Bachelors
1999年刊
Rosalind E. Krauss著
ロザリンド・E・クラウスの経歴
ロザリンド・E・クラウスは1941年にアメリカ・ワシントンD.C.に生まれ、ハーバード大学で美術史を学んだ。1970年代以降のアメリカ現代美術批評を代表する存在であり、特に構造主義やポスト構造主義、精神分析理論を美術批評に導入したことで知られている。彼女は美術雑誌Octoberの創刊メンバーでもあり、クレメント・グリーンバーグ的形式主義批評を超える新しい批評理論を展開した。クラウスの批評は、単なる作品解説ではなく、芸術作品の背後にある欲望構造、記号体系、無意識の問題を読み解こうとする点に特徴がある。本書は、マルセル・デュシャンを中心に、近代から現代に至る芸術作品に潜む独身者(Bachelor)という概念を軸に、美術・欲望・身体・機械・視線の問題を考察した思想的著作である。クラウスの著作群の中でも特に文学・精神分析・哲学との結びつきが強い作品である。デュシャン、ジャコメッティ、シンディ・シャーマンなど多様な作家を取り上げながら、独身者という存在が近代芸術においてどのような象徴性を持っていたのかを論じている。
本書の内容
1.独身者という概念
本書の中心にあるのは、独身者(Bachelor)という奇妙な存在である。クラウスはこの概念を、マルセル・デュシャンの代表作彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも(通称大ガラス)から導き出している。デュシャンの作品における独身者たちは、欲望を持ちながら決して対象へ到達できない存在として描かれる。彼らは機械のような装置を通じて花嫁へ接近しようとするが、その欲望は永遠に満たされない。クラウスは、この構造こそ近代芸術に潜む根源的状態であると考える。独身者とは、単なる未婚男性ではない。それは孤立した主体であり、欲望を持ちながら世界と完全には結びつけない存在である。近代芸術は、この不完全な欲望の構造を繰り返し表現してきたとクラウスは論じる。
2.デュシャンと機械的欲望
本書では特にマルセル・デュシャンが重要な位置を占めている。クラウスはデュシャンを単なる前衛芸術家ではなく、欲望の構造を視覚化した思想家として読み解いている。大ガラスにおいて、花嫁と独身者たちはガラス面によって隔てられている。そこでは性愛は直接的な身体接触としてではなく、機械的装置や象徴的操作として表現される。欲望は存在するが、決して充足されない。この宙吊り状態こそが近代主体の条件であるとクラウスは考える。彼女はさらに、デュシャンのレディメイド作品にも言及し、そこに身体性の喪失を読み取っている。芸術作品は手仕事による制作から離れ、匿名的・機械的存在へ変化していく。その結果、芸術家自身もまた独身者と化し、世界から切断された孤独な主体となる。
3.視線と覗き見
本書では、見ることの問題も繰り返し論じられている。クラウスは、近代芸術において視線が単なる鑑賞行為ではなく、欲望と深く結びついていると指摘する。デュシャンの遺作では、観客は小さな穴から内部を覗き見る構造になっている。この作品において観客は、無意識のうちに覗き見る者として作品へ参加させられる。観客自身もまた独身者の位置へ置かれる。クラウスはここで精神分析理論を援用し、視線が単なる知覚ではなく、欠如を伴う欲望構造であることを示す。人は見たいと欲望するが、完全には見ることができない。この不完全性が、近代芸術の核心にあると彼女は考えている。
4.写真と現代芸術
本書後半では、写真や現代美術にも議論が広がっていく。特にシンディ・シャーマンの作品分析では、主体の不在が大きなテーマとなっている。シャーマンは自らをモデルとして様々な女性像を演じるが、そのどれもが本当の自己ではない。そこには固定された主体は存在せず、仮面とイメージだけが残される。クラウスは、この状態をデュシャン的独身者の現代的変形として捉えている。写真というメディア自体も、痕跡でありながら実体を持たない存在として論じられる。近代芸術は、もはや確固たる現実や主体を前提とせず、断片化された記号やイメージの連鎖の中で成立している。
5孤独と近代性
本書全体を通じて流れているのは、近代人の孤独についての考察である。独身者とは、共同体や宗教的秩序から切り離され、欲望だけを抱えた存在である。彼は世界を完全に所有することも、他者と完全に結びつくこともできない。しかしクラウスは、この孤独を単なる悲劇として描いてはいない。むしろ近代芸術は、その不完全性や欠如を引き受けることで成立している。芸術とは、満たされない欲望の運動だと彼女は考えている。
本書が言いたかったこと
近代芸術とは欠如と欲望の芸術である。人間は世界を完全に理解することも、他者と完全に結びつくこともできない。その不可能性の中で、人は見ることを欲望し、触れようとし、意味を求め続ける。クラウスがいう独身者とは、単なる孤独な人物ではない。それは近代社会における主体を象徴している。合理化された社会の中で、人間は共同体や神話的秩序から切り離され、自らの欲望だけを抱えた存在となった。その孤独と不完全性が、近代芸術を生み出した。本書において重要なのは、芸術が完成や調和を目指すものではなく、むしろ満たされなさを表現するものとして捉えられている点である。デュシャン以後の芸術は、美しい統一体ではなく、断片化され、不安定で、決して完結しない構造を持つようになった。クラウスは本書を通じて、現代芸術を単なる視覚表現ではなく、人間の欲望や無意識を映し出す装置として読み解いた。独身者という存在を通して、近代人が抱える根源的孤独と、そこから生まれる創造性の本質を明らかにしようとした。
