芸術とその観衆

Art and Its Publics
Museum Studies at the Millennium
2003年刊
Andrew McClellan編著

編者アンドリュー・マクレランの経歴

アンドリュー・マクレランは、美術館史、コレクション史、展覧会史を専門とするアメリカの美術史家である。ロンドン大学コートールド美術研究所で美術史博士号を取得した。啓蒙主義期フランスにおける近代美術館成立の研究を中心としてきた。英国サセックス大学を経て、タフツ大学で美術史教育に長く携わった。現在に至るまで、美術館、美術史学の歴史を主要研究領域としている。マクレランの研究の特徴は、美術館を単なる美術品の保存場所としてではなく、作品、展示方法、制度、観客が相互作用する社会的空間として捉えるところにある。

本書の内容

1.観客から美術館史を読み直す

本書の最も重要な特徴は、美術館史を作品やコレクターだけでなく、パブリックの側から捉え直したことである。近代的公共美術館はフランス革命期に、王侯貴族の所有していた文化財を国民の財産として公開する理念とともに発展した。その意味で公共美術館は、当初から文化の民主化を担う制度であった。しかし、すべての人に開かれていることと、すべての人が等しく美術館を利用できることは同じではない。美術館には一定の文化的知識、鑑賞作法、階級的習慣が存在する。そのため建前として万人に開放されても、実際には特定の社会階層が主要な観客となる。そこで本書が問い直すのが、美術館のパブリックとは一体誰なのかという問題である。

2.テートと大衆化する美術館

ニック・プライアーは、現代社会における美術館の変化をテートを中心に論じる。20世紀末以降、美術館はかつてのような静かな文化的神殿ではなくなった。大規模な企画展、イベント、ショップ、カフェ、教育プログラム、企業スポンサーなどを取り込み、巨大な文化施設へと変化した。これは美術館を大衆に開くという意味では成功である。しかし同時に、美術館が消費社会や観光産業の一部になり、作品を見ることと文化的娯楽を消費することとの境界が曖昧になる。美術館は、文化的権威を維持しながら大衆的施設にもならなければならないという矛盾を抱えるようになった。

3.美術館理論と現場の隔たり

ダニエル・ライスは、美術館をめぐる理論と実務の関係を論じる。美術館研究では、権力、ジェンダー、植民地主義、階級、文化的支配などをめぐる高度な理論が発達した。しかし実際に美術館を運営する側は、作品の保存、予算、人員、寄贈者、観客、教育、展示設計など極めて具体的な問題に直面している。理論的には理想的な展示でも、現場では実現できないことがある。逆に実務上成功した展覧会が、学問的には批判されることもある。したがって美術館研究には、理論から現場を批判するだけではなく、理論と実務を往復する姿勢が必要である。本書が研究者と美術館実務家双方の論考を収録しているのも、この問題意識による。

4.ノーマン・ロックウェルを展示する意味

アラン・ウォラックは、非常に興味深い事例を取り上げる。ノーマン・ロックウェルはアメリカ大衆文化を代表する画家・イラストレーターであるが、長い間、近代美術史の主流からは距離を置かれてきた。そのロックウェルを、近代美術の権威を象徴するグッゲンハイム美術館が展示することには特別な意味がある。ここには何が美術なのかという問題がある。美術館は既に決まっている芸術的価値を展示するだけではない。ある作品を美術館に入れるという行為自体が、その作品に文化的権威を与える。したがって美術館は美術史を保存しているだけではなく、展示によって芸術の境界を変更する力を持っている。

5.驚異の部屋への回帰

スティーヴン・バンは、現代美術館の展示方法を歴史的に考察する。近代美術館以前のヨーロッパには驚異の部屋が存在した。そこでは絵画、彫刻、珍しい動植物、鉱物、考古遺物、異国の品々などが混在して展示され、人々の驚きや好奇心を刺激した。近代美術館はこれを否定し、作品を時代、国、流派、作者などによって科学的に分類する方向へ進んだ。しかし現代の展示では、再び異なる時代やジャンルの作品を組み合わせ、観客に意外な発見を促す方法が現れている。展示は、正しい美術史を一方向に教えるものから、観客自身が作品の間に関係を発見するものへ変化しつつある。

