サリエラやペルセウスだけではない。誇張も虚栄も弱さも含め、自分自身を一つの巨大な物語として造形したともいえる。

未来の輪郭