Becoming

Becoming(ベネッセアートサイト直島)
2013年刊
福武財団編著

目次

福武總一郎とベネッセアートサイト構想

福武總一郎は、教育事業を中核とするベネッセグループを率いながら、瀬戸内海の直島に独自の芸術文化プロジェクトを推進した。その思想の根底には、社名にあるように、よく生きる(Benesse)という人間中心の価値観がある。福武總一郎は単なる企業経営者ではなく、地域社会と文化の関係を再構築する思想家であった。1980年代末、直島の自然環境と過疎化の現実に向き合う中で、彼はアートによる地域再生に着手する。これは観光開発でも経済優先でもなく、あくまで文化を核とした持続的再生であった。その実現のために、彼は福武財団を設立し、長期的視野に立った芸術活動の基盤を整備した。企業活動の延長としてではなく、公益的文化事業としてプロジェクトを位置づけた。

直島・豊島に展開する美術館群

本書のタイトルであるBecomingとは、生成し続けることを意味する。直島プロジェクトは完成されたものではなく、常に変化し続けるプロセスであると位置づけられている。本書は作品集でもガイドでもなく、芸術が社会とどのように関わりうるかを問う思想書である。直島の美術館群は文化とは何かという問いそのものとして提示されている。

1.ベネッセアートサイトの構造
ベネッセの美術館群は、単一の施設ではなく、瀬戸内の島々に点在する複合的プロジェクトである。中核となるのは直島であり、さらに豊島や犬島へと展開している。その構造は、美術館(展示空間)建築(環境との統合)島全体(生活・風景との融合)の三層から成る。作品は建物の中に閉じ込められるのではなく、島という環境全体の中で位置づけられている。

直島
直島の美術館群

2.ベネッセハウス
宿泊施設と美術館が融合した空間である。美術館の中に宿泊することができ、生活の中で芸術を体験することができる。

直島
ベネッセ美術館棟からの眺め
杉本博司の「海景」と共に海を臨む

3.地中美術館
地中に埋設された建築でありながら自然光を導入し、時間とともに変化する空間を生み出す。

直島全景
地中美術館

4.直島に点在する住居改装美術館
直島各所にある住宅を改修して作品を展示する空間として蘇らせている。作品はサイトスペシフィックな作品として住宅と一体化している。

直島
直島の住宅を改修した展示
直島
宮島達男の作品
角屋
杉本博司
直島にある杉本博司の作品
護王神社

5.豊島美術館
建築と作品が不可分となった空間であり、内藤礼をはじめ作品が点在して展示されている。単なる施設ではなく、自然・時間・身体の感覚を巻き込む総合芸術として構想されている。

内藤礼
豊島美術館
内藤礼の展示室

本書の内容と構成

ベネッセアートサイト直島は、美術館の集合ではなく、人間はいかに生きるべきかという問いを空間として具現化した思想プロジェクトである。本書はその全体像を最も深く捉えた書であり、芸術・建築・社会を横断する現代の重要な文化的試みを記録した記念碑的著作である。

1.思想と起源
福武總一郎の理念、地域との関係、芸術導入の経緯が語られる。ここでは直島がいかにして文化の場へと変容していったかが描かれる。

2.建築と作品
安藤忠雄を中心とする建築家、そして現代美術作家たちの関与が詳細に記録される。作品と空間がいかに相互作用するかが分析されている。

3.社会と未来
島民との関係、観光との緊張関係、持続可能性といった問題が論じられる。ここではプロジェクトが単なる成功例ではなく、常に課題を内包する存在であることが示される。

ベネッセアートサイトのインパクト

1.芸術の役割の転換
ベネッセアートサイトは、芸術を鑑賞対象から環境的・体験的存在へと転換した。これは空間そのものを作品とする方向を徹底したものである。

2.地域再生モデルの提示
過疎化した島に対し、経済開発ではなく文化によって人を呼び込むモデルを提示した。直島は世界的観光地となりながらも、単なる消費の場ではなく、思索の場として機能している。

3.建築と自然の新たな関係
安藤忠雄の建築は、自然を支配するのではなく、光・風・時間を取り込むことで共存を実現した。ここにおいて建築は単なる器ではなく、芸術の導き手となった。

4.現代美術の新しい地平
直島・豊島のプロジェクトは、現代美術を都市から解放し、場所性(サイト・スペシフィック)を極限まで高めた。それは芸術が社会・自然・時間と不可分であることを示すものである。

豊島美術館の内藤礼作品(付記)

豊島(てしま)に位置する豊島美術館は、建築家西沢立衛と内藤礼の協働によって生まれた、建物と作品が不可分に結びついた素晴らしい空間と作品である。外観は薄い白漆喰のようなコンクリートのシェルが地表に伏せるように広がり、内部には柱も壁もなく、ただ二つの大きな開口部が空へと開かれている。この建築は、外界の光、風、音をそのまま取り込み、自然そのものを空間の構成要素としている。その内部に展開される内藤礼の作品は、物体として存在するのではなく、水が床からにじみ出て微細な粒となり、ゆっくりと動き続ける。水滴は重力や気温、空気の流れに従って形を変え、消え、また現れる。この絶えざる生成と消滅の過程こそが作品の本質であり、鑑賞者はそれを静かに見守る中で、自らの存在や時間の流れを感覚的に意識させられる。建築はこの現象を受け止める器であると同時に、自然と人間を媒介する場であり、作品と一体となって、世界の根源的なあり方を体験させてくれる。

内藤礼
内藤礼の作品(内部)

未来の輪郭

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