ビューティフル・マインド

A Beautiful Mind
1998年刊
Sylvia Nasar著

シルヴィア・ナサーの経歴

シルヴィア・ナサーは1947年、ドイツのローゼンハイムに生まれた。アンティオーク大学で文学を学び、その後ニューヨーク大学で経済学を学び、修士号を取得した。経済学者レオンチェフの研究にも関わり、経済学を専門的に理解する基礎を築いた。その後ジャーナリズムに転じ、経済担当記者として活動した。後にコロンビア大学ジャーナリズム大学院教授となった。本書は彼女の最初の著書である。

本書の内容

1.孤独な少年

ナッシュは1928年、米国ウェストヴァージニア州ブルーフィールドに生まれた。少年時代から知的能力は高かったが、社交的な子供ではなかった。人間関係よりも本、科学、実験、数学に強く惹かれ、既に知られている知識を覚えることより、自分自身で問題を考えることを好んだ。ナサーが描くナッシュの特徴は、単に頭が良いということではない。彼には、他人が考えた問題を解くよりも、他人がまだ考えていない問題を発見し、それを自分だけの方法で解きたいという異常なほど強い独創性への欲求があった。この性格は後の数学的天才の源泉となる一方、人間関係における孤立や摩擦の原因にもなっていく。

2.プリンストン

ナッシュはカーネギー工科大学を経て、プリンストン大学大学院へ進学した。当時のプリンストンは世界数学界の中心の一つであり、ノイマンをはじめとする一流の数学者たちが集まっていた。ナッシュはこの世界でも異彩を放った。既存の研究を丁寧に積み上げるタイプではなく、重要な問題を見つけると、それを従来とは全く異なる角度から考える。その知性には驚異的なものがあった反面、傲慢で競争心が強く、他人から認められることを強烈に求める人物でもあった。ナサーはナッシュを純粋な天才として美化しない。優越感、自己中心性、他者への残酷さまで含めて描くことによって、数学的才能と人間的成熟が必ずしも一致しないことを示している。

3.ナッシュ均衡-21歳の革命

ナッシュの名を歴史に残したのがゲーム理論である。ノイマンとモルゲンシュテルンによって発展したゲーム理論に対して、ナッシュは非協力ゲームという問題を一般化した。その核心が後にナッシュ均衡と呼ばれる考え方である。簡単に言えば、複数の人間・企業・国家がそれぞれ自分の利益を考えて行動する時、他の参加者の戦略が変わらない限り、誰も自分だけ戦略を変更して得をしない状態が存在するという考え方である。これは単なる数学上の問題にとどまらなかった。企業間競争、価格決定、国際交渉、軍事戦略、政治、オークションなど、複数の主体が互いの行動を予測しながら意思決定する問題を分析する共通言語となった。ナッシュはわずか27ページほどの博士論文を基礎として、この概念を打ち出した。後に経済学を大きく変える理論となり、1994年のノーベル経済学賞につながった。

4.ゲーム理論を超えた数学者

ナッシュはゲーム理論の数学者として知られているが、ナサーが強調するのは、彼の数学的業績がそれだけではないことである。ナッシュはMITで数学を研究し、微分幾何学、偏微分方程式などでも重要な仕事を行った。特にナッシュの埋め込み定理は純粋数学における極めて重要な成果となった。

5.RAND研究所

ナッシュの研究人生は冷戦とも重なっていた。RAND研究所にはノイマンをはじめ、多くの数学者、経済学者、戦略研究者が集まり、ゲーム理論を核戦略や国際政治へ応用しようとしていた。米国とソ連が互いの行動を予測しながら軍備を決定する核抑止の世界は、まさにゲーム理論的状況であった。ナッシュもRANDに関係し、その知的世界の一員となった。しかしナサーは、ナッシュを単純に核戦略を作った数学者として描いてはいない。むしろ、抽象数学が経済、軍事、政治という現実世界と急速に結びついていった1950年代アメリカの知的雰囲気を描いている。

7.天才の絶頂と内面の不安

1950年代後半、ナッシュは数学者として絶頂期を迎えていた。MITで教え、数学界で評価を高め、MITの学生だったアリシア・ラルデと結婚した。しかし外面的な成功とは裏腹に、ナッシュの精神状態は次第に不安定になっていく。彼は自分が世界的な使命を与えられていると考えるようになり、政治的・宗教的な暗号や陰謀を読み取るようになる。1959年、精神状態は深刻に悪化し、入院する。ここからナッシュの人生は劇的に変化する。

