Écrits
1990年刊
Alberto Giacometti著
矢内原伊作訳
アルベルト・ジャコメッティと矢内原伊作
本書はアルベルト・ジャコメッティの文章・手記・断章・対話などを収録した著作である。ジャコメッティは、20世紀を代表する彫刻家・画家であり、細長く痩せた人体像によって知られる。彼の芸術は実存主義とも深く結びつき、存在とは何か、人間を見るとはどういうことかという問題を徹底して追究した。
訳者の矢内原伊作(1918–1989)は、日本の哲学者・美術評論家であり、東京大学で哲学を学び、特に実存思想や西洋近代美術研究で知られた人物である。彼は1950年代以降ジャコメッティ本人と親しく交流し、多くの肖像モデルも務めた。ジャコメッティ晩年の重要な理解者の一人であり、日本におけるジャコメッティ受容に極めて大きな役割を果たした。本書は通常の評論書ではなく、ジャコメッティ自身の言葉を通して、その芸術的苦闘と思索を直接読むことのできる貴重な記録である。
本書の内容
1.見るという不可能な行為
ジャコメッティは本当に見るということの困難さに取り憑かれていた。彼は人物を前にすると、最初はよく見えていると思う。しかし作業を始めると、急速に対象が分からなくなる。顔は崩れ、距離感は消え、形は掴めなくなる。彼はその混乱を何度も文章に書き残している。ジャコメッティにとって制作とは、頭の中の理想像を形にすることではなかった。むしろ逆であり、自分が見えていないという事実と格闘する。そのため彼は完成に到達しない。彫刻も絵画も、常に途中であり、常に失敗の感覚を伴っている。本書には、その苦悩が極めて率直に記されている。
2.人間存在への執着
本書では、人間の顔や身体に対する異常なほどの集中が繰り返し語られる。ジャコメッティは、人間を見つめる時、その人が存在しているという事実に驚きを感じていた。彼にとって他者とは、理解し尽くせない神秘的存在だった。特に肖像制作では、モデルが少し動いただけで全てが崩れてしまう。昨日まで見えていた顔が、今日は全く別のものに見える。彼はその変化を恐れながらも、同時にそこに人間存在の真実があると考えていた。だから彼の人物像は、肉体的特徴を写したものではない。むしろ存在しているが、決して完全には掴めない人間が形になっている。
3.芸術と失敗
本書には、成功したという感覚がほとんど現れない。ジャコメッティは、自分の作品に満足できず、常にまだ違う、まだ見えていないと語る。彼は名声を得た後ですら、自分が本当に作りたいものには届いていないと感じ続けていた。しかし彼にとって重要なのは、完成ではなかった。むしろ失敗し続けながら、それでも対象へ近づこうとすることに意味があった。この姿勢は芸術論を超え、一種の人生哲学として本書全体を貫いている。
4.空間と距離の感覚
ジャコメッティは、人間を空間の中の存在として見ていた。彼の細長い彫像は、単に痩せているのではなく、遠くから見た人間の感覚を表している。人は他者を完全には近く感じられず、常に距離を持って存在している。彼はその距離感を作品化しようとした。本書では、部屋の奥に立つ人物を見た時の印象や、夜道で見える人影などについても語られる。それらは日常的経験でありながら、彼にとっては存在論的な意味を持っていた。彼は、見えるという行為の中に、人間存在の不確かさを感じ取っていた。
5.矢内原伊作との交流
本書や関連資料では、矢内原伊作との交流も重要な背景となっている。矢内原は単なる翻訳者ではなく、ジャコメッティが繰り返し描いた重要なモデルだった。ジャコメッティは矢内原の顔を何度も描き直し、そのたびにまだ本当には見えていないと語った。この関係は、芸術家とモデルというより、他者を理解しようとする人間同士の対話に近い。本書には、その静かで深い精神的交流の気配が流れている。
本書が言いたかったこと
人間も世界も、本当には完全に理解できない。ジャコメッティは、生涯にわたり見ることを追求した。しかし見るほどに、人間存在は曖昧で不確かなものになっていった。だから彼は、完成した答えを示すのではなく、分からないまま見続ける。彼の芸術は、技巧や美しさを誇示するものではない。むしろ、人間が他者に近づこうとしても決して完全には届かない、その孤独と誠実さを表現している。本書は、芸術とは世界を支配することではなく、理解できないものを前にしてなお見つめ続ける営みであることを語っている。
