Balthus

Balthus
2013年刊
Raphaël Bouvier著

目次

著者とバルテュスの経歴

著者ラファエル・ブーヴィエ(Raphaël Bouvier)はスイス出身の美術史家であり、バーゼル美術館のキュレーターとして活動している。19世紀から20世紀にかけての象徴主義や近代絵画に関する研究で知られ、視覚表現の中に潜む心理性や象徴性を読み解く点に定評がある。本書においても、単なる作品紹介にとどまらず、バルテュスの作品に内在する時間性と精神性を丁寧に解釈している。

バルテュス
ギターのレッスン
油彩
バルテュス
夢見るテレーズ
油彩

バルテュス(Balthasar Klossowski de Rola)は1908年にポーランド系の芸術家一族に生まれた。母は画家であり、詩人ライナー・マリア・リルケとも親交が深く、幼少期から高度な芸術環境に置かれていた。20世紀の前衛芸術が抽象へと向かう中で、彼は一貫して具象絵画にこだわり続け、ルネサンスや古典絵画の技法を現代において再生した特異な存在である。代表作にギターのレッスン、夢見るテレーズなどがあり、少女像を中心とする独自の主題で知られる。晩年はスイスのロシニエールに居を構え、2001年に没した。

本書の内容

本書は、単なる図版集ではなく、バルテュスの作品世界を構造的に解読するモノグラフである。全体は、年代順の整理にとどまらず、主題ごとに分析されている。本書はまずバルテュスの芸術が20世紀の異端であることを明確にする。抽象や前衛が主流となる中で、彼は意図的に古典へと回帰し、むしろ時間の外部に位置する絵画を目指した。そのため彼の作品は同時代性を拒否し、永遠性の感覚を帯びる。本書は、彼の絵画における重要な要素として、静止した時間、視線の構造、無垢とエロスの共存の3つを繰り返し論じている。バルテュスの絵画では、人物は動きを止め、世界は一種の凝固した状態に置かれる。登場人物はしばしば外界と断絶し、観る者との関係に緊張を生み、少女像は純粋でありながら、同時に不可解な官能性を帯びている。

バルテュス絵画の本質

バルテュス絵画の核心は、現実の再現ではなく時間の停止にある。彼の画面においては、出来事は起こらず、むしろ起こる直前あるいは直後の状態が永遠に引き延ばされる。例えば少女像において、人物は読書や休息といった日常的行為の中にあるが、その姿勢や視線は不自然なまでに固定されている。この固定性こそが、観る者に強い違和感を与える。そこでは、無垢な日常と不可視の欲望とが同時に存在している。空間構成においても彼は古典的な遠近法を用いながら、どこか歪んだ構造を作り出す。家具や人物の配置は均衡しているようでいて、微妙なズレを孕み、画面全体に緊張をもたらす。この構造は、単なる写実ではなく、意図的に設計された心理的空間である。色彩は抑制され、沈黙に近い静けさを持つ。これは印象派のような光の表現とは対照的であり、むしろルネサンスやピエロ・デラ・フランチェスカに近い永続的な時間を志向している。バルテュスの絵画は、見る行為そのものを問い返す。

バルテュス
ブランシャール家の子どもたち
油彩
バルテュス
コメルス・サンタンドレ小路
油彩
バルテュスのデッサン
バルテュスのデッサン
水彩
バルテュスのデッサン
バルテュスのデッサン
鉛筆
バルテュスの絵画
バルテュスの風景画
油彩

絵画史における位置

バルテュスは20世紀絵画史の中で極めて特異な位置を占める。彼はピカソやマティスと同時代にありながら、そのいずれの潮流にも属さない。彼は、前衛でもなく、伝統主義者でもなく、時間の外部に立つ画家として位置づけられる。バルテュスは、20世紀において失われかけた絵画の神秘性と沈黙を回復した存在である。

第一に、彼は古典絵画の継承者である。構図、人物表現、空間処理において、ルネサンスや17世紀絵画の伝統を深く吸収している。しかしそれは単なる模倣ではなく、現代において再構築された古典である。

第二に、彼はシュルレアリスムと接点を持ちながらも、そこにも完全には属さない。夢や無意識の気配は確かに存在するが、それは自動記述的なものではなく、極めて厳密に構築される。

第三に、彼は近代絵画の進歩史観に対する批判者である。絵画は進歩するという考えに対し、彼はむしろ回帰によって新たな地平を切り開いた。

バルテュスとクロソウスキー(付記)

バルテュス(Balthus)の兄は作家のピエール・クロソウスキーである。両者は同じ文化的土壌に育ちながらも異なる表現領域で活動した。パリの芸術的環境において、兄ピエールは哲学・文学・神学を横断する知的活動を展開し、ニーチェや神秘思想、欲望の問題を深く掘り下げた。一方、バルテュスは絵画によって同様の主題を沈黙のうちに表現した。両者の関係は直接的な共同制作はなくとも、精神的共鳴に特徴がある。無垢とエロス、聖と俗の緊張といった主題において、兄は言語で、弟は視覚で応答した。ピエールの思想はバルテュスの少女像の解釈に深みを与え、一方でバルテュスの絵画は、言語化され得ない領域を提示することで兄の思索と補完関係をなした。両者は異なる形式において同一の精神的問題を追究した稀有な兄弟である。

私のバルテュス(付記)

バルテュスの深淵なる絵画世界を理解するために、私が模写したバルテュスを一枚。

バルテュスのテレーズを描いた絵画
テレーゼ
國井正人作
パステル

未来の輪郭

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