6.見るという行為は中立ではない

アン・イゴネットは、美術館で見るという行為を問題にする。我々は美術館で作品を自由に見ていると思っている。しかし実際には、建築、照明、壁面、展示ケース、作品間の距離、キャプション、展示順序などによって視線は誘導されている。更に観客自身も、それまでに身につけた教育、文化、ジェンダー、階級、社会経験を通じて作品を見る。したがって見るという行為は決して純粋でも中立でもない。美術館とは作品を展示する施設であると同時に、人々にどのように見るべきかを教える施設でもある。

7.宗教美術は美術館に入ると何になるのか

イヴァン・ガスケルは、宗教的・儀礼的な目的を持って作られた作品が美術館へ移された時、その意味がどう変化するのかを考察する。祭壇画や聖像は、本来、美術作品として鑑賞するためだけに制作されたものではない。祈りや信仰、宗教儀礼のために存在した。ところが美術館に収蔵されると、それらは宗教的聖物から美術史上の傑作へと変化する。美術館は作品を保存する一方で、作品を本来の文脈から切り離し、新しい意味を与える。美術館に入るということは、作品が単に場所を移動するのではなく、作品の意味が再構成されることになる。

8.アフリカ美術を誰の視点で展示するのか

クリスタ・クラークは、植民地主義と美術館展示の問題を具体的に論じる。ヨーロッパやアメリカの美術館では、長い間アフリカの彫刻や仮面が西洋側の分類方法によって展示されてきた。それらを原始美術、民族資料、モダニズムに影響を与えた造形として見ること自体が、西洋中心的な枠組である。では、21世紀の美術館は誰の視点からアフリカ美術を展示すべきなのか。制作した共同体なのか、現在のアフリカ人なのか、美術史家なのか、コレクターなのか、それとも世界の観客なのか。ここに誰が文化を語る権利を持つのかという、現代美術館にとって極めて重要な問題が現れる。

9.公共美術は誰のものか

最後のハリエット・F・セニーは、美術館の建物を越え、都市空間の公共美術と観客との関係を論じる。公共空間に設置された彫刻や記念碑では、専門家が高く評価する作品を市民が嫌う場合もある。逆に専門家が重要視しない作品が、市民に長く愛されることもある。ここで芸術作品の意味を決定するのは誰なのかという、本書全体を貫く問題が再び現れる。芸術家だけでも、美術館だけでも、専門家だけでもない。作品は社会に置かれた瞬間から、観客によって使用され、解釈され、時には拒絶されながら新しい意味を獲得していく。

本書が言いたかったこと

美術館は誰のものなのか。近代美術館は、王侯貴族が独占していた美術を国民へ開放するという民主主義的理念から発展した。その後、美術館は更に開かれ、現在では世界中から膨大な観客を集める巨大な公共文化施設となった。美術館の歴史は、一面では芸術の民主化の歴史であった。しかし、ここに逆説がある。美術館が万人に開放されたとしても、何を芸術とするか、何を展示するか、どう説明するか、どの文化を重視するかを決定する権限は依然として美術館側に残るからである。美術館を訪れる人々は均質な大衆ではない。専門家と初心者、富裕層と一般市民、子供と成人、異なる民族や宗教、異なる教育や文化的背景を持つ人々が存在する。同じ作品を見ても、その意味は人によって異なる。したがって21世紀の美術館に求められるのは、専門家が決定した唯一の美術史を観客に教えることではなく、作品を中心として異なる人々が考え、解釈し、時には異議を唱えることのできる空間を作ることである。ただし、本書は美術館の専門性を否定しているわけではない。むしろ重要なのは、専門家の知識と公共性をどう両立させるかということである。観客の人気だけを基準にすれば美術館は娯楽施設に近づき、専門家だけで価値を決めれば閉鎖的な文化的権威へ戻ってしまう。この両者の緊張を維持しながら、美術作品と社会を結びつけることこそ美術館の使命である。その意味で本書は、美術館とは何かという問題を美術館を見る人とは誰なのかという方向から問い直した本と位置づけることができる。

未来の輪郭