8.合理性を研究した男が合理性を失う

本書の中心には極めて皮肉な対比が存在する。ナッシュが数学で研究したのは、人間が他人の行動を予測しながら合理的に意思決定する世界であった。ところが、その合理性を数学的に解明した本人が、自ら現実と妄想の境界を見失っていく。ナッシュは新聞記事や数字の中に秘密の意味を見つけ、政治的陰謀を信じ、自分が特別な使命を与えられた存在だと考えるようになる。ナサーはここで、天才と狂気をロマンティックに結びつけない。数学的天才だから精神疾患になったのでも、精神疾患が天才を生み出したのでもない。むしろ病気によってナッシュの研究人生は大きく破壊された。

9.失われた年月

その後、ナッシュは入退院を繰り返し、ヨーロッパを放浪するなど、長い不安定な時期を過ごした。MITでの職も失い、かつて世界数学界の頂点を目指していた人物が、プリンストンの構内を孤独に歩き回る姿が見られるようになる。学生たちは彼をプリンストンの幽霊のような存在として見るようになった。この失われた年月が本書の重要な部分を占める。成功した天才の物語なら、通常は若き日の苦労から偉大な発見へ向かう。しかしナッシュの場合、偉大な発見の後に人生の崩壊がやって来る。それでもプリンストンの数学者たちは、完全には彼を排除しなかった。大学の建物に出入りし、数学者たちと接触する余地が残された。この共同体の寛容さが、後の回復を支える重要な背景となる。

10.アリシア

本書で重要な人物が妻アリシアである。二人の結婚生活は決して理想的ではなかった。ナッシュの病気によって家庭生活は崩れ、1963年には離婚する。しかしアリシアは最終的にナッシュを完全には見捨てなかった。1970年頃から再び彼を自宅に受け入れ、生活を支えるようになる。ナッシュにとって、安心して生活できる場所と人間関係が存在したことは、その後の回復に重要な意味を持った。映画ビューティフル・マインドでは二人の関係がかなり劇的に再構成されているが、原著のナサーは、より複雑で現実的な関係として描いている。

11.理性によって妄想を拒否する

ナッシュの人生で最も驚くべき部分は、その後である。精神疾患は通常の英雄物語のように突然治った訳ではない。しかし1980年代から90年代にかけて、彼は徐々に妄想的思考から距離を置くようになる。ナッシュ自身は、妄想的な考えを意識的に拒否するようになった。これは数学の証明とは違う。妄想が論理的に反証されたから消えたという単純な話ではない。むしろ、自分の頭の中に生まれた考えであっても、それを必ずしも真実として受け入れないという態度を身につけていった。かつて独創的な発想を無条件に追求することが天才の源泉だった人物が、後半生では逆に、自分の思考を疑うことによって現実へ戻っていった。

12.ノーベル経済学賞

1994年、ナッシュはハーサニ、ゼルテンとともにノーベル経済学賞を受賞した。受賞理由は、非協力ゲーム理論における均衡分析への先駆的貢献である。若き日に書いた研究が約40年後、経済学の中心的理論として評価された。しかしナサーにとってノーベル賞は単なる成功の頂点ではない。かつて精神疾患によって学問共同体から事実上消えた人物が、長い年月を経て再びその共同体から認められたという意味を持つ。それは天才が賞を取ったという話以上に、一度失われた人生が完全ではなくとも再び社会につながった物語である。ナッシュはその後も数学研究を続け、2015年にはニーレンバーグとともにアーベル賞を受賞した。

本書が言いたかったこと

本書が描いているのは、単なる天才数学者の成功と復活ではない。本書の中心にあるのは、人間の知性とは何なのか、そして人間は自分自身の精神とどのように付き合って生きるのかという問題である。若きナッシュの最大の才能は、他人が当然だと思っている前提を疑うことであった。既存の理論に従うのではなく、別の考え方があるのではないかと考える。その精神的自由がナッシュ均衡をはじめとする独創的数学を生んだ。しかし、その同じ精神が病気によって制御を失うと、現実世界の中にも他人には見えない意味や規則、暗号を見つけるようになる。ここにナッシュの人生の深い逆説がある。若いナッシュは自分の思考を信じることによって天才になり、後半生のナッシュは自分の思考を疑うことによって再び生きることを可能にした。本書の題名は単純に美しい数学的頭脳という意味だけではない。人間の精神は、驚くほど美しい理論を生み出すこともあれば、その本人を現実から引き離すこともある。そして精神が一度壊れたとしても、人間の人格や知性の全てが消えてしまう訳ではない。更にナサーが示しているのは、個人の回復が個人だけの力では成立しないことである。アリシアとの関係、プリンストン大学という共同体、かつての同僚たち、数学という知的世界とのつながりが、ナッシュが社会へ戻る場所を残した。天才を称賛するだけではなく、壊れた人間を完全には排除しない社会の寛容さもまた、本書の重要な主題である。

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