マニエリスム

Mannerism
1967年刊
John Shearman著

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著者とマニエリスム

著者ジョン・シアマンは1931年に生まれ、2003年に没した英国を代表する美術史家である。ロンドン大学コートールド美術研究所で学び、後にはハーバード大学などでも教鞭を執った。専門はイタリア・ルネサンス美術であり、ミケランジェロ研究やラファエロ研究で国際的評価を受けた。彼の最大の功績は、長らくルネサンスの退廃として軽視されてきたマニエリスムを、独立した高度な芸術運動として再定義したことである。そもそもマニエリスムとは、16世紀前半から後半にかけてイタリアを中心に展開した芸術様式であり、盛期ルネサンスの安定した均衡と自然主義から意図的に逸脱した芸術を指す。マニエラ(maniera)というイタリア語に由来し、そこには単なる技巧ではなく、洗練された様式、高度な人工性という意味が含まれている。マニエリスムの画家たちは、人体を異常なほど引き伸ばし、不安定な空間を構築し、色彩を非現実的に変化させた。構図は複雑化し、感情表現は神経質なまでに緊張感を帯びていく。そこには盛期ルネサンスの静かな均衡とは異なる、知的で不安に満ちた世界が現れている。代表的な画家としては、ポントルモ、ブロンズィーノ、パルミジャニーノ、ロッソ・フィオレンティーノ、ティントレットなどが挙げられる。シアマンは彼らを単なる衰退期の芸術家としてではなく、古典主義を極限まで理解した上で、それを超克しようとした高度に自己意識的な芸術家たちとして位置づけた。

本書の内容

本書は20世紀後半のマニエリスム研究を決定づけた記念碑的著作である。西洋美術史研究において現在も古典として読み継がれている。本書は単なる画家紹介の書ではなく、マニエリスムとは何かという問題を、美術史・思想史・文化史から理論的に解明しようとする。本書はまず、19世紀から20世紀初頭にかけて形成されたマニエリスム理解を批判的に検討するところから始まる。当時の美術史学では、マニエリスムはしばしばルネサンスの崩壊あるいは古典美の衰退として扱われていた。しかしシアマンは、その理解自体が近代的偏見に過ぎないと考えた。彼によれば、マニエリスムとは古典を理解できなかった芸術ではなく、むしろ古典を極限まで理解した芸術家たちが、自然模倣を超えた新しい表現へ向かった結果として生まれた様式である。

本書ではその後、ポントルモ、パルミジャニーノ、ブロンズィーノらの作品分析を通して、なぜ人体が引き伸ばされ、なぜ均衡が崩され、なぜ人工性が重視されたのかが詳細に論じられていく。シアマンが特に重視するのは、優雅さと洗練である。マニエリスムの芸術家たちは、単に現実を模倣するのではなく、自然を超えた美を創造しようとした。そこでは芸術はもはや自然の再現ではなく、高度な知性と様式感覚によって構築される人工世界となる。また本書では、16世紀宮廷文化との関係も重要なテーマとなっている。マニエリスムは宗教画様式に留まらず、宮廷貴族の知的遊戯や寓意文化と深く結びついていた。複雑な象徴、洗練された構図、難解な寓意は、当時の教養文化と密接に関係していた。

マニエリスムとは何か

シアマンによれば、マニエリスムの本質は人工性の美学にある。盛期ルネサンスの芸術家たち、たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロ、初期ミケランジェロらは、人間・自然・宇宙の調和を理想としていた。遠近法、人体比例、安定した構図によって、世界は合理的秩序として描かれていた。しかし16世紀に入ると、その均衡は次第に崩れ始める。背景には宗教改革、ローマ劫掠、政治的不安、人文主義の危機などが存在していた。人々は世界をもはや安定した秩序として信じることができなくなり、その不安が芸術にも浸透していった。その結果、芸術は次第に過剰性と緊張感を帯びるようになる。人体は不自然に伸び、空間は歪み、色彩は夢幻的な人工性を帯びる。そこでは均衡よりも不安、自然よりも洗練、調和よりも精神的緊張が重視される。

パルミジャニーノの長い首の聖母はその典型例である。聖母の首や身体は異常なほど引き伸ばされているが、それは単なる写実能力の不足ではない。むしろ彼は、現実を超えた超自然的優雅さを追求していた。

パルミジャニーノ
Young woman called Antea
パルミジャニーノ

ポントルモの十字架降下では、人物たちは重力感を失い、浮遊するように画面に配置されている。青や桃色を基調とする非現実的色彩は、現実世界というよりも夢幻的精神空間を形成している。

ポントルモ
ノリ・メ・タンゲレ
ポントルモ

ブロンズィーノになると、人体は冷たい大理石彫刻のような質感を帯びる。感情表現よりも知的洗練が優先され、人物たちはほとんど人工的存在へと変貌していく。

ブロンズィーノ
エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァン
ブロンズィーノ
ブロンズィーノ
愛の寓意
ブロンズィーノ

シアマンはこうした特徴を、失敗した古典主義ではなく、古典主義を超克しようとする高度な自己意識とみなした。彼は、マニエリスムを近代芸術の始まりとして捉えたのである。芸術が自然再現から離れ、芸術そのものの様式性を自覚し始めた最初の時代、それがマニエリスムであった。

マニエリスムが美術史に与えた影響

マニエリスムは長い間、ルネサンスとバロックの間に存在した奇妙な過渡期と見なされていた。しかし20世紀に入ると、その評価は根本的に変化した。その転換点を作った最大の研究者の一人が、まさにジョン・シアマンであった。現在ではマニエリスムは、芸術の自己意識化、主観表現の深化、人工性の肯定、精神的不安の可視化を最初に本格化させた時代として理解されている。特に20世紀芸術との共通性は極めて大きい。エゴン・シーレの歪んだ人体、フランシス・ベイコンの崩壊する肉体、シュルレアリスムの夢幻空間、表現主義の精神的不安などには、明らかにマニエリスム的感覚が存在している。芸術は自然模倣ではなく独自の様式を持つべきであるという思想も、近代芸術へ直接つながっていった。マニエリスムは、単なる16世紀の特殊様式ではなく、近代芸術に至る巨大な転換点だった。その意味で、本書は単なる様式研究書ではない。それは、芸術とは何か、自然を超えるとは何か、人工性とは何かという問題を真正面から問うすぐれた著作である。

未来の輪郭

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