いまのいま 麻生三郎詩文集

いまのいま 麻生三郎詩文集
2004年1月刊
麻生三郎著

画家・麻生三郎の経歴

戦後は自由美術家協会を中心に活動し、自画像、裸婦、室内、都市風景などを通じて、人間の孤独や時間の重み、生と死の境界を静かに描き続けた。その作品は厚みのある絵肌と重厚な色彩、深い精神性によって高く評価され、日本近代洋画史における具象表現の重要な到達点とされている。一方で麻生は優れた文章家でもあり、美術評論、随筆、詩を数多く残した。文章においても絵画と同様、日常の中に潜む生命の気配や、人間が生きることの意味を静かに問い続けた。本書は、その文学的側面を集成した代表的な詩文集であり、画家の精神世界を理解する上で欠かせない一冊となっている。

麻生三郎

本書の内容

1.戦中・戦後に生まれた詩の世界

本書の中心をなすのは、昭和17年から21年頃(戦争末期から終戦直後)にかけて書かれた詩である。これらの詩には戦争を直接描写する言葉は多くないが、日常の静けさ、失われゆく時間、人間の孤独、死の予感などが凝縮された簡潔な言葉で表現されている。華美な修辞を避けたその詩は、絵画と同じように余白が豊かであり、読む者に深い思索を促す。

2.日常の中にある永遠

随筆では、散歩、庭木、空、季節の移ろい、人との対話など、ごく平凡な出来事が数多く描かれる。しかし麻生は、それらを単なる生活記録としてではなく、永遠へ通じる入り口として見つめている。目の前の一瞬を真剣に見つめることが、人間の存在を理解することにつながるという思想が全編を貫いている。

3.絵画と文学の往復

本書には美術雑誌や新聞などへ寄稿した画論や随想も多数収録されている。そこでは、絵画は技巧を競うものではなく、世界との対話であることが繰り返し語られる。また、文学、哲学、歴史への関心も随所に現れ、画家でありながら文学者のような感受性で芸術を考察していることがわかる。

4.今を生きるという思想

書名にもなっているいまのいまは、過去や未来ではなく、現在という瞬間を徹底して生きるという麻生の人生観を象徴している。芸術は過去の模倣でも未来への幻想でもなく、いまという時間にしか生まれない。画家が描く一筆も、人間が生きる一瞬も、二度と繰り返されないかけがえのない時間である。

5.言葉と絵画の共通性

麻生は、詩と言葉を絵画とは別の表現とは考えていない。詩も絵も、余計な説明を削ぎ落とし、本質だけを残そうとする営みである。言葉は線となり、線は言葉となる。そのため本書の文章には、画面を見つめるような静かな緊張感が漂っている。

6.人間への深いまなざし

戦争や社会の混乱を経験した麻生は、人間を楽観的にも悲観的にも描かない。弱さや愚かさを認めながらも、その中に生き続けようとする意志を見いだそうとする。だから本書は告発や主張の書ではなく、人間存在への静かな信頼を積み重ねた精神の記録となっている。

7.芸術家の生活を描く

本書では制作秘話よりも、画家の日々の生活や考え方が自然体で語られる。制作と生活を切り離さず、生きることが創作であるという姿勢が随所に表れており、芸術家の人生が一つの作品となっている。

本書が言いたかったこと

人間は今、この瞬間を誠実に生きることによってのみ、自分自身や世界の本質に近づける。芸術とは特別な才能によって生み出されるものではなく、日常の中で自然や人間を深く見つめ続ける姿勢から生まれる。詩も絵画も、その瞬間にしか存在しない生命の輝きをすくい上げるための方法であり、芸術とは人生を静かに肯定する営みである。

未来の輪郭