Average Is Over-Powering America Beyond the Age of the Great Stagnation
2013年(日本語版2014年)刊
Tyler Cowen著
タイラー・コーエンの経歴
著者のタイラー・コーエンは、ジョージ・メイソン大学の経済学教授として知られ、現代アメリカを代表する知識人の一人である。専門はマクロ経済学、文化経済学、技術革新論であり、特にAI、グローバル化、労働市場の変化について早い段階から鋭い分析を行ってきた。彼は、世界的に有名な経済ブログMarginal Revolutionの共同運営者としても知られている。学術経済学者でありながら、一般社会に対する発信力が極めて高く、インターネット時代における新しいタイプの公共知識人と評されている。本書は、前著大停滞(The Great Stagnation)の延長線上に位置づけられる著作である。大停滞では、20世紀型高度成長は既に終わったという問題提起が行われたが、本書では更に踏み込み、AI革命によって平均的人間の経済価値が崩壊していく未来が論じられている。
本書の内容
本書は、単なる未来予測書ではない。それはAI文明への移行期における、新しい社会構造論であり、新しい人間論である。本書は大きく三つの主題によって構成されている。
第一に、AIやアルゴリズムが労働市場をどのように変化させるかという問題である。コーエンは、機械知能の進化が単純労働だけでなく、高度知的労働までも代替し始めると論じる。従来、安全だと考えられていたホワイトカラー職種までもがAIによって再編される。
第二に、その結果として社会がどのように二極化するかが論じられる。本書の核心である平均の終焉とは、中間層社会の崩壊を意味している。AIと協働できる少数の高度人材は莫大な富を得る一方、多くの人々は低所得層へ転落していく可能性が高い。
第三に、そのような時代に人間はどのように生きるべきかが論じられる。教育、能力開発、働き方、社会制度などを含め、AI文明への適応戦略が提示されている。
本書は未来を単純に悲観する書物ではない。むしろコーエンは、適応できる者にとっては、かつてない可能性が開かれると考えている。その意味で本書は、AI時代の生存戦略論として読むべき著作である。
平均的人間の終焉
1.人間+AIだけが生き残る
本書においてコーエンが最も強く主張しているのは、AIに勝つ人間が未来を支配するのではなく、AIと協働できる人間だけが価値を持つようになるという点である。彼は象徴的事例としてチェス界を取り上げる。かつてチェスは、人間の知性を競う競技であった。しかしコンピュータチェスが進化すると、人間単独よりも、人間とAIが協働したチームの方が圧倒的に強くなった。この現象は未来経済を象徴している。未来社会では、AIを単なる道具ではなく、自らの知性の拡張装置として使える人間だけが高い価値を持つ。逆に、平均的能力だけに依存していた人間は、AIとの競争の中で急速に市場価値を失っていく。本書のタイトルは、平均的人間が安定的中流として存在できた時代の終焉を意味している。
2.中間層社会の崩壊
コーエンは、20世紀型中産階級社会の崩壊を極めて重大な歴史的転換として捉えている。工業化時代には、平均的能力を持つ真面目な人間でも、中流として十分な生活を送ることが可能であった。一定の教育を受け、規律正しく働けば、安定した生活が保障された。しかしAI時代では、その平均性こそが最も危険になる。事務、翻訳、会計、法務、金融分析、教育、診断など、従来は高度知的労働と考えられていた分野ですらAIが急速に侵食していく。その結果、社会は、AIを駆使して巨大な生産性を発揮する少数の超高度人材と、低所得サービス層へと分裂していく。これは単なる所得格差ではない。文明構造そのものの変化である。コーエンは、この流れは一時的なものではなく、不可逆的な歴史変化であると見ている。
3.教育革命と新しい能力
本書では教育制度への批判も極めて強い。従来型教育は、平均的人間を大量生産するための制度として設計されていた。しかしAI時代において、暗記型教育や均質的大学教育は急速に意味を失っていく。AIは既に、人間を遥かに超える速度で知識を検索・処理できる。そのため未来に必要なのは、単なる知識量ではなく、創造性、文脈理解力、他者との協働能力、自律的学習能力、そしてAIに適切な指示を与える能力である。教師の役割も変化する。単なる知識伝達者ではなく、学習意欲を引き出し、個人の能力を伸ばすコーチやナビゲーターに変わっていく。
未来社会に何をもたらすのか
本書は、AI時代における新しい人間社会の設計図を示した書物である。20世紀社会は、平均的人間を中心に成立していた。大量教育、大量雇用、大量消費、さらには大衆民主主義までもが、その前提によって支えられていた。しかしAI時代は、その前提そのものを崩壊させる。未来社会では、人間であること自体には価値がなくなる。AIと補完関係を築き、新しい価値を創造できる人間だけが高く評価される社会になる可能性が高い。その結果、社会はこれまで以上に能力主義化し、格差もまた拡大する。
だが同時に、AIは巨大な可能性も開く。かつては巨大企業や国家レベルでしか実現できなかったことが、AIによって個人でも可能になる。個人研究者、小規模企業、クリエイター、起業家などが、AIを用いて世界的影響力を持つ時代が到来する。未来とは、超巨大組織の時代であると同時に、超個人の時代でもある。その中で我々に必要なのは、単なる知識の蓄積ではない。学び続ける能力、AIを恐れず利用する柔軟性、複数分野を横断する知性、独自性、創造性、そして変化への適応力である。
コーエンの警告は厳しい。しかし彼が本当に語りたかったことは、未来は残酷だが、適応した者には過去に存在しなかった巨大な可能性が開かれる。そして現在の生成AI革命は、まさに彼の予測が現実へと変わり始めていることを示している。
